“シノドスの道”に思う ⑦新年にあたって、日本の民話やグリム童話からシノドスを考える

*「猿長者」

 日本の民話を、あらすじです。まず、鹿児島県大島郡に伝わる「猿長者」。

 東長者は金持ちで、西長者は爺さんと婆さんの二人暮らしで子供も金もない貧乏者であった。ある師走の年の瀬に、神様は貧しい飯もらい坊主の姿になって、まず東長者の家へ行って、「すまないが、行きどころがないので、どうか宿を貸してください」と申された。ところが東長者は「今は年の瀬だぞ、帰れ」。

 飯もらい坊主は、こんどは西の爺さん夫婦の家へやって来て「宿をかして下され」。夫婦は「さあさあ、早く入りなされ。食べる物は何もありませんが、粟種を入れたお湯でもおあがりなされ」と坊主を喜んで迎えます。三人が食べ始めた時、坊主は二人に「一升鍋に青葉を三枚入れて、水を入れて炊いてごらんなさい」と言う。婆さんは言われた通りにすると、一杯の肴が出てきた。さらに坊主は財布から米粒を三つ取り出して、「さあ、これを釜に入れてご飯を炊きなさい」。すると釜一杯のご飯ができた。さらに坊主は「爺さん婆さん、お前たちは貧しくて年をとっているが、宝がほしいかい、それとも元のような若さがほしいかい」と聞く。「若さがほしいです」と答えると、二人は若夫婦になった。

 次の日、そのことを聞いた東長者は「とんでもないことをしてしまった。うちに泊めていたら、あのような運をさずかったものを。今からこの家に来てもらおう」と。そうして呼ばれた坊主は、東長者に赤い薬を渡した。それを風呂に入れて、夫婦で湯をあびると、二匹の猿になってしまった、という。

 

 

*「大年の客」

 

 次に、岩手県の「大年の客」。

 大晦日の晩、ある貧しい家に、どこからか一人の座頭(目の見えない人)が来て、泊めてくれと頼んだ。主人は困って、「うちは貧乏だから、どうか隣の家の長者さまの家に行って泊まってください」と答えたが、座頭は「俺は貧しい家で結構だ」と言って、その家に泊まった。

 明くる朝、座頭は「若水をくむ」と言って井戸ばたに行くが、すべって井戸にはまってしまった。家の人たちが縄を下ろしてやると、座頭は「これこれ家の人たち、大きな声で『身上』『身上』と掛け声をかけて縄を引き上げなされ」と言う。その通りにして、座頭は井戸の外まではい上がり、出しなに「上がった、上がった」と大きな声を上げた。それからというもの、この家はだんだんと豊かになって行った。

 それを知った隣の長者は、不思議に思って、彼らから、わけを聞き出した。そして、ある年の大晦日に座頭を見つけ出し、嫌がるのを無理やり自分の家に泊め、同じようにして、もっと金持ちになろうとしたが、貧しくなってしまった…。

 

*「貧乏人と金持ち」

 

 三つ目はドイツのグリム童話の「貧乏人と金持ち」です。

 昔々、まだ神様が自身で地上を歩きまわっていた頃、ある晩、神様は自分の宿に着く前に日が暮れてしまった。道のそばに、二軒の家が向き合って立っていた。一方は大きくて立派な金持ちの男の家。もう一方は小さくみすぼらしい貧乏な男の家。

 神様は「金持ちなら負担になることもあるまい。今夜はあの家で泊まるとしよう」。神様がこつこつと戸をたたくと、金持ちの男は窓を開け、「なんの用か」とたずねる。「どうか、一晩だけ宿をおかしください」と答えると、粗末ななりをしているを見て、「だめだね、うちの部屋は薬草などでいっぱいだ。よそへ行ってくれ」と断った。

 神様は今度は向かい側の貧乏な男の家に行く。戸をたたくと、貧乏の男が戸を開け、「お入りください」と歓迎し、貧しいながらも精いっぱいのもてなしをした。翌朝、外に出た神様は「お前さ
んたちは情け深く、信心深いから、三つの望みをかなえてあげよう」と言い、古くてみすぼらしい家が、新しい大きない家になった。

 そのことを知った隣の金持ちは、急いで馬を走らせ、去って行こうとする神様を引き留め、自分のところにも泊まりに来るように、そして望みをかなえてくれるように、と執拗に願う。神様が承知してくれたので、喜んで家に戻ったが… 貧しくなってしまった。

 

 

*三つの共通点

 

 この3つの話は国は違いますが、内容はほぼ同じ、貧しい人と金持ちの話。貧しい人は、旅人への同情や憐れみから、自分の家に迎え、もてなす。喜んだ旅人は大きな報いを与える。それを見た金持ちは、「困った人を助けよう」という気持ちからではなく、「もっと豊かになりたい」という欲望から旅人を無理やり泊めようとする。貧しい人がしたことと、形だけは同じことをするが、惨めな結果になる-というパターンです。また、泊まる所が無くて困っている貧しい旅人が、実は神様だったという点も同じです。

 

 

*個々の文化を超えている神、人類普遍の民衆の神

 

 ではどういう神でしょうか。2つの日本の民話に出てくる神は、べつに神道教学に基づく神ではないし、グリム童話の神も、一応はキリスト教の神ですが、
この童話の元となった民話を語り継いだ民衆がキリスト教の教義や神学を知っていたわけではないでしょう。ラテン語を読めず、聖書を読む機会もなかったのですから。登場人物の貧しい人も、教義や神学をもとにした行動をとったわけではありません。ここに出てくる「神」は「世界の民衆に共通する憐れみの神」とでも言いましょうか。

日本でもドイツでも同じ話、同じ行動パターンに同じ結果があるということは、この世界を治めている「神」が、つきつめていけば、同じ存在だ、ということではないでしょうか。キリスト教の神、神道の神という区別は、文化的に頭の中で立てられたもの。『現代世界憲章』でも述べられているように人間は誰でも「神の像」に造られていますし、人間の中には「神からの種」「永遠性の種」があります。世界中で「苦しい時の神頼み」をしたことのない人はほぼいないのではないでしょうか。その時、どの神に祈るかと、いちいち考える人はいないでしょう。

 

*黄金律はシノダリティに通じる

 日本の民話でもドイツのでも貧しいほうは旅人を受け入れ、もてなした。「共に歩む、共に生きる」というシノダリティを無意識に実践しています。そして
その旅人が神であったというのは、マタイの福音書第25章「私の兄弟であるこの小さい者にしたのは、私にしてくれたことなのである」という言葉に合致し
ます。旅人が神とは知らずに、可哀想な人だと思って泊めました。実生活において、神への信仰は隣人愛(憐れみ)と分離できないのだと思います。イエスの言う「人にしてほしいと思うことを、あなたも人にしなさい。(これこそ律法と預言者である)」(マタイ7:12)という黄金律はユダヤだけでなく、どの文化にも共通するものです。なので、「聖書と伝統」だけでは足りず、人類に普遍的な、多文化共生的な視点でキリスト教を理解し、また教会を運営すること
が求められます。

*共通祭司職を中心にした教会へ

 現代まで教会が存続してきたのは、教義的なことを知らなくても、信仰を生きた民衆、大多数の一般信徒がいたからです。「信仰の感覚」を持つ信徒一人一人を重視し、神の民の声を聴くこと、また、これまでのように「教える人」と「教えられる人・学ぶ人」を厳密に分けないことは、当然のことです。したが
って教会の構造や運営も、共通祭司職を基本において再構築するべきではないでしょうか。

このように、これまでのヒエラルキー的教会の叙階に基づく「役務的祭司職」よりも、全信徒が持つ「共通祭司職」をもっと重視し掘り下げること、もっと信徒が活動できるようにすることが「シノダリティのためのシノドス」には求められていると思います。2023年10月のシノドス総会第一会期は参加者たちにとっては“シノダルな集会”だったのでしょうが、教区、国、大陸別の歩みを十分踏まえた「シノダリティのためのシノドス」と言えるのかどうか。

 例えば、第一会期の文書には「共通祭司職」という言葉は一つもないばかりか、それを警戒するような部分さえあります。今年10月の第二会期に至るこれからの歩みが、どのようになされるのか、注視して行きたいと思います。

     *文中の日本の民話は『日本の昔ばなし』岩波文庫全3巻に所収。

(西方の一司祭)

2023年12月30日

・Chris Kyogetuの宗教と文学⑨「ナボコフの『賜物』とマタイによる福音書25章」

 「つまり、引いていく潮のように、蝶たちは冬を越すため、南に向かうんだ。でも、もちろん、暖かいところに辿り着く前に、死んでしまう」(ウラジミール・ナボコフ「賜物」より)

 

   「賜物」というものを考えると、「持って生まれた才能」ということも意味するので、自分の人生を振り返る人は少なくはないと思う。「一体自分に、何が与えられていたのか」-それを敢えて前置きにしてしまうが、イエス降誕前より、個人の才能はギリシャ語で(Theodor)と神からの贈り物と考えられていた。ロシアという国の言語の歴史を辿ると元々は抽象的であり、聖書の「神は言葉と共にあった」を再現したように、聖書伝来と共にアルファベットが出来た国だと聞いた。ナボコフ自身、ロシア革命後に亡命し、「賜物」は彼にとって最後のロシア語で書かれた長編小説となった。

    この作品は、ナボコフの自伝ではないかと言われるが、本人は否定している。しかし、それだけこの小説はナボコフの人生、例えば亡命に限らず、蝶の専門家であったり、チェスプロブレムに費やしていたりと、類似点が多いようだ。

 主人公ヒョードルは作家への才能を「賜物」と信じている。母親も息子の才能を理解していて、行方知れずになった昆虫学者の「父」についての小説を書くように促されるが、彼は父を尊敬していたからこそ、父の伝記が世間の好奇な関心に晒されることを拒んだ。それで、彼は別の人物の伝記を書くことにした。リアリズムと夢想、幻想的な思索を行ったり来たりの作品だが、そこには昆虫学者の父親を追いかける思索の旅ともなる。

    作中で母国を失うということ、愛着を持たない住まいに対しての喪失感を「読者よ」と語りかけ、それはどんなことかをストレートに表現している。それが私には印象深い。

   「涙を流したり、感傷深くなるわけでもなく、魂の最良の一隅に置いて、命を吹き込んでやれなかっただけではなく、殆ど気にとめることもないまま、いま永遠に見捨てていく物たちへの憐みを感ずるのだ」彼の、無理して想像で愛そうとしない心や、悲劇を想像で補おうとしないその心が、うまく詩情へと変換され、より読者の想像力を掻き立てている。

    賜物については、マタイによる福音書25章の「タラトンのたとえ話」に書かれているが、よく説明されるのは「神が与えた才能」ということだ。才能の数は多いか、少ないのか、たとえ通貨一枚でも「価値」のあるものとしている。しかし、実際には聖職者でさえも、この話の続きをあまり触れることがないまま、「贈り物」と同義語のように単純に説明をしてしまうことが多い。

   まず、これは神からもらった「タラントン」、ではなくそもそも、『預かった』タラントン(財産)ということをまず覚えておかなければならない。増やせた人間は神から褒められたが、一枚しかもらってない人間が土に埋めたら、神は怒った。そして神は言われた。「誰でも持っている人はさらに耐えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。この役に立たない僕(しもべ)を外の暗闇に追い出せ。そこで泣き喚いて歯ぎしりするだろう」。

