・“シノドスの道”に思う⑨ シノドスをドイツの視点から考える(その3)

 前回、2026年3月までにシノドス評議会を準備するためのシノドス委員会を設立すること、そして、信徒組織であるZdKの側は、それをすでに総会で承認・批准したこと、あとは司教側が司教協議会総会でそれを承認・批准することが必要であり、その総会が2月に開かれる予定になっている、と述べました。

 

 

*バチカンからの手紙により中止

 

 ところが、開催前の土曜日夕方に16日付けのバチカンからの手紙が届きました。そこには、「シノドス委員会の規約を、司教協議会全体として承認・批准するための投票を行わないように」、また「バチカンとの話し合いを優先させるように」と書いてあったようです。(この点については「カトリックあい」の「シノドスの道」2月21日付けでも報告されていますのでご覧下さい。)

 というわけで、報道によると、今後のドイツのシノダルな改革は、バチカンが進めている「世界シノドス」を優先して、その次にドイツ固有の司教協議会と信徒組織ZdKによる「シノドスの道」を継続させていくことになるようです。「ローマの世界シノドスとドイツのシノドスの道は教会発展のため同じ方向をむいているのだが」とベッティンク協議会議長は残念がっていますし、ZdK議長も怒り
を隠していません。

 司教たちと信徒組織が一緒に考え決定して進めようとした改革案が、教皇とバチカンの承認を得ることができなかった原因については、前回この稿で、聖職者と信徒の「共同統治」がカトリック教会の秘跡的構造に合致しないこと、また「一致の乱れ、委員会の合法性、運営資金などの問題」として述べましたが、もう少し詳しく見てみます。

 

 

*シノダルな取り組みの歴史

 

 前回、最後の中見出しに「秘跡的構造とシノダリティ(共働性)のせめぎ合い」と書きましたが、まずシノダリティに関して。ドイツにおいてシノダル(共働的)取り組みは2019年から始まったわけではありません。東西ドイツの再統一は1990年ですが、それ以前に、第二バチカン公会議の決定を実行するために、1970年に聖座の承認を受けた規約に基づいて1971年から75年にかけてビュルツブルクで「共同シノドス」を開催しました。

 共同というのは、司教、司祭に修道者、特に一般信徒も加わって開かれ、シノドスの審議と決議がなされたようです。最初の総会集会には司教58人、司祭88人、修道司祭30人、一般信徒141人が参加しました。その第7集会では司牧的奉仕、信徒の評議会と共同責任についての文書など採択されました。その後のドレスデンでの司牧シノドスも同様に信徒の参加があり、教会の宣教は全信者の共同責任によって何ができるかが議論されました。

 これらは教会を革新的に発展させるものでした。というのも、後の1983年改訂の、現行の教会法典(CIC)で教区や小教区レベルでの司祭評議会、経済問題評議会、司牧評議会等が規定されることになったのです(Can.492ー514)。司教協議会とカトリック信徒委員会との共同評議会も、司教と信徒の相互作用を促進するために設立され、その双方の代表者たちによる協議会もでき、年に2回開
催されることになり、さらにそれらが徐々に発展して、現在の司教協議会とZdKとの関係につながっていき、今回のシノドス委員会の設立に至ったのでした。

 

 

*ローマはドイツの願いを却下

 

 以上のように、ビュルツブルクとドレスデンのシノドスにおける司教、司祭、信徒、修道者の関係・交流は多くの信者を前向きに奮い立たせる体験であったので、こういった「共同シノドス」を10年毎に開催する権利を与えられるように教皇に申請したところ、この願いは却下されたのでした!

 こういったバチカンの姿勢は、キリストの意思に適うものなのか根本的に検討されるべきでしょうが、「秘跡的構造」とは何なのか、前回は簡単にしか述べませんでしたので、もう少し丁寧に見てみます。

 

 

*教会統治の権能のあり方

 

 教会におけるさまざまな権能・権限・権力のあり方について。ドイツのシノドス文書を参考して述べます。1983年の現行の教会法典では権能は二つに大別されます。「叙階による権能」すなわち秘跡を執行する権利と、「統治の権能」です。統治の権能には3つ、すなわち「行政的(executive,administrative)」「立法的(legislative)」「司法的(judicial)」が含まれます。(このほかに統治とは異なりますが、「教える権能(magisterium)」があり、これも司教等が有するとされます。)

 教会法典第129条(1)に「神の制定に基づいて、教会が有する裁治権とも呼ばれる統治の権限を有する者は、法の規定に従って、聖なる職階に叙された者である。」さまざまな権限が教区では司教
に、小教区では司祭に一元的かつ排他的に集中しているのが現実です。三権分立ではありません。聖職者による君主制であり、独裁的な組織構造です。これを神学的観点から見て「秘跡的構造」と呼んでいるために、「そうなのですね」と納得してしまっていた、といえます。司教たちの働きは「福音的な奉仕」というよりも、「支配」に傾きやすいものだったのです。

 

 

*信徒も参加できるはずでは?

 

 しかし、続く教会法典第129条(2)に「信徒は、法の規定に従って、この権限の行使に協力することができる」ともあります。神の民の個々人の平等性、教会法典第208条「すべてのキリスト信者は、キリストにおける新生のゆえに、尊厳性においても行為においても真に平等である」との規定を、もっと重視するなら、また聖職者主義を無くそうとするなら、もっと権限を委任、移譲することが可能なはずです。

 教会統治のあり方があまりにも一元的になっているために、信徒の多くは教会運営から疎外され、批判も反論もできないまま、信徒はやる気を無くし、教会から去っていく人が多いのだと思います。

 

 

*位階的交わりが秘跡的構造と呼ばれ

 

 さらに「秘跡的構造」について、『教会憲章』によると、「教会自体がキリストにおける秘跡」であり、「神との交わり及び全人類一致のしるしであり道具である」という。「しるし」であるだけでなく「道具」になっていなければならない。そしてイエス・キリストが、信者の間に現存する「しるし」として「司教職の秘跡性」が述べられ、さらに世界の司教団がその頭であるローマ司教である「ペトロと共に、ペトロのもとに」一致していること、そのことが見えるものとなっている点が、秘跡的構造だということでしょう。

 しかし、信徒については、聖職位階である牧者のもとで意見を述べる権利を持っているが、「教会がそのために定めた機関を通して、キリストの代理を務めている人々に対する尊敬と愛とをもって行わなければならず」、キリスト教的従順をもって牧者に従いなさい、とあります(37項)。信徒には、あくまでも従順を求め、「共同統治」など論外、ということになります。

 

 

*参考投票権と議決投票権

 

 次に、司教と信徒の「共同統治」は不可であるという点。前にも紹介した国際神学委員会による『教会の生活と宣教におけるシノダリティ』68、69項を見ますと、先にも述べたように、すべての人に意見を述べる権利はあり、また審議する権利は今でもある。投票においては「参考投票権」は与えられている。だが、その後の「議決権、議決投票権」は、基本的には信徒に与えられていない。牧者に固有の統治する機能については、「シノドス、集会、委員会は合法的な牧者なしで議決することはできない。シノダルな過程は、ヒエラルキー的に構成された共同体のハート(心臓部、中心)で生じなければならない、となっています。

 例えば、教区において、識別・相談・協働を共同で行なうことによる決定・議決(decision‐making)と、使徒性とカトリック性の保証者である司教の権限のうちにある議決の行使(decision‐taking)とは区別される必要がある。物事を成し遂げるのはシノダルな仕事であるが、決定・決議は役務者の責任である」と。

 ドイツとバチカン当局とのやり取りで、全面的な議決権を有するシノドス委員会・評議会を設立することは、現行の教会法典では許されていない、というのは、以上のような理由からでしょう。早急な法改正が求められている、と言えます。

 最後に、バチカンに対してドイツ司教協議会のベッティンク議長が「司教と信徒の共同体は司教たちの権威を弱めるものではなく、むしろ強めるものである」と反論しているのは、至極当然当だと思います。「共働の中でこそ、司教の実力も発揮される」というべきでしょう。

