・亡き者の言葉宿した闘士~石牟礼道子さんを悼む(若松英輔)(読売新聞)

(2018年2月11日 読売新聞朝刊)

 この数年、石牟礼さんの体調がよいときを見計らって、雑談をしに彼女の住まいを訪れていた。メモや録音をするでもなく、ただ漫然と話を聞く。水俣での幼き日のこと、『苦海浄土』執筆をめぐって、敬愛していた漢字学者白川静のこと、足尾銅山鉱毒事件で民衆の救済を訴えた田中正造について、彼女は秘めた宝珠に日の光を当てるように穏やかに語った。

 石牟礼さんの言葉は誰にも似ていない律動を有している。それがいわゆる学習の結果なら、あの無常をたたえた響きは生まれることはなかっただろう。彼女は類を見ない、優れた歴史感覚の持ち主だった。言葉を歴史の奥底からくみ上げる特異の才能に恵まれていた。その感覚は、島原の乱で亡くなったキリシタンと水俣病事件をめぐる運動に参加した人々をつなぎ、水俣病事件と足尾銅山鉱毒事件をつないだ。

 その言葉は、現代が危機に直面したとき、いっそう力強く浮かび上がった。東日本大震災のあと「花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて咲きいずるなり」という一節がある「花を奉る」と題する彼女の詩に、慰めを見出みいだした人も少なくなかったのではないだろうか。

 『苦海浄土』をどのような心持ちで書いたかを尋ねたことがある。しばらく沈黙したあと彼女は、静かにこう語り始めた。

 これまでにないことが起こったのだから、これまでにない様式で書かねばならないと思った。詩のつもりで書きました。書くことは、独りで行う闘いです、と言った。そして最後に、今も闘っています、とも語った。

 あのときのたたずまいを忘れることができない。石牟礼道子は現代日本で、語らないまま逝った者たちの嘆きを受けとめるという、最も大きな問いを生きた書き手の一人であり、真の意味における闘士だった。また『苦海浄土』は詩で、石牟礼道子は稀代きだいの詩人だった。

 また、しばしば彼女と語り合ったのは亡き者たちのことだった。石牟礼さんにとって書くとは、自らの思いを表現する以前に、語ることを奪われた者たちの言葉をわが身に宿し、世に送り出すことだった。坂本きよ子さんという水俣病で亡くなった若い女性がいる。石牟礼さんは彼女を知らない。その母親の言葉として、石牟礼さんは次のように書いている。

 何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、ふみば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に(「花の文を――寄る辺なき魂の祈り」)

 水俣病のため、ほとんど動けなくなった体でこの女性は、何かに導かれるように花びらを拾おうとして、うように庭に向かい、縁側から転げ落ちる。その姿を母が見つけたのだった。

 もうすぐ桜の花が咲き始める。地に落ちた花びらを手にきよ子さん、そして石牟礼さんへの哀悼の意を表現することもできるのだろう。

 【わかまつ・えいすけ】 1968年生まれ。批評家。著書に『小林秀雄 美しい花』など。命や魂を問う作品の書き手を中心に論じ、NHKのEテレ「100分de名著」の『苦海浄土』で講師を務めた。

◇「受苦者」が主人公の叙事詩

 石牟礼さんと親交のあった詩人・高橋睦郎さん(80)の話 「世界的に叙事詩と言えば英雄が主人公だが、石牟礼さんは民衆、それも『受苦者じゅくしゃ』を主人公とする、これまでにない叙事詩の詩人だった。しかも、時には人間だけでなく、動物や植物も含めた生命全体が主人公になっている。そういう詩が、頭で作ってやろうというのではなく、魂の深い所から自然に湧き出ているのも独特で、日本文学だけでなく世界文学でも前例のない詩人だったのではないか」

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2018年2月11日