・政治家を自分たちの「代表だと思わない」が 「代表だと思う」を上回る-言論NPO世論調査で

(2019.11.13 言論NPOニュース)

 言論NPOは11月13日、記者会見を実施し、9月に行った「日本の政治・民主主義に関する世論調査」の結果を発表しました。

 言論NPOが民主主義に関する世論調査を行うのは、参議院選挙前の5~6月に続き今年2回目。調査の結果、政治家を自分たちの「代表だと思わない」という見方が45%となり、「代表だと思う」(41.5%)を上回りました。

 さらに、「政党や政治家に日本が直面する課題の解決を期待できない」と考えている人は7割を超えるなど、5~6月の調査と比べて、政治に対する国民の信頼がさらに低下する結果となりました。
こうした政治不信の傾向は20代、30代の若い現役世代に特に目立っています。

 また、政党や国会など、選挙によって自らの代表を有権者が選ぶ代表制民主主義の仕組み自体を「信頼している人」は3割程度にとどまり、国民の政治不信がさらに高まっていることが明らかになりました。

 

【日本の政治・民主主義に関する世論調査結果】 2019年9月

【日本の将来をどのように見ているか】

調査では最初に、日本の将来について予測をしてもらった。

その結果、「悲観的である(「どちらかといえば」を含む)」という見方が57.3%と6割近くなり、「楽観的である(「どちらかといえば」を含む)」という見方の25.3%を大きく上回っている。「悲観的である」は今年5月~6月の調査時点の47.2%よりも10ポイント増加している。

あなたは、日本の将来に関してどのように感じていますか。(単数回答)

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【日本の諸課題についてどの程度不安を感じているか】

次に、13の課題を挙げた上で日本の将来を考えた際にそれぞれどの程度不安を感じるかを答えてもらったところ、特に「不安である」が多かったのは、「年金・医療などの社会保障」(91.6%)、「異常気象」(91.5%)、「急速な高齢化と人口減少」(88.9%)の3つの課題で、それぞれ9割前後にのぼっている。

以下、「犯罪」(77.9%)、「経済的不平等、格差の拡大」(76.8%)、「財政破綻」(73.3%)、「テロ」(72.3%)、「経済危機」(72.1%)の順となり、ここまでが7割を超え、残りの5つの課題についても、「不安である」との回答は5割を超えた。

日本のこれからを考えた場合、あなたは次の各課題に対して、それぞれどの程度不安を感じていますか。(単数回答)

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【政党・政治家に課題解決を期待できるか】

日本の将来に対して不安が高まる中、現在の日本の政党や政治家は、日本が直面する課題を解決できると思うかを尋ねたところ、「期待できる(「あまり」を含む)」は20.6%に過ぎず、「期待できない(「あまり」を含む)」という回答が70.9%と7割を超えている。

なお、設問に「政治家」を加えたため単純に比較はできないが、参議院選挙前の5月~6月に行った調査に比べて、15ポイントも「期待できない」が増加しており、政治に対する不信感が浮き彫りになる結果となった。

あなたは、日本の将来への不安や様々な課題を、現在の日本の政党や政治家が解決できると期待していますか。(単数回答)

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【日本の民主主義の状況に満足しているか】

一方、日本の民主主義の状況に満足しているかどうかを質問したところ、「満足している(「どちらかといえば」を含む)」という回答が43.7%となり、「満足していない(「どちらかといえば」を含む)」の40.7%をわずかながら上回る結果となっている。

この結果を世代別でみると、30代以下で「満足している」との回答が全世代平均の43.7%を下回っており、若い世代に日本の民主主義に満足していない傾向が見られた。

あなたは、現在の日本の民主主義の状況に満足していますか。(単数回答)

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【民主主義を構成する各機能をどの程度信頼しているか】

次に、民主主義を構成する12の機能を挙げた上で、それらに対する信頼度を尋ねた。

その結果、「信頼している(「とても」と「ある程度の合計」)」という評価が最も多かったのは、「司法」で61.1%の人が信頼を寄せている。次いで、「大学(高等教育機関)」(55.7%)、「新聞・テレビ」(53.9%)の順となり、ここまでが5割を超えている。

逆に、「政治家」に対する信頼度は20.1%と2割にとどまり、これが最も低い。そして、その「政治家」が属する「政党」(29.6%)、「国会(議会)」(36.2%)の信頼度も2割から3割台にとどまっている。

他に信頼度が低かったのは「インターネット、SNS」で30.2%だった。なお、「有権者」の自らに対する信頼度は38.3%だった。

日本の現在の民主主義は、様々な仕組みや人々によって構成されています。あなたは次の各機能の役割を、それぞれどの程度信頼していますか。(単数回答)

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【政治家は自分たちの代表なのか】

政治家に対する人々の信頼の低さが浮き彫りとなる中、調査では次に政治家を自分たちの代表だと思うかを尋ねた。

その結果、「代表だと思わない(「どちらかといえば」を含む)」という見方が45%となり、「代表だと思う(「どちらかといえば」を含む)」という見方の41.5%を上回っている。

この結果を世代別でみると、30代以下で「代表だと思う」との回答が全世代平均の41.5%を下回っており、若い世代に政治家を自分たちの代表だと思っている人が少ない傾向が見られた。

あなたは、選挙で選ばれた現在の政治家を自らの代表だと思っていますか。(単数回答)

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【政治家を自分たちの代表だと思わない理由】

政治家を自分たちの「代表だと思わない」と回答した450人にはその理由も聞いている。
その結果、最も多いのは「政治家が有権者を意識するのは、選挙の時だけだから」という理由で、37.8%だった。以下、「国会で真面目な議論が行われず、何をしているのか分からないから」(19.8%)、「政治家や政党をそもそも信頼していないから」(18.2%)の順となり、それぞれ2割近くいる。

(前問で「どちらかといえば代表だと思わない」、「全く代表だと思わない」と答えた方にお聞きします)その理由として、次の中からあなたの考えに一番近いものをお選びください。(単数回答)

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【国会は『言論の府』として機能しているか】

現在の国会は「言論の府」と呼ぶに値すると「思う」という人は9%と1割に満たない。そして、「言論の府」だと「思わない」という人が61.2%と6割を超えている。

あなたは、国会は「言論の府」として、有権者の代表であるべき政治家の課題解決の場として機能していると思いますか。(単数回答)

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【民主主義を機能させるために何を改革すべきか】

次に、民主主義を機能させるために改革や立て直しが必要な分野を選択してもらった。
その結果、「議会/国会の活性化」(41.5%)、「行政の能力と管理」(40.7%)、「政党の規律、能力」(38.8%)という3つの回答が4割前後で並んでいる。「有権者の主権者意識」を選択した人も32.7%と3割いる。

あなたは、日本の民主主義をより機能させ、その強靭性を高めるために、どういう分野の改革や立て直しが特に必要だと考えていますか。(3つ回答)

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【民主主義についての見方】

民主主義の基本的な見方について質問した。

その結果、「民主主義はほかのどんな政治形態より好ましい」という回答が39.8%で最も多く、「民主主義は望ましい政治形態ではない」は3%にすぎない。ただ、「国民が満足する統治のあり方こそが重要であり、民主主義かどうかはどうでもいい」という人も33.8%と3割いる。

民主主義についてのあなたの基本的な見方は次のうちどれに近いですか。(単数回答)

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【低投票率の問題をどう考えるか】

日本では国政選挙・地方選挙問わず低投票率が常態化している。

そこで、この低投票率の問題についての考え方を尋ねたところ、「一票の格差や民意を適切に反映できない現行の選挙制度自体を見直すべき」という回答が20.8%で最も多い。これと「低投票率の結果、選挙区によってはわずかな得票で政治家になれる可能性があり、最低投票率の上限を上げるなどの公職選挙法の改定を検討すべき」という回答が20.1%で並んでおり、この2つを合計すると、日本人の4割は現行法制度の何らかの見直しが必要だと考えていることになる。さらに、「この状況は望ましくなく、投票の義務化を検討すべき局面」とより踏み込んだ改革を求める人も16.8%いる。

ただ、「よい候補者を立てることができない政治の問題であり、低投票率もやむを得ない」という人も19.9%いる。

日本の投票率は近年低い傾向にあり、国政選挙でも50%を下回ることがあります。あなたは、この低投票率の問題をどのように考えていますか。(単数回答)

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【政治改革をどう評価するか】

1994年に行われた一連の政治改革を経て導入された小選挙区制と政党助成金は、その掲げる当初の目的を果たしていない状況にある。

そこで、この評価について質問したところ、「小選挙区制導入自体が誤り。小選挙区制は止め、政党助成金も見直すべき」と改革自体を誤りだとみる回答が32.8%で最も多い。

一方、「小選挙区制導入で始まった政治改革が、その後とん挫していることの方が問題。政党のガバナンス改革や政治資金、国会に関する改革などを徹底的に行うべき」が25.9%、「現在の小選挙区制などのシステム自体に問題はなく、運用がうまくいっていないだけ」が5.3%となり、改革の方向性自体は正しく、それが貫徹されていないことや、運用上の問題があるにすぎないとの見方も合計すれば3割ある。

ただ、「わからない」と判断できていない人も35.7%いる。

日本の衆議院選挙では、政権交代が可能な二大政党制や、お金がかからない選挙を目指し、一選挙区ごとに一人の当選者を選ぶ小選挙区制が導入され、また政党(共産党は辞退)には政党助成金という膨大な税金が毎年投入されていますが、当初の目的は未だに達成していません。あなたは、この状況をどう考えていますか。(単数回答)

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日本の政治・民主主義に関する世論調査(9月)の概要

gaiyo.pngここでの数値は小数点第二位を四捨五入しており、また無回答を除いてあるため、合計が100.0%とならない場合がある

言論NPOの活動は、皆様の参加・支援によって成り立っています。

2019年11月14日

・11.17更新・使徒的勧告「Christus vivit(キリストは生きておられる)」若者参加のビデオ版⑨⑩

 

 One year after the Synod on young people, Catholic youth from around the world engage with “Christus vivit”, Pope Francis’ Apostolic Exhortation. Migration has the face of a young person. Pope Francis sees an “epitome of our time” in those who leave their land because of violence or natural calamities. The Pope writes about this idea that many young people have as they seek new opportunities away from home. Brenda, who now lives in the United States, says with conviction that migration is something positive: it’s an opportunity to discover something new.

Migrants as an epitome of our time

91. How can we fail to think of all those young people affected by movements of migration? “Migration, considered globally, is a structural phenomenon, and not a passing emergency. It may occur within one country or between different countries. The Church’s concern is focused especially on those fleeing from war, violence, political or religious persecution, from natural disasters including those caused by climate change, and from extreme poverty. Many of them are young. In general, they are seeking opportunities for themselves and their families. They dream of a better future and they want to create the conditions for achieving it”. Migrants “remind us of a basic aspect of our faith, that we are ‘strangers and exiles on the earth’ (Heb 11:13)”.

92. Other migrants are “attracted by Western culture, sometimes with unrealistic expectations that expose them to grave disappointments. Unscrupulous traffickers, frequently linked to drug cartels or arms cartels, exploit the weakness of migrants, who too often experience violence, trafficking, psychological and physical abuse and untold sufferings on their journey. Nor must we overlook the particular vulnerability of migrants who are unaccompanied minors, or the situation of those compelled to spend many years in refugee camps, or of those who remain trapped for a long time in transit countries, without being able to pursue a course of studies or to use their talents. In some host countries, migration causes fear and alarm, often fomented and exploited for political ends. This can lead to a xenophobic mentality, as people close in on themselves, and this needs to be addressed decisively”.

93. “Young migrants experience separation from their place of origin, and often a cultural and religious uprooting as well. Fragmentation is also felt by the communities they leave behind, which lose their most vigorous and enterprising elements, and by families, especially when one or both of the parents migrates, leaving the children in the country of origin. The Church has an important role as a point of reference for the young members of these divided families. However, the stories of migrants are also stories of encounter between individuals and between cultures. For the communities and societies to which they come, migrants bring an opportunity for enrichment and the integral human development of all. Initiatives of welcome involving the Church have an important role from this perspective; they can bring new life to the communities capable of undertaking them”.

