・「皆さんに直接お話しできるのは大きな喜び」-聖ヨハネ23世の日本向けラジオ放送から60年

(2019.2.15 バチカン放送)

 バチカン市国から日本への初めてのラジオメッセージが、教皇聖ヨハネ23世によって届けられてから、17日で60年を迎える。日本時間1959年2月17日早朝(現地時間16日深夜)、教皇聖ヨハネ23世(在位1958-1963)がバチカンから日本に向けて初めてのメッセージをラジオを通して送られ、この言葉をもって、バチカン放送の日本に向けた定期的な放送が開始された。

 バチカン放送のマイクを通して述べられた聖ヨハネ23世のラテン語メッセージは、次のような内容だった。

「日本の皆さん、『わたしたちは皆さんに率直に語りかけ、わたしたちの心は広く開きました』(参照:コリントの信徒への手紙2・6章11節)この喜ばしい日に、大海をへだて、遠く離れた日本の司教様方をはじめ、司祭、修道者、すべての信者たちに、初めてバチカンからラジオを通して直接にお話しすることができるのは、わたしにとって大きな喜びです。祝福と、平和、希望、そして聖霊の喜びが、常に皆さんと共にありますように。

 イエス・キリストの証人であり、すべての国々の希望である皆さんのキリストへの信仰は、言葉と行いによって輝き渡っており、また、あなたたちの良き評判は、すべての人々に知れ渡っています。『すべての気高いこと、…すべての聖なること、すべての愛すべきこと、すべての誉れあること、すべての徳、すべての賞賛に値すること、これらのことを心に留め、…学んだことを、実行しなさい』(参照:フィリピの信徒への手紙4章8節)

 日本民族は、昔からその勇敢さ、忍耐強さ、優れた芸術によって、高く評価されています。父としての心をこめて、神の御母、聖母マリアにそのご加護を祈ります。永遠の輝き、正義の太陽である神よ、あなたの光で日本の人々を照らしてください。その恵みによって、キリストの福音を抱き締めることができるよう助け、すべての悪から守り、豊かな恵みを注ぎ、今もいつも幸せをお与えくださいますように。アーメン」

 聖ヨハネ23世は、このメッセージを述べた後、同じくラテン語により、荘厳な教皇祝福を与えられた。

 日本への初放送の模様を、当時の「オッセルバトーレ・ロマーノ紙」は、次のように伝えている。「昨日、月曜日(1959年2月16日)23:30、教皇ヨハネ23世は、特別なメッセージを通し、ラジオ・バチカンの日本語による定期放送の開始を祝われた。日本語の放送は、今後、月曜日、水曜日、金曜日の同時間に放送される。教皇はラテン語で話され、日本の司教、司祭、信徒らのために、また、気高く偉大な日本国民すべてのために、特別な言葉をもって神の恵みを祈られた。教皇は、公邸の聖ヨハネの間で、マイクに向けてお話になった…」。

 バチカン放送そのものの放送開始は、1931年2月11日。ローマ教皇庁とイタリア王国の間にバチカンの独立と主権を認める「ラテラノ条約」が締結された1929年2月11日から2年後に、無線電信の開発者、グリエルモ・マルコーニ(1874-1937)を技術責任者とし、当時の教皇、ピオ11世(アキーレ・ラッティ 在位1922-1939)の第一声をもって始まった。マルコーニのイタリア語による導入の挨拶と、教皇のラテン語のメッセージから始まったバチカン放送は、次第に放送言語数を増し、1958年末の試験放送を経て、1959年に日本語放送が始まることになった。

 バチカン放送の日本語放送開始時の責任者は、東門陽一郎神父であった。週3日の放送からスタートした日本語番組は、その後、毎日、朝晩2回の放送に成長し、司祭、修道者、信徒らの協力のもとに、42年間にわたり続けられたが、2001年3月25日、多くのリスナーに惜しまれながら終了した。日本語放送終了とほぼ同時に、バチカン放送局のインターネットサイトに、日本語によるニュース記事の掲載が始まった。2017年から18年にかけて、バチカン放送局のホームページは、徐々にポータルサイトVATICAN NEWSに移行。 2018年7月より、VATICAN NEWSサイトを通し、日本語のニュースが配信されている。

(編集「カトリック・あい」)

バチカン放送の誕生

(「カトリック・あい」の連載コラム「Sr.石野のバチカン放送今昔」②より)

  「神の至高のお望みにより、使徒および神のご命令によって、教会の教えをすべての人、およびすべての被造物に説く使命を帯びる者として、まず、すべてのもの、すべての人に今、そしてこれからも・・・、聖書のことばをそのまま引用して、『天よ聞け、大地よ聞け・・・すべての人々よ、聞け』と申しましょう・・・」

 無線電信の先駆者、グリエルモ・マルコーニ設立のマルコーニ社製マイクの前に立った教皇ピオ11世は、マルコーニに促され、感動に震える声で、世界の人々に呼びかけられた。それはラテン語だった。

  1931年2月12日、時の教皇の第一声を電波に乗せて、世界に伝えた・・・バチカン放送の誕生である。 

 当初は「バチカン放送局」というよりは、世界に散在するカトリック信者と教皇が直接コミュニケーションをする手段として作られたので、「教皇のプライベートなコミュニケーション手段」という性格が強かった。このため、マイクの前に立つことができたのは教皇だけで、枢機卿さえ立つことができなかった。

 バチカン放送を教皇のプライベートなコミュニケーションの手段から大きく形を変えさせたのは、第二次世界大戦だった。戦中から戦後にかけて、ヨーロッパ各地で戦っている兵士と家族を電波で結んだり、戦地に行ったままで消息を絶っている兵士の情報を内地に向けて提供したり、反対に家族の様子を戦地に伝えるなど、双方のコミュニケーションに目覚しく貢献した。

 電波がもつ威力を知った教皇庁は、徐々にラジオ放送の働きの輪を広げていった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2019年2月16日