♰「教会は小さくても、命を守り、共感と慈しみの福音を宣言し、日々、主を証しせよ」-司教たちに

教皇フランシスコ、日本の司教との集い ローマ教皇庁大使館 2019年11月23日教皇フランシスコ、日本の司教との集い ローマ教皇庁大使館 2019年11月23日 

 出会いでは、日本司教協議会会長で長崎教区長の高見三明大司教の歓迎の挨拶に続いて、教皇は日本に着かれて初めての公式の言葉を述べられた。

 その中で教皇はまず、日本を訪れた恵みに喜びを表され、日本の全カトリック共同体に挨拶をおくられるとともに、新しい天皇陛下の御即位と令和の年の始まりにあたって、日本のすべての人々に挨拶と祈りの言葉を述べられた。

*希望に燃えた種蒔き、殉教者のあかし、実りを待つ忍耐・・日本文化と共存した宣教

 続いて、教皇は、若いころから抱いていた日本への共感と愛着について語られ、聖フランシスコ・ザビエルに始まる日本の宣教の歴史、聖パウロ三木と同志殉教者、また福者高山右近ら、先人たちが命を捧げた信仰の証し、潜伏キリシタンの存在などを振り返られた。

 そして「希望に燃えた種蒔き、殉教者のあかし、実りを待つ忍耐」を「日本の文化と共存した宣教方法を特徴づけてきたもの」として指摘され、同時に「異文化の受容と対話を願い求める姿勢」を日本の教会の特徴として指摘。

*日本の教会は少数派でも、福音宣教の熱意を覚ますな

 さらに、今回の訪日テーマである「すべてのいのちを守るため」に触れて、「『すべてのいのちを守る』とは、第一に、愛の籠った寛大な目をもって神から委ねられた民すべての命を愛すること、そして何よりも、この民を、神から受けた賜物として認めることにほかなりません」と強調された。

 そして、「日本の教会は小さく、少数派であっても、それが福音宣教の熱意を冷ますことのないように」と司教たちを諭され、「生活を通した証しと、諸宗教の伝統との対話の重要性」を説かれた。また外国人労働者への温かい受け入れが「社会に福音を証しするだけでなく、開かれた教会の証明ともなるでしょう」と話された。

*世界の平和と正義の緊急課題に率直な発信を

 また、教会は、「今日の世界が抱える平和と正義の緊急課題について、率直に発言することができます」と司教たちに自覚を促された。

 24日の長崎と広島の訪問では、「原爆犠牲者のために祈り、核兵器廃絶に対する日本の教会の『預言的な呼びかけと声』を共にしたい」と抱負を語られ、現代の悲劇として東日本大震災に見舞われた方々の

*苦しむ人を助け、希望の福音を伝え、魂にとどき、寄り添うこと

 「苦しみを思い、心身に苦しみを抱える人を助け、希望や癒し、和解の福音を伝えること」をキリスト者の義務として示されるとともに、先日の大型台風の犠牲者と被災者のために祈られた。

 また教皇は、日本の教会が社会において、特に教育事業を通して証しと貢献に努めるよう促され、今日の日本社会に顕著な「孤独、絶望、自殺、いじめなどの現実」を「命を脅かす問題」とされて、特に若者たちに司牧的な配慮をするように希望された。

 関連して、「収穫は多いが、働き手が少ない」というイエスの言葉を引用しつつ、「家庭を巻き込むことのできる宣教、様々な場所に生きる人々の魂にとどくような、寄り添う使徒職のあり方、またそのための育成に努めるよう求められた。

(編集「カトリック・あい」=見出しも)

Pope to Japanese bishops: witness to the Gospel and protect life

(2019.11.23 Vatican News  Robin Gomes)

 In his first meeting in Japan, Pope Francis encourages Japan’s tiny Catholic community to witness daily to the Lord by protecting life and proclaiming the Gospel of compassion and mercy.

 Hardly an hour after his arrival in Tokyo from Bangkok, Thailand, on the second leg of his 2-nation 32nd Apostolic Journey, Pope Francis met the bishops of Japan, Saturday evening, at the Apostolic Nunciature in the capital.

Recalling that the motto of his Japan visit is “Protect All Life”, he suggested ways of how to witness to the faith and serve life.

Great witnesses to the faith 

The Pope disclosed his fondness for Japan saying how as a young Jesuit in his native Argentina, he yearned to be a missionary in their land. But today, a dream long come true, he said, he was among them as a missionary pilgrim in the footsteps of great witnesses to the faith, such as Saint Francis Xavier whose arrival there 470 years ago marked the beginning of the spread of Christianity in the country.

The Pope also mentioned the martyrs, Saint Paul Miki and his companions, Blessed Justo Takayama Ukon and the “hidden Christians” who, amidst trials and persecutions, kept the faith alive for generations, as authentic domestic Churches like the Holy Family of Nazareth.

Protecting life, proclaiming the Gospel 

The Holy Father commended the Church in Japan, saying the DNA of their communities is marked by a witness to the Lord in daily life, which he said is an antidote against despair, that points out the path they must follow.

According to the Pope, protecting all life means, first of all, having a contemplative gaze capable of loving the life of the entire people entrusted to you, and recognizing it, above all, as the Lord’s gift. Only that which is loved, he said, can be saved and only that which is embraced can be transformed.

Protecting all life and proclaiming the Gospel, he pointed out, are not separate or opposed; rather each appeals to, and requires, the other. “Both entail being careful and vigilant about anything that could hinder, in these lands, the integral development of the people entrusted to the light of the Gospel of Jesus,” the Pope said.

A Church of witness, dialogue

Shintoists and Buddhists form the bulk of Japan’s some 126.7 million people, with Catholics forming a tiny minority of 0.42%.  This, the Pope said, must not diminish the Church’s commitment to evangelization through a humble, daily witness and openness to dialogue with other religious traditions.

In this regard, he expressed appreciation for the Church’s hospitality and care to many foreign workers, which he said is not only a witness to the Gospel within Japanese society, but also attest to the universality of the Church.

Ushering hope, healing, reconciliation 

“A Church of witness can speak with greater freedom, especially when addressing pressing issues of peace and justice in our world,” the Pope said, adding that during his visit to Nagasaki and Hiroshima on Sunday, he will pray for the victims and echo the bishops’ prophetic calls for nuclear disarmament.