(ドイツ司教協議会www.dbk.de ドイツカトリック者中央委員会www.zdk.de カトリック系メディアWorld Catholic News, The pillar等参照)。

(西方の一司祭)

2024年2月29日

・故森司教の言葉・再掲 ④日本社会の隠れた悲惨さ  

   日本を訪れる宣教師や修道者たちは,異口同音に「日本は、他の宣教地と比較して、素晴らしい国だ」と賛美する。表面的にみれば、その通りかもしれない。

 経済的には豊か、食べ物は豊富、そして生活は便利で快適である。人々の資質も、温厚で、礼儀正しく、勤勉である。また幼い頃から集団生活に馴らされて育ってきているため、我慢強く、自分の権利・主義主張をあまり表に表さない。デモなどは極めて稀である。また子供たちは、18歳まで法律で守られており、義務教育は徹底し,大半が高等学校や大学に進む。貧困のため幼い頃から働かざるをえない発展途上国の子どもたちと比べれば,遥かに幸せである。さらにまた乳幼児の死亡は少なく、平均寿命は世界一である。それは、経済の向上、治安の安定、医療技術の発展、生活環境の整備、社会福祉の浸透等々によって、もたらされたものである。

 こんな日本社会を見て、宣教師たちが日本社会を肯定的に評価するのは、当然である。しかし、日本社会は、その内に深い闇を抱えてしまっているのである。それは、外部の者にはなかなか分かるものではない。

 その一つの証しが、鬱に覆われる人と自殺者の数である。

 鬱に覆われる人は、6人に一人とも言われてしまっている。また自らいのちを絶ってしまう人は、一時期より減少はしたが、自殺率(人口10万単位)の国際比較をみると、旧ソ連邦の国々を除くと、日本は、あいかわらず、先進国の中では上位にある。

 この数字を2003年以降のイラクの民間人の犠牲者の数と比較してみれば、日本の悲惨さがさらにはっきりと見えてくる。

 民間調査団IBC〈Iraq Body Count〉によると、イラク攻撃が始まった2003年から2010年までの7年間の民間人の犠牲者つまり死者の数は10万人近くになるという。ところが、その7年の間では、日本では30万近くの人々が自ら命を絶ってしまっているということになるのである。つまり、混乱するイラクを悲惨な社会というならば,日本は、それ以上に悲惨な国ということになるのではなかろうか。

 日本社会をそのような状態に追いやってしまった元凶は、経済的な発展と利益を最優先にしてしまう価値観とその論理にある。それをそのまま受入れて走り出し,国全体が、その論理にそって社会全体を組織化し、〈日本株式会社〉と揶揄されるほどに、一つにまとめてしまったことにあるのである。それが、人の心を蝕み、日本社会に大きな歪みをもたらしたのである。

 家庭も学校も地域社会も、本来は、人間一人ひとりを支え助ける役割を負っているものである。ところが、それが、利益と効率を目指す競争の論理に蝕まれて、本来の機能を果たせなくなってしまったのである。

 そのため、家族の絆は希薄になり、地域社会での人と人とのつながりも弱まり、弱者は、軽視されたり無視されたりして片隅に追いやられるようになってしまったのである。すべての自殺者の背後に見えてくるものは、人間としての尊厳を無視された絶望と支えを見失った人間の孤独である。

 今の日本社会が必要としている福音は、「天の父は、一人でも滅びることは望まれない」という、人間の尊さを訴える愛の福音と柔和なキリストとの出会いである。

 (故森一弘司教・2017.3.1記)

2024年2月29日

 ・神様からの贈り物⑧「打ち明けた弱さが、誰かの生きる力になる」

 先月コラムの話題としてあげたカレン族の村での体験を、引き続き書かせていただきたい。

  私は、K神父と引率者の一人として出会った。「神父」はカレン語で「パド」なので、このコラムではK神父のことを「パド」と呼ぶことにする。パドは男子校の校長先生であり、大学で教えることもしていた。柔和な笑顔と朗らかな笑い声が印象に残っている。

  パドは、村に来ることを「心の洗濯」と表現した。村で心をしっかり洗い、真っ白にしてから日本へ戻る、というのを大切にされていた。

  何より印象深かったのは、村での最後の分かち合いだった。パドは、自分の深刻な病気について私たちに打ち明けられた。「神父」という立場の人間が、自分の苦しみを赤裸々に語られたのは、私にとって驚きだった。その晩は様々な思いが浮かび、なかなか眠ることができなかった。

  翌朝、きれいな冬晴れの空の下、皆で食事をした。その後、パドは、一人で歩いていた私にそっと寄り添い、聖堂の前でこんな話をされた。「麻衣はたくさん苦しんできた。とても、つらかったと思う。けれども、それはきっと誰かの役に立つはずだ。それは誰なのか今は分からないけど、もしかしたら、それは麻衣の子供かもしれない。だから、希望を持ってほしい」。当時の私は信じられなかった。でも、パドの弱さを分かち合ってもらったことで、「前向きになろう」と思ることができた。

  数年後にパドに再会したのは、彼のお通夜でだった。献花の順番を待つ私は「次に会うのは天国だ」と寂しく感じ、「永遠に順番が来なければいいのに」と思っていた。でも、パドの顔を見た時、はっとした。とてもキリッとした清々しい表情に見えたからだ。パドの希望の言葉を思い出した時、こう感じた。「生きるとは、誰かのために自分を分け与え、その人の糧となって生かすことなのだ」と。

  20年前に体験した村での思い出は、色鮮やかで、まぶしいくらいの輝きを放ち、セピアや白黒に色褪せることは決してないない。「麻衣の経験は、きっと役に立つ」というパドの言葉も、決してきらめきを失わない。私が書く文章も、ささやかながら誰かの糧となりその人を生かせるよう、精進していきたい。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2024年2月29日

・Sr.阿部のバンコク通信 (86)「どんな状況に置かれても、主への信望愛の力で前進したい」

  「ハングする」「フリーズする」という言葉を普段に耳にするようになって久しい。複雑な人間関係、社会組織、高度なAI依存の中でコンピュータやスマホよのうに、私たちの頭も心も体も、麻痺した様に痺れ、思う様に動かなくなることがあります。
 些細なひと言で、自分の全てが奈落の底に堕ちたり、信頼していた友人との関係に亀裂が入り、立ち直れないほどの大打撃を受けることもあります。突然、大切な人を失う喪失感…。壊滅的な自然災害の打撃に大きな苦しみと悲しみ、争い、殺し合うほどの人間同士の争い今日も続いています。

 何という悲しい現実、ロザリオを握りしめて祈る手に、怒りを交えた力が入ります。と同時に、人間の優しさ、人々が差し伸べる心身の慈しみが、苦しみの渦中に凄いエネルギーで癒しと命への励ましをもたらしているのを、感じます。

 地震で被災した現場に、弾丸が飛び交う戦場に、微笑みが生まれるほどの出来事が… ニュースでは流れませんが日々起こっているのです。

 人間には創造主が備えてくださった治癒力、再起動し、立ち上がる生命力があるのですね。この心身のからくりの見事さに本当に感じ入って、心底身震いしてしまいます。

 人生に起こる様々な出来事は、機械のようにリセットし、再起動する、という訳にいかず、悶々と悩み、落ち込むこともあります。でも人には、命と共に備えられた「土壇場に発揮する力」があります。鍼灸治療でツボ(経穴)に針を刺すと体内からモルヒネが出て、痛みを和らげるように、窮地に立ち、苦しみの渦中で発揮される力を信じたいのです。

 何でもありの人生です。創造主にあやかり、どんな状況に置かれても、「死と復活の主」への信仰と希望、愛する力で自分をリセットしながら前進したい-そんな意気込みがこみあげてくる、今日この頃です。

 晴佐久神父様の『きっといい日』より一言いただいて… 「愛読者の皆さんどうかお元気で」❣️(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員、写真はSr.阿部の自筆の言葉)

2024年2月4日

・愛ある船旅への幻想曲 (36)「竜年の日本、この国は、教会はどうなっていくのだろう」

 日本では、1月1日夕に能登半島を中心とした地域で大地震が発生し、津波警報から避難を呼びかける絶叫調のアナウンスがテレビから流れ、震源地から遠く離れた場所に居る私の心臓と身体は硬直状態になった。

