・世界の教会の今、教皇フランシスコの思い、そして日本は?(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

*第二バチカン公会議前後からの、歴代教皇と教会の流れ  

 近代のカトリック教会にとって最も重要な出来事となった第2バチカン公会議(1962年∼65年)は、伝統的な教会の行き詰まりに強い危機を感じ、「現代化」、現代の世界と共に歩む、開かれた教会への刷新を強く望む教皇ヨハネス23世によって、”守旧派”の抵抗を押し切って開催された。

  教皇は会期途中で亡くなられ、教皇パウロ6世が跡を継いで、教会憲章、典礼憲章、現代世界憲章など多くの憲章、教令、宣言を決定、公布。ヨハネス23世の切望された教会刷新が始まるかに見えた。

 ミサ典礼文のラテン語から現地語への移行、主の食卓を囲む形へ祭壇の変更など、は進んだが、根本的な教会刷新の推進者として期待された教皇ヨハネ・パウロ一世が在任わずか33日で急死されるという悲劇が起こった。

 初の東欧出身、50代の若さで教皇となったヨハネ・パウロ2世は東西冷戦構造の崩壊を背景に国際的に目覚ましい働きをされたが、守旧派が抵抗を続ける教会刷新は進まず、バチカン官僚支配も進み、続いて教皇となったベネディクト16世は他宗教に対する心ない言動が物議をかもし、バチカン内部の秘密文書漏洩などのスキャンダルも重なって、任期8年足らずで、異例の辞任。

 そして、2013年3月、教会刷新の期待を担って、初の欧州以外の出身教皇として、フランシスコが登場した。アルゼンチンの軍事政権下で苦難の中でイエズス会管区長とし格闘し、不遇の時を生きぬき、ベノスアイレス大司教、枢機卿、そしてラテンアメリカの教会の指導者として庶民と共に歩み続けた新教皇は、就任インタビューの第一声が「私は罪びと」だったことに象徴されるように、自らの弱さを知り、第二バチカン公会議の精神を今に受け継ぎ、弱く傷ついた人々を受け入れる「野戦病院」の教会、内に籠らず、「表に出る」教会、小さな人々と共に歩む教会を目指して働きはじめた。

 

*公会議の精神と狙いを現代に、と懸命に働く教皇フランシスコ

  教皇フランシスコは「世界に開かれた、弱い人々と共に歩む教会」という第2バチカン公会議の精神をそれをもとにした教会刷新の方策を、現代世界の教会、社会の実情に合わせる形で、実践に着手した。教皇の清廉で飾らない言動は、世界の若者を含む多くの信徒の心に響き、教会から離れていた信徒も大挙して戻る、という現象も起きた。サンピエトロ広場での日曜の正午の祈り、水曜の一般謁見に集まる信徒たちの数は、就任から5年を超えた今も、以前の教皇の時代よりもはるかに多い、と現地の日本の関係者も証言している。

 ①精力的な勧告、回勅の発布で全教会、全信徒に祈りと実践を訴え

  これまでの5年半でまず注目されるのは、毎年のように精力的に使徒的勧告、回勅、使徒憲章などを自らまとめて発表し、世界の全教会、全信徒に祈り、霊的活動、そして現実の社会での実践の指針を繰り返し示していることだ。それには、時系列的に示すと次のようになる。

 ☩使徒的勧告「福音の喜び」→信徒、教会の現在の社会の中で生きていく基本姿勢、心構え

☩回勅「ラウダ―・ト・シ」→地球環境を守る人間としての、教会としての、信徒としての課題

☩使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」(教会活動の原点としての家庭の抱える諸問題の克服)

☩使徒的勧告「喜びなさい、大いに喜びなさい」(現代における信徒の聖性)

☩使徒憲章「真理の喜び」→カトリック大学改革が急務

☩使徒憲章、「エピスコパリス・コムニオ(司教の一致)→

 

②シノドスの開催で、世界の司教たちの意思の結集を目指す

  第二バチカン公会議で打ち出された教皇と全世界の司教たちとの協働の精神に従って、直面する重要課題について、全世界代表司教会議(シノドス)を通常会議ばかりでなく、臨時会議も含めて積極的に招集しているのも、これまでの教皇に見られなかったことだ。

  具体的には、使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」とりまとめに当たった毎年、計二回の「家庭」をテーマとした会議、そして、10月3日から「若者の育成、召命」をテーマにした会議が始まる。このほかに、シノドスではなく、開催期間も短いが、聖職者の性的虐待と隠ぺいへの対応という緊急課題を扱う全世界の司教協議会会長による会議も2019年2月に招集されることになった。

 

③日曜正午の祈りの説教、水曜恒例の一般謁見での説教

  その他の場を通して、一貫したメッセージを発出。現地主義、家庭主義の教会をことあるごとに訴え、浸透を図る。

 

④バチカンの組織改革・・”官僚主義”の打破、組織の合理化・活性化、説明責任と透明性確保

  省庁の再編・統合⇒信徒評議会と家庭評議会を統合して「信徒・家庭・命の部署(Dicasty)」、正義と平和、開発援助促進、移住・移動者司牧、保険従事者の4評議会を統合して「人間開発促進のための部署」(移民・難民支援、弱者、失業者、紛争・自然災害、奴隷・拷問被害者に対応)に再編。さらに財政改革、予算の適正な活用を推進める財務事務局を新設した。

