◎教皇の長期連続講話「ミサを味わう」⑨「主は福音朗読を通して話される」「説教はよく準備して、短く」

教皇フランシスコ、2月7日、バチカン・パウロ6世ホールでの一般謁見で – AP

(2018.2.7 バチカン放送)

 教皇フランシスコが7日、バチカンのパウロ6世ホールで、水曜恒例の一般謁見を行われ、その中でミサ聖祭をめぐる一連のカテケーシス(教会の教えの解説)を続けられた。

 この日は「ことばの典礼」中の「福音朗読」と「説教」について考察された。神とその民の対話は「ことばの典礼」を通して育まれ、それは福音の告知で頂点に達する。「福音書朗読の前のアレルヤ唱、または四旬節の詠唱によって、会衆は主を迎え、主に挨拶し、そして主は福音を通して話されるのです」とアレルヤ唱が 果たす役割を説明された。

 キリストの神秘が聖書の啓示全体を照らすように、「ことばの典礼」において、福音書は「先に朗読された旧・新の聖書の意味を理解する光となります」とされ、「それゆえ、典礼自体も、福音の朗読と他の朗読を区別するために、福音を特別な栄誉と崇敬で取り囲んでいる」。そのしるしとして、福音の朗読者は叙階された者に限られる、朗読者は最後に福音書に接吻する、会衆は福音朗読の際、起立し、額と口と胸に十字を切る、ろうそくや献香によって福音朗読を通して語られるキリストへの栄誉を表すーなどを挙げられた。

 そして、「私たちが起立するのは、福音の朗読を聞くためではない。私たちに話しかけるキリストに対して、主との直接の対話のために、私たちは注意を傾ける必要があるからです」「ミサでは、話の筋を知るために福音を読むのではく、イエスの言われたこと、なさったことを認識するために、その生きた言葉に耳を傾けるのです」と強調された。さらに、「キリストの口とは、福音書である」という聖アウグスティヌスの言葉を引用され、「典礼の中でキリストが福音を告げておられるのなら、ミサに与る私たちはそれに答えなければなりません」と話された。

 次に、「キリストはご自分のメッセージが届くように、『司祭の説教』も利用されます」とし、ミサの説教は「適当にその場をしのぐための話でも、会議や、授業での話でもありません。それは主とその民との間に始まった対話を改めて取り上げながら、それが生活の中で完成されることを目指すものであるべきです」と司祭たちの努力を要請。

 さらに、教皇は「真の聖書注解は、私たちの聖なる生活」「聖母や聖人たちにとってそうであったように、主のみ言葉は私たちの中で、業となって形をとることで、その目的を達するのです」と話され、「説教を行う者はその役割を良く果たす必要があり、説教を聞く者たちも心を整え、注意を払う必要があります」としたうえで、説教者に「自分のための説教ではなく、イエスの代弁者としてイエスの言葉を説教するように」と求められ、「説教は、祈りとみ言葉の勉強のもとによく準備された、明解で、短いものでなくてはならず、10分を超えないことが望ましい」と具体的に説明された。

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