The suffering caused by the two nuclear bombs and the triple disaster of a the massive earthquake that triggered a tsunami and crippled the Fukushima nuclear power plant, the Pope said, are an eloquent reminder of our human and Christian duty to assist those who are troubled in body and spirit, and to offer to all the Gospel message of hope, healing and reconciliation.

Social ills

In this spirit, he also encouraged the Church to address Japan’s grave social problems such as loneliness, despair, isolation, suicide, bullying and new forms of alienation and spiritual disorientation, which particularly affect the young.

“Try to create spaces in which the culture of efficiency, performance and success can become open to a culture of generous and selfless love,” the Pope urged.

教皇の発言全文(カトリック中央協議会訳)

東京、2019 年 11 月 23 日

 愛する兄弟である、司教の皆さん。
はじめに、ごあいさつせずに入ってきてごめんなさい。わたしたちアルゼン
チン人は本当失礼ですね! すみません。皆さんとご一緒できてうれしいです。
日本人は几帳面で働き者であることはよく知られていますが、それを目の当た
りにしました。飛行機から教皇が降りると、すぐに動いてくれましたね。あり
がとうございます。
日本訪問という恵みと、皆様の歓迎にとても感謝しています。日本のすべて
のカトリック共同体を代表された、髙見大司教様のおことばにとくに感謝いた
します。司教様がたとの、この最初の公的な会談の場をお借りして、皆さんの
それぞれの共同体、そして共同体全体に、信徒、カテキスタ、司祭、修道者、
奉献生活者、神学生に、ごあいさつしたいと思います。また、新しい天皇の即
位と、令和という新しい時代の幕開けという画期におられる、日本のすべての
かたにも、ごあいさつと祈りをお届けしたく思います。
ご存じかどうか分かりませんが、わたしは若いときから日本に共感と愛着を
抱いてきました。日本への宣教の望みを覚えてから長い時間が経ち、ようやく
それが実現しました。今日、主はわたしに、皆さんと同席するという機会を与
えてくださいました。わたしは信仰の偉大な証人の足跡をたどる、宣教する巡
礼者としてここにおります。聖フランシスコ・ザビエルが日本に上陸してから
470 年が経ちます。ザビエルが、日本におけるキリスト教布教を始めました。彼
を思い出しながら、皆様と心を合わせて主に感謝したいと思います。その感謝
は、その後何世紀にもわたって福音の種を蒔き、熱意と愛をもって日本の人々
に奉仕した、すべての人への感謝です。その献身が、日本の教会に独特の性格
を与えました。わたしは、聖パウロ三木と同志殉教者、また、数知れない試練
の中で死に至るまで信仰をあかしした福者高山右近のことを思い出します。迫
害の中で信仰を守ろうとするこの献身のおかげで、小さなキリスト教共同体は
成長し、堅固になり、豊かな実りを生みました。さらに、長崎の「潜伏キリシ
タン」のことも思い浮かべてみましょう。彼らは洗礼と祈りと要理教育を通し
て、何世代にもわたって信仰を守ってきました。それは、その地に輝く真の家
庭教会でした。当人たちは意識せずとも、ナザレの聖家族を映し出していたの
です。
主の道は、神を忘れまいと努める忠実な民の日常生活の中で、ご自分がいか
に「働かれる」かを示しています。沈黙の中に隠れておられますが、聖霊の力
と優しさをもって、二人またはそれ以上が、主の名において集まるところには
主がおられる(マタイ 18・20 参照)ということを思い出させてくれる、生きた
記憶です。あなたがたの共同体の DNA には、このあかしが刻まれています。そ
れはあらゆる絶望に対する特効薬で、目を上げて歩むべき道を示してくれます。
皆さんは、迫害の中で主のみ名を呼び続け、主がいかに自分たちを導かれたか
を見つめてきた、生きている教会です。
希望に燃えた種蒔き、殉教者のあかし、時が来れば神が与えてくださるはず
の実りを待つ忍耐、これらが、日本の文化と共存できた宣教方法を特徴づけた
ものです。その結果、長い年月を経て、教会の顔が形づくられました。教会は
総じて、日本社会からとても評価されています。それは、教会が共通善のため
に多くの貢献をなしたからです。日本の歴史と普遍教会の歴史の中で重要なあ
の時代は、長崎と天草地方の教会と集落群が世界遺産に登録されたことでも認
められています。ですが何より、皆さんの共同体の魂の生きる記憶として、あ
らゆる福音宣教の豊かな希望として、評価されるものです。
この司牧訪問のテーマは、「すべてのいのちを守るため」です。それは、わ
たしたち司教の奉仕職というものをよく表しています。司教とは、主によって
その民の中から呼び出され、すべてのいのちを守ることのできる牧者として民
に渡される者です。このことは、わたしたちが目指すべき現場をある程度決定
してくれます。
この国での宣教は、インカルチュレーションと対話を希求するという点が特
徴的でした。これによって、西欧で発展したものに対し、新しく独自な数々の
様式が展開できたのです。周知のことですが、初期のころから、書物、演劇、
音楽、あらゆる教材において、ほとんど日本語が使われました。この事実は、
初代の宣教師が日本に対して抱いた愛情を示しています。すべてのいのちを守
るとは、まず、この愛のこもった寛大な目をもって、神からゆだねられた民す
べてのいのちを愛し、何よりも、この民を神から受けたたまものとして認める
ことです。「愛されるだけで救われるからです。すがるだけで変えていただけ
るのです」1。これは、効果はあるものの副次的な別の考えではなく、すべての
いのちは無償の恵みだという姿勢をとる助けとなる、具体的な行動規範です。
すべてのいのちを守ることと福音を告げることは、切り離された別のものでは
なく、また相反するものでもありません。互いに呼び寄せ合い、必要とし合っ
ています。どちらも、今日この国で、イエスの福音の光に照らされた信じる民
の全人的発展を妨げうるものに、注意を怠らず警戒することを意味します。
日本の教会は小さく、カトリック信者が少数派であることは知っています。
しかし、それが、あなたたちの福音宣教の熱意を冷ますようではいけません。
皆さんに固有な状況において、人々に示すべきもっとも強く明白なことばは、
普段の生活の中での目立たぬあかしと、他の宗教的伝統との対話です。日本の
カトリック信者の半数以上を占める多数の外国人労働者を親切に受け入れ世話
することは、日本社会の中で福音のあかしとなるだけでなく、教会があらゆる
人に開かれていることの証明にもなります。わたしたちのキリストとのきずな

