◎教皇連続講話「堅信の秘跡」③聖霊の息吹に従って、火を消さないように

教皇一般謁見 – AP

(2018.6.6 バチカン放送)

 教皇フランシスコが6日の一般謁見の中で「堅信の秘跡」についてのカテケーシス(教会の教え)を続け、「教会にはどのような身分の差もなく、みな同じ神の子。キリストの神秘体の大切な身体」であることを強調された。

内容は以下の通り。

「親愛なる兄弟姉妹のみなさん、

聖霊のたまものは平和をもたらします。かえって人間の無益なおしゃべりは調和を乱し一致を破壊します。キリスト者は、他の人々に分け与えるために、恵みを受けるのです。あたかも倉庫のように、自分自身のために、溜め込むためではありません。

 キリスト者は、他の人々のための贈り物となるための存在です。聖霊は私たちに働きかけ、「私個人」という存在から、「私たち」というキリスト共同体に、一人一人の心を開きます。そして今、私たちの生きている共同体の共通善へと向かわせるのです。

 「堅信の秘跡」は、キリスト者を「教会の生きた神秘体の身体」として、しっかりと一致させます。教会は、生命ある人々によって構成される「生きた存在」です。「教会には、教皇、枢機卿、司教、司祭、そして一般信者というような身分の差があり、あたかも主人と労働者のような区別がある」と考える人がいるかもしれません。しかし、それは大きな間違いです。みな同じ「神の子たち」であり、一人一人が「お互いを聖化し合いながら、他者のために奉仕する使命」をもっているのです。

 「堅信の秘跡」は一生に一回だけ受けますが、「それで終わり」と思わないでください。堅信の秘跡はダイナミックな秘跡で、創造的なものです。その効果、働きは一生続きます。聖霊の塗油が、時間とともに色あせることはありません。ですから、みなさんも聖霊の働きを止めないでください。聖霊を籠の中に閉じ込めるようなことはしないでください。聖霊の息吹に素直に従ってください。聖霊が自由にその風を送れるように、愛熱の火を吹き消すことのないよう気を付けてください」。

 

◎教皇連続講話「堅信の秘跡」②祈り、按手、そして塗油を通して聖霊のしるしを受ける

教皇フランシスコ、5月30日、バチカン・聖ペトロ広場での一般謁見

(2018.5.30 バチカン放送)

 教皇フランシスコが30日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、謁見中のカテケーシスで「堅信の秘跡」についての講話を先週に続いてなさった。堅信とキリスト教入神の秘跡全体との緊密なつながりに光を当てながら、次のように解説された。

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 (幼児洗礼を受けた人は)洗礼の恵みを強め、確かなものとする霊的な塗油を受ける前に、堅信を受けようとする時、幼児洗礼を受けた際に両親や代父母が行った約束を、今度は自分自身で新たにするよう求められます。

 堅信を受ける人は、特に聖霊を信じることをはじめ、司教からの問いに「信じます」と答え、教会の信仰を宣言します。

 聖霊の訪れには、祈りの心が必要です。共同体の静かな祈りの後、司教は受堅者に按手して、「パラクレートス(助け手)」である聖霊を吹き込んでくださるよう神に祈ります。

 聖霊は唯一つですが、私たちのもとを訪れる時、預言者イザヤが語る(11章2節)ように、「知恵と識別、思慮と勇気、そして主を知り、畏れ、敬う」という豊かな賜物をくださいます。また聖パウロは、霊の結ぶ豊かな実は「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤの信徒への手紙5章22節)と語っています。唯一の聖霊は様々な賜物を分け与え、唯一の教会を豊かなものとしてくださいます。聖霊は、多様性の作者であると同時に、一致の創造主なのです。使徒たちから伝承されたように、洗礼の恵みを完成する聖霊は、按手を通して伝えられます(使徒言行録8章15-17節、 19章5-6節、 ヘブライ人への手紙6章2節)。

