・平和旬間15日まで-排除、無関心が支配する世界に真の平和はあり得ない(菊地大司教)

平和を実現する人は幸い@東京教区

8月6日から15日までのカトリック平和旬間の間、各地の教区で様々な行事が行われます。東京教区では、教区の平和旬間委員会の企画と、宣教協力体ごとの企画や小教区の独自企画などが行われています。

Heiwa1802 教区の行事は8月11日土曜日。午後2時からイグナチオ教会のヨセフホールを会場に、講演会が行われました。今年のテーマは「難民と共に生きる、日本社会の未来」と題して、弁護士で白百合女子大学の非常勤講師も務める駒井知会さんにお話をお願いしました。駒井弁護士は、難民認定を求める方々の法的支援に積極的に関わっておられる方で、法律家としての立場から、日本にやってきた難民申請者が、多くの場合、どう見ても人道的とはいえない扱いを受けている現実に対して、その救済のために取り組んでいる体験を、熱く熱く、分かち合ってくださいました。

Heiwa1805 今回このお話をお願いしたのは、まずもってカリタスジャパンと難民移住移動者委員会が、国際カリタスの呼びかける国際的キャンペーン「Share the Journey」に「排除ゼロキャンペーン」と題して取り組んでいることから、これを今年のテーマとしようと提案させていただいたからです。

 確かに偽装難民と思われる例もあることはあるが、しかし全体としては、たまたま最初に取得できたのが日本の観光ビザであり、その意味で必死に助けを求めてやってきた大多数の人たちを、杓子定規の規則で取り扱うことには問題があるとの指摘は、もう何年にもわたって変わりなく、その通りです。

 かつては日本の入管難民法に60日ルールがあり、入国してから60日以内に申請をしなければ申請自体ができなくなったものですが、今はさすがにそこは改正されたものの、難民認定のハードルが非常に高いことは、よく知られているところです。加えて、そういった申請者を、あたかも犯罪者のように施設に収容することは、用語としては優しく響くものの、実態は刑務所のような場所に閉じ込めてしまうのですから、その状況に遭遇する人たちの驚きと恐怖と失望はいかばかりかと思います。

Heiwa1806 人間はそう簡単に母国を捨てて旅には出ません.それは自分自身の立場から想像すれば、少しはわかることかと思います。母国を出て未知の国へ先のわからない旅に出ることには、それなりの大きな決断が伴うことだと思います。その旅路が、どれほど不安に満ちた心細いものであることか。

 それが、到着をした全く言葉のわからない国で、わからない言葉でまくし立てられて、支援者に会うことも適わず閉鎖施設に入れられることは、自分の身で想像すれば、かなり恐ろしいことではないでしょうか。多少なりとも想像力を働かせて、自分の身にそういうことが仮に起こったとして、と考えれば、どうでしょう。

 以下は、拙著「カリタスジャパンと世界」から、難民の定義の項です。

「現在、国際社会において『難民』を定義しているのは、1951年に採択された『難民の地位に関する条約(難民条約)』と、これに付随する1996年の議定書です。この条約では、次のような人たちが『難民』と呼ばれています。

『人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいるものであって、その国籍国の保護を受けることが出来ないものまたはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものおよび常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有している国に帰ることが出来ないものまたはそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの(難民条約第一条A2項)』。

すなわち『難民』となるためには、次の条件を総て同時に満たしていなければなりません。まず第一に、国籍国または常居所の外にいること、つまり国境を越えている必要があります。そして第二に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖があり、第三にその迫害が特定の理由によるものであり、さらに第四として、国籍国等の保護が受けられないか受けることを望まず、帰還することも希望していないということです。

客観的に見れば、この定義はかなり曖昧だと言わざるを得ません。そもそも『恐怖』というのは多分に主観的概念であって、人によって同じ状況に直面してもそれを恐怖と感じるかどうかは一様ではありません。しかし基本的人権の保護という立場に立つならば、この曖昧さこそが、迫害を受けている多くの人の命を救う鍵とも言えるのです」

 残念ながら現在の日本の入管行政は、この幅の広い難民の定義を、限りなく狭く厳密に解釈されているように思えます。

 この日は、今年の高温の天候を考慮して、距離の長い、麹町から関口までの巡礼ウォークは中止としました。目白駅や豊島教会、本郷教会からは多くの方が歩かれました。

Heiwa1808 夕方6時からカテドラルで、平和を願うミサを捧げました。聖堂一杯の多くの方が参加して祈りをともにしました。以下、ミサの説教の原稿です。

 福音の光に照らされながら平和を語り求める教会は、教皇フランシスコの言葉に励まされながら、この世界に忘れられて構わない人はだれ一人いない、排除されて良い人は誰ひとりいないと、あらためて強調します。それは私たちが、すべての人の命は例外なく、神の似姿として創造された尊厳ある存在であると、信仰のうちに信じているからに他なりません。

 私たちが希求する平和の根本には、人の命はその始めから終わりまで、尊厳を保ちながら守られなければならないという、ヨハネパウロ二世の言われる「命の文化」が横たわっています。

