「来なさい。そうすれば分かる」ー貧しさと闘い、平和を生み出す:菊地・新潟司教

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カリタスなどの仕事の関係で、これまでに世界43か国ほどを訪れました。その中で、私の人生に大きな影響を与えているのがアフリカのルワンダです。ルワンダでは、1994年に大虐殺がおき、たくさんの孤児が残されました。そうした子供たちを引き取って育てるプログラムをカリタス・ジャパンが支援しており、私も1995年3月から5月にかけて、彼らの難民キャンプのある隣国ザイール(現在のコンゴ民主共和国)に滞在し、支援活動に参加しました。

現地に来て1か月ほどたった、4月の聖週間に恐怖の体験をしたのです。午後10時ごろ、カリタス・ジャパンのメンバー4人と9000人収容のキャンプにいたところ、武装集団に襲われたのです。彼らは自動小銃だけでなく、ロケットランチャーなど重火器も使って、薬品倉庫などを吹き飛ばし、30数人が死亡、200人が負傷するという大惨事になりました。国連の陣地からははるかに離れた国境地帯だったので、救援も朝にならないと来てくれません。どうしてこんなことが・・。

辛い生活を強いられている子供たちも、ほかの多くの人たちも、なんの関係もない政治や経済の紛争に巻き込まれ、さらに大きな苦しみを受ける・・その理不尽さに無性に腹が立ちました。今でもその惨事が私のトラウマになって、担当教区である長岡の花火大会などで、大きな打ち上げ花火の音がすると、あの時の光景が思い浮かんで辛くなります。そして、その経験が、日本はもちろん、世界中の理不尽な動きの犠牲になっている子供たちや一般の人々のためになりたい、という現在の私の生き方につながっています。

その後も、アジア、アフリカを中心にさまざまな国に出かけました。そのいつくかの体験をお話すると・・

■ケニアでは、ナイロビのキベラのスラム、グアダルペ宣教会が担当する小教区を訪問しました。ぼろ布でできたサッカーボール蹴って生き生きとしている子供たちを見て、貧しさの中で生き抜く強さを感じました。

■カカオの生産地であるガーナには8年間滞在。22カ所の教会を毎日巡回しました。受洗者は年間100人以上います。滞在した教区には5000人の信徒がいましたが、車は1台。多くの人々が車を利用し、ボランティアのカテキスタが病者訪問をしていました。そのカテキスタの息子さんが今司祭として名古屋で活動されており、めぐり合わせを感じます。ここでも、宗教の対立から内戦がありましたが、宗教の異なる女性たちが集まって再建に力を合わせるのを見て感動しました。

■スリランカの津波被害者を訪問しました。キリンの「午後の紅茶」の看板を見ましたが、紅茶を生産する労働者の労働条件はとても厳しく、日本人が何気なく飲んでいる飲み物にはこのような現地の人々の苦労があることを痛感しました。

■バングラデッシュの先住民は本来は自分たちの土地であるはずのものが、不法滞在として扱われていいます。彼らの子供たちのために寄宿舎を作り、通学させ、教育の支援をしています。息子の将来に明るさを感じている父親の思いが顔に感じられました。

このように私が訪問したり、活動した国々も、世界の国々の数からいえば、ほんのわずか。世界で日々起きていることを報道などで聞くにつけて、いかに現実を知らないのか、私自身も思い知らされます。教皇フランシスコもたびたびおっしゃっていますが、自分の身の回り、そして世界の現実に無関心であってはなりません。いろいろなところで知らないことが起きているのを、知ることがとても大事なのです。命が失われるような惨事でなくても、水を例に取っても、日本ではおいしい水がどこにでも手に入るのに、ウガンダの難民キャンプでは多くの人々に、たったひとつの井戸で苦労して水を確保しようとしていました。

そういう痛みを心にとめて、一人ひとりが置かれた環境、条件のもとで、紛争、難民、格差、環境などの問題の解決に少しでも役に立つ行動ができたら、と改めて思いますし、これから司祭になろうとしている皆さんにも肝に銘じていただきたいのです。

教皇フランシスコは、2013年ランペドゥーザ島訪問の際に次のように述べられました。「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった。これが、私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている。このグローバル化した世界で、私たちは無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」。

教会には、「一人ひとりが集まって作る神の民」という強みがあります。教会内の活動だけでなく、教会外の活動も、それぞれの能力や意思に応じて、神の民の働きの一部として周りの人々と関わっていくことで、「見栄えは良いが空しいシャボン玉の中」から抜け出ることができる重要な働きになる、と思います。

(2016年11月23日 東京カトリック神学院ザビエル祭にて)(きくち・いさお カリタス・ジャパン責任司教、カリタス・アジア地区代表、カトリック中央協議会HIV/AIDSデスク担当)

(まとめ・田中典子、南條俊二)

(写真は「カトリック・あい」が検索した当時のルワンダでの虐殺の映像です。菊地司教が体験されたザイールの難民キャンプとは異なります)

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2016年11月29日