1 教皇フランシスコ「WYD パナマ大会晩の祈りでの講話(2019 年 1 月 26 日)」
は、他のどんな結びつきやアイデンティティよりも強く、あらゆる現実のもと
に届き触れうるものであることを示すからです。
殉教者の教会は、何でも率直に話すことができます。とくに、この世界の平
和と正義という緊急の課題に取り組む際にはなおさらです。わたしはすぐに、
長崎と広島を訪問いたします。そこで、この二つの町の被爆者のために祈りま
す。また、核兵器廃絶への皆さんの預言的ともいえる呼びかけに、わたしも同
調を表明したく思います。人類史に残るあの悲劇の傷に、今なお苦しんでいる
人々、また「〔地震、津波、原発事故という〕三重の災害」の犠牲者のかたが
たにもお会いしたいと思っています。長期にわたる彼らの苦しみを見ると、人
として、そしてキリスト信者として、わたしたちに課された義務をはっきり自
覚させられます。身体や心に苦しみを抱えている人を助け、希望と治癒と和解
という福音のメッセージを、すべての人に伝えるという義務です。災害は人を
選びませんし、身分も問いません。ただ、その激しい破壊力をもって襲いかか
ります。多くの人命を奪い甚大な損害をもたらした先日の台風もそうです。亡
くなったかたがたとそのご家族、自宅や家や財産を失ったすべての人を、主の
いつくしみにゆだねましょう。日本で、そして世界中で、あらゆるいのちを神
からのかけがえのないたまものとして守るために、臆することなく声を上げて
いく使命を果たせますように。
皆さんを励ましたいと思います。日本のカトリック共同体の、社会全体の中
での福音の明快なあかし、それを確実にするよう努力を続けてください。信頼
を得ている教会の教育事業は、福音宣教の有効な手段であり、非常に幅広い知
的・文化的潮流に寄与しています。貢献の質は、当然のことながら、そのアイ
デンティティと使命とを、どれだけもり立てるかにかかっています。
わたしたちは、日本の共同体に属する一部の人のいのちを脅かす、さまざま
な厄介ごとがあることを自覚しています。それらは、いろいろな理由によるも
のの、孤独、絶望、孤立が際立っています。この国での自殺者やいじめの増加、
自分を攻めてしまうさまざまな事態は、新たな形態の疎外と心の混迷を生んで
います。それがどれほど人々を、なかでも、若い人たちを苛んでいることでし
ょう。皆さんにお願いします。若者と彼らの困難に、とくに配慮してください。
有能さと生産性と成功のみを求める文化に、無償で無私の愛の文化が、「成功
した」人だけでなくどの人にも幸福で充実した生活の可能性を差し出せる文化
が、取って変わるよう努めてください。日本の若者は、自分たちの熱意とアイ
デアと力をもって、またよい教育と周囲のよい助けを得て、同時代の仲間にと
って大切な希望の源となり、キリストの愛を生き生きとあかしする生きた証人
となることができます。ケリグマ(福音の告知)を創造的に、文化に根ざした、
創意に富んだしかたで行うなら、それは理解を求めている大勢の人に強く響く
でしょう。
収穫は多いけれども働く人は少ないことを知っています。だからこそ、皆さ
んを励ましたいのです。家庭を巻き込む宣教のしかたを考え、生み出し、促す
ことです。またつねに現実を直視しつつ、人々がいる場にまで届くような養成
を促進することです。どんな使徒職の出発点も、人々が普段の生活をしている、
その場から生まれます。その場所に、つまり、町中や仕事場、大学の中にいる
人々のもとにまで行って、思いやりとあわれみの福音を携え、わたしたちに任
された信者たちに寄り添わなければならないのです。
皆さんの教会を訪問し、ともに祭儀を行う機会をくださったことに、あらた
めて感謝いたします。ペトロの後継者は、日本の教会の信仰を強めたいと思っ
ていますが、同時にまた、信仰をあかしした多くの殉教者の足跡に触れ、自分
の信仰をも新たにしたいと思っています。主がこの恵みをわたしに与えてくだ
さるようお祈りください。
主が皆さんと、皆さんを通して、それぞれの共同体を祝福してくださるよう
祈ります。どうもありがとう。

2019年11月23日

・教皇が、タイから日本に向かう機上で、中国、香港、台湾などへメッセージ

(2019.11.23 Vatican News)

 教皇フランシスコは23日午後、タイから日本に向かう機上で、空路に当たる国々へメッセージを送り、これらの国の全ての人々が平和で幸せであるように希望された。内容は次の通り。

*タイのワチナロンコン・ラーマ十世国王へ

*ラオス人民民主共和国のブンニャン・ウォーラチット国家主席へ

 ラオスの空域に入る時、私はあなたとあなたの仲間である国民の方々に挨拶を送ります。あなたの国が平和と幸福に恵まれることを祈りながら、私はすべての方々に神の祝福をいたします。

*ベトナム社会主義共和国のグエン・フー・チョン国家主席へ

 私は日本に向かう途中に貴国上空を飛行し、あなたとあなたの仲間の方々に挨拶をします。ベトナムの全ての方々に神の祝福を送り、お国が平和と幸福の下で繁栄されるよう、祈ります。

*中華人民共和国の習近平・国家主席へ

 日本に向かう途上で貴国の上空を飛行する際、私はあなたに挨拶を送ります。私は、あなたの国の全ての人々が、平和と喜びで祝福されるように、あなたの国と国民のための祈りをささげることを約束します。

*香港特別行政区の林鄭 月娥・行政長官へ

 あなた方の領土の上空を飛びながら、私はあなたと、あなたの仲間である香港市民のために祈ります。あなた方全てに、平和と喜びの豊かな祝福がありますように。

*中華民国(台湾)の総統へ

 日本へ向かう途中で台湾の空域に入り、私はあなたと仲間の人々に心を込めた挨拶を送ります。台湾のすべての人々のために祈りを捧げ、平和への神の豊かな祝福を願います。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