    この箇所は、非情と思われることが多く、「キリスト教」の神を嫌われる箇所でもあるみたいだが、この部分だけを見れば、仏教の「無常」ともよく似ている。尊師(釈迦)が死の床に入る前に、弟子たちに、「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」と、修行を続けることを言った。それから、侍者であるアーナンダに、「虚空のうちに在って地のことを想うている神々がいる」と語っている。

 イエスの「たとえ話」は壮大な神の知恵や教え、預言をまとめただけでなく、イエスの話を通すことで、父と子と聖霊を循環させると私は考えている。だからこそ、一度わからなくても、よく耳を済ませて、心を開いておく必要がある。タラントンは、神から「頂いた」ものではなく、いずれは返すものであるので増やさなければならないものだと。

    「タラントン」というのは、主人から預かっておきながら、直ぐに機転を効かせて増やした人もいれば、臆病になってしまって土に埋めたものがいるように、それが何なのか、本来は分かりにくいものなのかもしれない。特に、ナボコフの「賜物」のように目指すものが作家や詩人という「芸術家」については、最も例えやすいが、他者にとって難解な才能なのかもしれない。この話が簡単に説明できないように、祖国を失う運命ですらもそれは「ギフト」だったのか? それは終盤である五章の亡命後で、出版と愛がテーマとなっても隠喩めいている。

 

  亡命の感情というものは定点を持たない。私の祖父も、ロシア革命の亡命者だったそうだ。当然ながら、棄教もしている。葬儀は葬儀屋で仏教葬になった。生前、認知症になる前はルター版の聖書が気に入っていたので「プロテスタントでもいいかな」とは言っていたそうだ。そういう話と私の「信仰」は全く別の歯車として動いていた上に、「亡命者」というのは祖父の死後に聞かされた話だった。象牙の聖典(聖書だったかどうか不明)や、イコン画などは引き取り手があるとか、お金になるとかで、親戚同士で分けあった。それなのに我が家には回ってこなかった、と、その話は覚えている。特に欲しかったのは象牙のものだったが、私に見せたかった、と父親が話した。

    祖父は、意識がまだしっかりしている時にこうも言ったそうだ。「私達は、キリストの苦しみを背負うことを享受していた。けれども、それを利用される、もう懲り懲りだ」。

 その無常に対してどう思ったのか、想像し難いものだったので、言葉になったことはない。だからこそ作中の「涙を流したり、感傷深くなるわけでもなく、魂の最良の一隅に置いて、命を吹き込んでやれなかっただけではなく、殆ど気にとめることもないまま、いま永遠に見捨てていく物たちへの憐みを感ずるのだ」という箇所が特に、印象に残った。

    カトリックに入ると、そういった悲壮と無縁のように思えた。けれども、実態は「キリストの苦しみを背負うことに対して、利用される」その言葉が突き刺さるようなこともあった。私が「過去」に尊敬していた神父は、神はどんな罪も許してくれて、愛してくれると神の審判の代弁者のようだった。

 けれども、その人も不正があった上に、聖職者として失格な人だった。(教会法上)けれども、その人が言っていた「神の愛」だけは揺るがないものとして私に残り続けている。「ゴミ」のような存在だと思った日もあったが、私は破片を拾うことにする。それが、私の「経験」であるからだ。私は安易に、そう言った経験に「感謝」はしないし、苦しみを「ギフト」とは言わない。簡単に、神が与えた「試練」だとも言わない。そんなものは簡単に言ってはならない。だからこそ違うアプローチで語り直そうと思う。

    神から預かったもの、それは何なのか不確かで、直ぐに気持ちを幸せにしてくれるものだけではないのかもしれない。けれどもキリスト者は常に、「無常」のように思える現実でも、神から預かっているという意識を持ち続けなければならない。世に放り出された感覚であっても、イエスの譬え話は私達と神を繋ぐ通り道である。最後に、ロシア語で「賜物」Дар(ダール)は逆から読むと、paД(ラート)「嬉しい」と意味する。彼はこの書籍のタイトルを元々は、Да(ダー・Yes)としていたそうだ。それすらも、逆から読めばaД(アート・地獄)と、表裏一体が付き纏っている。

  神は与えることもあれば、奪うこともある。全て、人の叡智で語れないながらでも、私達は支え合って言葉を交わす。言葉にならないことでも、言葉にして。足りない言葉に添えるために、愛や涙がある。たとえば、自分の不幸や、大切な人の不幸に、そして、私ながらに… 私ながらに。私の言葉で、多くの不幸に閃きを与えることはできないが、本当に自分を奪えるのは「神」だけだと、そう思うことにしている。だから、まだ「残っている」。それは聖職者であっても、何人(なんびと)も完全には奪えない。世は魂の尊厳や全てを奪えないし、奪わせてはならない。

    臆病になってはならない、土に埋めてはならない。常に増やすことを意識すること。

    引用の詩のように辿り着けなかった蝶は、母国に帰れなかった。けれども、天の国へ、「それ」は返せたのかもしれない。天との繋がりが羽ばたきとなること、生命力。  それが強さになるのではないのではないだろうか。

(Chris Kyogetu)

2023年12月30日

・Sr.阿部のバンコク通信(84) 漫画で体験するイエスの福音のタイ語版の出版、クリスマスに間に合いました!

 クリスマスを前に、“ซุปเปอร์ฮีโร่ของฉัน” My Super Heroと題する漫画で体験するイエスの福音を、タイ語-英語訳で出版しました!

 サンパウロ出版、柴田千佳子作画「はるかなる風を超えて」1.2.3 の合本、458頁リボン付きA5版上製本です。

 日本の漫画が好きなタイの人々に、まさに「福音」です。タイ語と英語が同じ吹き出しに入っています。どちらかの言葉が分かれば、あるいは字が読めなくても、素敵なイエス様を漫画で楽しめます。老人ホームの神父さまが「入居者のおじいちゃん。おばあちゃんが奪い合って見てますよ」って… うれしいですね。作者からの「是非に」との希望で、柴田さんが描かれた日本聖書協会出版の中国語カラー刷り原画のタイ語版です。さらに魅力的にイエスの姿、福音が心に迫ります。

 少しでも安く頒布するために、校正中の試し刷り抱えて予約の注文取りに回りました。学校、教会、友人…を訪ねて”予約特価”

で交渉しました。そのかいあってか、4000冊余りの注文がとれ、姉妹の了解を得て7000冊印刷しました。

 本が出来上がりると、30年来の付き合いの印刷屋の社長さんが、用意した納品伝票を持って配達を引き受けてくれ、クリスマスの贈り物に間に合いました。出版の、小さな”生みの苦しみ”と祈りを込めて、捧げました。

 漫画は、巷のクリスマスセールから始まります。ケーキの大安売り「安い、買っていこうよ」「食べ切れないよ」「何でケーキ食べるの、誰の誕生日?」「キリストの誕生だよ」… 町中に、「吹き出し」の言葉の声が飛び交います。そこへイエスが、さっと登場。「ケーキを食べる前に、聞いて欲しい話がある」と、ご自分の誕生の誕生の出来事から、救い主としての生涯の物語を語られます。

 愛読者の皆さん、主のご降誕、おめでとうございます。今日も現実の私たちのこの世界に、救い主がお生まれになり、「神ともに在します」「私は世の終わりまで共にいる」。真理を実現してくださいます。

 漫画物語は現実の世界に戻り、イエスが私たちのそばに居てくださることを物語って、終わります。

 ”Gloria in excels Deo et in terra pax hominibus bonæ voluntatis.” 心よりの信仰告白を捧げ、世界中の人々を胸に祈ります。そして… Happy Birthday Jesus in your heart!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2023年12月21日

・「大きな光輝く星は… クリスマスに思うこと」(西方のある司祭)

 三人の博士が見た星は、どんな星だったのだろう。

 普通にはあるはずもないところに、大きな光り輝く星が、周りの星々を圧倒するような様子で輝いていたのだろう。それが「ユダヤ人の星」「メシアの星」である、と博士の心に、静かに、しかし力強く語りかける声を一人ではなく、同時に三人の博士が聴いたのだろう。

 「これは間違いない」と確信した三人は「この星の示す人が、自分たちの運命にも関わる大事な存在なのだ」となぜか知らないが、分かったので、誰ともなく、「さあ、出かけよう、拝みに行こう」と言い出した。砂漠の旅は楽ではなかったが、希望のほうが心を占めていたので、歩み続けることができた。

 エルサレムに着いて間もなく王宮でヘロデ王に会ったが、彼はそのことを理解していないし、星が示す場所はここではない、と知って、その場を後にした。外に出ると、夜でもないのに東方で見た星が輝き、「ついて来なさい」と言うかのように、彼らの先を進んでいく… 不安は消えて、喜びが三人に湧いてきた。

 そして間もなく、一軒の家を見つけ、中に入ってみると、幼子は母とともにいた。彼らはひれ伏して拝み、用意してきた宝の箱を贈り物として捧げた。そして幼子と母のやさしい眼差しを心におさめ、
長居はせず、別れの言葉を述べて 別の道を通って、帰っていった。それぞれの心に幼子の姿を思い出しながら…。

        ☆

 皆さま、主イエスの誕生おめでとうございます。一人ひとりの心に幼子イエスがとどまってくださいますように。

 “真砂(まさご)なす数なき星の其(そ)の中に吾(われ)に向かひて光る星あり“

 正岡子規の短歌ですが、この星は、皆さん一人ひとりを導く星でもあります。

(西方のある司祭)

2023年12月21日

・【森司教のことば/再掲】「極貧、独裁者、難民、虐殺、民族宗教などキーワードで キリスト誕生の物語を読み解く」

 クリスマスが近づくと、日本社会全体がクリスマス一色に染まってしまう。デパートや商店街には、イルミネーションが飾られ、街中にはジングルベルの軽やかな歌が流れ、人々は明るい気分に包み込まれる。

 しかし、それは、福音書が伝えるキリストの誕生の物語に込められている光とも異質のものであり、キリストがこの世界にもたらそうとしたメッセージとも無縁のものである。それは、キリストの誕生の場面を伝えるルカ福音書、マタイ福音書を丁寧に読んでみれば、明らかである。

*極貧

 ルカ福音書が伝えるキリストの誕生の物語には、天使たちや羊飼いたちが登場し、表面的には、心を和ませるような牧歌的な印象が与える。が、それに惑わされてはならない。というのは、天使たちや羊飼いたちが登場する前に、ルカ福音書は、「キリストが極貧の中に生まれた」ことを殊更に強調しているからである。

 注目すべきは、「宿屋には彼らが泊まる部屋がなかったからである」と記している点である。

 『泊まる部屋がなかった』理由として、客が多くて、どの宿も満室だったということも、考えられなくもないが、それよりも、私には、ヨゼフに泊まるためのお金がなかったから、とか、ヨゼフが人々の目にみすぼらしく映ったから、と思われるのである。もし、金銭的に余裕があれば、そして裕福そうにみられれば、部屋の一つや二つは融通してもらえたかもしれない。

