「作家・石牟礼道子さんと『アニマ(いのち)のクニ』」                 宮本久雄・東京純心大学教授・東京大学名誉教授

 水俣病をテーマにした数々の文学作品を世に出してこられた石牟礼道子さんに興味を持ったのは、著作「苦海浄土」(講談社文庫)を読んだのが始まりでした。天草弁を交えて、人間の命の本質的なものを、ご自身の体験に基づいて書いておられます。私は、この本を読んで、人の命、アニマ(たましい)に触れた思いがしたのです。

 石牟礼さんは熊本県天草郡河浦町(現・天草市)で生まれ、水俣実務学校卒業後、代用教員、主婦を経て、詩歌を中心に文学活動を開始。チッソ水俣工場が排出した有機水銀による水俣病発生を機に、患者さんに寄り添って、供護しながら文学活動を続けてこられました。「苦海浄土」は、彼女が患者たちとともにチッソと政府に責任を認めさせる運動をしている時に、書かれたものです。

 「光に誘われて、天草の空があり、海があり、夕方になると雲の上から光の柱があって、その下では海の受胎が始まるような。子供の頃はそのような光景にみとれていました」(「言葉果つるところ―鶴見和子・対話まんだら 石牟礼道子の巻」=藤原書店)。これが、石牟礼さんの原体験である「アニマ」です。アニマは普通、「たましい」と訳されていますが、ここでは広い意味での「いのち」と言えばいいでしょう。それが、今は、「水銀」の下に隠されてしまっている。アニマの世界では、人も狐も魚も樹木も皆が命の交流をしている。そのいのちが、いつの間にか人間中心、巨大科学の時代になり、アニマがずたずたに引き裂かれてしまった。それが「近代」という時代の根源的現象なのです。

 そのひとつの象徴が水俣病事件、彼女にとって、「根源からの世界の成り立ちを、丸ごと失う・・自分が生きていた、という意味が失われる・・前世から受け継がれてきた人間の思い・・その道をも全部失う出来事」(「形見の声─母層としての風土」 =筑摩書房)だったのです。患者さんたちに寄り添い、「アニマ」を取り戻そうとする彼女の戦いは、チッソ本社前での謝罪を求める座り込みなどを通じて、しかし、主力は政治闘争ではなく、文学を通して行われました。そして多くの文学作品を世に出されています。

 水俣病闘争(石牟礼さんは、この言葉よりも、島原の乱に重ねて「水俣の乱」という表現を使います)は終わったが、「アニマ」を取り戻す闘争の時代は終わったのか。石牟礼さんはこう答え、問いかけています。 水俣病の患者さんたちの『他人を責めるのは、何よりつらい、他人を憎むことには、もう耐えられない』という声を聞いていると、「近代という奪魂装置に閉じ込められた人間を救いたい、という身悶えを感じます・・水俣病だけじゃない、何かまだ、隠れているたくさんの体験があるんじゃないか、という気がします。そういう暗部に目を向け、耳を澄ます政治家がいるんでしょうか」。

 学問の世界でも、「一番進んだ、人間をみる深さというのか、一人一人の一番ゆたかな深部に降り立って、それをぞっくり抱えてくるような学問があるはずだ。・・そんな学問はないのか」(同上)。

 現在も、東日本大震災の後遺症に悩み、福島原発事故で町を追われ、家を追われ、苦しんでいる多くの人がいる。そして、暴力は世界規模で尽きることがない。そのような現状を目の当たりにして、無力感を覚えることもしばしばです。

 東日本大震災が起きた翌月、2011年4月に石牟礼さんが書いておられます。「現世はいよいよ地獄とやいわむ虚無とやいわむ。ただ滅亡の世迫るをまつのみか」。それでも、希望を捨てない。「ここにおいてわれらなお、地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌」と。地上に開く一輪の花―はかない命ではあるけれども、種を残し、命をつないでいく。そこにすべての自然の命が掛かっている。それを明示することが、人間が生きるということ・・なのだ。 それを石牟礼さんは私たちに示してくれているのです。

(2016.12.5 東京・信濃町「真生会館」連続講座「現代人の生き方・社会を考える」・・まとめ文責・南條俊二)

*講演を聴いて*

 石牟礼さんが、そして宮本教授が語られた巨大科学がもたらした病弊が世界を蝕み続けている中で、今、さらに巨大な病弊が生まれている。「インターネット革命」という病弊だ。巨大科学と同じように、うまく使いこなすことができれば、地球をかつてないほど素晴らしいものにできる可能性を持つ。しかし、努力せずに楽しみたい、たやすく儲けたい・・と安易に傾く人間の弱さが、「人離れ」、「自然離れ」を加速しているのが現実だ。インターネット革命、スマホ革命の中で、お二人が指摘する問題はさらに深刻に、これからの日本社会の主役となるはずの若者たちの間に急速に浸透している。