 

2019年11月23日

・教皇、羽田に到着、歓迎式の後、大使館で司教たちとお会いに

(2019.11.23 Vatican News Devin Watkins)

 23日タイを発たれた教皇フランシスコは約6時間の飛行の後、日本時間の午後6時前に羽田空港に到着、26日朝までの日本公式訪問を開始された。

 教皇はタイ航空の専用機から、強い風雨の中を傘をさすことなくタラップを降りられ、にこやかに、小中学校の生徒たちの歓迎を受けられた。空港での歓迎式のあと、都内のバチカン大使館に向かわれ、日本の司教たちとお会いになった。

 24日の日曜は、羽田から長崎、広島に向かい、第二次大戦中に原爆が投下された世界でただ二つの市で祈りを捧げられ、核兵器廃絶を訴えるメッセージを発出される。長崎では、17世紀のキリスト教徒迫害で亡くなった日本の信徒者たちの殉教の地を訪れ、敬意を表される予定。

 翌25日は、東京で信徒たちとの時間を過ごし、政府首脳たちと会見。26日朝、上智大学でイエズス会員、続いて学生たちとお会いになった後、羽田を発ち、ローマにもどられる予定だ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

2019年11月23日

・「福音宣教の最大の敵は『情熱の欠如』、自分たちの方法、言葉で信仰を表現する努力を」-司祭・修道者、神学生たちに

教皇フランシスコ、タイの司祭・修道者らとの出会いで 2019年11月22日教皇フランシスコ、タイの司祭・修道者らとの出会いで 2019年11月22日  (ANSA)

 まず、教皇は「一人ひとりの召命には、聖霊の火を発見・識別することを助けてくれた人々の存在があることを忘れてはなりません」とされたうえで、「感謝は、いつも、強力な武器です… 人々が示してくれた『愛や寛大さ、連帯や信頼、赦しや忍耐』を観想し、それに感謝できてこそ、聖霊のさわやかな息吹によって、自分の生活と宣教の使命を新たにすることができます」と説かれ、使徒職を豊かにするためには、「主が与えてくださる素晴らしい物事への発見や驚きに、自分自身を開くことが必要」とも語られた。

 また、教皇は、「キリスト教が『異国の宗教』と考えられているのは悲しいこと」、それを克服するために、「自分たちに根付いた方法・言葉で、信仰を表現することを恐れてはなりません」と説かれ、「聖パウロ6世の言葉にあるように、福音宣教の最大の敵は『情熱の欠如』です… 主の御顔と、兄弟たちの顔との出会いを探し求める情熱を、失ってはなりません」と努力を促された。

 この日、教皇は、福者ニコラス・ブンカード・キトバムラングの巡礼聖堂も訪問された。ニコラス神父(1895-1944)は、タイの最初の司祭殉教者で、偉大な宣教者。当時のインドシナ半島情勢を背景にしたタイとフランスの緊張関係の中、1941年、諜報活動の嫌疑をかけられ逮捕・投獄されたたが、獄中でも宣教を続け、多くの人々に洗礼を授け、1944年、獄中で結核のために亡くなった。

 教皇は、福者ニコラスに捧げられた巡礼聖堂で、タイ司教団およびアジア司教協議会連盟の関係司教らとお会いになり、この後、隣接のホールで、イエズス会員らとプライベートな集いを持たれた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2019年11月23日

・「心に聖霊の火を消さず、生き生きした眼差しを保つには…」-教皇、タイの若者たちとミサ

(2019.11.22 バチカン放送)

教皇フランシスコ、タイ・バンコクのカテドラルで若者たちとミサ 2019年11月22日教皇フランシスコ、タイ・バンコクのカテドラルで若者たちとミサ 2019年11月22日  (Vatican Media)

 22日午後、教皇フランシスコは、タイ訪問を締めくくる行事として、バンコクのアサンプション・カテドラルで、若者たちのためにミサを捧げられた。

 ミサの中で教皇は、「マタイによる福音書」の「十人のおとめのたとえ話」(25章1-13節) を取り上げ説教を行われた。

*イエスが天の国の比喩として話したこのたとえ話には、婚宴で花婿を迎え出るおとめたちが登場する。十人のおとめのうちの五人はともし火を持っていても油を持っておらず、花婿の到着が遅れるうちに眠り込み、真夜中に花婿の到着が告げられた時には、ともし火は消えそうになっていた。彼女たちが油を買いに行っている間に、ともし火と油を備えた残り五人のおとめたちは花婿と共に宴席に入り、婚宴の扉は閉じられてしまった。

 教皇は、「このたとえ話の幾人かのおとめたちの問題は、眠ってしまったことよりも、必要な『油』を持っていなかったことにあります」とされたうえで、「その『油』とは、心の内に愛の炎を保ち続けるための燃料です」と話された。

 そして、「闇や困難の中で、心を照らす火を生き生きと保ち、主の呼びかけ、御旨に答えられるように、準備する気持ちがありますか」「あらゆる時に主を求め続けるために、必要な『油』をどこで手に入れることができるでしょうか」と若者たちにたずねられた。

 この答えとして、タイの福音宣教の歴史を「聖なる遺産」として示された教皇は、「心に聖霊の火を消さず、生き生きした眼差しを保つには、先人たちの信仰に深く根ざす必要があります… そして、それは過去にとらわれるためではなく、歴史上の新しい状況に応えるために、必要な勇気を学び、勝ち取るためなのです」と説かれた。

 さらに、「信仰が『根』を持たないなら、一見、魅力的でも、結局は、虚しさや孤独をもたらすだけの、この世の『声』に惑わされ、主が洗礼の日に私たちに灯された光は消えそうになるでしょう」と若者たちに注意を与えたうえで、「キリストにしっかりと根付き、喜びと信頼の眼差しをいっぱいにして、未来を決して恐れないように。主は皆さんを待ち、祝宴を用意しておられます」と励まされた。

(編集「カトリック・あい」)

2019年11月23日

・「複雑化した世界、諸宗教間の相互尊重と協力が急務」-教皇、キリスト教諸教会や諸宗教代表との集いで

教皇フランシスコ、タイのキリスト教諸教会および諸宗教の指導者との集いで 2019年11月22日教皇フランシスコ、タイのキリスト教諸教会および諸宗教の指導者との集いで 2019年11月22日 

