認知症介護あるある~岡崎家の場合~①「笑い」に救われた!(読売新聞ヨミドクター)

 (2018年1月22日 ヨミ・ドクター=読売新聞医療サイト)

①一家共倒れの危機、「笑い」に救われた!

 結婚、出産、ダブルケア…山あり谷ありの介護生活20年

 脳血管性認知症を患った父親との介護生活が、今年でめでたく(!?)20周年を迎えるライター・エッセイストの岡崎杏里あんりと申します。この度、20年の介護生活で私たち家族が泣いて笑った「認知症介護あるある」なエピソードなどをヨミドクターで披露させていただくこととなりました。

 まずは家族の紹介をさせてください。

 岡崎家の一人娘の私、杏里。父が倒れてから母と二人三脚で父の介護をしていましたが、2011年の結婚を機に、スープの冷めない距離から通いの介護生活へ。13年には長男を出産し、ダブルケア(介護と育児など複数のケアを同時に行う)生活になりました。

 脳血管性認知症の父。自営業で昼も夜もなく働く日々の中、糖尿病と高血圧症が引き金となった脳出血により、53歳から脳血管性認知症となってしまいました。現在は要介護5で、デイサービスとショートステイを利用しながら在宅介護の生活を送っています。堅物無口系ですが、かなり天然なところもあるようです。

 卵巣がんをはじめさまざまな病気になっても、その都度生還してきた母。東北生まれのはずなのに、関西人もびっくりな面白キョーレツ・キャラ。そのおかげでツライことも多い介護生活を乗り越えられたように思います。

 夫のヒロさん。海外での仕事が多く不在がちですが、岡崎家のことをよく理解し、がっつり支えてくれています。クールに見えて、実は誰よりも熱いハートの持ち主かもしれません。

 息子のたー君。4歳にして大物感漂うマイペースな日々を送っています。一方で、じいちゃん(父)への気遣いがびっくりするほどできるスーパーこども園児です。

 ……と、家族の紹介が終わったところで、まずはすべての始まりとなった20年前の“あの夜”と、20年間で得た私なりの介護生活を乗り越えるすべを聞いてください。

働き盛りで倒れた父、50代で認知症に

 20年前の秋の夜、父は初海外旅行(ハワイ)で自分のために買ってきた徳用「ナッツクッキー」を一人で一袋平らげて、リビングで高いびきをかいて寝ていました。気前の良い父は、私の友人にもハワイ土産を買ってきてくれたので、それを受け取りに2人の友人も我が家に来ていました。

 2階にある私の部屋で友人たちとお土産を分け合っていると、「杏里~、早く救急車を呼んで!」と1階のリビングで叫ぶ母の声が! 友人たちとリビングへ急ぐと、顔を真っ赤にし、呼吸が苦しそうな父の姿がありました。父は大量摂取した糖分により血糖値と血圧が上昇し、脳出血を起こしていたのです。

 父は、一命は取り止めましたが、その後も脳出血や脳梗塞を繰り返しました。そして50代にして、じわじわと脳血管性認知症になってしまったのです。

母もがん どん底で開き直ったら…

 その後、母も卵巣がんを患い闘病生活を送り、ついに私まで心のバランスを崩して心療内科に通うなど、一家共倒れ状態になったこともありました。そんなどん底からはい上がれたのは「もう、こうなったら笑っちゃうしかないよね!」と開き直ったおかげです。

 父の介護や母の看病からでも“面白いこと、笑えることを探してみよう”と、それまでと違う視点を持ったのです。すると、これまで気が付かなかったことや新たな発見がたくさんありました。

 そんな独自の視点(?)により父の介護生活で見つけた「認知症介護あるある」を、この連載でみなさんに紹介できればと思っております。(岡崎杏里 ライター・エッセイスト)

岡崎杏里 ライター、エッセイスト
1975年生まれ。23歳で始まった認知症の父親の介護とガンを患った母親の看病の日々を綴ったエッセイ&コミック『笑う介護。』(漫画・松本ぷりっつ、成美堂出版)や『みんなの認知症』(同)などの著書がある。2011年に結婚、13年に長男を出産。介護と育児の「ダブルケア」の毎日を送りながら、雑誌などで介護に関する記事の執筆を行う。岡崎家で日夜、生まれる面白エピソードを紹介するブログ「続・『笑う介護。』」も人気。
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2018年1月24日