◎教皇の長期連続講話「ミサを味わう」⑫「感謝の祈り」と聖変化の深い意味

ついて教皇フランシスコ、3月7日、バチカン・パウロ6世ホールでの一般謁見 – AP

(2018.3.7 バチカン放送)

 教皇フランシスコは7日の水曜恒例の一般謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「ミサ聖祭」をテーマにお話を続けられ、今回は「感謝の典礼」の「エウ  カリスチアの祈り(感謝の祈り)」を取り上げられた。

 ミサの後半「感謝の典礼」で、パンとぶどう酒が祭壇に運ばれ、パンとカリスをそれぞれ供える祈りに続き、奉納祈願が行われた後、感謝と聖別の祈りである「エウカリスチアの祈り」が始まる。祭儀全体の中心と頂点となる荘厳な祈りについて、教皇は次のように説明された。

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 「エウカリスチアの祈り」は、イエスが最後の晩餐で使徒たちと共に食事の席に就いて、パンと杯を取り、感謝の祈りを捧げた( マタイ福音書26章27節; マルコ 同14章23節; ルカ同 22章17.19節; コリントの信徒への手紙1 11章24節)行為に対応しています。

 イエスが捧げた感謝は、私たちを救いのいけにえに参与させながら、私たちのすべてのエウカリスチアの中で再生されます。司祭は、心を込めて神を仰ぎ、賛美と感謝を捧げるように会衆を招いた後、そこにいるすべての人を代表し、聖霊において、キリストを通して、御父に向かい、感謝の祈りを高らかに唱えます。

 エウカリスチアの祈りの意義は、すべての会衆が神の偉大な業をたたえ、いけにえを捧げることで、キリストと一致すること。一致のためには、理解が必要です。そのために、教会は、人々が、この賛美と祈りにおいて、司祭と一致できるように、人々が理解できる言葉で、これを記念することを望みました。

 キリストのいけにえとエウカリスチアのいけにえは、ただ一つのいけにえです(カトリック教会のカテキズム1367項)。ミサ典礼書には、様々な形の奉献文がありますが、そのどれもが美しいものであり、特徴的な要素から構成されています。

 叙唱では、特に救い主として御子を遣わされたことに対し、神の賜物に感謝し、「感謝の賛歌」(サンクトゥス)で締めくくられます。ここで、すべての会衆は、天使と聖人たちの声に自らの声を合わせ歌い、神を賛美し、神の栄光をたたえます。

 続いて、パンとぶどう酒の供えものを、聖霊によって尊いものにされるように、祈りが捧げられます。

 そして、聖霊の働きと、キリストのことばの効力によって、パンとぶどう酒は、キリストの御からだと御血に変化し、キリストはエウカリスチアの秘跡に現存するものとなるのです。(カトリック教会のカテキズム1375項)それは、「これは私のからだ、これは私の血である」とキリストご自身が言われたとおりです。

 聖変化の後で司祭が「信仰の神秘」と言うように、これはまさに信仰の神秘。主が栄光のうちに再臨することを待ち、主の死を思い、復活をたたえながら、教会は御父に天と地を和解させるいけにえを捧げるのです。

 キリストの過ぎ越しのいけにえと共に、教会は自らを捧げ、「キリストのうちにあって、ひとつのからだ、ひとつの心」となるよう、聖霊に満たされて祈ります。キリストの御からだに養われ、今日、この世においてキリストの生きたからだとなること。それが聖体の秘跡の恵みであり、実りです。

 教会は、キリストのいけにえと、その執り成しに一致し、カタコンベに教会の象徴としてしばしば描かれている両腕を広げて祈る婦人のように、熱心に祈ります。十字架上で腕を広げたキリストのように、キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに、教会はすべての人のために自らを捧げ、執り成しをする。(カトリック教会のカテキズム1368項)子らを、愛の完徳のもとに集められるように、教皇や司教と一致して祈ります。ミサ中に呼ばれる教皇や司教の名は、普遍の教会と地方教会の交わりのうちに、それが祝われているしるしです。

 祈りは、聖母マリアや聖人たちと共に、生きている人、亡くなった人、教会のすべての成員のために神に捧げられます。エウカリスチアの祈りの中では、誰一人忘れられることはありませんが、締めくくりの「栄唱」が思い出させるように、すべては神へと導かれねばなりません。もし、親族や友人で祈りを必要とする人、または亡くなった人がいれば、彼らの名をここで沈黙のうちに思い起こすか、あるいはその名を記して、ミサの中で呼んでもらうことができます。

 ミサは、キリストの犠牲であり、その贖いは無償です。献金は任意にできますが、ミサそのものは、お金を支払って行うものではない、ということを理解する必要があります。

 エウカリスチアの祈りの意味をしっかり理解するなら、ミサにより有意義に参加することができます。そして、この祈りは、イエスの弟子であるために欠かすことのできない3つの態度、「いつ、どこでも感謝する」「私たちの生活を愛の贈りものとする」「教会においてすべての人と具体的な交わりを築く」ことを、私たちに教えてくれるでしょう。

(バチカン放送の日本語訳をもとに「カトリック・あい」が編集しました)

 

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