カトリック学校のあり方とは:梁瀬正彦・前清泉女学院中学高等学校教諭

  高校で「政治経済」「現代社会」、中学で「公民」を教えて半世紀の間、生徒たちの心に残る授業をしたい、と努めてきた。私は学校における教育の目的は、子供たち自身の人生・社会・世界に対する関心と興味を育てることにある、と考えている。そして、「神によってつくられた、かけがえのない人間」を大切にし、平和な社会を作ることに、寄与できるように・・。

 子供たちが自分と環境の関係を理解し、社会・世界に主体的に関わることで、「人間」としての尊厳・価値を自覚できるように、その条件としての人間・社会・世界に対する関心と興味をできるだけ大きく、深く、育てることこそ、教育の本質的目的であり、子供たちの教育に関わる大人の使命だと思っている。授業は、子供たちを様々な世界へ導き出すこと、授業そのものが世界への導入でなければならない。そうした原点に立って、自分の授業を創ってきた。生徒は、その授業に参加し、学ぶ意味をさまざまな形で見出し、豊かな感性で授業を評価してくれた。

 「いつも『公民』の時間になると、先生は今日は何をやるんだろう、とワクワクする」「先生が決めた大きなテーマの中で、(教科書はあまり使わず)新聞とかビデオを見ながら授業をする。・・学校にいると、すごく狭い世界と価値観で、きつきつの正方形の部屋にいるみたい・・『政経』の時間だけは、部屋の壁がバタッと開いて、本当に大きい『世界』を見せてくれる・・いろんな世界、人生をのぞき見して、自分の人生を振り返る・・」「自分を見直すいいチャンスになった。先生の授業の時だけはちゃんと生きてる気がして・・感情も豊かになった」「人間としての生き方を『公民』『政経』の授業を通して学んだ。・・自分の中に芽生えた人間としての心を決して忘れない」など・・。

 だが、学校教育全体としてみた場合の現実はどうか。今の社会は「役に立つこと」が重んじられ、学校に「社会的評価」を第一とする誘惑にひかれている。私が卒業したカトリックの中高一貫校も、東大合格率で評価される。お世話になった元校長も、そうした現状をみて「こんな学校を作りたくはなかった」と言われたのを聞いたことがある。有名大学に何人合格するか、でしか評価されない学校とは何なのだろうか。しかも中高一貫学校に入学してくるのは有名な進学塾に通った子供たちばかり。学校によっては過労死寸前で受験に臨むケースもある。このような現状は何とか食い止めないと思う。難しいができることを考えたい。

質疑

Q カトリック校の場合、カトリック校を支える聖職者の教員もここ半世紀で激減しており、司祭がいなくなってしまった学校もある。このため個別校の経営もむつかしくなり、複数の中高一貫校の経営を大学を運営する学校法人に統合する事態にもなっている。こうした現状を見ると、カトリック学校の存在意義は何なのか、現状を踏まえてどのように対応すべきか、など、関係者皆で真剣に考え、対応する時期に来ていると思う。

A1 意識のある教員が個別に努力をすることがまず求められるが・・全体の取り組みとなると容易でない。

A2 私もカトリック中高一貫校の元教員で、「宗教」の科目を担当していた。中心となるはずの司祭がどんどんいなくなり、そうした事態に対応すべく、いろいろな悩みを抱える先生たちがネットワークを作って授業に生かせるように勉強を重ねてきた。その成果をもとに、「カトリック校の教員養成塾」を作ろう、と呼びかけを行い、関東近県の40人が集まって、活動を始めている。このような試みも対応の一つだと思う。

 (2016.11.3 栄光同窓カトリックの会主催講演会「カトリック学校教員としての歩みを振り返って」)(まとめ・文責=南條俊二)

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2016年11月29日