 貧しい者が、店先や宿屋の入り口で軽んじられたり、拒まれたりしてしまうのは、今も昔も同じである。またそこから、人々の冷たさも伝わってくる。臨月を迎え、お腹が大きくなった女性を目のあたりにしても、誰も、便宜を図ろうとしなかったのである。部屋がなかったとしても、片隅にでも、休ませることぐらいは出来たはずである。

 貧しさ。そして人々の冷たさ。そこで、止むを得ず、マリアは、家畜小屋で、出産することになる。家畜小屋とは、羊飼いたちが風雨を避けるための避難所のようなものである。決して心地よい小屋ではない。キリストは、柔らかなベットではなく、飼い葉桶に寝かせられる。

 誰もが、貧しさには目を背け、貧しさから抜け出そうと、必死である。貧者には哀れみの目を向けることがあっても、貧者に助けを求め、貧者に頼ろうとする者は、一人もいない。

 貧しさの極みの中で生まれた赤子が、人類の希望となるとは、常識的は理解できないことである。その非常識に目を向けるように呼びかけたのが、天使たちなのである。

 羊飼いたちは、天使たちの呼びかけを受けて、キリストの誕生の場に駆けつけていく。彼らが、何を感じとったか、記されていない。しかし、何かを感じとったに違ない。

 天使たちの呼びかけは、私たちへの呼びかけでもある。飼い葉桶に横たわるキリストには、人々を引き寄せる権力も富もなく、きらびやかなイルミネーションもない。しかし、そこに全人類を支え照らす光と力が満ちあふれているのである。

 極貧の中に誕生したキリストに出会うためには、私たちも裸になる必要がある。自らの心の奥に入り、自らを裸にし、自ら貧しい存在であるということを見極めることである。実に、キリストは、貧しさの中に誕生しているからである。私たちに求められるのは、私たちが普段囚われてしまっている常識的な価値観の転換である。

 

*独裁者

 マタイ福音書の2章は、ルカとは異なって、独裁者ヘロデが権力を奮う社会の中でのキリストの誕生を語る。

 ヘロデは、ローマ皇帝の保護のもとにユダヤの王となった人物である。当然、ユダヤの人々には人気がなく、嫌われている。その上、猜疑心が強く、自分の息子たちが王座を狙っていると疑って、その母親たちと支援者たちを容赦なく虐殺してしまった過去のある、残虐な男である。そんな男の治世にキリストは誕生するのである。

 そんなヘロデのもとに東方から占星術師たちが訪ねてきて、『ユダヤの王は、どこに生まれしたか』と尋ねる。それは、ヘロデの前では、決して口にしてはならない言葉であったが、それは東方からの訪問者たちには分からない。不安に駆り立てられたヘロデは、禍根を残さないため、その地域一帯の二歳以下の幼子たちを殺してしまう。単なる政敵や反対者を虐殺するのではなく、無邪気な、罪のない赤子たちの命を奪ってしまうのだから、ヘロデの猜疑心は、異常ともいえる。

 ヘロデに限らず、自らの権力・地位の安定を求めて、邪魔な存在を抹殺する独裁者は、いつの時代にも、見られることである。思うがままに権力を奮う独裁者を通り過ぎていくところには、必ず踏みにじられたり命を奪われたりして、苦しみの叫びをあげたり、悲しみの涙を流したりする無力な「小さな人々」が現れる。

 我が子を殺された親たちは、当然、傷つき、悲しみ、叫ぶ。マタイは、その悲しみがどんなに深いものか、エレミヤ書を引用して証言する。

 『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない。子供たちがもういないから』(マタイ福音書2章18節)

 創世記も、兄のカインが弟アベルを殺した出来事を語りながら、強者によって人生を狂わされ、命を奪われていく弱者の無念さ、叫びを、次のように記している。

 「主は言われた。『お前の弟の血が、土の中から私に向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を口を開けて飲み込んだ土よりも、なお呪われる』」(創世記4章10節)

 強者によって弱者が踏みにじられ、その人生が翻弄され、その果てに命まで奪われてしまうという悲しい現実は、人類が誕生して以来、途絶えることなく、連綿と続いてきている。アベルも幼子たちも、その弱者の系列に属するのである。

 実に、この世界は、弱者たちが流す涙に溢れ、その流す血で真っ黒に汚されてしまっている、と言っても過言ではない。

 福音書は、キリストは、実にそうした幼子と親たちの苦しみ、悲しみ、叫びを背負って、その生涯の歩みを始めたことを、私たちに伝えているのである。

*難民

 独裁者の支配する所には、難民が生じる。その暴威・圧政に堪らなくなって故郷を捨て、異国の地に逃れていく人々である。

 ヨゼフとマリアも、ヘロデの手を逃れて、エジプトに逃れていく。幼いイエスを抱えてのエジプトまでの旅は、難儀だったはずである。その途中には、荒野がある。水や食べ物の確保も、身を横たえる場を見いだすことも、容易ではなかったはずである。

 ヘロデの手を逃れてエジプトを目指すヨゼフとマリアの姿は、現代世界のシリア、アフガニスタン、リビアなどなどの難民たちの惨めな姿に重なってくる。

 血も涙もない残酷な独裁者の手から、我が身、そして家族を守るためとはいえ、住み慣れた世界を捨てていくことは、不安だらけの決断である。すぐに住まいが見つかり、職が見つかり、生活が落ち着く保証はない。また言語・風習・伝統・文化・宗教が異なる人々からのプレッシャーが待っている。そこでの生活は、日現地の人々の蔑みの目に晒され、軽蔑されたり差別されたりする、屈辱的な日々になる。

 キリストの生涯には、惨めな生活を覚悟の上で、住み慣れたふるさとを捨てて屈辱的な人生を歩まざるをえない難民たちのDNAが刻まれているはずである。

*キリストの真実

 福音書が伝える救い主としてのキリストの誕生の物語には、人々を魅惑し、引き寄せ、鼓舞するようなスローガンを掲げて人々の前に立つ政治家たちにような華やかさはなく、剣をとって立ち上がり、不正と戦うと群衆を煽るヒーローたちの過激さはみられない。

 イザヤ書が「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない」(イザヤ53の2)と語っているように、常識の目で見れば『弱者の系列につながる』弱さであり『小ささ』である。実に極貧の中で生まれ、難民となった家族の中で成人し、指導者たちに煽られた群衆たちによって十字架の上で生を終えるキリストの生涯は、『弱者の系列』『小さい者の系列』に徹していたのである。

 しかし、そこにキリストの力、魅力が潜んでいるのである、つまり、人々との連帯である。

 ヘブライ人の手紙の著者も、次のように記す。

 「彼は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです。」(ヘブライ人の手紙4章15節) 「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることが出来るのです」(同5の2) 「事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(同2章18節)

 繰り返すようで恐縮だが、キリストの魅力、力は、富で権力でもなく、人々との連帯にある。自ら、重荷と労苦を負って生きざるをえない人々の中に飛び込み、人々のもがき、苦しみ、悲しみに共振しながら、その重荷と労苦に心を寄せながら生きることに、生涯徹したことにある。

 キリストが誕生してから、二千余年、多くの人々がキリストに引き寄せられた理由も、そこにある。

(2017.12.25記)

*森一弘(もり・かずひろ)師=1938年10月12日、神奈川県横浜市で生まれる。栄光学園高校在学中に洗礼を受け、1959年に男子カルメル修道会に入会。1962年ローマ・カルメル会国際神学院に留学し、1967年3月、ローマで司祭叙階1968年、同学院を修了して帰国、東京・上野毛の男子カルメル会修道院で生活しつつ、カトリック上野毛教会で司牧。その後、東京大司教区の教区司祭となり、1981年4月から関口教会の主任司祭を務め、1985年2月に司教叙階、東京大司教区補佐司教となる。司牧と福音宣教に努める傍ら、聖書研究に精励し数多くの著書を執筆。1993年から2000年までカトリック中央協議会事務局担当司教。2000年5月に補佐司教を退き、2021年6月まで真生会館理事長を務め、執筆・黙想指導などを続け、亡くなる直前まで同会館の講座を担当していた。2023年9月2日、東京逓信病院で帰天。享年84歳。生前の希望により、遺体は献体され、葬儀・告別式ミサの後、献体の受け入れ機関へ運ばれた。

・・・森司教は「カトリック・あい」の事実上の生みの親でもあり、創刊から1年余りにわたってコラムを担当してくださった。その内容には、今も日本のカトリック教会の信徒、司祭、司教にとって、十分に傾聴に値する言葉が多く含まれている。今月以降、コラム「森司教のことば」の中から、とくに現在の私たちに学ぶことの多い、あるいは警鐘となるものを選んで再掲していく。

2023年12月11日

・ガブリエルの信仰見聞思 ㉟聖母マリアの待降節(アドヴェント)の足跡をたどる

毎年、待降節(アドヴェント)第4主日に、教会は福音朗読の中で聖母マリアに焦点を 当てるようにしています―ルカ福音書1章26-38節(B年、本典礼年度)、同1章39-45節(C年)、マタイ福音書 1章18-24節(A年、聖ヨセフも登場)。教会はこのようにするのは、単に聖母マリアが主イエスの誕生と生涯において明らかに忘れられない役割を果たしたからではなく、主の降誕祭(クリスマス)が近づくにつれてマリア様が私たちの待降節をどのように生きるべきかの模範であるからだ、と思います。
待降節は、主イエスの降誕を祝うためだけでなく、主イエスの再臨を待ち望み、準備する季節です。この期待に満ちた希望の期間の中心には、主イエスの母マリアがおられます。そして、彼女の信仰、信頼、従順の旅路は、待降節が私たち一人一人に呼びかける霊的な準備を映し出しながら、導く助けとなると思います。

*聖母マリアの信仰を具現化すること

   マリア様はある意味で待降節の擬人化であり、待降節の本質を具現化していると思います。彼女の揺るぎない信仰と神様の御心に対する開かれた姿勢は、この典礼季節に私が行うべきことの模範となります。御父なる神様は、マリアが御子の母としてふさわしい者となるよう、その生涯の最初の瞬間(無原罪の御宿り)から備えておられたのです。マリアはイスラエルの忠実な娘たちと同じように、幼少期を通じてメシアの来臨を祈り続けていました。

 彼女はまだ若い少女の頃、ご自分がその祈りに対する神様の答えの一部であることを発見しましたが、それはどのヘブライ人の少女の祈りよりもはるかに超えていたものでしたーメシアは彼女の息子になるだけでなく、その息子もまた、神様の子でもあるというのです!

