・性的虐待による信用失墜から教会を立て直すために、教皇は何ができるか(CRUX)

(2018.7.25 Crux Managing Editor  Charles Collins

 聖職者から性的虐待を受けた被害者とその支援者たちにとって、先週の一連の出来事で、教会がまだ「浄化」からほど遠いところにあることを、改めて強く思い知らされた。

 米国の前ワシントン大司教のセオドール・マカリック枢機卿が性的虐待問題でさらなる追求を受けただけでなく、9人の枢機卿による教皇顧問団の1人を補佐するホンジュラスのホアン・ホセ・ピネダ・ファスケレ司教が神学生に対して性的行為を働いたとの訴えを受けた後、辞任したのだ。教皇顧問団の枢機卿では、フランシスコ・ザビエル・エラズリス枢機卿もチリで聖職者による児童性的虐待を隠ぺいしたとして訴えられている。

 南北アメリカだけではない。インドではフランコ・ムラッカル司教が性的暴行を受けたとして修道女から訴えられた-彼女は司教の上司である東方典礼カトリック教会の代表、ジョージ・アレンチェリー枢機卿にこの件を申し立てたが無視されていた、という。そして、バチカンの財務事務局長官で、出身国のオーストラリアで公判中のジョージ・ペル枢機卿は20年前の児童性的虐待容疑で再度、出廷した。

(以上の枢機卿、司教たち全員は、容疑を否認していることも指摘しておく必要があるだろう。)

 そして、バチカン自身の改革努力もまた暗雲に包まれ始めた。

 米有力紙ワシントン・ポストは23日付けの記事で、ボストン大司教で米国の性的虐待問題対策委員会の代表であるショーン・オマリー枢機卿が、マカリック枢機卿の被害者とされる1人から手紙を受け取った、と報じた。これに対して、オマリー枢機卿の補佐官は「対策委員会は、現地の司法当局の手にある個々の問題を扱わない」とし、「教会と神の民のためを、あなた方が思い、気にしてくださっているのを感謝します」と語っている。(24日に発表された声明では、オマリー枢機卿は、問題の手紙を個人的に受け取っていない、と主張していた。)そのような言葉は、多くの被害者の心に、共感と彼らが約束した協力を示すものとして響くことはないだろう。

 全体として、この問題は、同じパターンが繰り返されている-ある国が大きな性的虐待スキャンダルに見舞われ(例えば、2000年代に米国ではボストン大司教区、アイルランドではフェルンズ・レポートがきっかけに全国に広がり、2010年代には、チリのフェルナンド・カラディマ神父問題から、オーストラリアの幼児性的虐待に関する王立調査委員会の調査から、全国に広がった)、続いて、隠されていた性的虐待事件の洪水が起きる。バチカンで会議が開かれ、改革が始められ、「二度と繰り返さない」という宣言が出される―そして、また別の国で、危機が噴出する、という具合だ。

 教皇フランシスコがこのような好ましからざる現象から距離を置くのは、日増しに難しくなっている。自身の顧問団の9人のうち3割が一連の性的虐待スキャンダルに汚染されている。ペル、マラディア、そしてエラズリスの3人は全員が75歳の定年を超えており、辞表は教皇のデスクに置かれているが、受理されていない。

 司教のピネダ・ファスケレも”一か月前”に辞任を教皇に申し出たが、20日まで職務を続けた。マカリック枢機卿は引退はしたが、教皇の腹心の友であり、米国の教会に関しては教皇の”耳”であり続けている。

 司教は罰せられる場合でさえも、ピネダ・ファスケレのように、ほとんどいつも、理由も明らかにしないまま、辞任することが認められている。実際、グアムのアンソニー・アプロン大司教は、複数の児童に痴漢行為を働いたと訴えられ、3月にバチカン裁判所で有罪とされた時、声明で、”いくつかの違反行為”で有罪のなった、とされただけで、具体的な”違反行為”の内容は明らかにされなかった。

 マカリックの問題が噴出して以来、多くの問題が話されてきた-特権と秘密主義に基礎を置いた聖職者文化、現代の聖職で同性愛が演じる役割への認識の誤り、長老たちの多くが持つ好ましくない性的な気質に対して司教や他の高位聖職者の目を閉じさせるスキャンダル露見への恐れ、そして、”友人たち”を守り、昇進さえさせるネットワークなどの問題だ。

 問題はとても複雑で、大きく、幅広いため、教会特有の”風土病”と言ってもいいくらいだ。そして、病が”風土病”になった時、それに立ち向かう一人ひとりの一歩は常に、不十分であり、結局は無駄なように見え、恐らくは教皇の問題、ということになる。しかし、踏み出すことのできるもっとも第一歩が存在しない、とは言えない。もしも、教会の児童保護の指導的な専門家を見回せば、次のようなことに近い、いくつかの方策を聞けるだろう。

 

1.ルールと基準を公表し、利用しやすくすること

 教皇フランシスコは聖職者による性的虐待について、使徒憲章を出すことができるだろう。それによって、枢機卿、司教たちを含めてすべての聖職者を対象とする形で、現在の関係法令すべてをまとめ、いくつもの法令が輻輳し、勝手な解釈がなされないようにすることだ。一般信徒の運動と組織の無秩序な群立も避けるようにすることも必要だ。