94. “Given the varied backgrounds of the Synod Fathers, the discussion of migrants benefited from a great variety of approaches, particularly from countries of departure and countries of arrival. Grave concern was also expressed by Churches whose members feel forced to escape war and persecution and by others who see in these forced migrations a threat to their survival. The very fact that the Church can embrace all these varied perspectives allows her to play a prophetic role in society with regard to the issue of migration”. In a special way, I urge young people not to play into the hands of those who would set them against other young people, newly arrived in their countries, and who would encourage them to view the latter as a threat, and not possessed of the same inalienable dignity as every other human being.

 

 

(2019.11.17 Vatican News)

Christus vivit:⑩growing up reading the right book

6. In an age when young people were not highly regarded, some texts show that God sees them differently. Joseph, for example, was one of the youngest of his family (cf. Gen 37:2-3), yet God showed him great things in dreams and when about twenty years old he outshone all his brothers in important affairs (cf. Gen 37-47).

7. In Gideon, we see the frankness of young people, who are not used to sugar-coating reality. When told that the Lord was with him, he responded: “But if the Lord is with us, why then have all these things happened to us?” (Jg 6:13). God was not offended by that reproach, but went on to order him: “Go in this might of yours and deliver Israel!” (Jg 6:14).

8. Samuel was still a young boy, yet the Lord spoke to him. Thanks to the advice of an adult, he opened his heart to hear God’s call: “Speak, Lord, for your servant is listening” (1 Sam 3:9-10). As a result, he became a great prophet who intervened at critical moments in the history of his country. King Saul was also young when the Lord called him to undertake his mission (cf. 1 Sam 9:2).

9. King David was chosen while still a boy. When the prophet Samuel was seeking the future king of Israel, a man offered as candidates his sons who were older and more experienced. Yet the prophet said that the chosen one was the young David, who was out tending the flock (cf. 1 Sam 16:6-13), for “man looks on the outward appearance, but the Lord looks on the heart” (v. 7). The glory of youth is in the heart, more than in physical strength or the impression given to others.

10. Solomon, when he had to succeed his father, felt lost and told God: “I am a mere youth, not knowing at all how to act” (1 Kg 3:7). Yet the audacity of youth moved him to ask God for wisdom and he devoted himself to his mission. Something similar happened to the prophet Jeremiah, called despite his youth to rouse his people. In his fear, he said: “Ah, Lord God! Truly I do not know how to speak, for I am only a youth” (Jer 1:6). But the Lord told him not to say that (cf. Jer 1:7), and added: “Do not be afraid of them, for I am with you to deliver you” (Jer 1:8). The devotion of the prophet Jeremiah to his mission shows what can happen when the brashness of youth is joined to the power of God.

11. A Jewish servant girl of the foreign commander Naaman intervened with faith and helped him to be cured of his illness (cf. 2 Kg 5:2-6). The young Ruth was a model of generosity in remaining beside her mother-in-law who had fallen on hard times (cf. Ru 1:1-18), yet she also showed boldness in getting ahead in life (cf. Ru 4:1-17).

In the New Testament

12. One of Jesus’ parables (cf. Lk 15:11-32) relates that a “younger” son wanted to leave his father’s home for a distant land (cf. vv. 12-13). Yet his thoughts of independence turned into dissolution and excess (cf. v. 13), and he came to experience the bitterness of loneliness and poverty (cf. vv. 14-16). Nonetheless, he found the strength to make a new start (cf. vv. 17-19) and determined to get up and return home (cf. v. 20). Young hearts are naturally ready to change, to turn back, get up and learn from life. How could anyone fail to support that son in this new resolution? Yet his older brother already had a heart grown old; he let himself be possessed by greed, selfishness and envy (Lk 15:28-30). Jesus praises the young sinner who returned to the right path over the brother who considered himself faithful, yet lacked the spirit of love and mercy.

13. Jesus, himself eternally young, wants to give us hearts that are ever young. God’s word asks us to “cast out the old leaven that you may be fresh dough” (1 Cor 5:7). Saint Paul invites us to strip ourselves of the “old self” and to put on a “young” self (Col 3:9-10). In explaining what it means to put on that youthfulness “which is being renewed” (v. 10), he mentions “compassion, kindness, humility, meekness and patience, bearing with one another and forgiving each other if anyone has a complaint against another” (Col 3:12-13). In a word, true youth means having a heart capable of loving, whereas everything that separates us from others makes the soul grow old. And so he concludes: “above all, clothe yourselves with love, which binds everything together in perfect harmony” (Col 3:14).

14. Let us also keep in mind that Jesus had no use for adults who looked down on the young or lorded it over them. On the contrary, he insisted that “the greatest among you must become like the youngest” (Lk 22:26). For him age did not establish privileges, and being young did not imply lesser worth or dignity.

15. The word of God says that young people should be treated “as brothers” (1 Tim 5:1), and warns parents not to “provoke your children, lest they become discouraged” (Col 3:21). Young people are not meant to become discouraged; they are meant to dream great things, to seek vast horizons, to aim higher, to take on the world, to accept challenges and to offer the best of themselves to the building of something better. That is why I constantly urge young people not to let themselves be robbed of hope; to each of them I repeat: “Let no one despise your youth” (1 Tim 4:12).

16. Nonetheless, young people are also urged “to accept the authority of those who are older” (1 Pet 5:5). The Bible never ceases to insist that profound respect be shown to the elderly, since they have a wealth of experience; they have known success and failure, life’s joys and afflictions, its dreams and disappointments. In the silence of their heart, they have a store of experiences that can teach us not to make mistakes or be taken in by false promises. An ancient sage asks us to respect certain limits and to master our impulses: “Urge the younger men to be self-controlled” (Tit 2.6). It is unhelpful to buy into the cult of youth or foolishly to dismiss others simply because they are older or from another generation. Jesus tells us that the wise are able to bring forth from their store things both new and old (cf. Mt 13:52). A wise young person is open to the future, yet still capable of learning something from the experience of others.

17. In the Gospel of Mark, we find a man who, listening to Jesus speak of the commandments, says, “All these I have observed from my youth” (10:20). The Psalmist had already said the same thing: “You, O Lord, are my hope; my trust, O Lord, from my youth… from my youth you have taught me, and I still proclaim your wondrous deeds” (Ps 71:5.17). We should never repent of spending our youth being good, opening our heart to the Lord, and living differently. None of this takes away from our youth but instead strengthens and renews it: “Your youth is renewed like the eagle’s” (Ps 103:5). For this reason, Saint Augustine could lament: “Late have I loved you, beauty ever ancient, ever new! Late have I loved you!” Yet that rich man, who had been faithful to God in his youth, allowed the passing years to rob his dreams; he preferred to remain attached to his riches (cf. Mk 10:22).

18. On the other hand, in the Gospel of Matthew we find a young man (cf. 19:20.22) who approaches Jesus and asks if there is more that he can do (v. 20); in this, he demonstrates that youthful openness of spirit which seeks new horizons and great challenges. Yet his spirit was not really that young, for he had already become attached to riches and comforts. He said he wanted something more, but when Jesus asked him to be generous and distribute his goods, he realized that he could not let go of everything he had. In the end, “hearing these words, the young man went away sad” (v. 22). He had given up his youth.

19. The Gospel also speaks about a group of wise young women, who were ready and waiting, while others were distracted and slumbering (cf. Mt 25:1-13). We can, in fact, spend our youth being distracted, skimming the surface of life, half-asleep, incapable of cultivating meaningful relationships or experiencing the deeper things in life. In this way, we can store up a paltry and unsubstantial future. Or we can spend our youth aspiring to beautiful and great things, and thus store up a future full of life and interior richness.

20. If you have lost your inner vitality, your dreams, your enthusiasm, your optimism and your generosity, Jesus stands before you as once he stood before the dead son of the widow, and with all the power of his resurrection he urges you: “Young man, I say to you, arise!” (Lk 7:14).

21. To be sure, many other passages of the word of God can shed light on this stage of your life. We will take up some of them in the following chapters.

2019年11月6日

(解説)教皇フランシスコの現代社会への思い ー就任から六年半の数々のメッセージを通して

 2013年3月に聖ペトロの後継者の座に就かれて6年半。この12月17日で83歳になられる教皇フランシスコは、今も、年齢を感じさせない、目覚ましい働きを続けておられます。

 2019年の5月初めの外国訪問の帰途、同行記者たちから「活発な内外の司牧訪問、精力的に活動されるエネルギーと力」の源を問われた教皇の答えは「神からの賜物」でした。

 菊地・東京大司教は、教皇について「現代社会を支配する様々な価値観のただ中に生きながら、神の望まれる世界を実現する道とは異なった道へと誘う価値観に対し、厳しく対峙する姿勢を堅持してこられた。 同時に、使徒の頭(かしら)の後継者として、イエスの福音宣教命令をより積極的に果たしていく姿勢をとることで、世界の教会共同体にキリスト者として生きる道を明確に示しておられる」と語っています。その教皇の振る舞い一つ一つに、「賜物」が生かされているのです。

*使徒的勧告、回勅など文書の精力的な発出 

 具体的には、11月下旬のタイ、日本訪問で32回目となる海外訪問はもちろんのこと、バチカンでの内外要人や様々な団体との個別会見、毎週日曜正午のお告げの祈り、水曜日の一般謁見…。

 そうした“日常活動”にもまして驚嘆させられるのは、教皇の行動規範の柱、「シノダリティ(共働)」と「識別」の表現でもある世界代表司教会議(シノドス)を3回、全世界司教協議会会長会議を一回を招集・主宰され、それらの議論などを基にした使徒的勧告、回勅など文書の精力的な発出です。

 現代の教会が抱える命題に対する具体的なメッセージを込めた『信仰の光』と世界の環境問題という緊急の課題を取り上げた「ラウダート・シ」の二つの回勅、福音宣教についての基本的立場を明確にされた『福音の喜び』、世界の家庭が抱える多様な現実と対応について二回のシノドスで議論を重ねた『(家庭における)愛の喜び』、「若者、信仰そして召命の識別」をテーマのシノドスを受けた『キリストは生きておられる』、そして「今の時が求める『新たな聖性』」のあり方を示した『喜びなさい、大いに喜びなさい)』の四つの使徒的勧告・・・。

 教会の典礼の在り方でも典礼文の各国語訳について現地司教へ大幅に権限をゆだねる自発教令を出されたほか、『主の祈り』の表現を見直す必要性を繰り返し言明。さらに、教会の現状に合う教区の合併・再編成も、イタリア司教協議会総会で明確に求められています。

 

*数えきれないメッセージ 

 このような数々の文書などと同じように、あるいはそれ以上に注目されるのは、毎週の日曜正午の祈り、水曜一般謁見はもとより、教会内外の記念日、国際的会合などに際して、教会内外に表明される、数多くのメッセージ、そしてその“実践”です。

 それは「現在の教会、世界で起きている深刻な問題から顔を背けず、識別力を働かせ、野戦病院たる教会として、考え、行動する」という教皇の信念から出ています。

 世界中で平和と正義が大きく揺らぎ、紛争、核兵器、難民、人身売買、そして、AI(人工知能)、ソーシャル・ネットワークの”兵器化“など負の側面の増大… その中で、教皇がご自身の行動とともに発せられたメッセージの中でも重要と思われるものを整理してみましょう。

 

「核兵器と戦争」

 まず、今回の教皇の来日でも大きなテーマとなるとみられる核兵器と戦争。

 広島と長崎への原爆投下から七十年を迎えた二〇一五年八月九日の日曜正午の祈りで、教皇は「この出来事は、戦争を永久に放棄し、核兵器とあらゆる大量破壊兵器を廃絶するようにとの、人類への永続的な警告」と訴えられました。

 2017年3月下旬の核兵器禁止条約交渉会議に送られたメッセージでは「核拡散防止条約の完全な履行を通し、核兵器のない世界のために取り組まなくてはならない」と述べ、核保有国、非保有国、軍事関係者、宗教者、市民関係者、国際組織などに対して、互いを非難し合うのではなく、励まし合う対話を要請。