 教皇フランシスコは22日、バンコクのチュラロンコン大学で、キリスト教の諸教会や諸宗教の指導者らとの集いを持たれた。

 大学ホールで行われたこの集いで、教皇は、タイの宗教界を代表する人々をはじめ、大学関係者、学生など参加者を前に、まず、「グローバル化と目まぐるしい経済発展の一方で、紛争と難民、飢餓などが増え続けるという、複雑化した現代世界では、諸宗教間の相互尊重と協力がいっそう急務になっています」と指摘。

 そして、このような状況を前に「いかなる宗教も、他者を大切にする心を欠くことがあってはなりません… 他者を中傷することなしに、新しい方法でこれからの歴史を築いていくことが今求められているのです」と強調。「勇気をもって、出会いと対話、協力、相互理解の努力をすることができれば、紛争を解決し、人と自然を守ることに貢献できるでしょう」と語られた。

 さらに教皇は、「今日、宗教は、人間の尊厳の尊重、環境保護、貧しい人々への関心などに対する、しっかりとした基盤を築くよう招かれているのです」と訴えられた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2019年11月22日

・「あなた方は”支配人”ではなく”召使い”です」-教皇、タイとアジアの司教たちに

 

2019.11.22 Viaggio Apostolico in Thailandia e Giappone Incontro con i Vescovi della Thailandia e della FABC nella Chiesa del Santuario del Beato Nicolas Bunkerd KitbamrungPope Francis gestures during his address to Bishops  (Vatican Media)

 

(2019.11.22 Vatican News)

福者ニコラス・バンカードの模範

 タイ訪問中の教皇フランシスコは22日午前、バンコク市内で同国およびアジア司教会議連合(FABC)の司教たちとの集まりを持ち、講話を、タイで命を落とした福者ニコラス・バンカードの「見守る視線」の下にこの集まりを置くことから始め、「彼の模範的行為は、アジアのすべての教会における福音宣教に、私たちを奮い立たせるでしょう」と語られた。

*福者ニコラス・バンカード・キットバムルンは、1930年に宣教師司祭としてタイ北部に派遣され、そこで神学校で教え、道を外したカトリック教徒を信仰の道に戻すために働いた。第二次世界大戦が始まり、キリスト教への風当たりが強まる中で、「反愛国的」行為で逮捕され、15年の刑を宣告されたが、刑務所内で宣教活動を続け、68人の仲間の囚人に洗礼を授けた後、1944年に49歳で刑務所の病院で結核で亡くなった。

 

アジア司教会議連盟の設立50周年

 また教皇は、2020年がアジア司教会議連盟の設立から50周年を迎えることに注目し、 「これは、これらの土地に跡を残した宣教師のルーツが保存されている”神殿”を再訪するために、そしてあなた方自身が育て、創造せねばならない未来を parrhesia(表現豊かな不協和音)をもって歓迎するために、ふさわしい機会となります… そして、刷新され、共有された福音的な活動から、アジアの教会と社会はともに、恩恵を受けるでしょう」とされた。

 

多文化かつ多宗教の大陸、アジア

 教皇は、急速な技術的進歩が計り知れない可能性を開く「多文化かつ多宗教の大陸」としてアジアを描きた。そして、この地域は、消費主義と物質主義の成長をもたらすこともできるが、一方で懸念される事柄として、麻薬と人身売買の悲劇、移民と難民への対応、多くの労働者が受けている搾取、金持ちと貧しい人の間の経済的および社会的不平等、を挙げられた。

 

タイに初めて宣教した人々の記憶

 また教皇は、タイに初めてキリスト教を伝えた宣教師たちについて言及し、「彼らの勇気、喜び、そして並外れた根気は、私たちの現在の状況と使命を、より広く、より変化した観点から評価するのに役立ちます」と述べ、その記憶は、「福音宣教にとって、過去は今よりもいい」という考え方から、私たちを解放し、『あらゆる種類の行動を麻痺させ、最終的に自分自身の中に逃げ込む無益な議論』を避けるのに役立ちます」と語られた。

 

聖霊の力

 さらに教皇は司教たちに、「宣教師よりも先におられ、そして彼らと共におられるのが、聖霊」であることを思い起こさせ、「聖霊の力は無数の宣教師を支えました… そして、彼らは福音がすべての人と共有される贈り物であることを知っていたので、大胆で勇気がありました。福音宣教活動は、嗅覚を養うことを意味します。福音宣教は父と母の思いやりです。なぜなら、羊は、羊飼いが探すのを諦める前ではなく、諦めたた時に、失われるからです」と諭された。

 

教会は召命による証人

 教皇は「私たちは福音によって自分自身を『変容』させる必要があります」とされ、主によって清められ、教会は「召命による証人になります… 表の通りに出ていき、自分に世話をゆだねる人々の暮らしと向き合うことを恐れません」と強調。アジアではカトリックが少数派である国が多いが、それらの国々の司教たちに向かって、「私たちは、皆さんから学ぶことができます… 劣等感や、十分に認められないという不満によって壊されることを許容してこなかったのです」と励ました。

福音宣教はキリストとその民に対する情熱

 「私たちは福音宣教を任された者ではない… 聖霊が真の主人公なのです」とされた教皇は、「私たちは、どこでも置かれた場所を変容させるように、聖霊によって変容されました… 福音宣教は、イエス・キリストへの情熱と、その民に対する情熱です」と強調された。

司教として忘れてならないのは

 そして「私たちも、その民の一員… 主人や支配人ではなく、召使として選ばれたのです… 私たちは忍耐と思いやりで仕える人々に同行し、彼らの話を聴き、敬意を払い、その使徒的活動を促し、讃えるのです」と司教たちの心構えを説き、担当地域の多くが、「現地の言葉を話し、論理的でもイデオロギー的でもない、キリストを共有しようとする熱意の果実である、簡潔で直接的な現地の文化に密着して働く」一般信徒によって福音化されているのだ、ということを、司教たちに思い起こさせた。