 愛猫を抱いたまま何が起こったのか茫然とする自分がいた。被災地の方々のショックは如何ばかりか。2日夕には羽田空港で旅客機と海上保安庁機の滑走路上での衝突のニュース速報が流れた。

 新年早々日本は、どうなっているのか。神様に伺いたいのである。そして、時間が経つにつれて不安と恐怖は苛立ちへと変わる。この寒空の下、着の身着のまま避難された方々のため、そして事故に遭われた方々のために国、首相の迅速なる対応を願わずにはいられない。

 人間社会は行政で動き、政治家が絡んでくる。最近、政治家はさまざまな分野で国民からの信頼は失墜続きであり、自分のためにあったらしい組織は崩壊している。それでも被災地への支援に関して、国そして行政からの指導を待たねばならない。この状況下で国民は、よく従っていると思う。

 行政と政治家のつながりは切り離すことのできない関係だ。それゆえに、政治家としての力量がある人を国民は選ばねばならない。国民の声に耳を傾ける姿勢を持ち、筋道を立てて丁寧な説明からの回答ができ、国民・人命を第一に考えるまともな?人を私たちは責任をもって選ばねばならない。

 カトリック教会はどうだろう。カトリック教会は、信徒が司教を選ぶことはできない。「共に歩む教会」を目指すために”シノドスの道”を歩くように教皇フランシスコは世界の教会に訴えておられるが、世界代表司教会議総会の第一会期総括文書からは、現代の状況を認識したうえでの前向きな議論ができているのか疑問を覚える。

 昨年、”突然”起きた大阪高松教区合併劇に関しても、信徒にとっても由々しき事態であろうに、”上”の方からの一方的な、体のいい言葉(文章)で、満足な経過説明もないまま、決定事項が発表された観がある。一般社会ではありえない”権威主義”的なやり方がなされ、「これぞカトリック社会」と思い知らされた信者も少なくないだろう。

 教会の”伝統”である位階制度を黙認する司祭、助祭、修道者、そして信徒がいることに驚くが、それに疑問を持つこと自体がカトリック信徒ではないと蔑視される。今回の合併劇が物語っているのは、「教会には、まともな?信徒は必要ない、いらない」ということではないのか。

 聖職者による性的虐待に関しても、私のまわりの、聖職者に”好意的”な信者の方々の多くは、「性的虐待があったことなど、教会から知らされていない」「私は何も知らない」「たまたま、でしょう」などまともに対応しようとしない。その一方で、まとも?な信者たちからは、「教会で性的虐待が一例でもあるなら、大問題。そんな場に自分を置くことはできない」「司祭という特権で信徒に虐待をする行為は絶対に赦せない」、さらには、「一つ一つの問題を解決するまで教会には行かない」との声も聞く。

 性的虐待問題に象徴される教会の信徒たちの二極化の根本にあるのは、聖職者への思い、ひいては自分と教会との繋がり方の相違だろう。人間は立場や生き方が違えば、互いを分かり合うことが難しいことも承知しているが、性的虐待で信頼を損ねた教会の姿を直視する勇気は、違いを超えて持たねばならない、と思う。

 社会の流れの中で、教会の良き点、悪しき点も知っていることが教会を愛するためにも必要ではないか。何よりも、教会は苦しんでいる人たちに寄り添わねばならない。決して自分のためだけの教会にしてはならない。

 今や宗教界にもAIを取り入れる時代である。若者が語るAIへの興味は半端でない。今年の『世界広報の日』の教皇フランシスコのメッセージは1月1日の『世界平和の日』と同様に”人工知能“をテーマとされている。教皇は、社会の変化をいち早く汲み取りAIにも識別をしながら、カトリック教会の未来に向けて考えておられる。

 ITによって世界が繋がり、大きく変動する中で、カトリック教会はこのままでは、そうした変化から取り残されてしまうだろう。信徒の教会離れが加速する今、教会のありようについて、AIの答えを聞きたいものだ。AIに私の質問の意図が分かり、まともな?答えが返ってくるだろうか。

 養老孟司さんが書かれた『まともな人』は、私の愛読書である。養老先生も、どんな人が「まとも」であるか分からないけれど、有名人の具体例を挙げて感想を述べておられる。しかし、そのことについても確信はない、と言われる。この正直さが、私は大好きだ。

 『まともな人』を読んで、心にいくらか余裕ができた。それなら次は、「当たり前」について考えようと思う。言い換えれば、「まともなこと」と言い換えてもいい。でも、「まとも」とは何だろう。「まともな人」とは、どういう人だろう… 私は、「私のまとも」?で生きているのだが。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2024年2月4日

・Chris Kyogetuの宗教と文学⑩「宮沢賢治の『よだかの星』ー灰の水曜日に」

 「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼(やけて)死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい」(「よだかの星」宮沢賢治より)

————–

(あらすじ) よだかは醜い鳥として生まれ、みんなから疎まれていた。鷹にはよだかと自分の名前が入っていることで「戒名」を押し付けられ、明後日の朝までに名前を変えていなかったら殺すと脅してきた。よだかはそれによって、殺されることの恐怖を覚え、また自分も餌となる虫を食べていることに嫌気をさした。居場所を探して飛び回るが、それでも彼を受け入れてくれるところは無かった。最後は、よだかは星になって、今でも輝いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 賢治は法華経を信仰し、元は浄土真宗の信者だったが、どれほど彼の宗教観がこの作品に影響があるのかは分からない。仏教では、生まれたことへの苦しみを超越するために修行を重ねることが重要であり、誕生時の状況や環境は過去の業(因果)の結果とされる。よだかの星も、生まれながらの醜さや他の星々からの虐待を通じて、運命に抗いながら居場所を探し求めた。

 仏典によると、ネパールのカトマンズ盆地の東方の山中に「ナーモブッダ」という有名な聖地がある。ここはブッダがブッダとして生まれる「前世」において、お腹を空かせた虎の母親に自分の生命を投げ出して与えたという話がある(純粋贈与)。前世のブッダは自分に身体に対する執着を捨て去ることができたとされる。そこで「食べられるもの」と「食べるもの」の区別さえ消失している。「よだかの星」の構想は、この話の影響は無意識下でもあったのかもしれない。

 また、仏教では苦しみから解放されるためには、執着や欲望からの解放が必要とされる。よだかの星は周りからの差別や虐めに苦しむことで、物質的な欲望や世俗の価値観からの解放を迫られた存在として描かれている。

 よだかは、「はちすずめ」や「翡翠」の兄でありながら、醜かった。その上、心優しく、緩やかに「食事」をするという不浄を受け入れようとすることができなかった。居場所を求めるも、太陽や星々に拒否されてしまうが、最後は星になる。

 鷹から名前を戒名することを命令され、殺意を向けられてしまうが、不条理な殺生を受け入れられなかったよだかは、名前だけは「神様」にもらったものだと言って、星になった。これは、単なる自己犠牲と思われがちだが、鷹の命令に背いてまで彼は神から預かった名前を守ったのだ。それはカトリック信者で言えば「洗礼名」とも言えるのかもしれない。

 神の価値観と人の価値観の摩擦がこの作品には見られる。本来ならよだかも祝福されるべき存在であったが、彼には苦しい摩擦だけが訪れた。よだかは自分の生きていくための殺生を拒むことや、自ら命が尽きるまで飛び続けて星になってしまったことから、自死ともとれ、非暴力による攻撃力の高さとしても評価されているが、それ以前に鷹のような存在がまず「定め」と言って非暴力的に差別することは日常にある。

 

 今年、2024年は2月14日に「灰の水曜日」を迎えるが、その前日に多くの信者が「赦しの秘跡」(告解)を行うだろう。きっと多くの聖職者たちが「赦しの秘跡」の素晴らしさなどを語るのかもしれないが、私は8割の聖職者を信じることができないのかもしれない。現に、この秘跡の機会を”利用”され、強姦された女性信徒が、訴訟を起こし、その裁判が始まっている。