 世界各地で議論を巻き起こしている話題ではありますが、教皇フランシスコの裁可を持って教理省は先日、カテキズムの項目の改訂を通じて、国家の刑罰としての死刑を認めない姿勢を明確にされました。犯罪を罰しないという意味ではなく、人間のいのちの尊厳は、たとえ刑罰であっても奪うことが許されないと強調することで、教会はあらためて人間のいのちの尊厳こそが、すべての根本にあるのだと主張しています。

 教皇フランシスコは、難民や移住者への配慮も、命の尊厳に基づいて強調されています。それぞれの国家の法律の枠内では保護の対象とならなかったり、時には犯罪者のように扱われたり、さらには社会にあって異質な存在として必ずしも歓迎されないどころか、しばしば排除されている人たちが世界に多く存在します。教皇フランシスコは、危機に直面する命の現実を前にして、法律的議論はさておいて、人間のいのちをいかにして護るのかを最優先にするよう呼びかけています。

 教皇就任直後に、教皇はイタリアのランペドゥーザ島を司牧訪問されました。
この島は、イタリアと言っても限りなくアフリカ大陸に近い島です。2000年頃から、アフリカからの移民船が漂着するようになり、亡くなる人も多く出て、社会問題化していました。

 難破した船のさまざまな部品を組み立てたような祭壇や朗読台。この象徴的な朗読台の前に立ち、教皇はこの日の説教で、その後何度も繰り返すことになる「無関心のグローバル化」という事実を指摘しました。その説教の一部です。

 「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった。これが私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている。このグローバル化した世界で、私たちは無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」

 母国を離れようとする人には、他人が推し量ることなどできない様々な事情と決断があったことでしょう。それがいかなる理由であったにしろ、危機に直面する命にいったい誰が手を差し伸べたのか。その境遇に、その死に、誰が涙を流したのか。誰が一緒になって彼らと苦しんだのか。教皇は力強くそう問いかけました。

 無関心のグローバル化を打ち破るためには、互いをよく知ろうと努力することが不可欠です。私たちは、未知の存在と対峙するとき、どうしても警戒感を持ってしまうからです。対話がない限り互いの理解はなく、理解のないところに支えあいはあり得ません。

 教会は、移住者の法律的な立場ではなく、人間としての尊厳を優先しなければならないと、長年にわたり主張してきました。一九九六年世界移住の日のメッセージで、教皇ヨハネパウロ二世もこう指摘しています。

 「違法な状態にあるからといって、移住者の尊厳をおろそかにすることは許されません。・・・違法状態にある移住者が滞在許可を得ることができるように、手続きに必要な書類をそろえるために協力することはとても大切なことです。・・・特に、長年その国に滞在し地域社会に深く根をおろして、出身国への帰還が逆の意味で移住の形になるような人々のために、この種の努力をしなければなりません」

 「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」

 先ほど朗読されたマタイ福音書には、そのように記されていました。
そもそも私たちのキリスト者が語る『平和』とは、どういう状況を指しているのでしょうか。

 しばしば繰り返し強調されてきたことですが、教会が語っている『平和』というのは、単に戦争がないことや、または『抑止力』と呼ばれる戦う能力の均衡によってもたらされる緊張感の内にあるバランス状態のことではありません。さらには、世界の人がとりあえず仲良く生きているというような状態でもありません。

 教皇ヨハネ23世は、回勅「地上の平和」を持ち出すまでもなく、教会が語っている『平和』とは、神の定めた秩序が実現している世界、すなわち神が望まれる被造物の完全な状態が達成されている世界を意味しています。

 そのためには、神ご自身が賜物として与えてくださった命が、例外なく尊重され護られることではないでしょうか。賜物である命がないところに、世界はあり得ないからです。

 残念なことに、この数年の間、私たちの周囲では、役に立たない命は存在する価値がないなどと言う主張が聞かれたり、犯罪行為に走る人まで現れています。しかもそういった考えは、いまや一部の人の特別な考えかたではなく、少しずつ多くの人の心に入り込みつつある価値観であるようにも感じます。命の尊厳を人間が左右できると考えるところに、神の秩序の実現はあり得ず、従って平和が達成されることもありません。私たちはそういった命の尊厳を脅かす価値観を受け入れることはできません。

 この価値観の行き着く先は、利己的な目的のために他者を犠牲にしても構わないという生き方に他なりません。命の尊厳を軽視するところに、真の平和はあり得ません。排除のあるところに、真の平和はあり得ません。無関心が支配する世界に、真の平和はあり得ません。

 互いに尊重し、助け合い、それぞれの命が例外なく大切にされる社会を目指してまいりましょう。

 (菊地功・東京大司教 2018.8.13記)(「司教の日記」よりご本人の了解を得て転載)

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 平和旬間を始めるに当たり、広島の祈りの日の前日5日に、広島教区の平和行事が行われましたので、広島まで出かけてきました。午後には幟町教会を中心に講演会や分科会が行われ、夕方5時から平和公園の原爆供養塔前で聖公会と共催の祈りの集い。全国各地から、主に青年を中心に参加者があり、東京教区からも数名が参加。広島教区と姉妹関係にある釜山教区からも青年たちがおそろいのTシャツで参加。