 また教皇は、司教たちに、「司祭たちにいつも扉を開いておくように… 司教の最も近い隣人は司祭です… 司祭の側にいなさい。話に耳を傾け、あらゆる状況で彼らに寄り添いなさい。特に、彼らが落胆したり、最悪の悪魔の誘惑である無関心であることを知ったら、裁判官としてではなく父親として、管理者としてではなく真の兄として対応しなさい」と促された。

 

未来に目を向ける

 講話の最後に、教皇は、司教たちが自分たちの教会共同体の中で多くの問題を抱えていることを認めたうえで、「私たちは一人で旅をしていないのだ、と確信して、未来を見つめましょう… 主はそこにおられ、私たちをお待ちになっており、そして、パンを裂く時に、何よりもそこに主がおられることを知るように招いておられるのです」と激励した。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2019年11月22日

・「タイに教えを初めて伝えた宣教師に倣い、喜びを皆と分かち合うように」-教皇、初ミサで

   タイ訪問中の教皇フランシスコは、21日夕、バンコクの国立競技場に多くの信徒を迎えて最初のミサを捧げた。

 教皇はミサ中の説教で、この国に初めてキリスト教を伝えた宣教師たちに倣い、イエスの宣教師の弟子となるよう強く促し、そのことが、「主が食卓に招くことを希望する全ての父母、兄弟、姉妹たちと、喜びをもって出会い、見つけ、認める助けとなります」と語られた。

 そして、この日に朗読されたマタイ福音書の箇所をもとに、母国​​語のスペイン語で「私の天の父の御心を行う人は、誰もが私の兄弟、姉妹、母なのです」と言われ、「福音は、私たちと私たちの共同体の暮らしを至上の喜びをもって、新たにする可能性に満ちています」と指摘。1574339664498.jpg

 さらに、「主の言葉に応えて、タイの地に初めてやって来た宣教師たちは、ここで、自分たちが、特定の血統、文化、地域、あるいは民族に属する家族よりもはるかに大きな家族の一員であることを認識しました… 福音によってもたらされる希望に満ちた御霊の力に促され、未知の家族を探し始めました。彼らとの出会いがなければ、キリスト教はタイの顔、歌、踊り、そして笑顔を欠いていたでしょう」と述べられた。

 教皇の今回のタイ訪問の目的の一つが、カトリック教会が当時のシャムと呼ばれたこの国に1669年に使徒座代理区を設けて350周年を祝うこと。訪問に当たって、教皇が選ばれたモットーは「キリストの弟子、宣教師の弟子」だ。教皇によると、宣教師の弟子は信仰を持った”傭兵“でも、改宗者の”生産者”でもない、イエスがすべての人々に与える和解という取り消すことのできない贈り物を分かち合う兄弟、姉妹、そして母親たちがいない、と感じる、つつましい”托鉢僧”である。そして、教会のすべての福音宣教の努力の源と霊感は、福音書の婚宴のたとえ話にあるー主人は僕たちに、表の通りに出て、出来るだけ多くの人を婚宴の席に招き入れるように命じました、と教皇は言われた。

 そして、このタイでの350周年の祝いは、、私たちが希望の火をもって、福音から生まれた新たな人生を、私たちがまだ知らない家族全員と喜んで分かち合うのに役立つ、と指摘された。

 教皇はまた、「主イエスの宣教師の弟子として、私たちは主のように他の人と分かち合うことによって、主の家族の生きた一部になることを選びます。主は罪人と一緒に食事をし、彼らも父の食卓とこの世の食卓に居場所があることを保証しました。穢れているとみなされた人々に触れ、彼らに彼ら自身に触れさせることによって、彼らが神の近さを悟り、祝福されていることを理解するのを助けました」と強調された。

 教皇の念頭にあったのは、売春や人身売買の被害者である子どもや女性、麻薬中毒に陥った若者、そして失望し、夢を壊された人々、移民・難民、住むところを奪われた家族、孤児、見捨てられたと感じている他の多くの人々、搾取された漁師、無視される物乞いの人々など。「これらすべての人が、私たちの家族の一員です… 彼らは私たちの母親、私たちの兄弟姉妹です」と付け加えた。

 そして、自分の顔、傷、笑顔、そして人生を見て、傷と痛みを癒す神の愛の慈悲の香油を経験させるように、教会共同体を促し、「宣教師の弟子は、父なる神の慈悲深い癒しの抱擁を経験し、分かち合うために扉を開く人であり、私たちを一つの家族にする人です」と説いた。

 最後に教皇は、タイの教会共同体に結論として、「主が食卓に招くことを希望する全ての父母、兄弟、姉妹たちと、喜びをもって出会い、見つけ、認める助けとなる」ために、この国に初めて足を踏み入れた宣教師たちに倣うように、タイの教会共同体の人々に強く促した。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

タイ訪問:バンコクで教皇ミサ、サイアム代牧区設立350年記念して

タイ・バンコクの競技場で行われた教皇ミサ 2019年11月21日  (ANSA)

教皇フランシスコは、タイ訪問2日目の21日夕、バンコクの国立競技場でミサを捧げられた。

21日夕方、アンポーン宮殿を訪問しワチラロンコン国王(ラーマ10世)と王妃に会見された教皇は、続いて、ミサ会場の国立競技場に向かわれた。ローマ教皇のタイ訪問は、1984年5月の聖ヨハネ・パウロ2世の訪問以来、2度目、35年ぶり。ミサには、タイ全土から大勢の信者たちが集まった。

ミサは、タイ特有の装飾を施した会場や荘厳なコーラスに彩られたものとなった。ミサ終了後には、伝統音楽、民族衣装の人々による舞踏が披露された。

タイのカトリック教会は、1669年、サイアム(シャム)代牧区が設立されてから、今年で350周年を迎えた。教皇はミサの説教で、この地に福音の種を蒔いた二人の宣教師の勇気を称えられ、「昔、遠い地に蒔かれたその種は成長し、国民生活に貢献する様々な使徒的活動に取り組むまでになりました」と話された。

さらに、この記念は、過去を懐かしむものではなく、今日の希望の火となるべき、と述べた教皇は「私たちも決意と力と信頼をもって、福音宣教への招きに応えなくてはならない」と強調。「この喜ばしい記憶が、まだ福音を知らないすべての人たちとそれを分かち合おうと、私たちを喜びと共に外に駆り立ててくれるように」と祈られた。