 私はそれを知った際に「そういう神父はいても不思議じゃない」というような経験が、私にもあった。さほど大したことがないことではあるが、だからと言って、これに関しては通報することはしなかった。

 私たち女性は、「神父は女性経験が少ない」「女性に慣れていないから」と等という理由に、デリカシーの無い発言や態度に色々と我慢していることがある。赦しの秘跡は教会によって個室でない所もあるが、色んな話を聞きすぎて、妄想を抱いている神父、というのが存在する。

 「職業病だ」と”同情”する意見もあるが、しかし、それらに理性をおいて一線を保つことも覚悟の上で神父になったはずだ。女性というのは、カトリックに限らず、女であるのなら、そう言うことは免れないので、目を瞑っていることが多い。

 「いちいち軽い『言葉』や多少、触れることを気にしていられない」というものも確かにある。だから、それが一線を超えて自分を傷つけていて、「異常だ」とすぐに気づけないことが多い。どこから「異常」が始まっていて、どこまでなら黙るべきなのか、気のせいなのか… すぐに被害を報告できない、というのは確かにあることだ。

 

 これからの灰の水曜日から自身を省みるとするのなら、信者に「赦しの秘跡」を勧める前に、私たちに「信仰かが遠のいている」と説教をする前に、赦しの秘跡の根本を見直すべきだ、と提案したい。

 例えば、教皇フランシスコが2014年2月19日の一般謁見での説教で、「迷える羊に対して善き牧者である私たちが、主になさるように、両肩に人々の魂の重荷を担う準備が整っているべきなのだ」と語っておられる。もっと、掘り下げたいが、長くなるので割愛する。

 生きる上で、「よだか」のようにこの世との摩擦は必ず訪れる。確かに、聖職者にも「書き味が悪いペン」がいたとしても、そういう存在も回心し、再起できる場所というのも理解はできるが、「秘跡」に不正を混ぜてしまうことは、矛盾でしかない。他の宗教や宗派にも真理があるというように、カトリックの教理が正しいかどうか、というのは問わないとしても、私達はイエスの名前を使って体系づけられたことに同意したことを、忘れがちである。

 自分自身の洗礼名に始まり、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」(マタイによる福音書18章20節)とあるように、イエスの名前を深く意識することを忘れてはならない。

 イエスキリストの存在は、シニファン、シニフィエのように単にシンボルや言葉の意味だけで説明できるものではない。彼の存在は、人々の信仰、経験、そして奇跡的な出来事により深く根付いていく。そのため、あらゆる言葉や概念に閉じ込めることはできない。イエスキリストの存在はシンボルや言葉の枠を超えているのだ。それには、心をどうしておくべきか、それこそ聖書に書かれてあるだろう。

 

 よだかは、自分の名前を守ろうと星になった。神様からもらった名前だからだ。これには魂の尊厳と神への忠誠心すら感じさせる。どんなに見た目が醜くても自分にも「小さな光のカケラ」があると、よだかが太陽に言ったように、誰しもそのような魂の尊厳がある。

 よだかの死について、よだかをバカにした鳥たちや、存在を拒んだ星々達は悲しむことはない。残念ながら、そういう人たちは、悲しまないのだ。そういう人たちから奪われたものは取り返すことができない、と私は思っている。けれども、その悲しみや死は心優しい読者を傷つける。非暴力の攻撃性というものは、愛してくれる人に大きな傷を与える。自死というものはそういうものだ、ということも隠喩としてあるだろう。

 鷹のようにならず、よだかの綺麗な心のように生きること、守り抜いた神様からもらった「名前」のようなものを人は誰しも持っている。それを賢治も訴えているように思う。それには、童話として架空の死を通す必要があったのかもしれない。

 

 遠くの訴訟や、会ったことのない人間が、どこかで苦しんでいる、ということを自分の痛みのように感じる必要はないのかもしれない。それでも、イエスの名前を使う限り、イエスは私たちに何かを求めていることを忘れてはならない。他者というものは「架空」のようにも思えるが、キリスト者は他者を宗教的に感じて、イエスの愛と正義を実践しなければならない。

 イエスが望んでいることは何なのか、自分自身の小さな光のカケラを探さなければならない。四旬節の始まりである灰の水曜日のこの日は、信者たちが過去の過ちに反省し、聖体拝領を受ける。

 灰の十字を受けることで、自分自身の罪や過ちを認識し、赦しを求めるが、学び直し、皆様が去年よりも気づけることを。

(Chris Kyogetu)

2024年2月4日

・カトリック精神を広める ②「あなたはUFOを信じますか?」

 最近、UFO 未確認飛行物体 (Unidentified Flying Object )の話題がかまびすしい。皆さんはUFO を信じますか?

 一昔前のかつての少年なら、誰しもUFOを信じていたのではないだろうか。かく言う私も、若いころはUFOを信じていた。当時、公的機関がUFOのことを公けにすることはなく、好事家の間でひそひそ話のような塩梅で、口伝で広まったぐらいだった。

 だが最近では、2023年の8月、米国防総省(DoD )が、UFOとUAPに関する目撃情報を一般公開するホームページを立ち上け、米空軍などによって撮影されたUFO UAPの動画をアップするようになった、ということで、随分話題になっている。

 UFOと言わず、UAP 未確認空中現象( Unidentified aerial phenomenon )と呼称しているところが面白い。「未確認飛行物体」ではなく、「未確認空中現象」なのだ。一部に正体の知れない未確認のものもあるが、大方は航空機など既知の人工物、流星、蜃気楼などで、遠方のサーチライトや自然物(天体・雲・鳥など)の誤認だ、と報告されている。

 そもそも、「地球外生命体」が地球を訪れることは可能なのだろうか。我々が住む銀河には少なく見積もっても100個以上の居住可能な惑星があるという。しかし、その距離が問題である。地球から一番近い惑星でさえ、光の速さでいっても数十年以上かかる。常識的に考えても、地球を訪れることは不可能であろう。「未確認飛行物体」ではなく、「未確認空中現象」と言っているのは正しい。

 だが本当のところ、宇宙には我々人類と同じような知的生命体は存在しているのだろうか。かつてアメリカのドレイクという人が、私たちの銀河系の中に地球か、それ以上の文明をもった宇宙人が現在どれくらいいるのかを表す一つの式を考えた。

 「ドレイクの宇宙文明の式」と言われるもので、(文明の数)=(銀河系で毎年誕生する星の数)×(惑星系をもつ星の割合)×(そのうち生命に適する惑星の数)×(その中で生命が生まれる惑星の割合)×(文明をもつ宇宙人に進化する割合)×(文明の寿命)この式の中で、生命に適する惑星の数がいくらあっても、生命が生まれる割合は相当低いのではないか、と思う。

 最近読んだ「生物はなぜ誕生したのか: 生命の起源と進化の最新科学」 (ピーター・ウォード , ジョゼフ・カーシュヴィンク著=河出文庫) によれば、地球では、35億年前に生命が誕生してから、種の50%以上が大量絶滅した事件が5度といわず10回も起こっている、という。

 その一つが、6500万年前に起きた、いまもクレーターの跡が残るメキシコのユカタン半島に落ちた直径が15kmもある小惑星の衝突である。この衝突では、当時、地球を我が物顔に闊歩していた恐竜をすべて根絶やしにしてしまっている。全恐竜が絶滅した6500万年前、その時、人類の祖先はどこにいたのだろう。

 ネズミのような哺乳類の一つとして、自分の何十倍もある恐竜の足元で逃げ回っていた、という。人類の祖先は、小さい故に絶滅を免れたのだ。そのような全生命体の半数以上が死に絶えた事象が10度もあった、というから驚くではないか。全地球が凍結し、地球が雪の玉、全球凍結(スノーボールアース)になったことは一度や二度ではない。その度に、人類の祖先は存続し続けた。単なる偶然というべきか?