  「お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ福音書1章38節)というマリア様の応答は、いつも私の心に響きます。神様様のご計画をそのような信仰と謙虚さをもって喜んで受け入れようとする彼女の姿勢は、私たちの人生において神様の呼びかけにどのように応えるべきかを考えるよう促すものだと思います。同様に、待降節は私たちに、神様の御心を受け入れるマリア様に倣い、この季節は外的な準備だけではなく、私たちの心を準備することを思い出させてくれます。

*信仰深い待ち望みの旅路

 お告げから主イエスの誕生までのマリア様の旅路は、信仰深く待ち望むことの深淵な例だと思います。待降節を通じて、私たちは神様の約束に対するマリア様の忍耐強い信頼を思い出させられます。この待ち望む期間は受動的なものではなく、むしろ私たちの信仰との積極的な関わりを伴うものです。

 マリア様が受肉の神秘を思い巡らしたように(「マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた」、ルカ福音書2章19節)、私たちもまた、観想的に主を待ち望むことの大切さを思い起こし、その受肉の奥深い神秘を思い巡らすように招かれています。

*謙遜と信頼を受け入れること

 待降節はまた、マリア様が体現されたように、謙遜と信頼の美徳を受け入れる時期でもあると思います。彼女の生涯は深い謙遜を反映しており、誇張や抵抗をすることなく神様の御計画における自分の役割を受け入れました。不確実性や潜在的な困難に直面しても、神様の御約束を信じました。「マリアの歌」(ルカ福音1章46-55節)に見られるように、マリア様が主を崇め、神様の御前で自分の小さい存在を認める彼女の模範は、私たちにとって力強いものであり、私たちは神様の恵みと導きに依存していることを認識し、謙遜と神への信頼を受け入れるよう求められているのだと思います。

*マリア様の「はい」と私たちの応答

 神様の呼びかけに対するマリア様の「はい、お言葉どおりになりますように」という応答は、待降節の礎だと思います。それは、神様のご計画の一部となり、予期せぬことや奇跡的なことを受け入れようとする意志を表しています。マリア様の模範に触発されながら、私たちは毎年の待降節に、神様に対する自分自身の「はい」ということの大切さを思い出させられます。これは、神様が私たちの生活で働きかけてくださるかもしれない予期せぬことに対して、心を開き、自分の意志を神様の御心とよりよく一致させるにはどうすれば良いか、を熟考し、神様の御心に従うことで生じる課題や喜びを受け入れる準備をすることを意味することだ、と思います。

*霊的成長の時期

 待降節は、マリア様のご経験を通じて、霊的な成長と刷新の力強い時期となります。信仰、信頼、従順というマリア様の美徳を振り返り、それらを自分の生活に取り入れる時期だと思います。主イエス・キリストのご降誕を祝う準備をすると同時に、私たちはキリストを新たに受け入れる心の準備も整えます。

 マリア様の旅路は、待降節がただ待つだけの期間ではなく、私たち自身の信仰の旅路を変容させ、深化させる時期であることを常に思い出させてくれるのだと思います。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

2023年12月10日

・愛ある船旅への幻想曲 ㉞待降節にー「若者たちが『喜びにあふれた主役』になる教会」とは程遠い現実

 待降節に入った。今の季節、夕暮れ時は家々の灯りが、たいそう愛おしく感じる。夕焼け空はオレンジ色のコントラストで彩られ一日の終わりを祝福してくれる。そこに神はおられる。

 しかし、激しい紛争を経験する国々に、このような夕暮れの平安はないのだろう。人間の残酷さがエスカレートし、『人命の尊重』は忘れ去られ、美しい自然は悲しみ色に染まる。そこに神はおられるのかと問い、祈り続けて一日を終えるに違いない。

 11月26日「世界青年の日」にイスラエルとパレスチナの間で停戦が実現し、人質の一部が解放されたことを教皇フランシスコは、神に感謝された。そして、若者たちに、「あなたがたは世界の現在と未来です。教会活動で『喜びにあふれた主役』となるように」と励まされた。(「カトリック・あい」より)

 先日、若者たちと詩篇を分かち合っていた時、「人間って、何なんでしょう」と質問があった。人としての自分の在り方が、上司や年長者たちから理解されず、自分の中で何もかもがストレスとなり、仕事も手につかない状態になってしまう、と言う。「今まで自分が出会った人の口は正しいことを語らなかった」と、ダビデの詩に思いを馳せる彼である。

 自分の受けた苦しみを共有できる聖書の箇所に出会い、飾りのない感想を語る。今、彼にとって聖書は救いであり、彼の代弁者でもある。いつの世であれ、生きている限り、人は同じような苦しみを経験することを、神は教えてくださる。

 彼は、高校時代からキリスト教に興味を持ち、プロテスタント教会にも足を運んでいたそうだが、なるべくしてカトリック信徒になった、という。キリスト教への憧れもあったのだろうが、癒しを求めて教会を訪れたことも事実である。キリストとの出会いに喜びを感じ、精神的にも弱い自分を信仰によって強めていこう、と思った若者の一人であろう。

 そのカトリック教会は、今、社会にだけでなく、教会内でもさまざまな不安や疑問の声が錯綜している。「教会とは何なのか」-まずは聖職者と修道者に伺いたい。余りにも次から次へと不祥事が明るみに出、「どういうこと?」と信徒として、訳が分からないことばかりが相次いで起きる。

 挙げ句の果てに、ある司祭からは「今の教会は、信徒の至らなさが原因だ」と説教台から一方的に非難される始末。ミサにあずかり、福音説教から糧を得て、祝福の喜びを感じ、派遣されようとする信徒を、見事に裏切り、見当違いの”説教”を聞かされ、その挙句に、「嫌なら教会にも来なくていい」と言い放つ司祭さえもいる。

 教皇フランシスコは「司祭は教会の一部でしかありません。私たち皆が教会です」(2014年6月18日の一般謁見で)と言われ、「祈らず、神の言葉に耳を傾けず、毎日ミサをささげず、定期的に赦しの秘跡を受けない司教も、司祭も、やがてイエスとの一致も失い、教会の役に立たない凡庸な者、となるのです」(2014年3月26日の一般謁見で)と注意されている。

 このような教皇の言葉をどれほどの聖職者が聴き、真剣に受け止めているのだろうか。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2023年12月1日

・Chris Kyogetuの宗教と文学⑧「私の聖家族ー太宰治『パンドラの匣』から」

 献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。太宰治:「パンドラの匣」

 よく飼っている猫のことを小説にしたら?と言われるけれども、それが「まだ」できない。と言うのは、あまりにも可愛く、愛おしくて、語彙力が低下してしまうからだった。何もかも全てが愛おしいのだ。我が家にいる猫のアダムは4歳で、0歳の頃から一緒にいるので4年、一緒にいる。

 私自身が2018年に事故があり、それから長い療養生活に入ったけれども2019年に、立ち直ろうとも出来ず、何もかも気力がなくなってしまって、ほとんど、太宰治か、もしくはゴッホと同じような心境になっていた。

 そのような心境になった時の彼らと、年齢が近かったせいかもしれない。人生で派手に奪われたことが3度あったが、これが3度目だった。もう3度目となると、若い頃のように強くもなれなかった。むしろ、もう世界中から嫌われて、未練なく消えたい、いや。でも感謝している人もいるのでどうしようか-そんなことに取り憑かれていたようだった。確実だったことは、「希望」が何もなかった。

 そんな最中で立ち寄った場所で白目をむいて眠っている子猫がいた。「あの子、大丈夫ですか?」と係の人を呼んだら、「眠っているだけだから、大丈夫ですよ」と言って見せてくれた。猫には瞼が二重にあることを私は初めて知った。ぱっちり目を開けた時に、この子は綺麗な青い目をしていた。それはまるで天の国を知っているような純粋な存在に見え、初めて会ったのに、初めてではない存在に思えて、惹き込まれてしまった。それが今の「アダム」だった。今まで動物なんか飼えないと思っていたけれども、何かを愛そうとすることは何らかの治療の入り口に建てたのかもしれない。

 この場合、ただ、愛するだけではなく、尽くさなければならないのは、決まっていた。自分一人で生活をするのなら、別に困らない食生活や、部屋の清潔度も自分だけのことだったので、非常に、今思えば、だらしがないものだった。それが愛おしい存在のための「責任」が伴うと、そうではない。もしも、まだ青春や人生を謳歌していないという不満があるのなら、これらの責任は窮屈になるかもしれないことだが、私の場合は、それが窮屈になるということはなく、むしろ楽しくなった。それが救いにすら思えた。苦しいのは精神なのか肉体なのか、両方悪かったので、悪循環を辿って下り坂だった私に、漸く転機が訪れたのだ。

 2020年頃は、ある病気で免疫力が下がっていたようで、指に膿が溜まることが度々あった。当時はパソコンで文章を書くのも痛かった。足も頻繁につる。物事を抽象的なことを考えようとすると、頭が捩れたように痛かった。心臓の薬か、心因性か、辛い以前に、自分の身の上で何が起きているのか分からなかった。入眠も思うようにいかず、動悸を激しくするような悪夢を見て起きる。何が悪いから今の状況なのか、分からなくなった。コロナでアルコールが全部売り切れたので、香水で指の消毒をした。ピンクの香水は青い色素があるので、手が青くなった。アルコールがずっと在庫切れ、段々と痛々しい指になってしまったが、そんな中でもアダムだけは育てていった。

 このご時世、迂闊に一部分だけを語ると「病気の癖に、ペットを飼うな」などと言われそうなところだが、そういうことを「公に」アピールさえしなければいい。全てがSNSや、誰かにウケるためだけにあるわけでもなく、アダムに関してはシャッターチャンスや企画力を考えずに、ただ共に暮らしていた。 私の回復は、アダムとの出会いがきっかけで、始まった。部屋を綺麗にする、アダムへのご飯を必ず、水を交換する、定期検診、長毛種なので念入りなブラッシング、爪切り、お風呂、(もしくは美容院)そして次は私自身も治さなければならない。自動であげられる餌やり機を当時は拒んでしまった。どうしても自分の手であげたかった。

 なので、夜中起こされることがあっても、私は愛情を注ぐことが重要だと思った。本来「定時にご飯をあげること」が望ましいもので、私のように欲しかったらあげるというのは躾としては賛否両論だが、人間が様々な育て方があり、合う合わないがあるように、私はあの子の「声」を信じた。家に来たとき、自分で水を飲もうとしないので、私が母猫のように四つん這いになって水を飲んだら、飲むようになった。舌はザラザラしていて、初めて舐めてくれた時、とても幸せになれた。

 「ペットの気持ち」などを特集している記事があると毎回読んでしまう。猫にとっての好きだという仕草なんかが当てはまれば、最高に嬉しい。あの子の「寂しい」を受け入れなければならないし、あの子が過剰に依存になれば辛くなるので、躾けるときは躾ける。この子はちゃんと分かってくれる時は分かってくれる、ダイエットだって頑張って適正体重になってくれた。私の子は賢いと信じている。

 体や心で「愛している」と伝えることで毎日が精一杯で、疲れていて意識を失いそうになっても、愛している、と言っていた。「生まれてきてくれて、ありがとう」と、あの子の姿を見るたびに言ってしまう。4年間、毎日のように言っている。本当に世の中が嫌なニュースばかりな時、それでも、この子が生まれてきた、ということだけで、頑張れる気がする。いつしか何処で人生を間違えたのか、という問いすら消えたのは、アダムに会えるのは私一人だからだ。その運命の地点に辿り着けるのは、私一人なのだ。だから、あの時の不幸も、あの時の嫌なことも全て、通り道だったと思える。「見る」べきことは降りかかる出来事だけではなく「意志」も見つけることだと、そう思う。

 太宰治の「パンドラの匣」は、血を吐いていたのを隠していた「ひばり」が終戦をきっかけに「健康道場」という療養施設に入るところから始まる。そこで、「君」という詩人に手紙を書いていた。新しい新人の看護師の「竹ちゃん」が美人だと皆が騒ぐが、ひばりは、マア坊という看護師の方が気になっていると書いていた。ただこの話は太宰治の特徴である恋愛模様だけではなかった。

