◎教皇の長期連続講話「ミサを味わう」⑧「ミサの聖書朗読で神の言葉を聞くだけでなく、実行して」

教皇フランシスコ、1月31日、バチカンでの一般謁見 – AP

(2018.1.31 バチカン放送)教皇フランシスコは31日、バチカンでの水曜恒例の一般謁見を行われ、「ミサ聖祭」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)を再開され、「神とその民の対話である『ことばの典礼』」をテーマに話された。

 その中で、まず、ミサの導入部に続く「ことばの典礼」は「神のみ業とご計画について耳を傾けるために集う私たちのために、ミサの本質をなす部分の一つ」と強調。ミサで聖書が読まれる時、「神ご自身がご自分の民に語りかけ、キリストご自身が言葉を通して福音を告げるのです」と語られた。

 それゆえ、聖書の言葉-第一・第二朗読、答唱詩編、福音-が読まれる時、「私たち心を広げて、神ご自身が語りかける言葉に耳を傾け、他のことを考えたり、おしゃべりをしていてはいけません」としたうえで、「聖書のページは書かれたものから神によって話される生きた言葉となり、神は私たちにそれを聞くように、と呼びかけられます」と説かれた。

 さらに、「神は私たちに語られ、私たちは、そのみ言葉に耳を傾けた後で、聞いたことを実行に移さなければなりません」「私たちは神のみ言葉を聞くことを必要としています。『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(マタイ福音書4章4節)とイエスが言われたとおり、それは人生にかかわる問題です」と指摘され、その意味で「ことばの典礼」は、「主が私たちの霊的生活の糧として並べてくださる”食卓のごちそう〟であり、食卓は、旧約・新約の両聖書から幅広く汲み上げた宝物に満ちあふれています」と述べられた。

 続いて、典礼の一年間を導く共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)による3通りの周期の豊かさはもとより、第一、第二朗読の観想を助ける答唱詩編の重要性に触れながら、これらの朗読や聖書からとった歌の唱和は「共同体の、また信者一人ひとりの歩みに寄り添いながら、教会の交わりを表し、それを促していくのです」と語られ、「朗読を怠ること、あるいは聖書以外のテキストで置き換えることは禁じられています」とし、「み言葉を聞かず、別のもので代用することは、神とその民の対話を損じることになるのです」と注意された。

 また教皇は「主のみ言葉は、私たちが道に迷わないために、欠くことのできない助け」とし、「典礼の中で響くみ言葉に養われ、照らされることなしに、どのようにして私たちは地上の巡礼を続けることができるでしょうか」と会衆に問われ、「神のみ言葉は、耳で聞くだけでは十分ではありません。み言葉の種を心に受け、それが実を結ぶようにしなくてはならないのです」「耳で聞いたみ言葉が心に移り、次に心から手に移り、良い業となっていくように」と会衆を促された。

(バチカン放送日本語版をもとに「カトリック・あい」が編集しました)

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