 生命が居住可能な惑星はいくつもあって、地球はその一つに過ぎない、と多くの宇宙生物学者が言う。しかし、この本の著者のピーター・ウォードは、「現在の地球にいる動物や高等植物のような複雑な生物が進化するには、様々な条件が必要になるという点は決して軽視できない。地球のような生命は多分唯一無二ではないにせよ、非常に稀である」と言っている。

 これが「レアアース仮説」で、「仮に宇宙に微生物が溢れているとしても、地球の動物のような生物を生むほどの進化が起きる条件を備え、環境の安定した時代が長く続くような惑星は間違いなく稀である」とウォードは言う。

 そしてこう続ける-ダーウィン以来、生物は長い年月をかけて徐々に、一直線的に進化してきたと思われてきた。しかし、そうではなく、生命は、メキシコ、ユカタン半島に落ちて恐竜を絶滅に追いやった小惑星のような、「たびたび恐ろしい事象に直面し、それをくぐりぬけ、最終的に今日見られる生物相に辿り着いた。試練は時に進化を大幅に加速させ、時に生物を絶滅の淵へ叩き込んだ。私たちはすべて、その嵐をかいくぐってきた生き残りである」と。

 

*宗教上からUFOを考えてみる

 カトリックでは、宇宙を創造された三位一体の神、イエス・キリストが人間になって、アダムとイブが犯した罪を償い、十字架につけられて死に、葬られ、3日目に復活されたと信じられている。宇宙に人類と同じ生命体がいたらどうなるだろうか。同じく、その星でも、その生命体での救い主となって十字架に付けられて死ぬのだろうか。

 そんなことはあり得ない。イエス・キリストが被った苦しみは並大抵での苦しみではない。新約聖書には、十字架に付けられて死ぬ前の日の木曜日の夜、園で、これから自分の身に起こる十字架上での苦しみを思って、血の汗を流されたという。

 私は断言する。180億年前のビッグバンから始まったこの宇宙は、魂を持つこの地球上の人類のためだけに造られたのだ、と
。天空にあまたの星々が輝くこの宇宙は、神様が人類のために用意されたものだ、と考えるとわくわくするではないか。毎夜、天体望遠鏡で星を見る筆者の習慣は止みそうにない。

(横浜教区信徒 森川海守)=ホームページ:https://www.morikawa12.com

2024年1月31日

・”シノドスの道”に思う ⑧シノドスをドイツの視点から考える (その2)

 昨年10月の「シノドスの道に思う⑤ドイツの視点から(その1)」の続きです。

 「カトリックあい」の「シノドスの道」の欄でもドイツ・シノドス批判の記事が少なくとも二つ紹介されました。一つは、「シノドスの進め方がエリート主義的であり、全信徒を含んでいない」というもの。もう一つは、「シノドス委員会や2026年春までに設立しようとしている『シノドス評議会』はこれまでのカトリックの教会観を壊すものであり、カトリック教会の秘跡的構造と一致しないので承認しがたい」というものです。

 シノダリティ(共働性)を、どのように教会にもたらすのか(回復するのか)という点から見て、重要だと思われる経過を簡単に見ていきたいと思いますが、その前に、ドイツの司教協議会と共に”シノドスの道”を歩んでいる一般信徒の組織、「ドイツカトリック者中央委員会」(ZdK)について少し紹介したいと思います。

 

*ドイツ・カトリック者中央委員会(ZdK)について

 ZdKの活動は、①ドイツ社会と教会において、公的にカトリック者の関心事を代表する②教会とカトリック者の使徒的行動に示唆を与え、さまざまな働きをコーディネートする③教区レベルを超えて教会の行政的事柄の決定に参画し、また司教協議会に助言する④「ドイツ・カトリックの日」などのカトリック者のイベントなどを共に主張する⑤カトリック者の関心と働きを海外でも、また国際レベルでも行ない、発信する-などです。

 メンバーはおよそ230人、そのうち97人はドイツ・カトリック組合の作業チームから選ばれ、84人は各教区の信徒連合から約3名ずつ選ばれ、45人は個人として選ばれた人たちです。

 

*「シノドスの道」と司教協議会の関係

 ドイツ司教協議会とZdKは、2019年に承認・採択した「シノドスの道の規約」に基づいて4つのテーマで審議と決議をしてきました。この規約によると、シノドス集会で議案が審議されたあと、第11条で「ドイツ司教協議会の参加メンバーの3分の2以上を含む参加メンバーの3分の2以上の賛成で決議となる(議案の通過)」とあり、さらに「シノドス集会で可決した決議案は、それ自体としては法的効果を持っていない。法的効力を持つためには、司教協議会と個別教区司教の権威が法的規範を公布し、それぞれの権限の範囲内で教導権を行使することが必要である。」と定められています。

 「シノドス集会」が「シノドスの道」の最高議決機関ではありますが、実際には司教協議会と個別の司教の権威、権限の下にあるのです。

 

*「シノドスの道」は第2段階へ:シノドス委員会の設立

 批判され、問題とされているのは、主に、以下のことです。

 2022年9月にシノドス集会で採択された実行文書「シノダリティ(共働性)の持続可能な強化:ドイツのカトリック教会のためのシノドス評議会」によると、これまでの「シノドスの道」の歩みをさらにシノダル(共働的)なものにするための審議と決議の場となる「シノドス評議会を2026年3月までに立ち上げること、そしてその準備をする「シノドス委員会」を新たに作ること、となっています。委員会は27人の教区司教、同数のZdKのメンバー、そしてシノドス集会から選ばれた20名で構成されます。

 委員会の目的は、まず、シノドス評議会を2026年3月までに準備することですが、同時にこれまでのシノドス集会で決議されたことを実践していくこと、また諸団体との関係を深めながらシノダリティの概念の理解を深めることにあります。

 

*「シノドス評議会」とは 

 「シノドス評議会」とは、先の実行文書によると「助言し決議する団体として、教会と社会の大きな発展のために助言し、司牧計画や将来の展望、一司教区だけで決めることのできない経済的、財政的事柄の決断をすることにある。評議会の委員構成はシノドス集会のメンバーの比率に合わせ、決議した事案はシノドス集会と同じ法的効力を持つ」とあり、バチカンなどから出されている批判は、「この評議会が、司教協議会の権限を上回る機関になるのではないか」、それゆえ、「司教たちと一般信徒の<共同統治>を含むシノドス評議会モデルはカトリックの教会観と一致しない、カトリック教会の秘跡的構造と一致しない」というものです。

 

*シノドス委員会で決議はされたが・・・

 2023年3月のシノドス集会で、シノドス委員会を設立することが決まり、11月に第一回の設立集会がエッセンで開かれ、シノドス委員会の規約と議事進行規定が決議され、その後のZdK総会で圧倒的多数の賛成で、規約が採択されました。ただ、最終的に効力を持つには司教協議会総会の決議が必要なため、2月にアウクスブルクで開かれる総会がどのような展開となるか注目されています。

 

*“一致”の乱れ、委員会の合法性、運営資金などの問題

 総会で問題とされそうなのは、シノドス委員会の規約で、投票・議決に関する条項に「この規約で何か他のことがない限り投票数の単純多数で議決される。シノドス委員会の最終投票(決選投票)では投票数の3分の2の多数で議決される」とある点です。

 これまでのシノドス集会の「ドイツ司教協議会の参加メンバーの3分の2以上を含む参加メンバーの3分の2以上の賛成で議決される」と比べると、司教優位から、司教も一般信徒も同等の投票に変わっており、4名の(保守的な)司教が委員会から外れてしまったため、司教たちとZdKとのパワーバランスが信徒優位になったと理解されています。

 保守派とされる4名の司教は、これまでのシノドス集会で、シノドス評議会やシノドス委員会の規約について反対票を投じただけでなく、自らシノドス委員会から手を引きました。司教団の“一致”が壊れた、とも言えるシノドス委員会や評議会に「合法性」はあるのか、という疑問も持たれているのです。

 司教4名の退出で、委員会の運営資金の調達にも支障が生じています。ドイツの全司教の承認がなければ、ドイツ司教区連盟(VDD)から運営資金が出せないことになっているからです。

 

*秘跡的構造とシノダリティのせめぎ合い・・・

 教会が「秘跡的な構造」であるというのは、『教会憲章』で、教会は救いの「目に見える秘跡」となるように神は望まれたが、その中で聖職者と一般信徒との間に区別を定め、司教たちの教導の下に司祭や一般信徒がいる、「共同統治」は「カトリック的でない」という見方でしょう。