 まず、「健康道場」とは何なのか。それは定かにはなっていない。サナトリウムともまた違い「道場」というだけあって「やっとるか」という掛け声があり、皆、「あだ名」で呼ばれる。そして、誰か一人、死んでいくのを見送る。その場所は、外に出られるのか、それとも死を待つ場所なのか、読者は分からない。竹ちゃんの結婚をきっかけに、「ひばり」は、マア坊ではなく竹ちゃんが好きだった事実が発覚する。それでも、竹ちゃんの幸せを願って最後は冒頭部分の「献身」についてのことが書かれてある。

 タイトルとなっている「パンドラの箱」とは、ギリシャ神話の話で、プロメテウスが登場する。プロメテウスはシモーヌ・ヴェイユも「イエス」的な立ち位置として、キリスト教観前の思索として登場する。プロメテウスは人間を愛したこと、そしてゼウスの命令に背いて「火」を与えたことに彼女は感じていたことがあったようだ。プロメテウスはゼウスに殺される前に、弟のエピメテウスに火を与えた後のこと全てを託した。ゼウスはプロメテウスを処分した後に、エピメテウスに「パンドラの箱」を渡した。エペメテウスは、言いつけを破り、箱を開けてしまうと病気、憎悪、妬み、悪意などの「人間の様々な悪」が飛び散ってしまった。それでも、一つだけ残っていたものがあった。それが「希望」であり、プロメテウスが残したものだった。

 太宰も作中にこのように書いている「正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々に依よっても規定せられている事実だ」

 太宰の文章が特段に好きだというわけではないが、私はあまり日本人の作家を知らないところがあるので、話すとしたら誰が良いだろうか、と思って太宰治を選んだ。太宰治が好きだという読者は他の文豪の愛読者よりも、太宰が「クズの作家」として認知されているせいか、張り合う「知性」が無いせいか、人柄が温厚だなと選んだところがある。

 見習うべき点とか、尊敬する点として太宰を見るのではなく、ネタとして弄るところに親しみが湧きやすい。作者自身、弱さやクズさを、よく理解している。それは、自覚という点では多いに彼は正直ではないだろうか。希望にも欺かれるが、絶望にも欺かれる、というのは、既に戦後と吐血という時点で、パンドラの匣は開いていたのだろう。社会から遮断された中で適切な治療というものが何なのか、上半身裸になって寒風摩擦をすることなのか、具体的な治療法が分からないまま、それでも「希望」となったものは、主人公にとって恋愛を通過点とし、恋に敗れた相手への幸せを願うこと、「献身」への気づきだったように思う。

 天へ通じる道はイエスを通るが、そのイエスを通る際にも色んな事がある。狭き門に入るために、どれほど私たちは小さくならなければならないのだろうか。例えば、カトリックの様々な問題を考えると、何も進んでいないと思うこともあれば、それでも誠意を尽くそうとしている人たちもいる。そのことも忘れてはならないが、絶望と希望は表裏一体なのかもしれない。深い絶望があっても、常に希望はあるのだと思う。もしかしたら、今、見えない存在に気づくことがあるのかもしれない。

 2019年に、自分の絶望の裏には、アダムが生まれていた、という「希望」を知った。太宰の最期のように、作品で生きる糧のような良い言葉が思いついたとしても、一大決心がついたとしても、その気づきが一切が過ぎていくように、すぐにでも考えが変わってしまうこともあるのかもしれない。それでも、絶対に変わらない、変えられないものもあったりする。それが信仰であって欲しいものであるし、それが私のアダムへの愛情であって欲しいとも思う。

 今年の夏に、奇跡的に検査結果が異常なしになった。指に膿が溜まるのも気づいたら治っていて、アルコールが品切れになったことですら忘れていた。変な健康詐欺だと思われたくないので、これ以上は掘り下げないけれども、アダムがいなかったら、辛い食事制限や自制ができなかったのかもしれない。

 苦しい上に、治療で、またさらに苦しいことが待っていた。それでも、逃げた先には何もなかったことも知っている。人生で初めて逃げてしまいたかった数年間の償いは、終わったのだろうか。それは兎も角、アダムは、綺麗な青い目に、ピンクの鼻に、とても温かい。どうしてこんな綺麗な子が私の目の前にいるのだろう、と思う。何がなんても、この子と共にすると決めている。

 降誕祭に向けて、今月はそのように変わらない「愛情」について考えることにしたいと思う。これが私の聖家族。

(Chris Kyogetu)

2023年11月30日

“シノドスの道”に思う ⑥第16回総会第一会期の総括文書を『カトリック・あい』試訳で読む

 10月に約一か月かけて行われた世界代表司教会議(シノドス)第16回総会第一会期の総括文書を読んでの第一印象は、地方段階、大陸段階の報告が人々の切実な思いが伝えられるものだったのに対して、上から目線の、教えようとする、やはり、これまで通りの”司教文書”だ、ということでした。

 それでも、この文書を3回、メモを取りながら読み返していくと、慣れてきて、下からの声を教会運営に反映させよう、具体化のための審議や研究を継続しよう、という意志が込められている、と思うようになりました。文中にもあるように、これは最終文書ではなく、「今後の識別に役立てるための道具」ですが、これをステップにして次の第2会期が持たれるのですから、丁寧に読む価値はありそうです。

*表面的には逆ピラミッドの教会にみえるが・・・

 「シノドス的教会の歩みは、神が第3千年期に期待しておられる歩みです」(教皇フランシスコ)。この言葉に始まった”シノドスの道”、共に歩む教会、第2千年期のヒエラルキーとは異なる逆ピラミッド型の教会という「下からの教会」、それを援助する組織構造に変わっていかなければならない(補完性の原理に従って!)、それが神の意思であると教皇も言い、われわれも希望を持ちたいが、今回の総括文書に、これからの教会が「下からの教会」、「逆ピラミッド」に変わりそうな気配はあるだろうか。

 とりあえず、第2部は「全員が弟子、全員が宣教者」という見出しで始まり、教会の構成員全体を述べたものなので、ここを見ていきます。全体は、8「教会は宣教(使命、派遣)」である」、9「教会の生活と宣教における女性」、10「奉献生活、信徒団体、信徒運動:カリスマ的しるし」、11「シノダルな教会における助祭と司祭」、12「教会の交わりにおける司教」、13「司教団体制におけ
るローマ司教」となっており、記述の順序は逆ピラミッドになっています。内容はどうでしょうか。地方教会のトップである「司教」の項を見てみましょう。

*司教の働きと権限は何か

 まず、12「教会の交わりにおける司教」の<一致した意見>のうちa,b,cを見てみます。 地方教会における、そして全体教会との関係の中での司教の働きと権限が述べられているからです。
aについて; 司教は使徒たちの後継者として「交わり」の奉仕に当たる存在であるとし、地方教会では教区民、司祭団、修道者などとの交わりの、そして他の司教たちやローマ司教との交わりの奉仕に当たるとする。

*言葉だけの<シノダル>にみえる

 bについて; 司教は福音宣教と典礼祭儀の責任、キリスト者共同体を導き、貧しい人々の司牧ケアをし、各種各様のカリスマと役務を識別し調整する仕事を持つ。特に新しい点はない。「一致の見える原理」が司教だと言うが、要するに司教自身の考えで全体が調和するように決めるということ。
「この役務はシノダルな仕方で実行される。すなわち統治が共同責任によって担われ、信仰深い神の民に聴くことによって教えを説き、謙虚さと回心によって聖化と祭儀執行がなされる時、シノダルな仕方といえるのである」 教会憲章20項などで、司教は統治、教え、祭儀の3つの権能(権力)を持つというのは周知の事実で、新しいことではない。なぜ「シノダルな仕方」と言えるのでしょうか?

 「共同責任によって担われ」は司祭団と一緒に、あるいは教区の司牧評議会などの諮問を経て、といったこれまでの組織の働きを念頭に置いているようです。また「神の民に聴くことによって」教えを説くという。どこで聴くのでしょうか。その機会をどこに設けるのでしょうか。法的、制度的な裏付けもなく、曖昧です。そして「謙虚さと回心によって」ミサその他の典礼祭儀を行なうこと、それらが「シノダルな仕方」なのだと言う。

 このシノドス参加メンバーは本気で言っているのでしょうが、典礼に心を込めることがシノダリティとは言えないでしょう。もっと信徒が能動的に参加できるように、典礼のあり方を変革することがシノダルな教会になるということではないでしょうか。

*「すべての人々」=信徒はどこにいるか?

 cについて; 次に「司教は地方教会で、シノダルな過程を生かし活性化していくという不可欠の役目を持っている」とし、「<すべての人々の、幾人かの、一人の>間の相互性を促進しながら・・・全信徒の参加、及び、より直接に識別と決定の過程に関わる幾人かの貢献を重んじることによって」とあるが、全信徒はどこでどのように参加するのでしょうか?また「幾人か」というのは、教区の司祭評議会や司牧評議会などでしょうが、主たるメンバーは司祭であり一般信徒はわずかな人数にとどまるのが実情でしょう。

 以上の内容で「シノダルな過程を活かして」いることになるのでしょうか。「シノダルな過程」は文章の単なる装飾句、読者を惑わす言葉にしか思えないのですが。

*ヒエラルキーの下のシノダリティにすぎない

 そして最後の一文「司教自らが採用するシノダルなアプローチ(取り組み方)と、彼が行使する権威の様式は、司祭と助祭、男女の一般信徒と奉献生活者がどのようにシノダルな過程に参加するかに決定的に影響するだろう。司教は全員のためのシノダリティの範例として召されている」 要するに、どのようなやり方がシノダルなのか、また教区民に提供されるシノダルな方法がどのようなものなのかは司教が決めるというのです。

 規範は司教にあるということです。これでシノダリティと言えるのでしょうか。これまで幾つかのシノドスに関する基本的な文書にあった中世の伝統「すべての人に関係することは、みんなで決められるべきだ」という原則は忘れられているように思われます。

*司教の考え次第で決まる

以上、12「教会の交わりにおける司教」のa,b,cを見てきましたが、大略すると、シノダリティの内容、従って定義も、司教の考えに沿って決まっていきそうな気がします。またこれまでの体制を変えることなく(ヒエラルキーの権力もそのままで)、ただシノダリティの精神をもって司教は教区を運営していく、ということらしい。自ら進んでシノダルにしていこう、と取り組む司教がいればの話になりそうです。ボッカルディ前教皇大使の言葉「教会位階こそが神の民の中に身を置き、すべての信者の声に耳を傾けながら、信者の一人として生きていくよう招かれているのです」がむなしく響いてきます。

*神の意思を知るには<民の声>に重点をおくべき

 第1部 2 f は三位一体の中の交わりと派遣から神の民のあり方を導きだそうとしていると筆者(西方の一司祭)は思います。父なる神の意思を知るためには「まず、聖書に記されている神の言葉に耳を傾けること、伝統と教会の教導職を受け入れること、そして時代のしるしを預言的に読み取ることの関係を、明確にする必要があります」と。伝統と教導職を受け入れることと言うのは上から目線であり、少し違和感を感じないでしょうか。