 さらに、今年元旦の第52回「世界平和の日」教皇メッセージで「よい政治は平和に寄与する」。8月のジュネーブ諸条約締結70周年に当たっては「戦争とテロは、常に全人類に対する大きな損失、敗北」と訴え、9月1日の第二次世界大戦勃発80周年の日には「戦争の悲惨を改めて思い起こそう」と訴えられています。

 腹立たしいことに、教皇の努力をあざ笑うかのような動きが、「福音宣教の特別月間」の初日、10月1日にいくつも重なりました。

 中国が建国七十周年祝賀で史上最大の軍事パレードを行い、広島・長崎に投下された原爆の何倍もの破壊力を持つ核弾頭を十発も搭載する新型大陸間弾道ミサイルを誇らしげに見せつけました。

  香港では、中国の意向を受けた警官隊が人権抑圧の動きに反対する民主デモへの規制を強め、デモに参加した高校生の胸に弾丸を打ち込みました。日本の拉致被害者家族の叫びを無視する北朝鮮はこの日、潜水艦発射の核弾頭搭載可能なミサイルを予告なしに、日本の排他的経済水域に打ち込んでいます。

  翌日の2日、教皇はバチカンの広報の部署の総会に参加した日本人記者団との会見で、日本のカトリック殉教者たちが、信仰と信教の自由を守ったことに敬意を表するとともに、原爆被爆という「もう一つの殉教」に触れ、地獄の試練に屈しなかった日本人をたたえ、「原爆投下は“極悪非道”な行為。原子力エネルギーを戦争に使うのは道徳に反する」と言明されました。1日の出来事も、念頭に置かれていたに違いありません。

 

「移民・難民問題の深刻化に対して」

 子供やお年寄りなど弱い人々が犠牲にされている移民・難民問題では、世界の問題地域に自ら出かけられて、人々を励ます一方で、この問題への真剣な取り組みを繰り返し訴えておられます。

 9月29日の「世界難民移住移動者の日」のメッセージで、「世界で起きている紛争とは別の地域で、武器の製造と販売が行われ、関係する国々は紛争が原因の難民を受け入れることを望まない…平和を語る一方で武器を売るのは、偽善ではないか。苦しむのはいつも、小さく、貧しく、弱い立場にある人々だ」と糾弾、当日のミサの説教で「社会的不正義に苦しむ人々への感性を、私たちは失っている」と強く自省を求めました。

 

「地球的な環境破壊に対して」

 地球温暖化に象徴される地球環境の悪化に対しては、回勅「ラウダート・シ」で、緊急の課題として取り上げ、その後も、機会あるごとに、速やかで具体的な対応を国際社会に訴えておられます。

 今年9月の国連気候行動サミットへのビデオ・メッセージでは、「気候変動に関する国連枠組み条約に基づくパリ協定で、国際社会はその緊急性と集団的な対応の必要性を知るようになりましたが、四年経った今も、各国の約束は、まだまだ、とても“弱く”、目標の達成には程遠い…現在の状況は、私たちの人間的、倫理的、社会的な劣化と関係している」と警告。そのうえで、「チャンスはまだある…私たちが個人と社会のレベルで正直、勇気、責任を具体化するライフスタイルを採るなら、解決が私たちの手の中にある」と強調されました。

 

「AI、ソーシャル・ネットワークの負の側面に対して」

 そして、急速に深刻化しているAI(人工知能)とソーシャル・ネットワークの負の側面への対応。

 一国主義化を急速に進める米国、米国に次ぐ第二の経済大国、軍事大国に浮上した中国、そしてロシア、北朝鮮の独裁専制国家が、国内外の情報操作、さらには世界の社会インフラ破壊を可能にする”兵器化“の道をひた走り、中国は国民の自由と人権を損なう監視国家の様相を呈しつつある・・・“周回遅れ”の欧州や日本社会でも、個人や社会のレベルで問題が起きています。

 教皇は、使徒的勧告『キリストは生きておられる』で、「ネット社会」の功罪、とくに負の側面への警戒を若者たちに呼びかけられました。

 今年5月の「世界広報の日」に当てたメッセージは『ソーシャル・ネットワーク・コミュニティから人間共同体へ』と題し、「インターネットは、知識にアクセスする途方もない可能性を示す一方で、事実や人間関係に関する偽情報や、ある目的に基づく意図的な曲解に最もさらされる場の一つ… 政治的、経済的な利益のために、個人とその権利を尊重しない個人情報の不正操作に利用されていることも認識すべきです」と訴え、「相手の肉体、心、目、視線、息を通してなされる生身の本人との出会いを補完するために用いるように」と説かれました。

 9月下旬のバチカンでのセミナー『デジタル時代の共通善』の参加者へのあいさつで、「AIやロボットが、人の考えを操作し、人の尊厳と自由、平和的共存を脅かす可能性」を警告されています。

 

*教皇の訪日のテーマにかける思いは・・・

 そして教皇フランシスコの初の訪日。教皇側近のアントニオ・スパダロCivilita Cattolica編集長は九月初めの上智大学での講演で、今回の教皇訪日のテーマ『すべてのいのちを守る』に込められた教皇の願いは、「環境問題、津波や地震など自然災害、原発事故など、さまざまな課題を抱える日本に、キリストが伝えようとした『命の福音』を伝えたい、ということ」と説明しました。

 特に、核不拡散への戦いー広島、長崎訪問では、原爆犠牲者たちのために祈り、所有も含めた核兵器の廃絶を改めて訴えられる予定で、「来年に予定する国連での核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議での前向きの議論を促すことが期待される」とも語っています。

*“スーパースターの大イベント”に終わらせるな

 しかし、このような教皇の思いに、日本の教会、司教、司祭、信徒はどのように応えることができるのでしょうか。心の準備は出来ているのでしょうか。日本の司教団が一致して、感謝と喜びのうちにお迎えし、今後の日本の教会に生かす体制は整っているのでしょうか。

 教皇フランシスコの訪日は、日本の教会にとって、「福音に従って生きることの大切さを繰り返し教える教皇の姿勢に学び、倣う機会」「社会のただ中にある教会共同体が福音にふさわしい生きる姿勢を見いだす機会」「『働き手を送ってくれるように祈れ』とされた主の言葉を思い起こし、『福音宣教のために奉仕せよ』との呼びかけに多くの人が応える機会」になる・・・

 菊地大司教は自身のブログで、そうした機会をしっかりと生かすよう訴え、十月の福音宣教の特別月間をその準備にあてるように呼び掛けました。

 教皇来日まで残された時間はわずか。間違っても、「スーパースターの一大イベント」に終わらせないように…。

(なんじょう・しゅんじ= ニュースサイト「カトリック・あい」代表、中曽根康弘平和研究所研究顧問、元読売新聞論説副委員長、「教皇フランシスコの挑戦」(ポール・バレリー著、春秋社から新装版を近日再版予定)など訳書、著書多数。)

(11月上旬発行の「カトリック生活」特集号に掲載しています)

2019年10月31日

・使徒的勧告「Christus vivit(キリストは生きておられる)」若者参加のビデオ版⑦⑧

Christus vivit: ⑦The truth that God is young(2019.10.22 VaticanNews )

“Christus vivit”

(pp. 103-133)

A way out

103. In this chapter, I have taken time to look at the reality of young people in today’s world. Some other aspects will be dealt with in the following chapters. As I have said, I do not claim to be exhaustive in this analysis. I encourage communities to examine, respectfully and seriously, the situation of their young people, in order to find the most fitting ways of providing them with pastoral care. At the same time, I do not want to end this chapter without addressing some words to each of you.

104. I remind you of the good news we received as a gift on the morning of the resurrection: that in all the dark or painful situations that we mentioned, there is a way out. For example, it is true that the digital world can expose you to the risk of self-absorption, isolation and empty pleasure. But don’t forget that there are young people even there who show creativity and even genius. That was the case with the Venerable Carlo Acutis.

105. Carlo was well aware that the whole apparatus of communications, advertising and social networking can be used to lull us, to make us addicted to consumerism and buying the latest thing on the market, obsessed with our free time, caught up in negativity. Yet he knew how to use the new communications technology to transmit the Gospel, to communicate values and beauty.

106. Carlo didn’t fall into the trap. He saw that many young people, wanting to be different, really end up being like everyone else, running after whatever the powerful set before them with the mechanisms of consumerism and distraction. In this way they do not bring forth the gifts the Lord has given them; they do not offer the world those unique personal talents that God has given to each of them. As a result, Carlo said, “everyone is born as an original, but many people end up dying as photocopies”. Don’t let that happen to you!

107. Don’t let them rob you of hope and joy, or drug you into becoming a slave to their interests. Dare to be more, because who you are is more important than any possession. What good are possessions or appearances? You can become what God your Creator knows you are, if only you realize that you are called to something greater. Ask the help of the Holy Spirit and confidently aim for the great goal of holiness. In this way, you will not be a photocopy. You will be fully yourself.

108. If this is to happen, you need to realize one basic truth: being young is not only about pursuing fleeting pleasures and superficial achievements. If the years of your youth are to serve their purpose in life, they must be a time of generous commitment, whole-hearted dedication, and sacrifices that are difficult but ultimately fruitful. As a great poet put it:

“If to regain what I regained,
I first had to lose what I lost;
If to achieve what I achieved,
I had to endure what I endured;

If to be in love now
First I had to be hurt,
I consider what I suffered well suffered,
I consider what I wept for as well wept for.

Because in the end I came to see
That we do not really enjoy what we enjoyed
Unless we have suffered for it.

For in the end I realized
That the blossoms on the tree
Draw life from what lies buried beneath”
.

109. If you are young in years, but feel weak, weary or disillusioned, ask Jesus to renew you. With him, hope never fails. You can do the same if you feel overwhelmed by vices, bad habits, selfishness or unhealthy pastimes. Jesus, brimming with life, wants to help you make your youth worthwhile. In this way, you will not deprive the world of the contribution that you alone can make, in all your uniqueness and originality.

110. Yet let me also remind you that, “when we live apart from others, it is very difficult to fight against concupiscence, the snares and temptations of the devil, and the selfishness of the world. Bombarded as we are by so many enticements, we can grow too isolated, lose our sense of reality and inner clarity, and easily succumb”. This is especially the case with young people, for whenever you are united, you have marvellous strength. Whenever you are enthused about life in common, you are capable of great sacrifices for others and for the community. Isolation, on the other hand, saps our strength and exposes us to the worst evils of our time.

CHAPTER FOUR

A great message for all young people

111. Putting all else aside, I now wish to speak to young people about what is essential, the one thing we should never keep quiet about. It is a message containing three great truths that all of us need constantly to keep hearing.

A God who is love

112. The very first truth I would tell each of you is this: “God loves you”. It makes no difference whether you have already heard it or not. I want to remind you of it. God loves you. Never doubt this, whatever may happen to you in life. At every moment, you are infinitely loved.

113. Perhaps your experience of fatherhood has not been the best. Your earthly father may have been distant or absent, or harsh and domineering. Or maybe he was just not the father you needed. I don’t know. But what I can tell you, with absolute certainty, is that you can find security in the embrace of your heavenly Father, of the God who first gave you life and continues to give it to you at every moment. He will be your firm support, but you will also realize that he fully respects your freedom.

114. In God’s word, we find many expressions of his love. It is as if he tried to find different ways of showing that love, so that, with one of them at least, he could touch your heart. For example, there are times when God speaks of himself as an affectionate father who plays with his children: “I led them with cords of compassion, with bands of love. I was to them like those who lift infants to their cheeks” (Hos 11:4).

At other times, he speaks of himself as filled with the love of a mother whose visceral love for her children makes it impossible for her to neglect or abandon them: “Can a woman forget her nursing child, or show no compassion for the child of her womb? Even these may forget, yet I will not forget you” (Is 49:15).

He even compares himself to a lover who goes so far as to write his beloved on the palm of his hands, to keep her face always before him: “See, I have inscribed you on the palms of my hands!” (Is 49:6).