 しかし2022年8月にドイツ司教協議会が出した、世界シノドスのための報告書の「権威と参加」の項に、「私たちは私たちについてだけ決議されることを望んでいない、私たちと共に決議されることを望んでいる」とあり、翌9月のシノドス文書にも、「人間の諸権利なしの人間の尊厳は、ただの要請にすぎない」とあります。一般信徒に一票を与えることなしに尊厳はあるのか、ということです。同年2月のシノドス文書には「教会のシノダリティ(共働性)は、司教たちの団体性以上のものだ」とあります。改めて、シノダリティの定義が問われていると言えるでしょう。

*ドイツ司教協議会www.dbk.de ドイツカトリック者中央委員会www.zdk.de
シノドスの道www.synodalerweg.de など参照      

(西方の一司祭)

 

2024年1月31日

・故森司教の言葉再掲③日本人の心に響かない教会の言葉—日本の教会に求められる創造力

 日本で働く宣教師たちが,異口同音に口にする言葉は、日本社会における宣教の難しさである。

 過去を振り返るとき、日本社会全体が、カトリック教会に好意を寄せ、カトリック教会に積極的に近づこうとした時期がある。それは,第二次世界大戦(1945年)が終わり、天皇を中心とした軍国主義の呪縛から解放され,人々が,新しい光,新しい希望を求め始めた頃である。

 その願いに応えるような形で、1950年代の初めには,欧米諸国から多くの修道会・宣教会が大挙して来日し、日本のカトリック教会がかってなかったほど活気づいたことは事実である。

 各地に創設されたカトリック学校教育施設や福祉施設などの存在は、人々のカトリック教会への信頼をかち得るために大きな力となり、人格的に魅力ある司祭や修道女たちの働きで、多くの人々が洗礼に導かれ、1950年代の後半には年間の成人の洗礼者数は一万人を超えるようになったこともある。

 ところが、60年代に入ると、年間の成人の洗礼者数は減少し始め、70年代にはさらに激減し、4000人台にまでになってしまうのである。それは、社会が高度経済成長に向かって猛烈に走り始めた時期であった。

 当時の教会の中では、洗礼者数の減少の原因を社会の流れに転嫁して、人々が物質的な豊かさを積極的に求めるようになったことに問題がある、と分析・指摘する聖職者たちが大半であったが、しかし、それでは、減少の原因のすべてを説明仕切れないという思いが、当時の私にはあった。

 というのは、その頃,日本社会に新たな宗教へのニードが高まってきていたからである。実に、1970年代には、立正佼成会や創価学会などの仏教系の新しい宗教が勢力を拡大したり、1980年代になってからも次から次へと新しい宗教が誕生したりして、若い人々を引き寄せるようになっていたからである。

 それは、人々が経済的な豊かさに満足できず、人間を根本から支える真の光に飢え渇いていたことを証すものであり、宗教に対するニードは衰えるどころか、強まっていたことを証すものである。

 社会に宗教的なニードが高まっているにもかかわらず、カトリック教会に近づき、洗礼を受けようとする者が数の上で激減してしまったと言うことは、カトリック教会の側に、何らかの原因があったというべきなのである。

 さまざまな理由が考えられる中で,私にとって最も根本的な理由と思われるものは、伝統的な教義を伝えようとする司祭や宣教師たちが使う言葉が、日本人の心に響かなかったという点である。実に教えの中で使われる用語や教会で使われる言葉が,人々の実生活や日本人の思考方法からあまりにはかけ離れていて、それを受け入れ理解していくことは、日本人にとっては容易なことではないと言うことである。

 それを、別の言葉に言い換えれば,1945年以降,新たな宣教活動を開始した日本の教会が、人材面でも財政面でも欧米からの修道会・宣教会に依存しすぎて、独自性を育てられなかったこと、つまり自分たちなりのキリスト教理解を深め、自分たちなりの言葉を紡ぎ出すことが出来ずにきてしまったことである。

 今、日本の教会に求められることの一つは、日本の人々の心に届く「言葉」を生み出して行こうとする創造力である。

(2016.12.1)

2024年1月31日

・神さまからの贈り物 ⑦「心臓がドキドキしてる!」

 カトリックの世界に馴染みのなかった私は「修道女は、物静かでおっとりしている」というステレオタイプな見方を持っていた。でも私が出会ったシスターYさんは、明るくパワフルで、お茶目な一面を見せてくれることもあった。

 彼女とは、今から約20年前に、カレン族の村で共に過ごした。心身ともに頑丈で、腕相撲勝負では男子大学生にも負けなかった彼女とは、長年、航空郵便で繋がっていた。

 海を越えて届く手紙には、色とりどりの切手が貼ってあり、手書きの文字で住所が書かれていた。彼女は、波乱万丈な毎日を送る私のことを『一番ちっちゃな妹』として、祈り続けてくれていた。

 今から数年前、私の心臓がいつもバクバクしていた時期があった。小さな物音にも敏感に怯え、悪夢を見て睡眠がとれなくなった。食も細くなり、外出すると涙が出る始末だった。

 「何かがおかしい」と思い、病院で診察してもらったところ、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が出ていますね」と医師から言われた。自分には関係ない、と思っていた診断に、私はとても混乱した。事情を知ったシスターYが「日本に帰ったら飛んでいくわ!」と約束してくれた。

 シスターYが帰省のため日本に来られた翌日、彼女は本当に、私のところに、飛んできてくれた。見慣れた彼女の青色をしたベールがひらりと見えただけで、私は思わず、ほろりとしてしまった。シスターは大きく腕を広げ、満面の笑みでまっすぐ歩み寄り、ぎゅっと私を抱きしめた。

 彼女はこう言った。「ああ、よかった!麻衣ちゃんの心臓がドキドキしてる!生きてる!!」。気が付くと、私はシスターYにしがみついて、赤ちゃんみたいに泣いていた。

 ひとしきり泣いた後、私の中に今までとは違う考えが浮かんだ-私の心臓は、恐怖でバクバクしているのではなく、「生きたい!」と私に訴えるためにドキドキしていたのだ、と。それは、私が生きていることを心の底から喜んでくれる人が目の前にいたからこそ、気付けたことだった。

今年は2024年、幼い二十歳だった私も、あと少しで四十路に手が届く。中年の入り口にふさわしく、体はふくよかになり、一丁前に白髪も生えてきた。いまの私は、「心臓がバクバクしている」と思っていた頃の過去の私に、こんな言葉をかけてあげたい。

 「今の私は、将来の夢を描いてワクワクしているよ。だから、安心して未来に歩いておいで」と。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2024年1月31日

・Sr.阿部のバンコク通信  (85)聖霊の閃きに導かれながら、頑張ろう!

タイの人々は一般に新しい物事に素早く目を付け、関心と興味を持っていて、その進取の気性の強さ、敏感さには常日頃驚いています

新製品がいち早く市場に並び、広告宣伝の品が市民の手中に入る早さ、すごい勢いです。食べ物、ファッション、携帯用品、化粧品、薬品、あらゆる生活娯楽用品。流行り廃れも激しく、姿を消す勢いもびっくりするほどです。携帯電話の普及状況と順応は見事で、対応と使い勝手の良さは日本に負けないほどです。

自由自在に自己表現した衣食住の数々、キラキラした好奇の目…生き生きした雰囲気が漲った若々しさ、タイで生活していていいなぁと思います。巷の此処彼処の活気溢れる市場は最たる場で、行く度に元気をもらいます。

タイ人の気性は、規制束縛されるのを嫌い、自由安泰に都合よく生きることを好みます。勤め先で上司や人間関係で居心地が悪いと、サッと辞める。何度も転職した事を誇らかに話す日本の会社のタイ人秘書。お手伝いさんも予告なしに給料もらってサッと姿を消すので、日本の奥さん達は困惑立腹。忍耐や忠実、根気強さを旨とする私にも意外に感じていました。