 聖霊の賜物が与えられることを、いっそう良く表すために、「按手」という聖書的な行為に「クリスマ」と呼ばれる香油の塗布が加えられました。塗油の儀式は今日まで、東方教会にも西方教会にも伝えられています(「カトリック教会のカテキズム」1289項参照)。油は、治癒や美容の成分を持ち、傷を癒し、手足を香りづけます。このため、油は聖書や典礼のシンボルとして、受洗者を聖化し、浸透しながら、様々なカリスマによって美しくするものとされるのです。

 堅信の秘跡は、司教が受堅者に按手して、「父の賜物である聖霊のしるしを受けなさい」と言いながら、聖香油を額に塗布することで授けられます。聖霊は施された目に見えない賜物であり、聖香油はその目に見える証印です。額に十字架のしるしと共に聖香油を受けることで、受堅者は消えない霊的なしるしを受けます。そのしるしの性格は、その人をキリストによって完全な似姿とし、人々の間に「よい香り」(コリントの信徒への手紙2・2章15節参照)を漂わせる恵みを授けます。

 聖アンブロジオは、次ように信者たちを招いています-「霊的な証印を押されたことを思い出しなさい…受けた賜物を守りなさい。神である父は、あなたに証印を押し、主キリストは、あなたを堅固にし、保証として、あなたの心に霊を与えてくださいました」。

 聖霊を、身に余る贈り物として感謝して受け入れ、その尽きることのない創造性に道を空けねばなりません。「現代の世界でイエス・キリストを映す」(使徒的勧告「GAUDETE ET EXSULTATE(喜びなさい、大いに喜びなさい)-現代世界における聖性への呼びかけ」23項)ために、この賜物を大切に守り、その燃えるような慈愛によって、蝋のように成形されねばならないのです。

(「カトリック・あい」が修正・編集しました)

 

◎連続講話「堅信の秘跡」①受洗者を『地の塩、世の光』とする聖霊の賜物を授かる

教皇フランシスコ、5月23日、バチカン・聖ペトロ広場で – AP

(2018.5.23 バチカン放送)

 講話ではまず、聖霊が受洗者に与える「キリストを証しさせる力」に注目。「洗礼を受けた者を真に『地の塩、世の光』(参照:マタイ福音書5章13-16節)とするのは、キリストの霊だけ」であり、「この聖霊の賜物を授かるのが『堅信の秘跡』」と述べられた。

 また、この秘跡を、「堅信(コンフィルマティオ)」と呼ぶのは「洗礼をより強固にし、その恵みを強化するから」であり、「クレジマ」とも呼ぶのは「聖香油(クリスマ)の塗油によって聖霊を受けるから」と説明。

 神のいのちにおいて再び生まれる「洗礼」が最初の一歩ならば、「神の子としてふさわしく生き、聖なる教会の中で働かれるキリストに一致しながら、世におけるその使命に参与する」ために必要なのが「聖霊の注ぎ」であると話された。

 そして、聖霊の働きによっておとめマリアの胎に宿ったイエスは、ヨルダン川で洗礼を受け、水から上がると、天から霊がご自分に降ってくるのをご覧になった(参照:マルコ福音書1章10節、 ヨハネ同1章32節)-イエスがナザレの会堂で「主の霊が私の上におられる」(ルカ同4章18節)と宣言し、「貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである」と告げた場面を観想され、このように「イエスは聖霊に満ちていると同時に、御父が約束された聖霊の源でもある(参照:ヨハネ同 15章26節、ルカ同24章49節、 使徒言行録 1章8節、2章33 節)」ことを指摘された。

 最後に、「復活したキリストは弟子たちに息を吹きかけて『聖霊を受けなさ』(ヨハネ同20章22節)と言われ、聖霊降臨の日には、使徒たちの上に聖霊の力が特別な形で降りてきました」と語られ、「復活のキリストの息吹は、教会の肺をいのちで満たすもの」と述べて、ヨルダン川でイエスの上に聖霊が降った出来事のように、「聖霊降臨は教会にとって、神の栄光のために、人々の聖化を願い、いのちを捧げて宣教する原動力を与えた重要な出来事だったのです」と振り返られた。

 (バチカン放送日本語版をもとに「カトリック・あい」が編集しました)