♰「『偽りや欺瞞の言葉・行動』の現代に、誠実さにおいて知られる者となれ」-上智大学での集い

(2019.11.26 カトリック・あい 南條俊二)

 教皇フランシスコは26日朝、離日前の最後の行事として、上智大学を訪問された。ご自身も所属しておられたイエズス会が経営するこの大学の校内で、教皇はまず、イエズス会上智修道院のクルトゥルハイム聖堂で会員たちとミサを捧げられ、その後、修道院で彼らと朝食とり、集いを持たれた。

*少数派だが存在感のある日本の信徒たち、信徒でない人々との互いの尊敬が深まるように

教皇は、この後、大学のホールで講話をされた。講話では、まず、日本滞在の感想を「滞在は短かったが、大変、密度の濃いものでした… 日本でキリスト信徒は少数派ですが、存在感がある。私自身、カトリック教会に対して一般市民が持つ好意的な評価を目にしました」と語られ、「こうした互いの尊敬が、今後も深まっていくといい。日本は効率性と秩序によって特徴づけられていますが、一方で『よりいっそう、人間らしく、思いやりのある、慈しみに満ちた社会を創り出したい』という熱い望みを感じました」と今後への期待を述べられた。

*教育機関は日本の文化に重要な役割、未来のため自主性と自由を保ち続けて

また日本のこれまでの文化、教育については「日本はアジア全体としての思想とさまざまな宗教を融合し、独自の明確なアイデンティティをもつ文化を創り出すことができました。聖フランシスコ・ザビエルが感銘を受けた足利学校は『さまざまな見聞から得られる知識を吸収し伝播する』という日本文化の力を示す好例です」と評価。

そのうえで、「学問、思索、研究に当たる教育機関は、現代文化においても、重要な役割を果たし続けています。ですから、より良い未来のために、その自主性と自由を保ち続けることが必要。大学が未来の指導者を教育する中心的な場あり続けるとするなら、及ぶ限り広い範囲における知識と文化が、教育機関のあらゆる側面が、一層包括的で、機会と社会進出の可能性を創出するような着想を与える者でなければなりません」と、大学を含む教育機関に注文を付けられた。

*上智は、単なる「知的教育の場」でなく「未来を形成する場」「地球環境への懸念を表現する場」に

さらに、上智大学を特定して、あまりにも競争と技術革新に方向づけられた今の社会で、単に「知的教育の場」であるだけでなく、「より良い社会と希望にあふれた未来を形成していくための場」「自然への愛は、アジアの文化に特徴的なもの。私たちの共通の家である地球の(自然環境)保護に向けられる、知的かつ先験的な懸念を表現する場」となるように求められた。

 また教皇は上智大学のこれまでを『ヒューマニズム的』『キリスト教的』『国際的アイデンティティ』によって知られ、創立当初から、さまざまな国の出身の教師の存在によって豊かになってきました… 時には対立関係にある国の出身者さえいましたが、全ての教師たちが『日本の若者たちに最高の教育を与えたい』という願いによって結ばれていた」と振り返った。

 そして「まさにこれと同じ精神が、皆さんが国の内外で最も困っている人々を応援する様々な形の中に、息づいている。この大学のアイデンティティの、このような側面が、いっそう強化され、現代のテクノロジーの大幅な進歩がより人間的、かつ公正で、環境に責任のある教育に役立つ」との確信を述べられた。

*教員と学生が共に施策と識別の力を深める環境を

 教員と学生に対する注文として「共に等しく思索と識別の力を深めていく環境を作り出すよう、(イエズス会の創立者で)上智大学が礎を置く聖イグナチオ・ロヨラの伝統を基に推進していくこと」を挙げた。

*学生は、何が最善かを理解し、責任をもって自由に選ぶ術を習得せずに卒業するな

 学生に対しては「『何が最善なのか』を意識的に理解したうえで『責任をもって自由に選択する術』を習得せずに卒業してはなりません」と注意され、「どんなに複雑な状況にあっても、己の行動においては、公正で人間的であり、手本となるような、責任のあることに関心を持つ者」「弱者を決然と擁護する者」「『言葉と行動が偽りや欺瞞』であることが少なくないこの時代にあって、誠実さにおいて知られる者」となることになることを希望された。

*若者たちが教育の単なる受け手でなく、未来の展望や希望を分かち合うモデルを示して

 また大学の経営体であるイエズス会への注文として、「イエズス会が計画した『使徒の世界的優先課題』は、『若者と共に歩むことが、世界中で重要な現実である』ことを明確にし、イエズス会のすべての教育機関が、それを促進すべきだ、としています」としたうえで、「昨年秋の若者をテーマにしたシノドス(世界代表司教会議)と関連文書が示しているように、教会全体が希望と関心をもって、世界中の若者たちに注目しています。この大学全体で、若者たちが、単に準備された教育の受け手となるのはなく、若者たち自身も、教育の一翼を担い、自分たちのアイデアを提供し、未来のための展望や希望を分かち合うのです」と述べ、「皆さんの大学が、このような相互のやり取りのモデルを示し、そこから生み出される豊かさと活力で知られる存在となるように」と願われた。

*良い大学での勉学は少数者の特権ではない、貧しい人、疎外された人と共に歩め

 さらに、「上智大学のキリスト教とヒューマニズムの伝統は、現代世界において『貧しい人や隅に追いやられた人とともに歩む』という優先事項と完全に一致します-すなわち、現代世界において貧しい人や片隅に追いやられた人と共に歩むことです… 自らの使命に基軸を置く上智大学は、社会的にも文化的にも異なる、と考えられているものを繋ぎ合わせる場となることに常に開かれているべきです。格差や隔たりを減らすことに寄与する教育スタイルを推進する状況を可能にしつつ、疎外された人々が大学のカリキュラムに創造的に関わり、組み入れられていくことです」と、いっそうの力を求められた。

 そして、「良質な大学での勉学は、それを『ごく少数の人の特権』とみなさず、『公正と共通善に奉仕する者』であるという自覚を伴うべきです。それは、各自に与えられた分野での奉仕なのです… 貧しい人たちのことを、忘れてはなりません」と注意を与えられた。

*社会に喜びを希望をもたらす使命に加わるように期待

 最後に、「上智大学の若者、教員、そして職員の皆さん。以上お話しした私の考えと、この集いが皆さんの人生と今後のこの学び舎での生活において、実を結びますように。主なる神と教会は、皆さんが神の叡智を求め、見い出し、広め、今日の社会に喜びと希望をもたらす、その使命に加わるよう期待しています」と希望を述べられ、ご自身の訪問中の心のこもった温かい歓迎にについて、全ての日本の人々への感謝を表され、講話を締めくくられた。

 教皇はこれを最後に、22日夜からの日本訪問の公式行事を終えれ、26日午前羽田発の専用機でローマにもどられた。

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2019年11月26日