・「ソダノ枢機卿」に見る性的虐待スキャンダルとバチカンの「説明責任」の深層(CRUX)

解説(2018.8.12 Crux Editor John L. Allen Jr.)

 ローマ発 – カトリック教会の性的虐待スキャンダルが終息せず、説明責任に対する議論が高まりを見せる中で、払うべき関心が払われないことの多い一つの疑問は、性的虐待スキャンダルについてどのような対応が制裁に値するか、について人々に対する説明責任が果たされるべきか、措置が取られる前に、どのような説明が権威者に求められるか、である。

 これについて検証を始めるにあたって、「zero tolerance(どのような 違反も一切許容されないルール)」が明確に意味するのは、性的虐待に関する直接的な権限委任には迅速で厳格な規律が必要だ、ということであり、我々が知っているのは、このルールが、前枢機卿のセオドール・マカリックの例でみるように最高位の聖職者-枢機卿-をも拘束する、ということだ。

 我々はまた、少なくとも理論上は、他者が性的虐待を隠ぺいすることもzero toleranceを侵害し、たとえ、隠ぺいの立証がしばしば、極めて困難だとしても、制裁措置を招くと考えられる、ということも知っている。

 厳格さが増しているところでは、告発が犯罪、ないしは隠ぺいに対してなされない場合、少なくとも直接的にではなく、単に過去の経緯の誤った側にいたという-そのような貧弱な判断、失音楽症、無神経さを見せ、性的虐待が引き起こしている危機の甚大さ、深刻さを無視するような振る舞いによって、教会の対応をさらに弱く、説得力をさらに欠くことになる。

 仮に、カトリック教会にそのような過失に対する説明責任が存在するなら、枢機卿団の現在の長による裁判にそれを告げることはしないだろう。

 アイルランドの日刊紙 Irish Timesが今週、報じたところによると、聖ヨハネ・パウロ二世教皇の下で国務長官を務めたイタリア人のアンジェロ・ソダノ枢機卿が、次のような取り決めについて話し合う、という考えを示した-それは、2003年11月に行われた当時のアイルランド大統領、マリー・マカレーズ氏の政府公聴会の議事録を教会の資料保管庫で補完しない、というものだった。ソダノ枢機卿はその二年後に、当時の同国のダ-モット・アハーン外相に、性的虐待に関するアイルランドでの裁判の結果、バチカンが被るいかなる損失も、同国政府として補償するよう求めた。

 バチカンは、この報道について論評を加えることはせず、ソダノ枢機卿の対処法について我々が知っていることについて首尾一貫した姿勢をとった。

 枢機卿はまた2005年2月、当時の米国務長官、コンドリーザ・ライス氏に、ケンタッキー州ルイスビルの地方裁判所で起こされようとしていた集団訴訟を差し止める方向で介入するよう求めた。訴訟の内容は、幼児性的虐待に対するバチカンの財政面での責任を問うものだったが、ライス氏は「米国の法制度では、行政府にはそのようなことをする権限は認められず、(集団訴訟に不服であれば)外国政府は米国の裁判所で自身の責任免除を申し立てねばならない」と、わざわざ説明せねばならなかった。(結果的に、バチカンは、彼女の言に従って申し立てを行い、訴訟は裁判所の判断で退けられたが・・)

 注意したいのは、アイルランドと米国に対する枢機卿の要求はともに、2002年から2003年にかけて米国で性的虐待スキャンダルが大問題になった後だ。したがって、性的虐待がもたらす危機がどれほど深刻か、性的虐待の被害者が「バチカンで最大の権限を振るう人物の最大の関心事が、教会の資産を守ることなのだ」と知ることが彼らの心をどれほど傷つけるか-について「枢機卿が理解していなかった」とは言うことはできない。

 zero toleranceの意味について枢機卿の見方に関するこれまでの本人の言動に対する疑問符は、これだけではない。ウイーン大司教のクリストフ・シェーンボルン枢機卿は、ハンス・ヘルマン・グローエル枢機卿に対するバチカンの捜査を差し止めた、として、ソダノ枢機卿を糾弾した。グローエル枢機卿は様々な形の性的虐待と誤った行為について訴えを受けており、1998年に枢機卿として職務と権限をはく奪されている。シェーンボルン枢機卿によれば、後に教皇ベネディクト16世となる当時のヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿はグローエル枢機卿を教会法に基づいて裁判にかけることを希望したが、ソダノ枢機卿がこれを潰した。