 2017年の統計では、タイのカトリック信者数は約38万9千人。仏教徒が多数を占めるこの国の全人口の約0.59%にあたる。

2019年11月22日

・タイ訪問:「『外に向かう教会』の目に見えるしるしとなるように」教皇、病院で医療関係者や患者に励ましの言葉

(2019.11.21 バチカン放送)

 教皇フランシスコは21日午前、バンコク市内のセント・ルーク病院で医療関係者や患者らとの出会いを持たれた。

 1898年、当時のシャムにおける代牧、ルイス・ヴェイ大司教によって創立された同病院は、昨年創立120年を迎えた。教皇訪問のために心を込めて飾り付けが行われた同病院で、教皇は医療スタッフはもとより、患者や家族たちの盛大な歓迎を受けられた。

 教皇は挨拶で「愛のあるところに、神はおられる」という同病院の精神に触れつつ、「皆さんは、単なる医療上の仕事を超えて、偉大ないつくしみの業を行っておられます」とその活動を讃えられた。

 そして、「患者一人ひとりを見つめ、その名前を呼ぶ時、皆さんはキリストの弟子であり、宣教者であることを忘れないように」と諭され、「医療を通して使徒職に取り組む人々の存在」を神に感謝したうえで、「苦しむ人にキリストの愛をもたらすこの活動が『外に向かう教会』の目に見えるしるしとなっていくように」と希望を表明された。

 この後、教皇は病院のホールで患者や障害者らと交流され、励ましの言葉や祝福を与えられた。

2019年11月21日

タイ訪問:教皇、バンコクの寺院で仏教の最高指導者と会見「互いを認め合う時に、希望の言葉を与えられる」

 また、タイの仏教界とカトリック教会との相互理解と尊重の歩みの歴史として、教皇は50年前の第17代大僧正のバチカン訪問や、1984年のヨハネ・パウロ2世のこの寺院への訪問などを想起され、こうした歩みの積み重ねが「両宗教界だけでなく、分裂や疎外の広がる今日の世界に、出会いの文化は可能であることを証ししてくれます」と言明。

 さらに、「互いの違いを認め合い、評価し合う時に、私たちは世界に希望の言葉を与えることができます」とされ、宗教が兄弟愛を保証する希望の灯台となることを願われた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2019年11月21日

・タイ訪問:「国際社会は移民・難民問題に責任をもって対応し、人々の悲劇の原因をなくせ」と教皇

(2019.11.21 バチカン放送)

 タイを訪問中の教皇フランシスコは21日、バンコクの首相府で21日午前、バンコク市内の首相府を訪問、プラユット・チャンオチャ首相と共に前庭で催された歓迎式典に臨まれた後、首相府内でプラユット首相と会談、続いて、首相府のホールでタイの各界代表および同国駐在外交団と会見された。

 教皇は挨拶で、「豊かな素晴らしい自然、もてなしの文化に代表される、古くから受け継がれた精神的・文化的伝統を育む国、タイ」を訪れた喜びを表明。多文化と多様性の国として「タイは数ある民族間の調和と平和的共存の大切さを認識し、異なる文化や宗教、思想への尊重を表してこられました」と語られた。

 また、タイで宗教界参加のもとに社会倫理をめぐる取り組みが行われていることを称賛されると共に、訪問中に予定されているタイの仏教最高指導者への訪問が「諸宗教間の友情と対話を促進するもの」となることを願われた。 さらに、タイは「自由」を意味する国、とし、「人々が互いに責任を共有し、あらゆる形の不平等を克服できる時にこそ、自由は可能になります」と話された。

 教皇は、今日の世界の特徴の一つである移民現象にも言及し、タイが近隣国の難民を受け入れてきたことに触れつつ、「国際社会がこの問題に責任と先見性をもって対応し、人々の悲劇的な国外脱出をもたらす原因を取り除き、安全で秩序ある移民制度を促進できるように」と改めて訴えられた。

 また、今年、国際条約である「児童の権利に関する条約」の採択30年が記念されることについて、「これを子どもたちのしあわせを守る必要を考える機会としたい」と希望された。

 そして、タイの人々にそれぞれの立場、生活の中で共通善のために貢献を続けるよう願いながら、同国と全国民に神の豊かな祝福を祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2019年11月21日

・(解説)教皇のタイ、日本訪問-多くに人が注目する「核兵器」に対する発言(LaCroix)

(2019.11.20 LaCroix  Nicolas Senèze Vatican City)

 教皇フランシスコの19日からのタイ、日本訪問は、個人的かつ戦略的な旅。アジア訪問は韓国(2014年)、スリランカとフィリピン(2015年)、ビルマとバングラデシュ(2017年)に続く4度目となる。

アルペ師を通じ、宣教の地として夢見た日本

 日本は、教皇が青年時代に夢に見た国だった。若きイエズス会士として日本行きを望んだが、入会した直後に大病を患い、夢を果たすことができなかった。彼が故郷、アルゼンチンのイエズス会管区長となって以降、数名の会員司祭を日本に送った。その一人が、現在、日本管区長となっており、訪日中の教皇の通訳を務める。

 教皇は、訪日中に、日本で宣教師として働く希望を抱くもとになった故ペドロ・アルペ神父(1907-1991=元イエズス会日本管区長、後にイエズス会総長)の足跡をたどることになるだろう。アルペ神父は、広島に原爆が投下された当時、近郊のイエズス会修道院の院長として被爆し、彼の社会的使徒職の召命は、その時の原爆犠牲者たちの心と体の「痛みに接した経験」に根ざしています。

 また教皇は、タイ訪問でも、アルペ神父に言及する可能性がある。神父はバンコクを訪問、イエズス会のタイ管区で会士たちに対して、難民問題に積極的に関わるよう強く訴え、ローマに帰国後に脳卒中に見舞われ、結果として総長退任を余儀なくされた。

「外に出よ」と励ます教皇だが、タイで難民キャンプは訪問せず

 教皇も、昨夏、イエズス会の欧州の司祭たちに「イエズス会は勇気を持って、外に出、さまざまな思考、問題、使命が交差する場所に赴かねばなりません」と訴えている。

だが、今回のタイ訪問で、教皇は難民キャンプを訪ねない。そのことは、「教会は社会の場でも、教育の場でも活発であるべきであり、今の教会は社会的に排除されている人々、少数派の人々の声を聴くことに消極的」と考えるタイの多くのカトリック教徒にとって、残念なことだ。