祈りと、聖公会主教、前田枢機卿、白浜司教による献水に続いて、カテドラルまでの平和行進となりました。今年は、基本的には歌を歌うなどせず、祈りのうちに静かに歩みを進める祈りの行進が企画されました。もっとも黙って商店街のアーケードを歩み続けるのも困難で、途中からは聖歌も聴かれました。でも、祈りのうちに歩み続ける行進にも、意味があると感じます。沈黙の祈りと、聖歌が組み合わさるような企画になればと思いました。

 幟町の世界平和記念聖堂は改修工事中のため、今年の平和祈願ミサは、お隣のエリザベト音楽大学のホールで。司式と説教は岡田大司教。教皇大使や前田枢機卿はじめ、全国の多くの司教司祭が共同司式でした。

 核兵器廃絶は、教皇ヨハネ23世の「地上の平和」から始まって今に至るまで、歴代教皇が強調する優先課題の一つであり、国連などの外交の場でも、繰り返し聖座が主張してきたことです。例えば、2017年の5月2日から、ウィーンで開催された「2020年核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議第1回準備委員会」では、参加した聖座代表は次のように述べて、聖座(バチカン)の立場を明らかにしています。

 「この準備委員会への聖座の参加は『核兵器から解放された世界をめざし、核不拡散条約の文字通りでその精神をくみ取った完全な履行によって、これらの兵器の完全な禁止という目標に向かって働く』その努力に、倫理的権威から協力しようとするものです」(私訳)

 その上で、核抑止力についてこう述べています。

 「核兵器は、間違った安全保障の感覚をもたらします。また、力のバランスによって、後ろ向きな平和(a negative peace)をもたらそうとします。国家は、自らの安全保障を保持する権利と義務がありますが、それは集団安全保障や、共通善や、平和と強く関係しています。この観点から、平和の前向きな理念が必要です。平和は、正義と、総合的人間開発と、基本的人権の尊重と、被造物の保護と、公共へのすべての人の参加と、人々の間の信頼と、平和構築に献身する諸機関の支援と、対話と連帯に基づいて構築されなければなりません」(私訳)

 また2017年9月20日には、聖座は核兵器禁止条約に署名批准し、その際に総会において、バチカン国務省のギャラガー大司教は演説でこう述べています。

 「皆が兵器拡散の重大な影響を非難する一方で、実際の世界では大きな変化は見られません。なぜならば、教皇フランシスコが指摘するように「私たちは『戦争反対』と声を上げるものの、同時に兵器を生産し、紛争当事者に売りつけているからです」

 「二年前の今日、教皇フランシスコは国連総会で演説し『核拡散防止条約(NPT))の文字通りの適用を通じて、核兵器の完全な禁止を目指しながら、核兵器のない世界の実現のために働く緊急の必要性』を強調されました」

 「聖座は、核兵器禁止条約に署名しすでに批准もいたしました。なぜならば、核兵器の完全な拡散防止と軍縮のために、核拡散防止条約の署名国にとって、早い時期に核軍拡競争をやめるため、また核軍縮のための交渉に誠実

09E36255-F46A-4A52-977E-F09C1D6ACE9Dにあたるための取り組みを実現させる大きな前進であり、厳密で効果的な国際的監視下での完全な軍縮交渉に向けての一歩として、全体としては大きな貢献であると信じるからです」(私訳)

 教皇様ご自身は、その後、「戦争がもたらすもの」という言葉を入れた、いわゆる「焼き場に立つ少年」の写真を広く配布したりしたことで、核兵器の廃絶を強く求める立場を明確にしています。

 もちろん、多くの人が、「核兵器のない世界」の方が、「核兵器におびえる世界」よりも望ましいと言うこと自体には賛成していることでしょう。同時に、国際政治の力関係や実際の軍事バランスを考えて、同じ目的地であっても、採用する道筋は異なることも確かです。加えて残念なことに、核兵器を保有している国同士の相互不信は根本で払拭されそうもありません。

 当然、核兵器の廃絶が一朝一夕で達成されるなどと、夢のようなことを考えているわけではありません。しかし同時に、現実は、立場の異なる当事者が、それぞれの採用した道筋こそが正統であり、正しいのだ、と主張するばかりで、目的地の山頂はガスの中に隠れてしまっているような状態です。

 だからこそ、教皇様のあの写真なのです。書類の上の文字ではなく、外交交渉の言葉ではなく、ののしり合いではなく、実際に肌と心で感じる悲しみ、苦しみ、喪失感、嘆き。その具体的な感覚を、具体的な心の叫びを忘れてしまっては、頂上が見えなくなるのです。

具体的な心の叫びをあらためて主張し、見失われそうになった頂上を、あえて見せつけ思いを呼び覚まそうとすることは、祈りとともに、理想を掲げ続ける宗教者の務めの一つであろうと思います。

戦争は想像の産物ではなく、「人間のしわざ」だからです。

(2018.8.11記)(菊地功・東京大司教)(「司教の日記」より転載)

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2018年8月11日