・「聖性は限られた人だけでなく、全ての人に与えられる」-聖霊降臨の日に-

(2018.5.21 バチカン広報)

教皇フランシスコは聖霊降臨の大祝日の20日正午のお告げの祈りで、次のようの話された。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん!

 今日の聖霊降臨の祝いで、イエスの死と復活を中心に置いた復活節は頂点に達します。この祝いは、キリストが最後の晩餐をなさった部屋で聖母マリアと共に祈るために集まっていたイエ12使徒とその他の弟子たちが聖霊に満たされたこと(使徒言行録2章1-11節参照)を、私たちに思い起こさせ、追体験させます。この日に、キリスト教徒の聖性の体験が始まりました。なぜなら、聖霊こそ、聖性の源だからです。そして、聖性は限られたわずかな人に与えられる特権ではなく、すべての人に与えられる(キリスト者として持つべき)使命なのです。

 実際に、洗礼でキリストと同じ神聖な生活に加わるように、堅信によって、この世でキリストを証しするように、私たちは皆、呼ばれています。聖霊は「神を心から信じ、忠実な人々の間に、聖性を豊かに注いでくださいます」(使徒的勧告「 Gaudete et exsultat=喜びなさい、大いに喜びなさい」6項)。そして、神は「人々を個別的に、まったく相互のかかわりなしに聖化し、救うのではなく、彼らを、真理に基づいて神を認め、忠実に神に仕える一つの民として確立すること」(第二バチカン公会議・教会憲章9項)を望んでおられるのです。

 主は、昔の預言者たちによって、すでに、ご自分の計画をお示しになっています。主は、エゼキエルでは「私の霊をお前たちの中に置き、私の掟に従って歩ませ、私の裁きを守り、行わせる… お前たちは私の民となり、私はお前たちの神となる」(エゼキエル書36章27-28節)。ヨエルでは「私はすべての人に我が霊を注ぐ…私は奴隷となっている男女にも我が霊を注ぐ…主の御名を呼ぶ者は皆、救われる」ヨエル書3章1-2節、5節)と語られました。そしてすべてのこうした預言は、「絶えることなく注がれる聖霊の仲介者であり、保証する人」(ローマ・ミサ典書、キリストの昇天後の序唱)-イエス・キリストにおいて実現したのです。そして今日は、聖霊に満たされる祝いの日です。

 聖霊降臨の日から、そして時の終わりまで、この聖性-その完全な形がキリスト-は聖霊の働きに自らの心を広げ、聖霊に従順であろうと努力する全ての人に与えられます。それは私たちに完全な喜びを体験させる神の霊です。聖霊は、私たちのところにおいでになって、渇いた心を打ち破り、希望へ心を開かせ、神と隣人とのつながりの中で、内的な成熟を刺激し、養ないます。これは聖パウロが私たちに言っていることです―「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤの信徒への手紙5章22節)という風に。これらの行い全てが、私たちの中に霊を整えるのです。これが、今日、私たちが、主なる父がくださったこの豊かさを祝う理由です。

 聖母マリアに、教会のために新たにされた聖霊降臨を、福音を生き、証しする喜びを与え、「神のより大きな栄光のために聖なるものとなる強い熱意を私たちに吹き込む」(「 Gaudete et exsultat 177項)元気を、私たちに得させてくださるように願いしましょう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2018年5月21日