 これとほぼ同じことを前にも紹介しましたヘルダー社刊特集号にThomas Söding(*)が論じていますので簡略に紹介しますと—頂点に立つ一人の人がすべてを決める<ピラミッド>のイメージではなく、ガリラヤ湖で漁師が打つ<網>のイメージで考える。考えるべき幾つかの観点はそれぞれ孤立して存在しているわけではなく、緊密に関係し合う全体の複数の接合点のようなものである。

 第一に、神の言葉である聖書。旧約から新約へ歴史的に動的に発展している。私たちの解釈も時代に応じて発展する余地があるだろう。

 第二に伝統(伝承)。これも硬化したものではなく生命で満たされなければならない。Overbeck司教(*)の言葉によると「伝統」は動的な概念で、その核心において信仰の生ける伝達を持っ
ている。

 第三に「時のしるし」。元々はマタイによる福音書第16章3節にある言葉ですが、第二バチカン公会議文書の数か所に見えます。重要なことは「時のしるし」は教会の外でも「聖霊のしるし」としてあり得るという点です。

 そして第四に、「神の民の直観と声」です。これが忘れられかけているのではと危惧されます。神の民は「信仰の感覚」をもって真実を求め、うめいています。Vox populi vox dei(民の声は神の声)という格言をシノドス参加司教さん方はもっと重く受けとめるべきではないでしょうか。

 そして最後五番目に教導職Magisteriumと神学がきます。教導職の役割は信仰の単純かつ人を解放する真理を証言し、教会の素朴なメンバーに仕えることです。多様性が活かされるように「ローマのシノドス事務局が『自分たちは地方教会をシノダリティの創造で支援します』と言ったのは良いことである」とフランク・ロンジ(*)も言っていました。

 すべての人の中に「神からの種」は蒔かれています(『現代世界憲章』3)から、文化内に受肉した神学が求められていると思います。こういう訳で、シノドス参加司教さん方はもっと「民の声」をしっかり聴いて受け止めることが大切ではないでしょうか。そもそも司教中心の会議というのが、もう古すぎるのではあり、信徒も半分入れるべきでしょう。司教シノドスから神の民全員のシノドスに変化しなければならないと思われます。

 今回の総括文書、希望を持てる点も幾つかあると思いますが、今回は課題が残る点を述べました。

 注*Thomas Södingはボーフム大学新約学教授で国際神学委員会のメンバー(2004~2014)、またドイツカトリック者中央委員会の議長。フランク・ロンジはドイツ司教協議会で教義と教育部門のトップ、またドイツシノドスの道で事務局を指導する。 https://www.synodalerweg.de参照
*Overbeck司教については10月29日付けドイツ司教協議会のプレスリリース参照。第一会期終了直後に数名の参加司教と共に感想を寄せている。

 (西方の一司祭)

2023年11月30日

・神さまからの贈り物 ⑤「 『思いやり』のプレゼントは、何よりも嬉しい」

 12月で思い出すのは、学校でクリスマスの準備をしたことです。クリスマスを「ケーキを食べる日」だと勘違いしていた私が、その前から心や行動を捧げる期間として過ごす体験ができたのは、学校での行事があったからでした。それ以外にも、聖劇を演じる生徒がいたり、『しずけき』を全校生徒で歌ったり、とミッション系の学校ならではの懐かしい思い出がいっぱいです。

  もうすぐクリスマスという頃、私は生徒会の仕事として下校ギリギリまで校内冊子の編集をしていました。当時、生徒会の副会長だったので、前期も経験のある自分がいろんな責任を負わなければならないと気負いすぎていました。その頃の私は体調を崩していて、授業はほぼすべて欠席していました。けれども、「生徒会の仕事には穴を開けられない」と感じ、役員たちには相談していませんでした。

  校内冊子の原稿締め切り日当日、連絡がうまくいかず、同学年の他の役員の私以外の全員が現場にいませんでした。想定外のトラブルも多発し、私はひとりでみじめな気持ちで原稿を集めていました。下校時間を過ぎてしまうと、私の学校はその日の放課後の活動をするための書類を出す必要がありましたが、それを書く余裕もありませんでした。

  巡回に来た先生が、私の様子を見て優しく声をかけました。「こんなに遅くまで、ひとりでどうしましたか?」 私はその時、涙を目にいっぱいためて堪えようとしたのは覚えていますが、耐えられたかどうかまでは覚えていません。

 その時の私は、欠席した他の役員たちとはもう一緒に仕事をしたくない、と思いました。けれども、後日、思わぬことが起きました。役員の中の1人が、わざわざ私のクラスまでやって来て、ドアの向こうから「まいちゃーん!」と私を呼びました。うっすらアイラインを引いた彼女でした。「クラスのみんなから聞いた。ずっと体調不良で授業休んでるって。どうしたの?大丈夫?」

 まさか心配してくれるとは、と驚きと安堵でいっぱいでした。 彼女は外見も内面も華やかで明るく、私とは違うタイプの人だと思っていました。だから、仲良くなれるかずっと不安に思っていました。でも仲良くなりたい気持ちはありました。私の方が彼女たちに対して小さな偏見を持ち、自分から壁を作っていたと気づきました。

  それをきっかけに、ゆっくりと変化が生まれました。透明のマスカラをつけた役員は、勉強の遅れた私に化学のノートを貸してくれました。色つきのリップをしていた役員は、最も大変な作業の切手の貼り直しの作業を私の分までやってくれました。とても嬉しい「思いやり」のクリスマスプレゼントでした。

 「彼女たちに、お化粧を教わりたかったなぁ」と、今の私なら言えるけれども、当時の私には難しかったです。でも、そうやって、年を重ねるごとに素直に自由になっていきたいです。

 Merry Christmas!そして、よい年の瀬をお過ごしください。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2023年11月28日

・Sr.阿部のバンコク通信  (83)タイの名産「突っ掛け」と、タイ語版「マンガ聖書物語」の話

  「突っ掛けスリッパね、タイの輸出に値する代物だよ」。

 10年ほど前、タイをこよなく愛する友人宅を訪ねた折、玄関に並べた突っ掛け(足の爪先のほうをひっかけるようにして履く手軽な履物)を指さして、「安くて丈夫、激安セールでまとめて買ったの」と挨拶代わりの第一声。タイ人の履き物で目立つのは突っ掛け。この国に来て間もない頃、正式な場でも履いている人を普通に見かけて、ちょっと意外に感じました。お土産に突っ掛け、色もデザインも鮮やかで、どれにしたらいいか戸惑うほど、様々な突っ掛け。常夏の国、年中暑いタイの風土は”突っ掛け天国”なのです。

 「突っ掛け」の友人の家を訪ねたのは、講談社の社長さんへの紹介状を書いてもらうためでした。文庫『マンガ聖書物語』のタイ語翻訳出版を是非、実現したいと考えていた矢先の、幸せな摂理の出会いでした。友人は紹介状を書いてくれた上に、メールでも連絡してくれ、帰省の折に、東京の見上げるほど立派なビルの講談社本社に出向きました、途中で道に迷い、遅刻して…。

 「ただと言うわけにはいきませんよ」と言われて、「もちろんです」と。私の話を丁寧に聴いてくださり、国際室の担当者を呼んで、タイ語版の出版の話をまとめていただきました。作者の了解も得て、契約を交わし、出版の運びになったのです。版権使用料を払い、バンコクに帰って、日本漫画専門のタイ語翻訳者に翻訳を依頼し、編集作業を始めました。

 世界の漫画界では日本が第一人者、日本の法規定が国際標準であることも知りました。タイ国では、日本のマンガが最高の人気で、日本の漫画専門の出版社もあります。翻訳者もその出版社のベテランで、親友の友人。源氏物語のマンガなども手がけていて、仏教徒ですが、聖書を参考にしながら見事に翻訳してくれました。

 横書きなので左開きにするため、ページごとに原画をスキャンして裏返し、日本語の吹き出し文字を消してタイ語を入れるのですが、縦書きから横書きで、吹き出しの大きさが合わず、いろいろ工夫しながら学び、賢くなりました。ある日、体の中に稲妻が走りびっくり、右手が使えず左手で作業していましたが… 帯状疱疹で万事休止の事態。出版期限を延ばしていただき、完成しました。

 タイ語版『マンガ聖書物語』は旧約3巻、新約2巻セットで、各巻5000部。バンコクのブックフェアでも人気を呼び、大手の本屋さんも扱ってくれるようになりました。

 多くの友人たちとの関わり、助けで開けた小径(こみち)を「突っ掛け」を履いて歩く女の子の私を、摂理の御手が導いてくださったのです。タイ語版『マンガ聖書物語』は、この国中に広がり、読まれ、人々の、特に子供たちと若者の”ご馳走”になることができました。Deo Gratias!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2023年11月8日

・Chris Kyogetuの宗教と文学  ⑦ジェーン・エアによる詩篇23章(メタファーについて)

 私は主の家に住もう 日の続く限り(詩篇23章6節)

 小説には色んな思惑が仕込まれている。作り話と見せかけて、社会性や著者の実話が根底として垣間見えることがある。表現や創造した世界は。数学者でもない作家が、––読者を騙し抜いて「天才数学者」を書くことが出来るのか––要するに著者自身の知覚を超えられるのか、ということだが、これは文学でも永遠の議論なのかもしれない。

 「アナリーゼ(日本語では『楽曲分析』)」というものがあるが、そこまでもいかずに単なる直感で、これは著者の実話じゃないのかな、と感じるところがある。

 例えば、アンデルセンの「雪の女王」の屋根裏部屋の植木鉢に植えられている薔薇の話があった。アンデルセンはデンマークなので、イギリスの庭文化と比較はできないが、大体、西洋圏は庭に花を育てるが、「屋根裏」というところで狭さ、貧しさが、綿密な描写によって現れていた。非常に丁寧にアンデルセンはその描写していた。実際に、彼の日記を読んでみると、アンデルセンの実家の母親が屋根裏の鉢に「野菜」を育てていたのがモデルで、それを彼の童話は「薔薇」にしたのだ。これはアンデルセンの「優しい感性」だったのではないかと思う。

 次に実話の根底が見えたのはジェーン・エアの親友、ヘレンがチフスで亡くなるシーンだった。これは映画でも、美しく撮影されている。(シャーロット・ゲンズブール主演版、ミア・ワシコウスカ主演版)まずは、原作でもここに至るまで綿密な自然描写が施されている。イギリスの庭は生活圏にある自然で、「主人の顔」とも言われているが、これは、バルザックの「セラフィタ」のように登山で行く遠くの自然とは違う、また違う描写なのだ。それにはバルザック自身、登山が趣味だったことも表れている。

 「ジェーン・エア」では、実際に著者の姉、二人が肺結核で亡くなっていることを元にしている。「ジェーン・エア」はシャーロット・ブロンテの作品で、当時、女性の作家は売れないだろう、と中性的な名前で売られていたことで有名である。ジェーンは両親を失い、親戚に引き取られたが、酷い扱いを受けるようになった。そして厄介払いのように、ジェーンを孤児院に引き取らせる。そこは宗教的抑圧が酷く、現代で言えば「虐待」とも言えるところだった。

 19世紀当時のイギリスは「孤児」の人権が著しく低く、その問題を題材に扱っている作品は、イギリス作品で他にも存在する。有名なのはディケンズの「オリバーツイスト」やバーネットの「小公女」「秘密の花園」である。

 ジェーンの学校でチフスが流行っていて、学校でも学級閉鎖のようになっていた。そしてジェーンの親友ヘレンもチフスを患い、隔離された。ヘレンは信心深く、ジェーンは忍び込んで声をひそめて彼女と最期の会話をする。

 ”Are you going somewhere, Helen? Are you going home?(あなたはどこへ行くというの?あなたのお家?)”