 

*教皇就任5年半の課題と守旧派の抵抗・・聖職者の性的虐待と隠ぺいによる打撃・・中国問題

 ・教皇就任5年間を当面の活動のめどとし、5年かけて改革の方向付けをしたい、と考えておられた。

 ・だが、形式は整っても、バチカンの意識改革は遅々として(例・性的虐待対策委員会・・前向きな具体的対応を拒む教理省の担当官僚の抵抗に抗議して、被害者代表が辞任など)進まず。

 ・その中で、聖職者による性的虐待問題への各国レベルの対応がうまくなされず、枢機卿、大司教レベルの関与、隠蔽が米、豪、チリなど主要カトリック国で表面化。司法当局の介入招く事態に。

 ・教皇が最優先課題とする「家庭」「若者」への教会としての前向きな、各地の実情に合った取り組みが、性的虐待・隠ぺい問題への対応に精力を奪われ、進展は思うように進まず。財務事務局の長官、豪の枢機卿が有罪判決を受け、機能不全状態に。

 ・ダブリンで開かれた「世界家庭大会」も、10月のシノドスにつなげる議論が期待されていたが、会場内外で性的虐待批判、大会の主宰者、基調報告者の2人の米枢機卿も同問題の責任を問われ、欠席し、十分な成果を挙げられなかった。。

 ・そうした最中に、米国と経済摩擦強める中国と司教任命で”妥協“の暫定合意したが、合意内容の詳細は発表されず、中国共産党内部のカトリック教会に対する足並みがそろっていない、とも伝えられている。正式合意の展望も具体的に示されず、党による宗教活動規制の強まりの中で、”地下教会“の信徒たちに不安の声も上がっている。

 ・最新のバチカン統計によると、世界のカトリック信徒の数は欧米で減少、アフリカ、アジアなどで増え、差し引き微増にとどまる。欧米の教会では、ミサなどに出る信徒の減少が加速している。教皇フランシスコの人気と努力にもかかわらず、以上のような根深い問題が影を投げかけているのだ。

 

*日本の教会は・・司教団としての連帯を失い、教皇の必死の教会刷新努力にも消極的な対応続く

  第二バチカン公会議(1962⁻1965)の「世界に開かれた教会」の方針を受けて1980年代後半に二度にわたる全国的取り組みとしての全国福音宣教推進会議(NICE)が開催され、教会刷新へ聖職者、一般信徒上げた具体的な動きが広がることが期待された。

  だが、「高松問題」-スペインで始まった運動「新求道共同体への道」が高松教区に、日本の神学校とは関係なく神学校を開設、同運動の外国人を中心とした信徒たちの動きもあって地元教区に大きな混乱を起こし、これに対する司教団の中に姿勢の乱れがでた-を契機に、司教たちの全国的な連帯が崩れた。

  そして、それ以降、NICEは、その取り組みを発展、軌道に乗せるための会議は開かれず、推進役だった白柳枢機卿・森補佐司教が舞台から去った後は、教会刷新に目立った成果も生まない“空白の30年”となった。

  このような流れの中で、現在は、教皇の提起する課題、その検討のカギを握るシノドスなど、世界的な取り組みには“消極的参加”のみ。一連のシノドスでも発言無し、存在感無し。信徒への報告も無い。

  政治、社会、経済各方面のリーダーの劣化。少子高齢化、家庭崩壊、少年非行・自殺など、現在の日本が抱える深刻な社会問題も直視できず、「列福」「東北災害」、あるいは教会関係者、信徒の間にも異論のある政治問題に「憲法改正反対」など特定の政党のような旗を掲げる以外に目立つ動きはなく、悩み苦しむ多くの人々の心に響くものも打ち出せていない。

  ごく最近では、神学校を二キャンパス一校とし、日本の教会としての一本化が図られたはずの司祭育成の体制が、東京と長崎の二つに神学校が分かれ、育成体制も分裂することに決まった。

 司教団の連帯がこの面でも崩れる中で、高松問題の原因となり、いったんはローマに退いていた「新求道共同体」の神学校が、司教団との事前協議もなく、自身が同運動の一員となっているバチカン福音宣教省の長官が一方的に東京に再設置を通告し、責任者を決めて開設準備にかかる、という「神学院問題」が噴出する事態となっている。

  だが、希望もある。北海道から仙台、新潟、さいたま、東京、横浜の6教区をもつ東京教会管区の長でもある東京教区長の大司教に昨年11月、菊地大司教が就任した。若い時から国際カリタスで活動、アフリカでの悲惨な体験が原点とし、教皇フランシスコと思いを一つにしている。彼に続いて、新たな司教が沖縄、大阪(補佐司教2名)、さいたまなど生まれている。菊地大司教の60歳の“若い力”などに期待したいし、この機会に、司祭、信徒が教会刷新、活性化に、ともに働くように求められていると思う。

(2018年9月30日、カトリック横浜教区・雪ノ下教会プラチナ会主催の講演)

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2018年10月1日