他人の目を気にして、ストレスを溜めて生きている日本人が、タイに来るとホッとする、と言いうのが頷けます。『帰ったら監視カメラに囲まれた生活ですよ』と。タイ人は確かに誰の目も気にせず、好みに合わせて服装を楽しみ、それぞれが信じ考えるところに従って自分の人生を生きています。束縛するほどの干渉と接触を避け、思慮ある間隔を保つことで住みやすくなる、と思います。

私自身をイエスの福音=岩の上に据え、何事にも動ぜずに生きる賢い人なりたいと心底思います。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても倒れなかった土台岩=イエスを述べ伝えて今年も邁進、捧げてまいります。

愛読者の皆さん、お互いに聖霊の閃きを捉え導かれながら、頑張りましょう。良いお年を❣️

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2024年1月6日

・カトリック精神を広める ①聖人の「奇跡」とは…

 カトリックでいうところの聖人とは何でしょうか。聖人とは、一言で言えば、「亡くなった後、煉獄を経ずに天国に直行して神の御前に立てる方である」と今、地上で生きている人が証明できる人だろう。

 カトリックでは、死後の世界を天国と地獄の他に煉獄があると信仰されている。地獄に行った人は永遠に地獄にあるが、煉獄は、死後すぐに天国に行けない人たちが、生前の罪の贖い(あがない)をするための場所で、幽霊はこの時のものである。手にイエス・キリストと同じ十字架の傷を受けた聖人のピオ神父のもとには、度々、煉獄の霊魂達が訪れ、天国に行けるよう祈って欲しいと訴えたという話が、まことしやかに伝えられている。これこそがまさに幽霊。

 ピオ神父は度々、暗闇の中、「そこにいるのは誰だ!」と叫んでいたというが、考えてみたら、こわーい話ではある。

 神父のことが書かれている「煉獄の霊魂は叫ぶ!『ピオ神父、万才!』」(アレッシオ・パレンテ著、甲斐 睦興 訳、近代文芸社)の逸話を紹介しよう。

 時は第二次世界大戦が激しいころ。イタリアのカプチン会の修道院での出来事。或る晩夕食後、修道院の門が閉ざされて長時間経ったとき、階下の入り口の廊下から、「ピオ神父万歳!(ビバ、パードレ、ピオ)」と数人が叫ぶ声が、修道士たちに聞こえた。煉獄の霊魂が、ピオ神父の祈りのお陰で、天国に行くことに決まり、ピオ神父に感謝の意を示すために修道院に来て、叫んだものだった。

 そんなこと、知るよしもない修道院長が、部下のジェラルド修道士を呼び出し、「今しがた玄関に入ってきた人たちに、『もう遅いから修道院の外に出なさい』と言うように命じた。修道士は、言われるまま階下に行って、門を見ると、正面の扉は2本の鉄の棒でしっかり閉じられていた。彼はこのことを院長に報告した。翌朝、院長は、ピオ神父に、この出来事の説明を求めた。ピオ神父は説明した。「ピオ神父万歳」と叫んだのは、自分の祈りを感謝しに来た、戦死した兵士たちです、と。
 

 もう一つ紹介したい。これはサレジオ会の創設者、聖ドン・ボスコが若いころ、神学校で仲の良い友人から「なあ、ボスコ、本当に天国ってあるのかい? 約束しようじゃないか。どちらか先に死んだ方が天国に行ったら、生きている方に報告しに来る、というのはどうだろう」と提案を受けた。暫くして、友人は病に伏し、病床でボスコに言った。「前に約束したことを必ず実行する」と。

 友人が亡くなった翌晩、20人の神学生たちのベッドが並ぶ寝室に寝ていたボスコは、夜中、多数の馬に引かれた馬車が寝室にやってきた、というくらいの凄まじい音を聞いた。他の神学生たちも同じ音を聞いた。その凄まじい音とともに、亡くなった友人がボスコのベットの脇に立ち、「ボスコ、私は救われた」と大声で叫んで去っていった。

 ボスコは、あまりの恐しさに病気になってしまった程で、以来、このような約束を交わすことを金輪際止めたという。20人の神学生が同じ音を聞いているから、この話も信憑性が高い。「完訳ドン・ボスコ」(テレジオ・ボスコ著、サレジオ会訳 ドン・ボスコ社刊)に書かれているが、よく書かれているので一読をお勧めしたい)

 亡くなった聖人が、いま天国にいるということを、生きている人がどうやって証明するか。カトリックでは、委員会を作って生前の友人や知り合いに聞き取り調査をする、手紙や著書を読み解くなどして、徹底的に調べる。少しでも疑いがあれば、疑いが晴れるまでは、調査を止める。もし神がその人を聖人の位にあげたければ、神ご自身が人間社会に働
きかけるだろうとカトリックは考える。

 調査には、墓をあばくことも入っている。昔は土葬だったため、土の中に葬られている棺を取り出し、中の遺体を調べることまでする。墓をあばく理由は2つある。一つは、もしも墓の中で生き返った場合に(もちろん、めったにはないことだが、実際に生き返った人がいたらしい)、絶望して死んでしまうかもしれない。それでは聖人になれない。

 もう一つは、体が腐敗しない、ミイラ化の処置をしていないのに、体が腐らないという奇跡を起こす聖人がいるのである。現在、ミイラ化されているご遺体は、例えば、北朝鮮の初代最高指導者の金日成(キム・イルソン)や、ロシアのレーニン、特殊な防腐処理(エンバーミング)を施され、モスクワ都心の「赤の広場」のレーニン廟に安置されている。これらには、防腐処理が施されている。

 読者が信じるか否かは分からないが、肉体が腐らない聖人たちがいる。例えば、南仏のルルド聖母の出現を体験したことで有名な聖ベルナデッタ。彼女は35歳で亡くなったが、聖母マリアのご出現を体験しただけではなく、修道院内でも聖女の誉れが高く、亡くなってから30年後、聖人の位をあげるのにふさわしいかどうかの調査で、衆人環視の中、墓の中の棺の蓋を開けてみたら、生前と変らない肌に弾力のある聖女が現れ出た。まさにこれは神の恵み。

 聖女のご遺体はフランスのヌベール市のサン・ジルダール修道院の聖堂に、安置されており、一般の人も直接、見ることができる。(巡礼ガイドなどは、 ヌヴェール愛徳修道会日本地区のホームページ (neversjapon.org)でご覧になれます)

 

(横浜教区信徒・森川海守(ホームページhttps://morikawa12.co)

2023年12月31日

・神さまからの贈り物 ⑥「カレン族の村で愛を浴びる」

  二十歳の成人式を迎える日、私はタイ北部のミャンマーの国境近くの山奥にいた。なぜなら、私は生き返りたかったからだ。

   そこに住むカレン族の村人たちと『共に生きる』ことを体験するこのプロジェクトは、日本での成人式を諦めてもいい、と思えるほど魅力的だった。人生で初めての挫折を経験し、心身ともに弱り果てていたから、なんとか立ち直りたかった。

  「『ご飯だよ』と『ありがとう』さえわかれば大丈夫よ!」と、お世話役のシスターに送り出された。私が滞在した家のモー(カレン語でお母さんの意味)は、向日葵のように明るく、菫のようにはにかんだ笑みを見せる人だった。モーは、惜しみ無く愛情を注いでくれた。

  忘れられないのが、とんでもなく辛い料理が出た朝食、あまりの辛さに私が「アヘー(辛い)!」と涙目になった。「オ ティー(水を飲め)」と家族全員が笑った。その時に出された水は、湯冷ましだった。村の水は綺麗だが、慣れていない日本人がお腹を壊すことがあるのを、モーはきちんと覚えていてくれた。翌朝「こっちは辛くないよ」とマイルドな味の料理も作ってくれたのも印象的だ。

  モーの愛情によって、日本で凍りついてしまった心がゆっくりと溶けていくのがわかった。一緒に食べ、笑い、祈りを共にすることで、安心が広がる。「モーの愛情を独り占めしていいの?」と聞くと、モーは声を立てて笑い、私をぎゅうっと抱き締めた。