 憲章を作成にあたっては、透明性を確保し、一般信徒の専門家も加える必要がある。また、幼児ポルノ、職業的な反倫理的行為(神学生や教区の職員を性的に誘惑するなど)、そして性的虐待行為の隠蔽を含む関連の犯罪も対象とすべきだ。教皇は、教会のすべての成員-被害者、加害者、そして信徒全員-が明確で理解可能なプロセスに参加する資格があるという声明の形で文書を提示することが考えられる。

 確かに、一つでどんなケースにも通用するような解決法というものは、さまざまな異なる場所、文化の中で起きる状況の複雑さから考えて、機能しないだろう。それでも、教理上の定型と典礼上の慣行のような、重要な問題に対処する基準に類似したものを課するようにすべきだ。そうしなければ、多くの人々にとって、なぜ児童保護が深刻さにおいて同じレベルに評価されないのかを理解するのはむつかしいだろう。

 

2.正義は法廷で判断するもの、”行政官庁”で、ではない

 現在のところ、聖職者による性的虐待の所管は、バチカンの教理省にある。その大半の理由は、聖ヨハネ・パウロ2世教皇の下で、後にベネディクト16世となる当時の教理省長官、ラッツィンガー枢機卿がこの問題を扱う、と決められたためだ。今、教皇フランシスコは、性的虐待だけを扱い、捜査と起訴を担当する専門家を集めた司法機関をバチカンに設ける必要があるだろう。そこで行われる一連の過程は、透明でなければならず、判決結果も公表される必要がある。

 バチカンはすでにいくつかの経験をしている-バチカン市国の裁判所は最近、いくつかの裁判に報道関係者の参加を認めている-”バチカン内部の機密漏洩”に関する裁判に弁護側証人として報道関係者が出廷し、幼児ポルノの所持と配布でバチカンの外交官が有罪判決を受けるにあたっても、報道関係者が大きな役割を果たした。

 だが、注意すべきは、バチカン市国の裁判所が教会ではなく一国の裁判所であり、その裁判は-米国の法制度と異なる欧州共通のローマ法制度の下にあり-法廷で行われる。これに対して、教会の裁判は、文書業務に近いものだ-証言は離れた場所から文書で送られ、それらの文書をまとめたホルダーが回し読みされる。結果として、その”透明性”の中身は、人気の米国のテレビドラマ「Law & Order」の話ほどドラマチックにはなり得ない。

 

3.”腐ったリンゴ”を追い出すために、さらなる努力が必要

 教皇は、教会の高い地位に就ける候補者を適切に調査・選別するために、新たな手続きを定める必要がある。たとえ、それが、反対意見があれば表明できる時間を認める公けの

 「指名手続き」と意味することになってもだ。現在、教会で起きている危機は、調査・選別をこれまでよりももっと厳しく行う必要があることを示している。将来の高官ポストの指名には、対象となる人物のこれまでの人間関係、財務面での記録、そして、業務執行に問題がある過去の経歴など、徹底した審査が必要になる。

 重ねて言うが、この分野について知識のある一般信徒の専門家が審査に関与すれば、結果は信頼性の高いものになるだろう。

 

4.火事があったら、燃えさしの一つも残らないように消し去ること

 PRの権威者が今、カトリック教会に言うとしたら、それは、現在起きているスキャンダルを収束させるために、関係のある高位聖職者を排除することが必要だ、と決めてかかることではない。神学生たちに色目を使う司教は共犯者を誘い込んだかもしれない-タイで休暇を過ごすことを好む幼児痴漢常習者は一人で旅行に出かけることはしない。

 この種の退廃した行為の捜査にはまた、特別の専門技能と専門的な経験をもつ捜査担当者が必要だ。教会は、国際刑事警察機構(INTERPOL )その他の捜査機関(米国の連邦検事局(FBI)、英国のロンドン警視庁(スコットランドヤード)は、複雑な犯罪捜査で他国を助けることが多い)と連携する意思を表明すべきだろう。

5.司教退任の規定を最新のものに

 教会法401条は、司教が退任できる理由を挙げているのは、「75歳に達した」ことと、「体調不良、ないしは他の重大な理由」の二つしかない。この条項には、新たに”羊飼い”たちが酷い不正を働いたら退任を求められることを人々が知る権利があると認識したうえで、「不正行為」を退任理由として加える必要がある。同様に、体調不良や他の正当な理由で辞めようとする司教たちは、悪行の嫌疑をかけられない権利をもつ、ということも。これらの改革が教会での性的虐待問題を終結させるとしても、恥ずべき司祭たちによって被害者たちにもたらされた身体的、心理的、精神的な損傷が癒されることはないことに、誰も異論を唱えることはないだろう。だが、恐らく間違いなく、被害者たちは、真の改革への一連の長期にわたる検問所が出来たことを、少なくとも認識するのではないだろうか。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018年7月26日