At other times, he emphasizes the strength and steadfastness of his invincible love: “For the mountains may depart, and the hills be shaken, but my steadfast love shall not depart from you, and my covenant of peace shall not be shaken” (Is 54:10).

Or he tells us that we have been awaited from eternity, for it was not by chance that we came into this world: “I have loved you with an everlasting love; therefore I have continued my faithfulness to you” (Jer 31:3).

Or he lets us know that he sees in us a beauty that no one else can see: “For you are precious in my sight, and honoured, and I love you” (Is 43:4).

Or he makes us realize that his love is not cheerless, but pure joy, welling up whenever we allow ourselves to be loved by him: “The Lord, your God, is in your midst, a warrior who gives victory. He will rejoice over you with gladness, he will renew you in his love; he will exult over you with loud singing” (Zeph 3:17).

115. For him, you have worth; you are not insignificant. You are important to him, for you are the work of his hands. That is why he is concerned about you and looks to you with affection. “Trust the memory of God: his memory is not a ‘hard disk’ that ‘saves’ and ‘archives’ all our data. His memory is a heart filled with tender compassion, one that finds joy in ‘deleting’ from us every trace of evil”. He does not keep track of your failings and he always helps you learn something even from your mistakes. Because he loves you. Try to keep still for a moment and let yourself feel his love. Try to silence all the noise within, and rest for a second in his loving embrace.

116. His is “a love that does not overwhelm or oppress, cast aside or reduce to silence, humiliate or domineer. It is the love of the Lord, a daily, discreet and respectful love; a love that is free and freeing, a love that heals and raises up. The love of the Lord has to do more with raising up than knocking down, with reconciling than forbidding, with offering new changes than condemning, with the future than the past”.

117. When he asks something of you, or simply makes you face life’s challenges, he is hoping that you will make room for him to push you, to help you grow. He does not get upset if you share your questions with him. He is concerned when you don’t talk to him, when you are not open to dialogue with him. The Bible tells us that Jacob fought with God (cf. Gen 32:25-31), but that did not keep him from persevering in his journey. The Lord himself urges us: “Come, let us argue it out” (Is 1:18). His love is so real, so true, so concrete, that it invites us to a relationship of openness and fruitful dialogue. Seek the closeness of our heavenly Father in the loving face of his courageous witnesses on earth!

Christ saves you

118. The second great truth is that Christ, out of love, sacrificed himself completely in order to save you. His outstretched arms on the cross are the most telling sign that he is a friend who is willing to stop at nothing: “Having loved his own who were in the world, he loved them to the end” (Jn 13:1).

Saint Paul said that his life was one of complete trust in that self-sacrificing love: “I now live by faith in the Son of God who loved me, and gave himself for me” (Gal 2:20).

119. The same Christ who, by his cross, saved us from our sins, today continues to save and redeem us by the power of his total self-surrender. Look to his cross, cling to him, let him save you, for “those who accept his offer of salvation are set free from sin, sorrow, inner emptiness and loneliness”. And if you sin and stray far from him, he will come to lift you up by the power of his cross. Never forget that “he forgives us seventy times seven. Time and time again, he bears us on his shoulders. No one can strip us of the dignity bestowed upon us by this boundless and unfailing love. With a tenderness that never disappoints but is always capable of restoring our joy, he makes it possible for us to lift up our heads and to start anew”.

120. “We are saved by Jesus because he loves us and cannot go against his nature. We can do any number of things against him, yet he loves us and he saves us. For only what is loved can be saved. Only what is embraced can be transformed. The Lord’s love is greater than all our problems, frailties and flaws. Yet it is precisely through our problems, frailties and flaws that he wants to write this love story. He embraced the prodigal son, he embraced Peter after his denials, and he always, always, always embraces us after every fall, helping us to rise and get back on our feet. Because the worst fall, and pay attention to this, the worst fall, the one that can ruin our lives, is when we stay down and do not allow ourselves to be helped up”.

121. His forgiveness and salvation are not something we can buy, or that we have to acquire by our own works or efforts. He forgives us and sets us free without cost. His self-sacrifice on the cross is so great that we can never repay it, but only receive it with immense gratitude and with the joy of being more greatly loved than we could ever imagine: “He loved us first” (1 Jn 4:19).

122. Young people, beloved of the Lord, how valuable must you be if you were redeemed by the precious blood of Christ! Dear young people, “you are priceless! You are not up for sale! Please, do not let yourselves be bought. Do not let yourselves be seduced. Do not let yourselves be enslaved by forms of ideological colonization that put ideas in your heads, with the result that you end up becoming slaves, addicts, failures in life. You are priceless. You must repeat this always: I am not up for sale; I do not have a price. I am free! Fall in love with this freedom, which is what Jesus offers”.

123. Keep your eyes fixed on the outstretched arms of Christ crucified, let yourself be saved over and over again. And when you go to confess your sins, believe firmly in his mercy which frees you of your guilt. Contemplate his blood poured out with such great love, and let yourself be cleansed by it. In this way, you can be reborn ever anew.

He is alive!

124. Finally, there is a third truth, inseparable from the second: Christ is alive! We need to keep reminding ourselves of this, because we can risk seeing Jesus Christ simply as a fine model from the distant past, as a memory, as someone who saved us two thousand years ago. But that would be of no use to us: it would leave us unchanged, it would not set us free. The one who fills us with his grace, the one who liberates us, transforms us, heals and consoles us is someone fully alive. He is the Christ, risen from the dead, filled with supernatural life and energy, and robed in boundless light. That is why Saint Paul could say: “If Christ has not been raised, your faith is futile” (1 Cor 15:7).

125. Alive, he can be present in your life at every moment, to fill it with light and to take away all sorrow and solitude. Even if all others depart, he will remain, as he promised: “I am with you always, to the end of the age” (Mt 28:20). He fills your life with his unseen presence; wherever you go, he will be waiting there for you. Because he did not only come in the past, but he comes to you today and every day, inviting you to set out towards ever new horizons.

126. See Jesus as happy, overflowing with joy. Rejoice with him as with a friend who has triumphed. They killed him, the holy one, the just one, the innocent one, but he triumphed in the end. Evil does not have the last word. Nor will it have the last word in your life, for you have a friend who loves you and wants to triumph in you. Your Saviour lives.

127. Because he lives, there can be no doubt that goodness will have the upper hand in your life and that all our struggles will prove worthwhile. If this is the case, we can stop complaining and look to the future, for with him this is always possible. That is the certainty we have. Jesus is eternally alive. If we hold fast to him, we will have life, and be protected from the threats of death and violence that may assail us in life.

128. Every other solution will prove inadequate and temporary. It may be helpful for a time, but once again we will find ourselves exposed and abandoned before the storms of life. With Jesus, on the other hand, our hearts experience a security that is firmly rooted and enduring. Saint Paul says that he wishes to be one with Christ in order “to know him and the power of his resurrection” (Phil 3:10). That power will constantly be revealed in your lives too, for he came to give you life, “and life in abundance” (Jn 10:10).

129. If in your heart you can learn to appreciate the beauty of this message, if you are willing to encounter the Lord, if you are willing to let him love you and save you, if you can make friends with him and start to talk to him, the living Christ, about the realities of your life, then you will have a profound experience capable of sustaining your entire Christian life. You will also be able to share that experience with other young people. For “being a Christian is not the result of an ethical choice or a lofty idea, but the encounter with an event, a person, which gives life a new horizon and a decisive direction”.

The Spirit gives life

130. In these three truths – God loves you; Christ is your Saviour; he is alive – we see God the Father and Jesus. Wherever the Father and the Son are, there too is the Holy Spirit. He is the one who quietly opens hearts to receive that message. He keeps alive our hope of salvation, and he will help you grow in joy if you are open to his working. The Holy Spirit fills the heart of the risen Christ and then flows over into your lives. When you receive the Spirit, he draws you ever more deeply into the heart of Christ, so that you can grow in his love, his life and his power.

131. Ask the Holy Spirit each day to help you experience anew the great message. Why not? You have nothing to lose, and he can change your life, fill it with light and lead it along a better path. He takes nothing away from you, but instead helps you to find all that you need, and in the best possible way. Do you need love? You will not find it in dissipation, using other people, or trying to be possessive or domineering. You will find it in a way that will make you genuinely happy. Are you seeking powerful emotions? You will not experience them by accumulating material objects, spending money, chasing desperately after the things of this world. They will come, and in a much more beautiful and meaningful way, if you let yourself be prompted by the Holy Spirit.

132. Are you looking for passion? As that beautiful poem says: “Fall in love!” (or “let yourself be loved!”), because “nothing is more practical than finding God, than falling in love in a quite absolute, final way. What you are in love with, what seizes your imagination, will affect everything. It will decide what will get you out of bed in the morning, what you do with your evenings, how you spend your weekends, what you read, whom you know, what breaks your heart, and what amazes you with joy and gratitude. Fall in love, stay in love, and it will decide everything”. This love for God, that can approach everything in life with passion, is possible thanks to the Spirit, for “God’s love has been poured into our hearts through the Holy Spirit who has been given to us” (Rom 5:5).

133. He is the source of youth at its best. For those who trust in the Lord are “like a tree planted by water sending out its roots by the stream; it shall not fear when heat comes, and its leaves shall stay green” (Jer 17:8). While “youths shall faint and be weary” (Is 40:30), those who wait for the Lord “shall renew their strength, they shall mount up with wings like eagles, they shall run and not be weary, they shall walk and not faint” (Is 40:31).

 

2019年10月23日

・教会にも、寺院にも-習近平の思想学習強制、聖書を著作に置き換え(BW)

 中国共産党は十戒を主席の肖像画と言葉に置き換えるだけでは満足できないようだ。今度は主席の業績について学ぶのが信者の義務になっている。

 中国の現主席が政権掌握後に打ち上げた政治理論「習近平 主席による中国の特色ある社会主義思想」を学ぶことは、中国共産党 員には不可欠な政治的任務である。無神論に基づく内容で宗教とは全く相容れないが、今や全国の宗教コミュニティでその学習が義務になりつつある。

 これまでも 毛沢東 を模倣してきた習近平主席は「神の祭壇」に登り、大衆の崇拝の対象になろうとしている。宗教関連施設はもはや信者が信仰を実践する場ではなく、中国共産党がその思想を広めるための教化拠点に変えられている。

 

*寺院で毎日放映される「習思想」

 7月から、中国北部、河北  秦皇島  の仏教寺院に大型スクリーンが設置され、習近平主席の演説が映し出されている。地元の僧は、自費で寺院にスクリーンを設置するよう国から求められたことを説明した。「今は宗教関連施設で政府の政策と第19回全国代表大会で行われた習近平の演説を学べと政府から言われています。社会主義核心価値観 の推進も不可欠です」と僧は言った。当局が頻繁に視察を行っており、要求に従わない寺院は処分を受ける。

 この僧によると、今では第19回全国代表大会における主席の演説を毎日聞くことが寺院の会衆の義務になっているという。地元の宗教局の要求に従い、信者たちは演説を聞いて学んだ内容について2,000文字以上の小論文を書く必要がある。「宗教局は毎月1回試験を実施するのですが、その内容は仏教の知識ではなく、中国の憲法と宗教政策についてです」と僧は言った。政治の試験に合格した僧および尼僧だけが寺院に留まれることになっている。

 

*聖書が主席に関する本に置き換えられる

 中国各地にある政府公認の 三自教会 では、十戒が検閲を受けて改変され習近平主席の言葉をはじめとするプロパガンダの教科書や共産主義指導者の肖像に置き換えられている。そして、共産主義思想が宗教関連施設内にどんどん入り込んでいる。河南省鄭州市にあるいくつかの三自教会の図書室には聖書が1冊も見当たらない。すべて習近平主席関連の書籍に差し替えられ、それが一番目立つ場所に並べられているのだ。

鄭州市の三自教会の図書室に並ぶ習近平主席に関する書籍。鄭州市の三自教会の図書室に並ぶ習近平主席に関する書籍

 5月下旬に地元の宗教局が各宗教関連施設に対し、図書室を設置して習近平主席の演説と書籍、国の法律と規制、中国伝統文化に関する資料を揃え、信者が読んで勉強できるようにすることを要求したからだ。