  ある日曜のミサで、私は成人のお祝いをしてもらった。白い筒型のワンピースのような民族衣装には刺繍が施され、それは家によって形が違うらしい。そう言えば、前日の昼間にモーが熱心に縫っていたのを思い出した。

  祭壇の前で司祭たちから祝福を受けた。心に熱いものがあふれ、緊張感でピンと張りつめていたものが緩んだ。頬には、大粒の涙がぼろぼろ音を立てるようにこぼれた。生まれて初めて体験する深い安堵に「私の心は息を吹き返した」と確信した。

  ミサが終わると、村人たちみんなが長蛇の列を作り、順番にブーゲンビリアの花を手渡してくれた。モーの手にも、ショッキングピンクのその花があった。モーは「どうして泣いているの?」というようにニコニコ笑い、両手の指で涙をふいてくれた。私は彼女にしがみつくようにして泣いた。苦しい涙しか流せなかった私が、嬉しい涙を流していた。

  そういえば、生きているだけで喜んでもらえた最後の日は、いつだっただろうか?と振り返った。 物心ついた時には、既に周りの期待を背負って生きていたような気がする。

  日本社会では効率のよさが重視され、私は生きづらさを感じることが多い。けれども、今日も神さまは「あなたを愛している」ということを周囲の人たちを通して、伝えておられるのがわかる。

  過去の私は、苦しいことは避けたいと思っていた。でも、苦しい時の私は必ず誰かからの優しさを受け取っていた。必ず試練とともに逃げ道がある。そのことは、私に大きな希望をもたらした。

  新しい一年が、みなさまにとってすばらしいものとなりますように。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2023年12月31日

・愛ある船旅への幻想曲 (35)新年、教会がどう動いて行くか、しっかりと目を覚ましていよう

 イエスの御降誕、新しい年2024年の始まり、おめでとうございます。

 2023年12月24日、教皇フランシスコは、「自ら人間の心を持たれた神が、人々の心に人間性を呼びさましてくださいますように」と、お告げの祈りで挨拶された。教皇は、パレスチナ、イスラエル、ウクライナをはじめ世界各地で戦争や貧困などに苦しむ人たちの為に祈りと、愛情の温かさと、簡素さのうちに降誕祭前を過ごせるように願われたのだ。

 “人間性”・・今を生きる私たち一人ひとりが人間性をどのように見なしているのだろうか。世々限りなく限りなく、人間性の本質は同じで、万国共通なのだろうか。。

 私は、戦争を経験していない。以前、アメリカ人の若者から「自分の友達は誰も戦争をしたくなかったが、戦場に出ねばならなかった。無事に帰還しても心の傷は深く、精神状態は悪いままです」と、生の声を聞いた時、戦闘が引き起こすストレスは想像を絶し、身近な一人の若者が苦しむ姿の背後にはどれだけ多くの人の苦しみがあるのだろう、と改めて「戦いに導く人間の本性にある邪悪さ」を思い知った。真っ先に若者たちが犠牲になる戦争、日本での戦争体験者の話も決して過去だけのことではない。

 今年もイエス・キリスト生誕の地とされるパレスチナ自治区、ベツレヘムで恒例のクリスマスミサが執り行われたが、ほとんどのイベントは中止され、司祭の1人は「イベント中止は世界へ向けた『戦争をやめてくれ、殺戮をやめてくれ』というメッセージなのです」と語った。このメッセージを私たちは、真摯に受け入れただろうか。(戦地で働く司祭方を思いやる司祭が日本にはどれくらいいるのだろう… ).

 イエスのご降誕を祝う荘厳な司祭の祈りと、それに応え、心からミサ曲を歌う信徒の声がお御堂に響き渡った時、そこに神はおられ聖霊は皆の上に降るだろう。この時、聖霊の計り知れない賜物は、救い主イエス・キリストがご自分の使命が果たせるように、教会が豊かになるようにと導いてくださる、と私は信じてやまない。

 「淫行、汚れ… 敵意、争い…利己心、分裂… このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません。これに対し、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、誠実…」(ガラテヤの信徒への手紙 5章21―22節)

 一つ一つの小さな教会の熱心な祈りが世の平和のためにどれだけ必要か、どれだけの信者が感じているのか。

 降誕祭ミサに限らず、全てのミサに対する聖職者の姿勢に疑問を感じながら与らねばならない教会での平和の祈りは虚しいだけだ。今、一生懸命司牧する司祭方の面目を失くすような聖職者の存在がある。彼らは、人間イエスの“人間性”を知っているのか。自己満足な自分だけの平和を守る人からイエスの愛は伝わらない。

 その当時、通りすがりにでも、人間イエスに出会いたかった私である

 2024年、世界がそしてカトリック教会がどう動いていくのか。。しっかり、目を覚ましていなければならない。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2023年12月31日

(故森司教コラム再掲)②20数年前、日本の司教団は福音宣教活性化のため、すべての信者に大胆な呼びかけをしたが…

 今から20数年前のことであるが、日本の司教団が、日本社会での福音宣教の活性化のために、日本の教会のすべての信者に向けて、大胆な呼びかけをしたことがある。その中に次のような一文があった。

160808%e6%a3%ae%e5%8f%b8%e6%95%99

 

「信仰を,『掟や教義』を中心とした捉え方から,『生きること、しかも,ともに喜びをもって生きること』を中心とした捉え方に転換したいと思います。」

 

「『掟や教義』から『生きること』を中心にした信仰の捉え方への転換」。この呼びかけは、伝統的な信仰生活に慣れ親しんできた西欧の人々には,奇異な印象を与えるかもしれない。が、その背後には,教会の扉を叩く人々の中に、心の傷ついた人や精神的に病む人々が多くなっていたという特殊な事情があった。

 

 周知のように、能力主義の浸透で競争が激化した結果、日本社会は経済的には発展したが、その陰で家族はその力を弱め、人と人とつながりはバラバラになり、いざ人生の壁に直面し、思い悩なければならなくなったとき、身近なところに、親身になって相談にのってくれる人を見出すことは,難しくなっていた。その表れが、自殺者や孤独死の増加であった。

 政府は、学校や職場にカウンセラーなどの専門家を置くようにしたり,ケースワーカーの増員を図ったりして対応しようとしてきたが、人の悩みや苦しみは複雑であり、カウンセラーやケースワーカーとの相談には限界がある。苦しみ悩む人々が、相談相手として最後に思いつくのが、教会であったのである。教会に行けば,生きていく力を見出せるのではないかという期待感を抱いて、教会の門を叩いていたのである。

 ところが、「教え」を伝えることに軸足をおいてきた教会は、こうした人々を求道者として受け入れ,教会の教えや聖書のクラスを紹介し、やがては洗礼に導いていくという流れの中で対応してきていたのである。 しかし、それは、必ずしもふさわしい対応ではなかった。と言うのは、教えは、日本人には馴染みのない用語がふんだんに使われていて、心の病んでいる人々や心身が疲れ果てている人々には,難しい。その上、そういう人々に限って、周りの人とコムニケーションをとることが難しく、たとえ教えのグループに入っても、人間関係に耐えられなくなって、いつの間にか姿を消してしまうのである。

 悩み苦しむ人々が、折角教会の扉を叩きながら,教会に馴染めず、いつの間にか姿を消してしまうということは,残念なことである。「教えに軸足を置いた宣教姿勢」に限界があることを知った司教たちは,その転換を図ろうとしたのである。

 「生きることを中心に」とは、厳しい人生を生きる孤独な人間のありのままを包み込むことに軸足を置いて、人と向き合うことである。人々は、苛酷な人生の現実にぶつかって、存在「being」そのものが弱り果て、いたたまれなくなって、教会の扉を叩こうとしているのである。そんな人々に何よりも先に必要なことは、揺らぐ存在「being」そのものをあたたかく包み込んでいくことである。「教え」は,その後のことである。

 日本の司教たちのこの呼びかけは、日本の教会全体に「労苦するもの,重荷を負うものは,私のもとに来なさい。休ませよう」という柔和謙遜なキリストの生きた証人になることを呼びかけた、と言えるのである。

(2016.10.1記)

 

2023年12月30日