 ”Yes; to my long home — my last home(そうよ、私の遠い家よ、私の行き着く先よ)”

 「私の遠い家」、これは詩篇23章の「神の家」のことだろう。詩篇23章について、ベネディクト16世の解説が良かったので引用する。

 「詩編作者がいうとおり、神は詩編作者を『青草の原』、『憩いの水』へと導きます。そこではすべてが満ちあふれ、豊かに与えられます。主が羊飼いなら、欠乏と死の場所である荒れ野にいても、根本的ないのちが存在することを確信できます。そして、『何も欠けることがない』ということができます。実際、羊飼いは羊の群れを心にかけ、自分の歩調と必要を羊に合わせます。彼は羊たちとともに歩み、生活します。自分が必要とすることではなく、羊の群れが必要とすることに注意を払いながら、『正しい』道、すなわち彼らにふさわしいところへと導きます。自分の群れの安全が羊飼いの第一の目的であり、この目的に従って彼は群れを導くのです」。

 ジェーン・エアに話は戻るが、彼女の親友ヘレンも、この酷い経営の孤児院で、どんな目に遭っていたか、どんな苦難を知っているのかのかも表れている。ジェーンも自分もあなたのところへ行ったら会えるかと尋ねると、親友はこのように返した。

 ”You will come to the same region of happiness: be received by the same mighty, universal Parent, no doubt, dear Jane(あなたは同じ幸福に行くことができるのよ、それは力強い、私たちの両親の元に。ジェーン、大好きよ)” と、彼女は答えたが、これはルカによる福音書23章42、43節にあった。

 イエスが処刑される時に、他に二人の囚人がいた。一人はイエスを罵ったが、もう一人はイエスに「イエスよ、あなたが御国へ行かれる時は、私を思い出してください」。囚人は「自分は天の国に行けないのだろう」とあきらめていたのだ。だがイエスは、「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」と答えられた。

 ヘレンの台詞はこの影響を受けているのだとは思う。

 メタファーについて、日本語での「比喩」とメタファーについて、単純に英訳の「metaphor」とは訳せないものがある。日本語では「薔薇のように綺麗だ」という比喩と、文脈や背景、真理まで汲み取るメタファーがある。例えば、「彼は獅子のように勇敢だ」という日本語の比喩表現を英語にすると、「He is brave like a lion」となるが、「He is a lion」とすると、日本語でいうメタファーと言える。聖書でもこのように後者の比喩とメタファーは存在する。

 神は「光」、「岩」に例えられるが、これらはいずれも、「置換」ではなく、英語で言えば「like~(のようだ)」とは違う。比喩は、言葉や表現を使って何かを暗示するが、広く受け入れられ定着するとともに、「魚」といえばイエスだ、という「象徴」ともなる。(それはまるで、聖霊が魅せるペルソナのようである)

 小説と、聖書という異なる物を照らし合わせるときに、たとえ詩篇の23章を扱っていたとしても、全く別の書物として直接的な対応関係は無い。私の文学性は、文学とは「聖書の下」だと思っているし、小説家は、特にキリスト教作家になるのであれば、作家の感性は、神の「道具」だとも思っている。

 宗教から離れ、自由表現が認められる中で、何故、このような選択肢を取ったのかについては、今回は割愛させてもらうが、文学表現は、メタファーによって、聖書との対応性、そして関連性を持たせるのである。「ジェーン・エア」でのジェーンとヘレンの二人は、神の家を巡ってこの世での最期の会話と自覚している。ヘレンにとっての「羊飼い」は、自分自身のことだったのかもしれない。彼女は神のみを見ていたわけでは無いのかもしれない。そこに彼女が「自己中心的」でなかったことも、表れている。ヘレンが死の淵でジェーンに「神の家」に行く、ということを語る際、幼くして、先に行く者として、彼女は大切な親友のために、そうなろうとした。

 私の解釈になるが、彼女たちの一喜一憂や言葉が、全部が聖書の影響だ、と言い切ってしまうのもまた、「つまらない」のかもしれない。何故、聖書の言葉を使うのか。何故、影響を受けているか、そこまでメタファーを拾う必要があるのか、その疑問は、まずイエスがゴルゴタの十字架上で亡くなる時に叫ばれた(マルコ福音書15章34節)とされる「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)は、詩篇の22章2節を使っているところから説明すると、言いやすい。

 物語と聖書はメタファーによって包括されている状態ではあるが、別々の存在であって設計図のように正確に因果関係が決められているわけではない。メタファーはプロパガンダにも使われた過去があるほど横暴な解釈もあるので、全てを肯定できるわけではないが、何故、この言葉が出てくるのか? と考えるときに、感性や感情というものがどういう経路で湧いてくるのか、明確に全部の説明ができないが、とてもその人を「愛している」とき、何がその人を最善に喜ばせられるのか、その上で、そのような言葉が出てくるのではないのかと思う。

 もっとも、「主」を愛している、という証しとして、人を愛することは難しい。人には苦難の中で、感情や言葉が歪むことがある。それでも主に見せられる心で、人を愛することがどれほど重要なのか、信仰を持つものは知っていなければならない。

 聖書と文学、それは信仰を透過し、学者が必要とする根拠をすり抜けながら、「魂」が表出する。ジェーンが朝起きると、親友は旅立っていた。朝を迎えた者と、旅立った者、世界が再び見えた者と、そうでない者。ジェーンは勝手に忍び込んでも、大人たちに怒られなかった。それよりも彼女の存在を無視して、ヘレンの遺体の処理で騒がしかった。まるで映像技術がこの当時からあったように、このシーンは大人たちの言葉がかき消されている。

 孤児院は衛生面や虐待の多くの隠蔽で忙しくて、悲しむ暇がなく、風景に溶け込んでいく。死んだ親友に魂があったこと、それを知っているのは、ジェーンだけだった。その重さに気づけるかどうか。メタファーの行き先は「神の家」かどうか、読者に委ねられている。

 ベネディクト16世の285回目の一般謁見講話はhttps://www.cbcj.catholic.jp/2011/10/05/8346/

(詩篇23章1‐6節)

主は私の羊飼い。私は乏しいことがない。

主は私を緑の野に伏させ  憩いの汀に伴われる。

主は私の魂を生き返らせ  御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。

たとえ死の陰の谷を歩むとも  私は災いを恐れない。

あなたは私と共におられ  あなたの鞭と杖が私を慰める。

私を苦しめる者の前で  あなたは私に食卓を整えられる。

私の頭に油を注ぎ 私の杯を満たされる。

命ある限り 恵みと慈しみが私を追う。

私は主の家に住もう 日の続くかぎり

(Chris Kyogetu=聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)

2023年10月31日

・神様からの贈り物 ④「もう一度、誰かの『守護の天使』になりたい」

  今年初めに、高校の恩師から葉書が届いた。校長先生だったシスターが昨年末亡くなった、とのことだった。葉書には「最後にシスターと話したのはいつでしたか?私が話したのは、電話であなたのことでした」とあった。その文章が目に入った瞬間、どっと涙があふれた。

  2017年末から2018年にかけて、私は怒涛の月日を過ごしていた。暴力、裏切り、辱しめ、それらに対する怒りを、ここでひとつひとつ説明するのは苦しすぎる。雪崩のように不幸がやってきた。やがて私は「自分に生きる価値はない。世界には、私に生きてほしいと思っている人はいない」と思い込むようになった。

  生きる気力を失った私は、シスターにすべてを正直に知らせた。私が高校を離れる時、「神の家族だと思っています」—そう言葉をかけてくれたことを思い出したからだ。

  シスターからはすぐに返事が来て、その日から、私のために毎晩ロザリオを一環捧げます、と約束してくださった。私は、そのことに感謝する余裕もなく、ただ涙を流しながら、布団の中でロザリオを握りしめていた。自分の命が逃げていかないように、ぎゅっとつかんで離さないようにしていた。

  祈りの輪は広がった。仏教、バハイ教、その他決まった信仰を持たない人なども含め、宗教を超えた人たちが私のために『主の祈り』を唱えてくれた。その数は、私の把握している数以上になるだろう。

  2019年12月、母校でシスターと共にクリスマスを祝った。聖体拝領の時には、「私は脚が悪いのでエスコートしてほしい」とお願いした。その日、シスターは周囲に、私のことを「彼女は私の『守護の天使』なの」と紹介してくれた。とても光栄なことだった。「誰からも必要とされていない」と感じていた私にとって、素晴らしい役割を与えられた幸福を、噛み締めた。あの日の気持ちを思い出すと、今でも胸がいっぱいになる。

  2023年秋、手紙を整理していたら、シスターからの最後のクリスマスカードを見つけた。母校のマリア像が印刷されていたカードには「麻衣さんが、今、あなたを理解する人々に囲まれ、穏やかに過ごしている様子が分かり、とても安心しています」という言葉があった。今もお守りのようにその葉書を持ち歩いている。

  改めて思うことがある。「もう一度、誰かの『守護の天使』になりたい」。そして、誰かに「私の守護の天使」になってほしい。そうやって、愛し愛されたい。神さまが私にそうしてくださったように。

  いつか天国でシスターと再会した時に「あなたのおかげで頑張れました!」と胸を張ってお礼が言えるように、今日を大切に生きていく、と決めている。

(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)

2023年10月31日

・ 愛ある船旅への幻想曲 ㉝「教会が堕落すれば、キリストに近づく道を人々に閉ざすことになる」

 今年の夏は、ほとんどの人が暑さに辟易とされたのではないだろうか。私も体調不良と戦う日々であった。「ようやく涼しくなった」と言いたいところだが、私の場合は「急に寒くなった」と言いたい。合服の出番なく、冬服が自分の存在を、私にアピールするのである。

 今、社会生活での温度差はどうだろう。庶民の私たちの知る術もない理由から絶対にあってはならない戦争が始まる。独占欲の塊となったトップたちに正統性はなくなり、対立は長期化し、かけがえのない命を勝手に奪われていく国々の姿を私たちは知っている。日本で住む私たちにとっても遠い国の問題ではないはずだが、自分にはどうする事もできない問題だとたかを括り日々の報道にさえも興味を示さない人々がなんと多いことか。

 とはいえ、世界中には平和を訴える団体が多々存在する。それらの団体の中には疑問視せざるを得ない組織体制がある事も否めない事実なのだが、彼らは断固として「平和運動を行なっている」と自負するのである。そして、それはまかり通る。過去の日本に於いても、表面上は平和を掲げながら実際は、二枚舌を持つ政治家のふるまいがあったとかなかったとか。会心の笑みで全世界に向かって平気で嘘をつかれては困るのである。しかし、日本人は、自国への評価が下がる問題にさえ、深く真相を知ろうともせずに、都合よく騙されてしまう、いや、騙されたふりができる国民性を併せ持っているのかもしれない。