 シェーンボルン枢機卿は後に、ソダノ枢機卿とベネディクト教皇との関係修復のためにバチカン訪問を強要されたが、糾弾の実質的な内容を引っ込めることはしなかった。

 そして、ソダノ枢機卿がある年の復活祭ミサの説教で、聖職者による性的虐待の被害者のついてのマスコミ報道に関して「くだらないゴシップ」という言葉を使って、多くの被害者に彼の無神経さを痛感させた、とシェーンボルン枢機卿は語っている。

さらに、ソダノ枢機卿のマルシャル・マルシエル・デゴラド神父に対する長期にわたる強力な支援の問題がある。神父は Legion of Christの創設者だが、2006年に。当時のラッツィンガー教理省長官と同省の聖職者性的虐待問題を担当するチームに有罪と判断され、終生を祈りと償いに捧げることを義務付ける判決が下されていた。ソダノ枢機卿は最後の最後まで神父を支援し、ラッツィンガー長官のチームが神父の捜査をしているにもかかわらず、神父に対する「教会法上の手続き」は存在しない、とする声明をバチカンのためにお膳立てした-その主張は、法的には正しかった。なぜなら、この案件の扱いは非公式に神父の年齢と健康状態を勘案してなされたからだったが、この声明は、バチカンがソダノ枢機卿の路線に乗っている、というより大きな真実を覆い隠すものだった。

 ソダノ枢機卿は、2006年の判決についての生命の発表にさえ、声明がすでに神父本人によって受理され、バチカン内部で出回った後だったにもかかわらず、「神父を動揺から救う」という理由で、強く反対した。

 それでは、我々はどう考えればいいのだろうか?

 確かに、ソダノ枢機卿自身が誰かに性的虐待をしたことを示すものは全くないし、神父の事件を「隠ぺい」したとして糾弾されることさえも、”拡大解釈”だろう-ソダノ枢機卿が神父の犯罪について直接の情報を持っていた、というよりも、あり得る筋書きは、ソダノ枢機卿はただ、知りたくなかっただけ、というものだ。彼は神父のもつ正統的な信仰、若者たちの教育への熱意と成功を高く評価し-その募金集めの能力には触れず-1997年以来出回っていた神父に対する訴えを、妬みや政治的な反発を受けたことによるものとしたい、いう気持ちがあった。

 その一方で、ソダノ枢機卿の経歴のもつ累積的な重さが、聖職者による性的虐待の危機の本質を俎上に載せることを、バチカン官僚たちにためらわせる、あるいはできなくするように影響を与えたことは、そして、教会改革に大胆な関与という点で、彼が確信を奮い立たせたことがないということは、ほとんど疑問の余地がない。

 ソダノ枢機卿は今、90歳だが、それでもまだ、枢機卿団の長にとどまっている。そして、仮に、教皇フランシスコが明日、亡くなることがあれば、彼が、後継教皇が選出されるまで、枢機卿による日々の会議を主宰することになる。さらに、彼はその年齢にもかかわらず活動的で、ローマでは、とくに古巣のバチカン国務省に、友人と後輩たちの幅広い人脈を通して、裏で大きな影響力を行使し続けている、とローマの関係者の間で見られている。

 教皇フランシスコが性的虐待スキャンダルについての“accountability( 説明責任)”について考えを深めるにしたがって、早晩、ソダノ枢機卿のような人物を「罪を犯した、あるいは隠ぺいしたが有罪とされないバチカン官僚」とみなさざるを得なくなろう。だが、ソダノ枢機卿が行った判断と声明は、多くの外部の関係者、とくに性的虐待を受けた生存者に、このバチカンの制度が本当にzero toleranceについてどれだけ真剣に取り組んでいるのか、疑問を抱かせたままにするだろう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。

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2018年8月13日