 今では図書室の書棚は1,000冊を超える宗教に無関係の本で埋まっている。『習近平 国政運営を語る』、『習近平用典』、毛沢東やその継承者である鄧小平(1904 1997年)の伝記などだ。信者によると、教会は1万人民元(約15万円)以上を費やしてこの「政治的任務」を遂行したという。政府は、図書室設置に協力しない教会は閉鎖すると言って脅迫した。

鄭州市にある三自教会の図書室の書棚に並ぶ「紅い」本の数々。鄭州市にある三自教会の図書室の書棚に並ぶ「紅い」本の数々

*400人以上の説教師が集まり「習思想」を学ぶ

 キリスト教の伝達者である教会の説教師は中国共産党による「転換」の最大の標的になっている。6月11日、河南省洛陽市の政府は460人以上の説教師を対象に「習思想」と社会主義核心価値観を学ぶ5日間のセミナーを行った。このために選ばれた担当者が監督を務め、教育セッションを記録した。

 説教師たちは歴史博物館と焦裕禄(1922年生~1964年没)の記念館にも連れて行かれた。焦裕禄は毛沢東の熱心な信奉者であり、後に「誠実な党幹部の象徴」になって死後に「革命の殉教者」の称号を与えられた人物だ。訪問後、参加者全員が「理解して得たこと」を作文に書かなければならなかった。

 「政府が教育セッションを行った目的は私たちを教化し、聖書について延べ伝えるのを妨げ、無神論やその関連事項だけを話すようにすることでした」とセミナーに出席した説教師は話した。「国は聖書を俗物に差し替え、教会の基盤を破壊しています」。

 別の説教師は「中国共産党は神よりも高い地位につき、誰もが”最高位”として崇め、信じ、従う対象になりたいのだろう」と言った。

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*Bitter Winter(https://jp.bitterwinter.org )は、中国における信教の自由 と人権 について報道するオンライン・メディアとして2018年5月に創刊。イタリアのトリノを拠点とする新興宗教研究センター(CESNUR)が、毎日8言語でニュースを発信中。世界各国の研究者、ジャーナリスト、人権活動家が連携し、中国における、あらゆる宗教に対する迫害に関するニュース、公的文書、証言を公表し、弱者の声を伝えている。中国全土の数百人の記者ネットワークにより生の声を届け, 中国の現状や、宗教の状況を毎日報告しており、多くの場合、他では目にしないような写真や動画も送信している。中国で迫害を受けている宗教的マイノリティや宗教団体から直接報告を受けることもある。編集長のマッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)は教皇庁立グレゴリアン大学で学んだ宗教研究で著名な学者。ー「カトリック・あい」はBitterWinterの承認を受けて記事を転載します。

2019年10月21日

・使徒的勧告「Christus vivit(キリストは生きておられる)」若者参加のビデオ版④⑤⑥

④Christus vivit: Young people and the Gospel, proclamation and sleeves rolled up

To grow in faith. Yeah, but how? This is what the Pope asks in the 7th chapter of “Christus vivit” in which he says: young people mature if “the language of closeness” is used with them and if they are offered “appropriate places” in which they can develop. 25-year- old Tamandani Kamuyanja from Malawi confirms this. Her work in a Church movement has taught her to love the Gospel, she says.

Main courses of action

209. I wish simply to emphasize that youth ministry involves two main courses of action. One is outreach, the way we attract new young people to an experience of the Lord. The other is growth, the way we help those who have already had that experience to mature in it.

210. As for outreach, I trust that young people themselves know how best to find appealing ways to come together. They know how to organize events, sports competitions and ways to evangelize using social media, through text messages, songs, videos and other ways. They only have to be encouraged and given the freedom to be enthused about evangelizing other young people wherever they are to be found. When the message is first brought up, whether at a youth retreat, in a conversation at a bar, on school holidays, or in any of God’s mysterious ways, it can awaken a deep experience of faith. What is most important, though, is that each young person can be daring enough to sow the seed of the message on that fertile terrain that is the heart of another young person.

211. In this outreach, we need to use above all the language of closeness, the language of generous, relational and existential love that touches the heart, impacts life, and awakens hope and desires. Young people need to be approached with the grammar of love, not by being preached at. The language that young people understand is spoken by those who radiate life, by those who are there for them and with them. And those who, for all their limitations and weaknesses, try to live their faith with integrity. We also have to give greater thought to ways of incarnating the kerygma in the language of today’s youth.

212. As for growth, I would make one important point. In some places, it happens that young people are helped to have a powerful experience of God, an encounter with Jesus that touched their hearts. But the only follow-up to this is a series of “formation” meetings featuring talks about doctrinal and moral issues, the evils of today’s world, the Church, her social doctrine, chastity, marriage, birth control and so on. As a result, many young people get bored, they lose the fire of their encounter with Christ and the joy of following him; many give up and others become downcast or negative. Rather than being too concerned with communicating a great deal of doctrine, let us first try to awaken and consolidate the great experiences that sustain the Christian life. In the words of Romano Guardini, “when we experience a great love… everything else becomes part of it”.

213. Any educational project or path of growth for young people must certainly include formation in Christian doctrine and morality. It is likewise important that it have two main goals. One is the development of the kerygma, the foundational experience of encounter with God through Christ’s death and resurrection. The other is growth in fraternal love, community life and service.

214. This was something I emphasized in Evangelii Gaudium, and I consider it worth repeating here. It would be a serious mistake to think that in youth ministry “the kerygma should give way to a supposedly more ‘solid’ formation. Nothing is more solid, profound, secure, meaningful and wisdom-filled than that initial proclamation. All Christian formation consists of entering more deeply into the kerygma” and incarnating it ever more fully in our lives. Consequently, youth ministry should always include occasions for renewing and deepening our personal experience of the love of God and the living Christ. It can do this in a variety of ways: testimonies, songs, moments of adoration, times of spiritual reflection on the sacred Scriptures, and even an intelligent use of social networks. Yet this joyful experience of encounter with the Lord should never be replaced by a kind of “indoctrination”.

215. On the other hand, any programme of youth ministry should clearly incorporate various means and resources that can help young people grow in fraternity, to live as brothers and sisters, to help one another, to build community, to be of service to others, to be close to the poor. If fraternal love is the “new commandment” (Jn 13:34), “the fullness of the Law” (Rom 13:10) and our best way of showing our love for God, then it has to have a primary place in every project of youth formation and growth to maturity.

Suitable environments

216. We need to make all our institutions better equipped to be more welcoming to young people, since so many have a real sense of being orphaned. Here I am not referring to family problems but to something experienced by boys and girls, young people and adults, parents and children alike. To all these orphans – including perhaps ourselves – communities like a parish or school should offer possibilities for experiencing openness and love, affirmation and growth. Many young people today feel that they have inherited the failed dreams of their parents and grandparents, dreams betrayed by injustice, social violence, selfishness and lack of concern for others. In a word, they feel uprooted. If the young grow up in a world in ashes, it will be hard for them to keep alive the flame of great dreams and projects. If they grow up in a desert devoid of meaning, where will they develop a desire to devote their lives to sowing seeds? The experience of discontinuity, uprootedness and the collapse of fundamental certainties, fostered by today’s media culture, creates a deep sense of orphanhood to which we must respond by creating an attractive and fraternal environment where others can live with a sense of purpose.

217. In a word, to create a “home” is to create “a family”. “It is to learn to feel connected to others by more than merely utilitarian and practical bonds, to be united in such a way as to feel that our life is a bit more human. To create a home is to let prophecy take flesh and make our hours and days less cold, less indifferent and anonymous. It is to create bonds by simple, everyday acts that all of us can perform. A home, as we all know, demands that everyone work together. No one can be indifferent or stand apart, since each is a stone needed to build the home. This also involves asking the Lord to grant us the grace to learn how to be patient, to forgive one another, to start over each day. How many times should I forgive and start over? Seventy times seven times, as many times as necessary. To create strong bonds requires confidence and trust nurtured daily by patience and forgiveness. And that is how the miracle takes place: we feel that here we are reborn, here we are all reborn, because we feel God’s caress that enables us to dream of a more human world, and therefore of a world more divine”.

218. Along these lines, our institutions should provide young people with places they can make their own, where they can come and go freely, feel welcome and readily meet other young people, whether at times of difficulty and frustration, or of joy and celebration. Some of this is already happening in oratories and other youth centres, which in many cases offer a friendly and relaxed setting where friendships can grow, where young men and women can meet one another, where they can share music, games, sports, but also reflection and prayer. In such places, much can be offered, without great expenditure of funds. Then too, the person-to-person contact indispensable for passing on the message can happen, something whose place cannot be taken by any pastoral resource or strategy.

219. “Friendship and discussion, often within more or less structured groups, offer the opportunity to strengthen social and relational skills in a context in which one is neither analysed nor judged. Group experience is also a great resource for sharing the faith and for mutual help in bearing witness. The young are able to guide other young people and to exercise a genuine apostolate among their friends”.

220. This is not to say that they should become isolated and lose all contact with parish communities, movements and other ecclesial institutions. But they will be better integrated into communities that are open, living their faith, eager to radiate Christ, joyful, free, fraternal and committed. These communities can be settings where they feel that it is possible to cultivate precious relationships.

 

 

Speaking about Catholic schools, the Pope writes in “Christus vivit” that the culture needs to know how to “integrate the knowledge of head, heart and hands”. “It occurred to me that this is what pilgrimage means”, echoes Michal Klosowski, a young person from Czestochowa in Poland who is familiar with this territory. Head, heart and hands “plus a pair of walking shoes” and “we can spread the Gospel”.

Youth ministry in educational institutions

221. Schools are unquestionably a platform for drawing close to children and young people. Precisely because they are such privileged places of personal development, the Christian community has always been concerned to train teachers and administrators, and to found its own schools of various kinds and levels. In this field of educating the young, the Spirit has raised up countless charisms and examples of holiness. Yet schools are in urgent need of self-criticism, if we consider the results of their pastoral outreach, which in many cases focuses on a kind of religious instruction that proves often incapable of nurturing lasting experiences of faith. Some Catholic schools seem to be structured only for the sake of self-preservation. Fear of change makes them entrenched and defensive before the dangers, real or imagined, that any change might bring. A school that becomes a “bunker”, protecting its students from errors “from without” is a caricature of this tendency. Yet this image reflects, in a chilling way, what many young people experience when they graduate from certain educational institutions: an insurmountable disconnect between what they were taught and the world in which they live. The way they were instructed in religious and moral values did not prepare them to uphold those values in a world that holds them up to ridicule, nor did they learn ways of praying and practicing the faith that can be easily sustained amid the fast pace of today’s society. For one of the greatest joys that any educator can have is to see a student turn into a strong, well-integrated person, a leader, someone prepared to give.

222. Catholic schools remain essential places for the evangelization of the young. Account should be taken of a number of guiding principles set forth in Veritatis Gaudium for the renewal and revival of missionary outreach on the part of schools and universities. These include a fresh experience of the kerygma, wide-ranging dialogue, interdisciplinary and cross-disciplinary approaches, the promotion of a culture of encounter, the urgency of creating networks and an option in favour of those who are least, those whom society discards. Similarly important is the ability to integrate the knowledge of head, heart and hands.

223. On the other hand, we cannot separate spiritual from cultural formation. The Church has always sought to develop ways of providing the young with the best education possible. Nor should she stop now, for young people have a right to it. “Today, above all, the right to a good education means protecting wisdom, that is, knowledge that is human and humanizing. All too often we are conditioned by trivial and fleeting models of life that drive us to pursue success at a low price, discrediting sacrifice and inculcating the idea that education is not necessary unless it immediately provides concrete results. No, education makes us raise questions, keeps us from being anaesthetized by banality, and impels us to pursue meaning in life. We need to reclaim our right not to be sidetracked by the many sirens that nowadays distract from this pursuit. Ulysses, in order not to give in to the siren song that bewitched his sailors and made them crash against the rocks, tied himself to the mast of the ship and had his companions plug their ears. Orpheus, on the other hand, did something else to counter the siren song: he intoned an even more beautiful melody, which enchanted the sirens. This, then, is your great challenge: to respond to the crippling refrains of cultural consumerism with thoughtful and firm decisions, with research, knowledge and sharing”.