 象徴的な出来事は、2016年に発生した「ポケモンGO」現象だ。数年前に導入され、爆発的に普及したスマートフォン。現実と仮想現実の区別を無くし、周囲の人も、自然もお構いなし。ひとりひとりは孤独だが、仮想現実の社会にのめり込めば、孤独でないという錯覚に浸れる・・。そうした傾向を加速する形で生まれたポケモンGO。ポケモンが出やすいという情報を聞きつけて、大勢が鳥取砂丘に押し寄せたり、熱中して周囲が見えなくなり、プラットホームから落ちたり、車の運転をしながら”ポケモン”探しに気を取られ通行人をひき殺してしまったり、という事故まで起きている。

 そうでなくても、電車に乗ってもスマホの漫画やゲーム、買い物やレストラン情報、などに没頭して周囲を意識しない、お年寄りや体が不自由な人が乗ってきても、優先席に座って、譲ろうとしない若者(最近は中年層まで年齢が広がっている)、構内放送での再三の注意を無視し、混雑する駅構内であたりかまわず、スマホに熱中し、電車内でスマホを握り締めたまま眠りこける、いい年をした男女・・。

 そのような環境の中で、生身の人と付き合うのが苦手な若者が増える一方、弱い者、”群れ”ることを嫌う者を集団でいじめ、死に至らしめることに罪の意識もない、自分の子供を物のように捨ててしまう若い親・・。ここ数年で起き、加速しているこうした現象を深刻に受け止め、家庭、学校、地域社会から、こうした人離れの加速、「アニマ」の喪失を食い止める努力を、それぞれの立場から始めるべきではなかろうか。そして、そこにこそ、日本の教会の、信徒一人一人の果たすべき使命があるのではないか。(カトリック・あい 南條俊二)

(参考記事)「スマホ断ち」に高校生「新鮮」「二度とイヤ」(2017.1.12 読売新聞)

 奈良県内の高校生が昨年11月、一斉に挑戦した「スマホリデー」の結果がまとまった。高校生自らが問題意識を持ち、当事者の視点から呼びかけた全国初の試みを、生徒一人ひとりはどう受け止めたのか。賛否両論、様々な生の声が聞こえてきた。 「新鮮だった」「スマホの大切さが分かった」「使わないようにするのは難しい」――。スマホリデー直後に実施されたアンケートの自由記述欄には、特別な一日を過ごした率直な感想がつづられていた。

 「友達と話す機会が増えた」「時間の使い方について考えさせられた」と満足する声と、「つらかった」「二度とやりたくない」と苦労をうかがわせる声が入り交じる結果に。試みたものの「気付いたらスマホを触っていて驚いた」という人や、「次はもっとちゃんとしたい」「来年は頑張ります」と、早くも次回へ意気込む人もみられた。中でも目立ったのは取り組み自体を評価する声。「人に言われてするのではなく、自分でするのがいい」「定期的に行うと良いと思う」などが寄せられた。

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 実施前に行ったアンケートでは、96%がスマホを使っていると回答。使用時間は1~3時間が41%と最多だった一方、「5時間以上」「ほとんどずっと」と答えた生徒も23%に上り、4人に1人は〈スマホ依存〉に近い状態だった。実際に当日を、「スマホ等を使わずに過ごせたか」という問いに、「はい」と答えたのは24%にとどまったが、「スマホリデーを意識できたか」に対しては48%が「はい」と回答。完全なスマホ断ちは難しい現実の中、半数の生徒がスマホとの関わり方を再考する一日となったようだ。

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 スマホリデーを企画した県高校生徒会連絡会の役員たちは終了後、「スマホ会議」を開き、周囲の変化を報告し合った。「『できるわけない』という反発もあって不安だったが、当日は友達と話している人がいつもより多くてほっとした」「ツイッターの更新頻度が減ったり、学校にスマホを持ってこなくなったりした友人もいて、当日以降の波及効果が大きかった」。それぞれが見聞きした変化は多種多様だったが、結論は「みんな、何かを感じてはくれた」。確かな手応えが残った。

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 「スマホがなくてもいいな(117)」の語呂合わせで11月7日に決まったスマホリデー。奈良高(奈良市)のある教室では、この言葉を黒板の片隅に書き込んで、当日を迎えた。翌日の11月8日、黒板の文字は「いいな(117)」から「いいや(118)」に書き換えられていた。その後も語呂合わせを更新しながら、取り組みに共鳴した生徒の間でスマホリデーは、数日間続いたという。初めてのスマホリデーが高校生に引き起こした、戸惑いと発見。スマホ会議委員長の御所実業高3年(18)は、「来年度以降も継続してもらい、いつかカレンダーに載る日が来ればうれしい」と、後輩たちに希望を託した。(大橋彩華)

 ◆スマホリデー=11月7日をスマートフォン(スマホ)の休日(ホリデー)とし、スマホや携帯電話を丸一日使わない取り組み。生徒会長らでつくる県高校生徒会連絡会が中心となって企画した。県内全64校中42校が参加、約3200人が実施後のアンケートに回答した。

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2016年12月27日