 今、日本のカトリック教会は平和をどう説くのだろう、と思ってしまう。「平和」とは、ただ戦争がない状態だけではなく、他者との間で積極的に互いを尊重し、いたわり合いながら生きていくことを、聖書は教えている、と私は思っている。だが、今回のカトリック大阪高松大司教区設立への流れは”平和的”だったのだろうか。

 バチカンからの正式な文書がない状態で、信徒への通達文書は作成され、突然にバチカンから大阪と高松の合併が発表されたような内容だった。設立式で読まれた大勅書には「前高松教区長・諏訪榮治郎司教の願いを受けた前田枢機卿の要請を教皇フランシスコが受け入れた」と記されていた。これが真実であろう。一部の信徒たちの推論は正しかったわけだ。

 司教たちの事前相談と事前協議は数年前から行われ、聖職者自らがシノドスを無視する白々しさから密約を交わし、さも降って湧いたような合併劇を演出し、信徒を翻弄させ、服従のみを強いる間違った位階制度の在り方を見せつけた。同時に経過報告も反省も謝罪もない司教の退任劇がYouTubeで流れ、ここまでやられては脱帽であり、「たいしたこと」だ。そして、権力の横行を支える聖職者たちの姿を見ながら、ソクラテスの「不知の自覚(注:自分が常識的な知識すらない状態であることを認めて、自覚すること)」を思い起し、こんな茶番には付き合えないと思った私である。

 だが、当日の設立式に参加している信者らの拍手は、これからの大司教区を共に歩もうとする純粋な心からの祝福だろう。カトリック教会に対してなんの疑いもなく、「全て正しい」と思う信者たちだろう。

 それを見た聖職者たちの喜色満面の笑顔は何なんだったのだろう。信徒の意見を聞かなかった教会、今回の合併劇がそれを物語っているというのに、だ。イエスが涙を流された聖書箇所を、聖職者そして教会運営に携わる信徒には、是非とも思い出していただきたい。そして、先日亡くなられた森司教と教皇の次の言葉を、私たちと共に、かみしめて欲しい。

 「もし、教会が堕落すれば、キリストに近づく道を、人々に閉ざすことにもなるのです。キリスト信者という名をかたる者が、倫理的に堕落していたり、おかしなふるまいをすれば、一般の人々は、そこに近づくことを避けてしまいます。過去の歴史の中で、教会は幾度も、こうした過ちを繰り返し、キリストの期待を裏切り、人々につまづきを与えてきました。過去の教皇、司教、司祭あるいは信者たちの心ない言動が、救いを求める人々とキリストとの出会いの障害となった事実を否定することはできないでしょう」(森一弘著(新しいカトリック入門)「続・愛とゆるしと祈りと」第一部 教会について)

 「真実、神は、全能者は、ご自分を誰かに擁護してもらう必要はなく、人々を恐れおののかせるためにご自分の名が使われることを、望んではおられません」(2019.2.04 教皇フランシスコ・『世界平和のための人類の兄弟愛』に関する共同宣言)

(西の憂うるパヴァーヌ)

2023年10月31日

・“シノドスの道”に思う ⑤シノドスの進むべき方向をドイツの視点から考える・その1

 今回は、ドイツのシノドスの歩みから見て何が考えられるか、を見てみたいと思います。明治以降、ドイツは日本のカトリック・プロテスタント双方の教会にとって教師の位置にありました。そのドイツのカトリック教会はどのように進もうとしているのか。

 

*ドイツのカトリック教会の現状

 まず手短にドイツの現状を見てみます。1991年、ドイツのキリスト教人口(カトリックとプロテスタント合わせて)は、総人口の71%でしたが、2020年には53.2%になり、2021年には総人口の半数以下になりました。ある統計研究部門のサイトによると、2000年は12万人がカトリック教会から脱会、2010年は14万人、2014年は17万人、2016年は16万人、2019年は22万人、2021年は38万人、2022年は52万人脱会しています。

 ドイツ・シノドス文書(2022年2月)の中に「2019年だけでも50万人以上が、二つの主要なキリスト教会のどちらかの会員であることを止めた。272771人がカトリック教会を去った。教会を去る人の数は1990年以降倍加した。そしてこの傾向は続いている」とあります。二つとはカトリックと福音主義プロテスタント教会のことです。「去る」「脱会」とは教会に行かないだけでなく、公的に教会税(所得税の8~9%)を払わないことをも意味します。

*ドイツの「シノドスの道」の始まり

 ドイツが自主的に始めたシノドスの名称は「シノドスの道」と言います。この取り組みのきっかけは性的虐待問題でした。2018年に、聖職者による性的虐待と教会当局による隠ぺいの原因等を司教たちの委託を受けて各専門家が研究した『MHG研究』の出版。これに基づいて、危機打開のためには自由で公開の討論が必要であると司教協議会総会で認められ、「シノドスの道」は始まりました。

 2019年12月に始まり、2020年に第1回目のシノドス集会。それが続けられていって2022年9月に第4回シノドス集会。2023年も第5回目が少しずつ開催されています。この取り組みは2つの団体すなわちドイツ司教協議会と一般信徒組織である「ドイツカトリック者中央委員会(ZdK)」との共同作業として行なわれています。両者は2019年にそれぞれの総会で両者に共通する「シノドスの道」の規約を作って共に歩むことを決めました。なお、この歩みは、ローマ主導の第16回世界シノドスに参加しながら、並行してなされています。

*ドイツの「シノドスの道」の構成

 さて「シノドスの道」は4つの会合から成ります。1,シノドス集会、2,シノドス委員会、3,拡大シノドス委員会、4,シノドス・フォーラム。以下、簡略して紹介します。「シノドス集会」の構成員は、司教協議会のメンバー(約100名)とZdK69名、修道会から    10名、教区司祭会議の代表27名、15名の若者、それぞれ10名以下の男女その他から成る。合計約230名。シノドス集会が最高の会合であり、様々な決議(決定)を行なう。メンバーは等しい投票権を持つ。

 「シノドス委員会」は、教区司教(司教協議会の議長・副議長を含む)27名、ZdKから議長・副議長を含む27名、両者から選ばれた20名から成る。フォーラムの構成、及び 集会等で議論されるテーマシノドス・フォーラムは、以下に述べる4つの課題を議論するための4つのフォーラムであり、シノドス集会から選ばれた約30名。フォーラムにおいても皆平等の投票権を持つ。ここで討議後、集会に上げる。ドイツカトリック者中央委員会ZdKは一般信徒の組織である。ZdKについては次回、もう少し詳しく説明します。

 フォーラムや集会は次の4つのテーマを扱う—①力(権力)と力(権力)の分散―宣教への共同参画と参入について ②今日における司祭の存在(司祭的存在)について ③教会における女性の奉仕と役務について ④継続する関係における生活―セクシャリティとパートナーシップにおける生ける愛について

なぜこの4つなのか。2023年3月11日のシノドス集会で決議された序文から紹介しますと、性的虐待問題は個人的な罪過というだけでなく、教会の組織的・構造的なところからも生じていると考えられるからです。上長である責任者たちは、そのような組織や構造を容認し、守ってきたし、今もそれが続いている。福音を曖昧にしてしまう諸問題に、私たちは気付いた、と。

 それは、霊的・司牧的な関係の中での虐待、聖職者主義と不適格による権力の乱用、また女性を無視し、また男か女かのどちらかでなければならない、という教会の教えは、現実の人々の性の多様性を正しく受け止めてこなかったこと、つまり性的アイデンティティを正しく受容・評価しなかったことに起因していると判断した。そこからドイツの「シノドスの道」は取り組むべき4つのテーマを決めたのであると。

*集会での決定(決議文)の通過について

 シノドス集会は審議結果の最終的決定のため決議案を可決する。少なくともメンバーの3分の2が出席していれば、それは定足数を持つ。出席メンバーの3分の2(そのうちに司教協議会の出席メンバーの3分の2を含む)の賛成で決議案は可決する。
シノドス集会で可決した決議案はそれ自体としては法的効果を持っていない。法的効力を持つためには、司教協議会と個別教区司教の権威が法的規範を発布し、それぞれの権限の範囲内で教導権を行使することが必要である。以上、「シノドスの道」の概略です。司教も信徒も危機感を共有するところからスタートし、諸会合において、審議から決議文ができるまでは、聖職者も一般信徒も平等の権利を持って参加しています。<利害関係者(ステークホルダー)は誰でも十全な投票権を持って参加しない限り、連帯は生まれない>(フランツ・ヨゼフ・ボーデ司教)。「共に」の精神が、信徒も聖職者と平等の「一票の権利」によって真に生かされていると言えます。
ヒエラルキー的な「上から」の権威行使は最後の認可・発行の時のみです。しかしいずれ法的効力を持つことさえも司教と一般信徒の共同権限でという具合に、いずれ教会法も改訂されていくことを私たちは期待したい。

 

 

*第一のテーマについて第3シノドス集会からの抜粋

〇教会の権力構造、法的組織の改革は、法の支配に則った自由民主的な社会に適合す る形でなされる必要がある。人権を基礎に置いた民主的社会の標準を満たした上で、神のみ旨を探るべきである。

〇民主的な社会は自由と全人民の平等という尊厳の観念に基礎をおいている。すべての人に影響する決定は、皆で共になされなければならない。人類のこの認識は、人間は神の像に造られ、自由と責任を持っているという聖書の記述に基づいている(創世記1:26~28)。民主制の中に教会も組み込まれるべきである inculturation into democracy

〇現行の教会法では司教の権力は一元的な構造、一方的な支配関係になっている。しかし教会法第129条第2項に「信徒は、法の規定に従って、この権限の行使に協力することができる」とある。信徒の参加により透明性が増し、権力の制御も可能となる。立法、行政(執行)、司法(裁き)の分立のためにももっと信徒が統治等に加わるべきである。あらゆる面で信徒の能動的な「参加の権利」を具体的に規定し、明文化することが重要である。

〇第二バチカン公会議の「教会憲章」と同様に教会法も、洗礼に基づいて信者は真に平等であると語っている(第208条)。教会の権力の組織化においても、このことは認められ効力を持たねばならない。つまり参加の平等と、ミッションのための責任分担において。また権力の分散に関しては、まず役務者・奉仕者の行動を法律で効果的に縛る(限定する)ことである。また権力の監視を要求するのは、役務者・奉仕者の行動によって影響を受ける人々である。従って、人々には監視のための効果的な手段が付与されるべきである。

〇現行の教会法では、司教だけがシノドス(教会会議)において意思決定の権利を持っているが、この制限は克服されねばならない。司教の司牧的役務者としてのリーダーシップを否定することなしに、であるが。教会のシノダリティは司教の団体性以上のものである。

 以上、2022年2月と9月の第3及び第4シノドス集会における第1のテーマについてのみ、少し紹介しました。その進め方にしても、テーマの掘り下げ方にしても日本の教会とは隔世の感があると思います。ドイツは、シノダリティを推し進めないと、教会の明日はないという意識を持っていると感じますが、いかがでしょうか。 *https://www.synodalerweg.deによる。

(西方の一司祭)

2023年10月31日