 

2019年10月11日

・「良心の囚人」が適切な治療を受ける権利を取り上げられて死んでゆく…中国(BW)

 中国の刑務所での懲役を言い渡された反体制者と宗教の信者が治療を受けられないまま死んでいる。重病人であっても肉体労働を強要されている。重病を患った良心の囚人が医療を受けられず、療養のための仮釈放を拒否されて拘束中に死亡する事件が後を絶たない。

 中国共産党 の腐敗を暴いた 人権 活動家、曹順利(ツァオ・シュンリ)氏はいくつもの病を患っていたが、親族が療養のための仮出所を繰り返し申請したにもかかわらず、昏睡状態に陥るまで治療を受けられなかった。最終的には病院に運ばれたものの、その数日後に死亡した。

 ノーベル平和賞を2010年に受賞した劉暁波(リウ・シャオポー)氏は刑務所内で末期の肝臓がんと診断された。彼は療養のために仮出所を認められてからわずか1か月後に死去した。

 チベットの環境活動家、テンジン・チュウダク氏は極度に衰弱した状態で釈放され、2日後に亡くなった。

 反体制派の著作家で楊天水(ヤン・チャンシュイ)のペンネームで活動していた楊同彦(ヤン・トンギャン)弁護士は療養のための仮出所を何度も申請したが、拒否された。彼が病気で亡くなったのは仮出所を認められてからわずか3か月後だった。

 人権活動家の黄琦(フアン・チー)氏姚文田(ヤオ・ウェンチャン)氏は現在も懲役中だが、2人とも重い病を患っている。家族が療養のための仮出所を何度も申請しているが実現していない。

 中国人弁護士、江天勇(ジャン・チャンヨン)氏は釈放されたものの、今も治療を制限されている。人権擁護派の中国人弁護士、覃永沛(タン・ヨンペイ)氏は、ラジオ・フリー・アジアのインタビューに答えて、政権が江天勇氏を厳しく管理し、治療を受けさせないのは、江氏を排除して彼が被った拷問や迫害を隠蔽するためではないかと推測した。

 カナダに拠点を置く政治団体、民主中国陣線の(チン・ジン)主席は「そのような政治家や活動家は、死刑判決を受けなかったとしても、中国共産党がなお彼らを消し去る方法を画策するはずだ」と語っている。

 2016年9月に中国国務院新聞弁公室が発行した白書『中国司法分野における人権保障の新たな進展』によると、刑務所と 拘留所 は「拘束者の医療記録を作成している。常駐の医師が毎日監房を巡回し、刑務所や拘留所を出て医療を受ける必要がある被収容者を速やかに地域の病院に搬送している」という。しかし、共産主義の中国においては、いわゆる良心の囚人、宗教を信じたために刑を言い渡された人などがその権利を持っていないのは明らかだ。

*重病の信者が治療を拒否される

 趙明青(ジャオ・ミンチン、仮名)氏は中国最大のキリスト教系 新興宗教団体 で、1991年の設立以来、中国共産党による残虐な弾圧にさらされている 全能神教会 の信者である。2017年、彼は信仰を理由に逮捕され、拘束された。1年がたったが、体に不調を覚えるようになった。足が腫れ、手足に力が入らなくなったのだ。繰り返し治療を求めたが、拒否され続けた。

 ついに趙明青氏は受診にこぎつけたが、検査結果は残酷だった。彼は肝硬変を患っていた。かなりの重度であり、入院しなければ合併症を引き起こすだろうと医師は告げた。しかし、拘置所の担当者は肝臓の薬の処方だけを許可し、彼を監房に連れ戻した。重い病状にもかかわらず、趙明青氏は「邪教 団体を組織し、利用して法執行を妨害した」として懲役2年の刑を言い渡された。

 肝硬変の患者が過度に働けば当然病状は悪化するが、趙明青氏は1日12時間の労働を強いられた。さらに毎日3時間の軍事訓練にも耐えなければならなかった。刑務所の規則を暗唱できなかったときは、罰として2時間起立させられた。極寒の冬季に冷たいシャワーを浴び、残飯を食べるよう強いられた。常に足元がふらつき、めまいが消えず、呼吸困難に悩まされ、継続は難しかった。

 しかし彼に許された唯一の治療は1日4錠の肝臓の薬の服用だけだった。効果の高い治療を受けられない上、厳しい肉体労働が重なって病状は急激に悪化し、ついにほとんど歩けなくなった。体温が40度に跳ね上がったときでさえ、医師に漢方薬の注射を打たれてから再び12時間労働のシフトに戻らされた。

 3か月後には腹水がたまってしまった。腹部に体液が蓄積した異常な状態である。法律上、この状態に陥った囚人は療養のため仮出所ができることになっている。しかし趙明青氏は再び漢方治療を施され、作業場に送り返された。彼の労働量は減らされなかった。

 刑期の残りが2か月を切ったとき、医師は彼に、病状が進んで治癒の見込めない状態になっていることを告げた。拘束中の死亡を避けるため、刑務所当局は釈放のときまで刑務所病院に滞在することを許可した。治療のできる時期はとうに過ぎ、趙氏の病状は悪化し続け、腹水も排出できなかった。すっかり衰弱した彼は息も絶え絶えだった。それでもなお、療養のための仮出所申請は、彼の状態が「死ぬほどではない」との理由で却下され続けた。趙氏は刑期を終えるまで釈放を認められなかった。

 今このときも、全能神教会の信者は信仰を捨てる宣誓書への署名を繰り返し強いられている。

*治療を拒否されて死亡

 2014年、中国中央部、河南 信陽 に住む全能神教会信者、劉士金(リウ・シジン)氏は信仰を理由に懲役3年を言い渡された。刑務所は劉士金氏が重病人であることを知っていたが治療を受けさせず、彼の病状は悪化した。そして2016年6月、深刻な病状のため、刑期満了を前に釈放された。そのときには何を口に入れても吐いてしまう状態だった。彼は胃がんと診断されたが、刑務所にいる間に病気の初期段階は過ぎており、いかなる治療ももはや効果はなかった。釈放から4か月後、劉氏は71歳で亡くなった。

 中国南部、広東省の鄭坤長(ジェン・クンチャン)氏も全能神教会の信者であったために懲役3年の刑を受けた。彼は刑務所内で深刻な腸閉塞を患ったが、治療を受けられないまま病状を悪化させた。病気の知らせを受けた家族が療養のための仮出所を申請したが、刑務所は全能神教会の信者は「特別な囚人」だと主張し、出所を認めなかった。2017年5月になってようやく療養のための仮出所を認められたが、あまりに重症だったため、多くの病院が彼の受け入れを拒んだ。鄭氏は、2018年4月に35歳の誕生日を目前にして死去した。

 2004年、中国南西部、四川省巴中市の全能神教会の信者、唐勇軍(タン・ヨンギュン)氏は懲役5年を言い渡された。2006年3月、何度も療養のための仮出所申請を出していたにもかかわらず、彼は刑務所の中で一度も治療を受けられないまま病気で亡くなった。若干30歳だった。

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*Bitter Winter(https://jp.bitterwinter.org )は、中国における信教の自由 と人権 について報道するオンライン・メディアとして2018年5月に創刊。イタリアのトリノを拠点とする新興宗教研究センター(CESNUR)が、毎日8言語でニュースを発信中。世界各国の研究者、ジャーナリスト、人権活動家が連携し、中国における、あらゆる宗教に対する迫害に関するニュース、公的文書、証言を公表し、弱者の声を伝えている。中国全土の数百人の記者ネットワークにより生の声を届け, 中国の現状や、宗教の状況を毎日報告しており、多くの場合、他では目にしないような写真や動画も送信している。中国で迫害を受けている宗教的マイノリティや宗教団体から直接報告を受けることもある。編集長のマッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)は教皇庁立グレゴリアン大学で学んだ宗教研究で著名な学者。ー「カトリック・あい」はBitterWinterの承認を受けて記事を転載します。

2019年10月8日

・海外在住の中国人に対する中国共産党の取り組みが明らかに(BW)

 中国の省政府は「統一戦線」の取り組みを強化し、海外の中国人を追跡及び活用することで、政権の海外への影響力を拡大し、反体制派を弾圧している。

 Bitter Winterは安徽省、河南省及び遼寧省の政府が発行した内部文書を入手した。この文書により、中国共産党 が海外の中国人及び国内の家族を調査し、情報を収集していることに加え、本人及び家族を国のために「働かせている」ことが明らかになった。海外で生活をした後に帰国した者も調査の対象になる。

中国を出国した人々に関する情報中国を出国した人々に関する情報(写真:インターネットより)

*調査の対象は5グループ

 調査は主に5つのグループに対して行われる。この文書では、中国本土、香港、マカオ及び台湾以外の国々に居住している海外の中国人は華僑と呼ばれており、主な調査対象は、過去5年間に外国で在留資格を取得した者である。

 調査の2番目の対象は、帰僑(海外から帰国した華僑)である。帰僑には外国の在留資格を放棄した者、そして、中国の市民権を取得した、または、市民権を回復し、永住するために中国に帰国した中国系の外国人がこのグループに含まれる。

 また、当局は僑眷(華僑や帰僑が扶養する中国在住の家族)にも注目している。配偶者、両親、子供とその配偶者、兄弟、祖父母、孫に加え、その他の海外在住の中国人の親戚を含む、僑眷に関する詳細を集めている。また、当局は僑眷に対して、海外に住む親族の詳しい個人情報の開示を義務づけている。

 諸外国で学習する留学生、そして、台湾、香港及びマカオ特別行政区に居住する中国人も調査の対象である。

常州市の政府は会議を開き、調査を実施し、海外在住の中国人に関する基本的な情報を集める取り組みを行うと発表した。常州市の政府は会議を開き、調査を実施し、海外在住の中国人に関する基本的な情報を集める取り組みを行うと発表した。(写真:インターネットより)

 一部の地域の政府の公式ウェブサイトで公開された情報によると、調査期間中に集められた情報は、海外在住の中国人の関係者のデータベースを作るために用いられ、「動的管理と適時更新」が行われるという。今回の調査は、海外の中国人に関する情報を集めるため、以前地域レベルで行われた調査よりも大規模に、また、綿密に実施される。

*「動的管理」とは?