信徒がわずかな日本、多くの問題を抱える

 日本でも、教皇は、社会、特に教育機関における存在が、総人口の0.4パーセントしかいないカトリック教徒と釣り合わない教会と出会うことになる。また、大部分が外国からの人々で占められている信徒の中には、日本での教会の活動が控えめすぎると感じたり、日本の文化風土を異なる信仰表現をしたり、多くの日本人にショックを与える恐れをもたらす者もいる。

 また、新興の信仰団体で海外では人気のある『新求道共同体の道』が計画した神学校の開校に司教たちが難色を示し、マカオに場所を変更するという動きもあった。また、カトリック教徒の中には、政治的と考えられる問題、例えば、反核や憲法改正反対など特定の政治的主張に関わりすぎている司教たちを批判する声もある。

日本で幅広い支持のある「死刑」制度への言及は?

 そうした中で、教皇が25日朝に東日本大震災被災者との集いに参加され、この震災での地震、津波、福島原発事故の「3つの災害」の犠牲者に対する講話をされるが、それ以外の場での講話も含めて日本では幅広い支持のある死刑についても言及される可能性があり、注目されるところだ。26日朝の上智大学での講話も、伝統的な社会的絆の崩壊が進む社会の問題にどのように触れるか関心がもたれている。

 だが、日本滞在中の教皇の発言で最も注目されるのは、核兵器に関してだ。教皇は24日、長崎の爆心地公園で核兵器に関するメッセージを発せられた後、広島に飛び、平和のための集いに参加され、ここでもメッセージを出される。

 バチカンのピエトロ・パロリン国務長官は、昨年9月の国連総会で「教皇は、核兵器の完全な撤廃のために、可能な限り強力な呼びかけをすることを怠らない」と述べ、バチカンが核兵器禁止条約への支持を確認している。バチカンが同条約を批准した2017年以来、核兵器を保有する国々はバチカンとの間で激しいロビー活動を展開しており、多くの政府高官が教皇の立場に影響を与えようとバチカンもうでを繰り返している。

 24日の長崎での教皇の核兵器に関するメッセージで、彼らの意見が聴き入れられたかどうかが、明らかになるだろう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

LA CROIX international is the premier online Catholic daily providing unique quality content about topics that matter in the world such as politics, society, religion, culture, education and ethics. for post-Vatican II Catholics and those who are passionate about how the living Christian tradition engages, shapes and makes sense of the burning issues of the day in our rapidly changing world. Inspired by the reforming vision of the Second Vatican Council, LCI offers news, commentary and analysis on the Church in the World and the world of the Church. LA CROIX is Europe’s pre-eminent Catholic daily providing quality journalism on world events, politics, science, culture, technology, economy and much more. La CROIX which first appeared as a daily newspaper in 1883 is a highly respected and world leading, independent Catholic daily.

 

 

 

2019年11月21日

・日本政府が、ローマ法王としていた日本語呼称を「ローマ教皇」に変更

 (2019.11.21 カトリック・あい)

 日本政府は20日、これまで「法王」としていたローマ教皇の呼称を「教皇」に変更すると発表した。教皇フランシスコの22日からの訪日に合わせたもので、各報道機関もこの変更に倣うとみられる。

 その理由について、外務省は、カトリックの関係者をはじめ一般的に教皇を用いる例が多いこと、「法王」が国家元首を務めるバチカン側に「教皇」という表現の使用について問題がないこと、が確認できたためと説明している。

 これまで「法王」という呼称を使ってきたのは、東京にある「ローマ法王庁大使館」に合わせたものだった、という。カトリック中央協議会のホームページによれば、日本とバチカンが外交関係を樹立した当時の定訳が「法王」だったため、「法王庁大使館」になった、としている。

2019年11月21日

・タイ南部では住民15人が武装集団に殺害-教皇の「平和のシンボル」発言に困惑

 

Confusion over pope's embrace of Thai 'peace'

(写真は、タイ南部・ヤラの仏教寺院で、武装集団に殺害された15人の棺の前で祈る現地の人々=(Photo: AFP)

(2019.11.20 カトリック・あい)

  教皇フランシスコは、タイ訪問を前にしたタイの人々へのビデオ・メッセージで、タイとその国民を「多民族を擁し多くの精神的・文化的伝統を背景にした東南アジア地域の平和のシンボル」と讃えたことについて、タイ現地のカトリック教徒の中に、このような評価に戸惑いを感じる人々が少なくなさそうだ。

 バンコクに拠点を置くカトリック系メディアUcanewsが伝えているもので、それは、現在、タイ南部のイスラム教徒が多く住む地域で血なまぐさい紛争が長期にわたって続いており、最近では今月5日にも、イスラム教徒住民が武装集団に襲われて15人が死亡。15年間に8000人と言われる犠牲者に加えられているからだ。一度の死者15人という人数は、ここ数年間で最多だ。

 タイのイスラム教徒が全人口に占める割合は約5パーセント。キリスト教徒の約1パーセント、カトリックはそのうちの半分、というのに比べれば、多く、大半が、元はイスラム教徒のスルタンの領土だったタイの最南部地域の三つの州に住んでおり、分離独立の動きが今も続き、紛争の原因となっている。

 プラユット現首相は、今年6月に国会で信任されたが、2014年の軍事クーデターで政権をとり暫定首相の座に就いていた元陸軍司令官であり、分離独立の動きを抑える部隊を指揮していた”対南強硬派”のリーダーともみなされていることから、先の15人殺害ともからんで紛争の激化が懸念されている。

 教皇フランシスコは以前、タイの隣国、ミャンマーを訪れた際、ロヒンギアに住み、迫害を受けているイスラム教徒の少数民族の人々と会い、早期の問題解決を表明した。タイの関係者の間には、教皇に、単に平和のシンボルと讃えるのではなく、せめて、こうした現実に理解を示して欲しい、との声も出ている。

2019年11月20日

・教皇フランシスコ、タイ・日本訪問開始、まずバンコクに到着

Pope Francis on arrival at Bangkok AirportPope Francis on arrival at Bangkok Airport  (Vatican Media)
2019年11月20日