 この文書はこのような詳細な調査が必要とされる理由については明確な答えを提供していない。一部の公式の報告では、「中国人の国外居住者の 愛国心 を高め、経済発展を推進するため」という曖昧な理由を挙げられている。

 しかし、実際にはこの文書の文言と方法は、中国共産党の「第三の魔法の武器」と呼ばれる「統一戦線」に密接に関連していると思われる。統一戦線は、党の体制作りと武装闘争と並行し、個人と団体を団結させ、中国共産党及び党の方針を支持させる取り組みを指す。

 2018年3月、習近平 主席自身の監督の下、統戦部 は広範な組織改革を断行し、宗教団体、少数民族及び海外在住の中国人に関する政策と取り組みを担当するようになった。

 組織改革が行われて以来、統戦部関連の組織は様々な方法で活動を行い、より広範な外交政策において重要度を高めつつある。しかし、活動の一部は、米中経済・安全保障問題検討委員会(U.S.-China Economic and Security Review Commision)が2018年8月24日に公開した文書『中国統一戦線の海外工作: 背景と米国への影響』によると、「一線を越えて犯罪行為に及んでいる」という。

 この報告書によると、統戦部は「中国政府に対する批判を抑え、中国に対する前向きな意見を広めること、そして、海外の民主主義国家の主権者に対して、中国に有利な国内政策を導入するよう奨励すること」を求める指令に従い、中国人の外国の居住者を採用し、居住する国でプロパガンダ工作員や諜報員として活動させているという。この活動を通して、中国政権は弾圧を逃れるために中国を去った 人権 保護活動家や、宗教を理由とした難民、そして、中国の政策を批判する人々を苦しめている。

 「『海外の中国人による活動』の目標は、民族、文化、経済または政治のつながりを用いて、賛同する海外の中国人社会を動員し、(できれば自発的に)中国共産党の利益を支持し、敵対者を排除」することだ、と報告書は指摘している。「統戦部の指導マニュアルは工作員に対し、中国への「血縁」のつながりを強調し、外国に居住する中国人を中国共産党の味方につけるよう命じ、政治、モラル及び金銭面での中国共産党への支援を確保することを目指している」

*恐怖を介して愛国勢力を育てる

 「外国在住の中国人を味方につける」ための取り組みにおいては、時に嫌がらせや脅迫を伴い、当局は、中国に住む親族(僑眷)を弾圧すると脅して、中国のために諜報活動を実施するよう圧力をかけることもある。

 Bitter Winterが入手した文書の添付用紙に目を通すと、海外在住の中国人に関する現在の調査がいかに多角的に行われているかが分かる。僑眷は、職場、肩書き、学歴、連絡先(電話番号とメールアドレス)、そして、中国を出国した日付を含む項目に情報を入力する必要がある。この用紙に記入する必要がある者は、調査の項目は極秘であり、情報を他言しないように釘を刺されている。

江蘇省揚中市の政府が発行した、優秀な人材及び海外在住の中国人のデータベース作成に関する通知。この取り組みは2019年9月に開始された。江蘇省揚中市の政府が発行した、優秀な人材及び海外在住の中国人のデータベース作成に関する通知。この取り組みは2019年9月に開始された。(写真:インターネットより)

 中国人の海外の留学生も「統一戦線」の主なターゲットに指定されている。中国南東部、江西 の地域政府が発行した『2019年の統一戦線の要点』は「留学生に関する統一戦線の新たなアイデアを探り」、「留学生の思想及び政治に関する指導」を強化するよう促している。現在行われている調査の範囲には、中国に帰国したかどうか、または、現在も海外に居住しているかどうかに関わらず、全ての学生が含まれている。

 数名の留学中の学生からの情報によると、家族や友人から政府が自分の情報を集めていることを知らされるようだ。留学生は、国が中国で暮らす家族を利用し、政府のためにスパイやその他の「活動」を強要するのではないか、と危惧している。

 また、この文書は「愛国勢力の育成と強化に焦点を絞り、海外の中国人に関する情報を直ちに確認し、香港、マカオ及び台湾を対象としたデータベースの作成と改善」を求めている。

 香港及びマカオの地域の「郷情普査工作」、そして、台湾在住の中国人の状況も調査には含まれている。調査の範囲には、中国本土に戸籍を持つものの、香港、マカオ及び台湾に定住している者、中国本土で長期間居住し、香港、マカオ、または、台湾の住民登録証を持つ者が含まれる。このカテゴリーに当てはまる者、そして、中国本土で暮らすその両親、配偶者、子供及び兄弟を含む家族が中国本土、または、3つの地域に設立した団体や組織も調査の対象となる。

 海外の宗教団体を取り締まるため、同様の手法が既に実施されている。Bitter Winterでは、中国共産党が以前から海外在住の 法輪功 の学習者、全能神教会 の信者及びその他の宗教団体の信者に関する広範囲におよぶ情報を収集し、完全な「海外の 邪教 の信者のデータベース」を作る取り組みを行ってきた、と報じた。

 中国政府は、中国での弾圧から逃れ、外国に定住した全能神教会の信者を帰国させるため、家族のつながりを悪用し、意のままに操っている。以前、Bitter Winterでも大々的に報じたとおり、中国共産党は韓国へ「家族捜索団」を送り込み、やらせの抗議活動を行うことで、現地の全能神教会の信者の難民に嫌がらせを行っていた。

 また、海外在住の中国人に関する調査の範囲は拡大していると見られる。中国南部在住の40歳の女性はBitter Winterに対し、米国で友人と親族を訪ね、中国に帰国した際に思いがけず当局に遭遇し、不愉快な思いをしたと伝えた。女性が帰宅した当日に 国家安全部 に呼ばれ、尋問を受けた。この女性が一番衝撃を受けたのは、米国で会った人物に関する質問の情報が非常に正確であった点であり、不安を募らせた。この女性は、旅行中常に追跡され、監視されていたことに気づいた。

 また、海外で働く 回族 の男性がBitter Winterに伝えたところによると、男性に対し、政府の職員から接触があり、報酬をちらつかされ、国のために働くよう求められたという。この男性は、親族に会うために中国に帰国する度に、現地の国保局から呼び出され、海外で連絡を取り合った中国人に関する情報の提供を求められる。政府は1万人民元(約15万円)の報酬を約束したという。また、この男性の友人の一人は、海外に留学した経験があり、一緒に学んだ中国人の学生の電話番号を教えるよう当局から求められたという。

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*Bitter Winter(https://jp.bitterwinter.org )は、中国における信教の自由 と人権 について報道するオンライン・メディアとして2018年5月に創刊。イタリアのトリノを拠点とする新興宗教研究センター(CESNUR)が、毎日8言語でニュースを発信中。世界各国の研究者、ジャーナリスト、人権活動家が連携し、中国における、あらゆる宗教に対する迫害に関するニュース、公的文書、証言を公表し、弱者の声を伝えている。中国全土の数百人の記者ネットワークにより生の声を届け, 中国の現状や、宗教の状況を毎日報告しており、多くの場合、他では目にしないような写真や動画も送信している。中国で迫害を受けている宗教的マイノリティや宗教団体から直接報告を受けることもある。編集長のマッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)は教皇庁立グレゴリアン大学で学んだ宗教研究で著名な学者。ー「カトリック・あい」はBitterWinterの承認を受けて記事を転載します。

2019年10月4日

・使徒的勧告「Christus vivit(キリストは生きておられる)」若者参加のビデオ版放映・更新

Christus vivit: Young apostles for young people

以下、原文22項以降

 ”Jesus, ever young”. This is the title of the second chapter of “Christus vivit”. Canadian Julian Paparella, a graduate of McGill University in Montreal, recounts how this aspect is lived by some of the students at the university whom Julian is accompanying on a journey of faith. “My luck? having participated in the Synod on young people”.

22. Jesus is “young among the young in order to be an example for the young and to consecrate them to the Lord”. For this reason the Synod said that “youth is an original and stimulating stage of life, which Jesus himself experienced, thereby sanctifying it”.

Jesus’ youth

23. The Lord “gave up his spirit” (cf. Mt 27:50) on a cross when he was little more than thirty years of age (cf. Lk 3:23). It is important to realize that Jesus was a young person. He gave his life when he was, in today’s terms, a young adult. He began his public mission in the prime of life, and thus “a light dawned” (Mt 4:16) that would shine most brightly when he gave his life to the very end. That ending was not something that simply happened; rather, his entire youth, at every moment, was a precious preparation for it. “Everything in Jesus’s life was a sign of his mystery”; indeed, “Christ’s whole life is a mystery of redemption”

24. The Gospel tells us nothing of Jesus’ childhood, but it does recount several events of his adolescence and youth. Matthew situates the time of the Lord’s youth between two events: his family’s return to Nazareth after their exile, and Jesus’ baptism in the Jordan, the beginning of his public ministry. The last images we have of Jesus as a child are those of a tiny refugee in Egypt (cf. Mt 2:14-15) and repatriated in Nazareth (cf. Mt 2:19-23). Our first image of Jesus as a young adult shows him standing among the crowds on the banks of the Jordan river to be baptized by his kinsman John the Baptist, just like any other member of his people (cf. Mt 3:13-17).

25. Jesus’ baptism was not like our own, which introduces us to the life of grace, but a consecration prior to his embarking on the great mission of his life. The Gospel says that at his baptism the Father rejoiced and was well pleased: “You are my beloved Son” (Lk 3:22). Jesus immediately appeared filled with the Holy Spirit, and was led by the Spirit into the desert. There he prepared to go forth to preach and to work miracles, to bring freedom and healing (cf. Lk 4:1-14). Every young person who feels called to a mission in this world is invited to hear the Father speaking those same words within his or her heart: “You are my beloved child”.

26. Between these two accounts, we find another, which shows Jesus as an adolescent, when he had returned with his parents to Nazareth, after being lost and found in the Temple (cf. Lk 2:41-51). There we read that “he was obedient to them” (cf. Lk 2:51); he did not disown his family. Luke then adds that Jesus “grew in wisdom, age and grace before God and men” (cf. Lk 2:52). In a word, this was a time of preparation, when Jesus grew in his relationship with the Father and with others. Saint John Paul II explained that he did not only grow physically, but that “there was also a spiritual growth in Jesus”, because “the fullness of grace in Jesus was in proportion to his age: there was always a fullness, but a fullness which increased as he grew in age”.

27. From what the Gospel tells us, we can say that Jesus, in the years of his youth, was “training”, being prepared to carry out the Father’s plan. His adolescence and his youth set him on the path to that sublime mission.

28. In his adolescence and youth, Jesus’ relationship with the Father was that of the beloved Son. Drawn to the Father, he grew up concerned for his affairs: “Did you not know that I must be about my Father’s business?” (Lk 2:49). Still, it must not be thought that Jesus was a withdrawn adolescent or a self-absorbed youth. His relationships were those of a young person who shared fully in the life of his family and his people. He learned his father’s trade and then replaced him as a carpenter. At one point in the Gospel he is called “the carpenter’s son” (Mt 13:55) and another time simply “the carpenter” (Mk 6:3). This detail shows that he was just another young person of his town, who related normally to others. No one regarded him as unusual or set apart from others. For this very reason, once Jesus began to preach, people could not imagine where he got this wisdom: “Is this not Joseph’s son?” (Lk 4:22).

29. In fact, “Jesus did not grow up in a narrow and stifling relationship with Mary and Joseph, but readily interacted with the wider family, the relatives of his parents and their friends”.Hence we can understand why, when he returned from his pilgrimage to Jerusalem, his parents readily thought that, as a twelve-year-old boy (cf. Lk 2:42), he was wandering freely among the crowd, even though they did not see him for an entire day: “supposing him to be in the group of travellers, they went a day’s journey” (Lk 2:44). Surely, they assumed, Jesus was there, mingling with the others, joking with other young people, listening to the adults tell stories and sharing the joys and sorrows of the group. Indeed, the Greek word that Luke uses to describe the group – synodía – clearly evokes a larger “community on a journey” of which the Holy Family is a part. Thanks to the trust of his parents, Jesus can move freely and learn to journey with others.

His youth teaches us

30. These aspects of Jesus’ life can prove inspiring for all those young people who are developing and preparing to take up their mission in life. This involves growing in a relationship with the Father, in awareness of being part of a family and a people, and in openness to being filled with the Holy Spirit and led to carry out the mission God gives them, their personal vocation. None of this should be overlooked in pastoral work with young people, lest we create projects that isolate young people from their family and the larger community, or turn them into a select few, protected from all contamination. Rather, we need projects that can strengthen them, accompany them and impel them to encounter others, to engage in generous service, in mission.

31. Jesus does not teach you, young people, from afar or from without, but from within your very youth, a youth he shares with you. It is very important for you to contemplate the young Jesus as presented in the Gospels, for he was truly one of you, and shares many of the features of your young hearts. We see this for example in the following: “Jesus had unconditional trust in the Father; he maintained friendship with his disciples, and even in moments of crisis he remained faithful to them. He showed profound compassion for the weakest, especially the poor, the sick, sinners and the excluded. He had the courage to confront the religious and political authorities of his time; he knew what it was to feel misunderstood and rejected; he experienced the fear of suffering and he knew the frailty of the Passion. He turned his gaze to the future, entrusting himself into the Father’s safe hands in the strength of the Spirit. In Jesus, all the young can see themselves”

32. On the other hand, Jesus is risen, and he wants to make us sharers in the new life of the resurrection. He is the true youthfulness of a world grown old, the youthfulness of a universe waiting “in travail” (Rom 8:22) to be clothed with his light and to live his life. With him at our side, we can drink from the true wellspring that keeps alive all our dreams, our projects, our great ideals, while impelling us to proclaim what makes life truly worthwhile. Two curious details in the Gospel of Mark show how those risen with Christ are called to authentic youth. In the Lord’s passion we see a young man who wanted to follow Jesus, but in fear ran away naked (cf. 14:51-52); he lacked the strength to stake everything on following the Lord. Yet at the empty tomb, we see another young person, “dressed in a white tunic” (16:5), who tells the women not to be afraid and proclaims the joy of the resurrection (cf. 16:6-7).

33. The Lord is calling us to enkindle stars in the night of other young people. He asks you to look to the true stars, all those varied signs he gives us to guide our way, and to imitate the farmer who watches the stars before going out to plough his field. God lights up stars to help us keep walking: “The stars shine in their watches, and are glad; he calls them and they say: ‘Here we are!’” (Bar 3:34-35). Christ himself is our great light of hope and our guide in the night, for he is the “bright morning star” (Rev 22:16).

 

(2019.10.3 VaticanNews )

 They’re called cybernauts, or “geeks”: people who are addicted to the web. Agatha is a young Christian woman from Indonesia who has experienced the dark side of a life attached to a smartphone. She has made her own the Pope’s suggestion in “Christus vivit”: “to move from virtual contact to good and healthy communication”.

The digital environment

86. “The digital environment is characteristic of the contemporary world. Broad swathes of humanity are immersed in it in an ordinary and continuous manner. It is no longer merely a question of ‘using’ instruments of communication, but of living in a highly digitalized culture that has had a profound impact on ideas of time and space, on our self-understanding, our understanding of others and the world, and our ability to communicate, learn, be informed and enter into relationship with others. An approach to reality that privileges images over listening and reading has influenced the way people learn and the development of their critical sense”.

87. The web and social networks have created a new way to communicate and bond. They are “a public square where the young spend much of their time and meet one another easily, even though not all have equal access to it, particularly in some regions of the world. They provide an extraordinary opportunity for dialogue, encounter and exchange between persons, as well as access to information and knowledge. Moreover, the digital world is one of social and political engagement and active citizenship, and it can facilitate the circulation of independent information providing effective protection for the most vulnerable and publicizing violations of their rights. In many countries, the internet and social networks already represent a firmly established forum for reaching and involving young people, not least in pastoral initiatives and activities”.

88. Yet to understand this phenomenon as a whole, we need to realize that, like every human reality, it has its share of limitations and deficiencies. It is not healthy to confuse communication with mere virtual contact. Indeed, “the digital environment is also one of loneliness, manipulation, exploitation and violence, even to the extreme case of the ‘dark web’. Digital media can expose people to the risk of addiction, isolation and gradual loss of contact with concrete reality, blocking the development of authentic interpersonal relationships. New forms of violence are spreading through social media, for example cyberbullying. The internet is also a channel for spreading pornography and the exploitation of persons for sexual purposes or through gambling”.89. It should not be forgotten that “there are huge economic interests operating in the digital world, capable of exercising forms of control as subtle as they are invasive, creating mechanisms for the manipulation of consciences and of the democratic process. The way many platforms work often ends up favouring encounter between persons who think alike, shielding them from debate. These closed circuits facilitate the spread of fake news and false information, fomenting prejudice and hate. The proliferation of fake news is the expression of a culture that has lost its sense of truth and bends the facts to suit particular interests. The reputation of individuals is put in jeopardy through summary trials conducted online. The Church and her pastors are not exempt from this phenomenon”.

90. A document prepared on the eve of the Synod by three hundred young people worldwide pointed out that “online relationships can become inhuman. Digital spaces blind us to the vulnerability of another human being and prevent us from our own self-reflection. Problems like pornography distort a young person’s perception of human sexuality. Technology used in this way creates a delusional parallel reality that ignores human dignity”. For many people, immersion in the virtual world has brought about a kind of “digital migration”, involving withdrawal from their families and their cultural and religious values, and entrance into a world of loneliness and of self-invention, with the result that they feel rootless even while remaining physically in one place. The fresh and exuberant lives of young people who want to affirm their personality today confront a new challenge: that of interacting with a real and virtual world that they enter alone, as if setting foot on an undiscovered global continent. Young people today are the first to have to effect this synthesis between what is personal, what is distinctive to their respective cultures, and what is global. This means that they must find ways to pass from virtual contact to good and healthy communication.

 

 

(2019.10.8  VaticanNews )

 

Christus vivit: I find heaven in a picture and in sports

God’s house is everywhere, even in a museum, in a playground. Tomás, a young Irishman, is convinced of this. He particularly loves the part in “Christus vivit” where the Pope speaks of art and sports, that being in nature is like a prism that reveals the many faces of divine beauty to young people.

Areas needing to be developed

224. Many young people have come to appreciate silence and closeness to God. Groups that gather to adore the Blessed Sacrament or to pray with the word of God have also increased. We should never underestimate the ability of young people to be open to contemplative prayer. We need only find the right ways and means to help them embark on this precious experience. When it comes to worship and prayer, “in many settings, young Catholics are asking for prayer opportunities and sacramental celebrations capable of speaking to their daily lives through a fresh, authentic and joyful liturgy”. It is important to make the most of the great moments of the liturgical year, particularly Holy Week, Pentecost and Christmas. But other festive occasions can provide a welcome break in their routine and help them experience the joy of faith.

225. Christian service represents a unique opportunity for growth and openness to God’s gifts of faith and charity. Many young people are attracted by the possibility of helping others, especially children and the poor. Often this service is the first step to a discovery or rediscovery of life in Christ and the Church. Many young people grow weary of our programmes of doctrinal and spiritual formation, and at times demand a chance to be active participants in activities that benefit others.

226. Nor can we overlook the importance of the arts, like theatre, painting, and others. “Music is particularly important, representing as it does a real environment in which the young are constantly immersed, as well as a culture and a language capable of arousing emotion and shaping identity. The language of music also represents a pastoral resource with a particular bearing on the liturgy and its renewal”. Singing can be a great incentive to young people as they make their way through life. As Saint Augustine says: “Sing, but continue on your journey. Do not grow lazy, but sing to make the way more enjoyable. Sing, but keep going… If you make progress, you will continue your journey, but be sure that your progress is in virtue, true faith and right living. Sing then, and keep walking”.

227. “Equally significant is the emphasis that young people place on sports; the Church should not underestimate the potential of sports for education and formation, but instead maintain a strong presence there. The world of sport needs to be helped to overcome some of its problematic aspects, such as the idolization of champions, subservience to commercial interests and the ideology of success at any cost”. At the heart of the experience of sport is “joy: the joy of exercising, of being together, of being alive and rejoicing in the gifts the Creator gives us each day”. Some Fathers of the Church used the example of the training of athletes to encourage the young to develop their strength and to overcome idleness and boredom. Saint Basil the Great, writing to young people, used the effort demanded by athletics to illustrate the value of self-sacrifice as a means of growth in virtue: “These men endure sufferings beyond number, they use many means to build their strength, they sweat constantly as they train… in a word, they so discipline themselves that their whole life prior to the contest is but a preparation for it… How then can we, who have been promised rewards so wondrous in number and in splendour that no tongue can recount them, even think of winning them if we do nothing other than spend our lives in leisure and make but half-hearted efforts?”

228. Nature holds a special attraction for many adolescents and young people who recognize our need to care for the environment. Such is the case with the scouting movement and other groups that encourage closeness to nature, camping trips, hiking, expeditions and campaigns to improve the environment. In the spirit of Saint Francis of Assisi, these experiences can be a real initiation into the school of universal fraternity and contemplative prayer.

(次回に続く)

 

 

 

 

2019年10月4日

・中国当局、教員に「党の教育理念への忠誠」求め、宗教を信じる教員、学生に懲罰(BW)

 宗教の教えに従うか、または、中国共産党に忠誠を誓うかの二者択一を迫られ、宗教を選んだ者には停職、除籍、生涯にわたる弾圧等の重い代償が与えられている。

中国のある大学中国のある大学(写真:インターネットより)

 中国では大学を含む教育機関の教員に「社会主義の後継者」を育てる使命が与えられており、軍、共産党党員、公務員のように「党の教育理念に忠誠を誓う」ことが求められている。当然、宗教の信仰も禁じられている。一方、学生も退学をちらつかされ、棄教を迫られている

*大学の教員に停職処分が下る

 北部の山西  のある大学で教鞭を執り、博士号を持つ人物が、信仰を理由として降格処分を受け、その後、停職処分を受けた。

 2019年4月、この教員が宗教の集会に参加している、という報告を受けた大学は「法律に違反している疑いがある」として教員を停職処分に処した。

 停職処分を言い渡す前、大学は教員に繰り返し棄教を求め、公務員として宗教の集会に参加することはできない点、「違法な場所」から距離を取る必要がある点を伝えた。調査中、大学は教員が逮捕された場合は、給与の支払いを止め、停職処分を下すと脅していた。

 大学の管理部門が教員を問題視したのは今回が初めてではなかった。2年前、中央政府の検査班の圧力を受け、大学は「違法な布教活動を実施」したとして勤務評価を下げていた。その直後、降格処分を受け、教職を解かれて基本給のみが支払われることになった。

 教員は2ヶ月の停職期間を経て職場に復帰したものの、単調な仕事ばかりを与えられている。さらに「政治的にデリケートな人物」と見なされ、毎月大学に思想に関する報告書の提出を義務づけられている。

 この教員はBitter Winterに対し「宗教の信仰に危機が訪れています」と述べ、いつ解雇されてもいいように準備をしていると加えた。

 2017年11月、山西省のある大学の准教授が、信仰が理由で停職処分及び1年間に渡る減点処分を受けた。懲罰期間は終了したものの、教職への復帰は認められていない。

*士官学校の生徒が退学処分を受ける

 中国では良心に従い、宗教の教えを守ることを選択した者は、報いを受けることが多い。

 国防技術を専門に学ぶ士官学校の22歳の学生は、キリスト教の棄教を拒んだために退学処分を言い渡された。7月に実行された学生の信教に関する徹底した調査の後、学生に退学処分が下った。この調査は、2019年の始めに中央軍事委員会から与えられた命令を受けて行われたものであった。

士官学校が宗教の信仰を理由として学生に退学処分を与えた。士官学校が宗教の信仰を理由として学生に退学処分を与えた。

 情報筋によると、学校側は、この学生が入学する前に宗教をもっていることを把握していたが、成績が優秀であったために入学を許可した。学校は、キリスト教徒を受け入れていないこと、そして、兵士は宗教をもつことができないと明確に伝えるため、「思想教育」を用いて、キリスト教を信仰するこの学生に棄教を求めた。そして、学校を辞めるか、もしくは、棄教するかの選択を迫った。

 この学生は率直に「キリスト教の教えは人生よりも大切なものです。教えがない人生は人生とは呼べません」と語った。

 中国東部、山東省煙台  在住の25歳のキリスト教徒も同様の経験をしていた。軍隊に入ったものの、信仰が理由で2017年に除隊処分を科されていた。

*Bitter Winter(https://jp.bitterwinter.org )は、中国における信教の自由人権 について報道するオンライン・メディアとして2018年5月に創刊。イタリアのトリノを拠点とする新興宗教研究センター(CESNUR)が、毎日8言語でニュースを発信中。世界各国の研究者、ジャーナリスト、人権活動家が連携し、中国における、あらゆる宗教に対する迫害に関するニュース、公的文書、証言を公表し、弱者の声を伝えている。中国全土の数百人の記者ネットワークにより生の声を届け, 中国の現状や、宗教の状況を毎日報告しており、多くの場合、他では目にしないような写真や動画も送信している。中国で迫害を受けている宗教的マイノリティや宗教団体から直接報告を受けることもある。編集長のマッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)は教皇庁立グレゴリアン大学で学んだ宗教研究で著名な学者。ー「カトリック・あい」はBitterWinterの承認を受けて記事を転載します。

2019年9月28日