♰「増大する”攻撃的民族主義”と”核対決”の危機に、愛をもって立ち向かおう」

(2019.5.2 VaticanNews Robin Gomes)

 教皇フランシスコは2日、バチカンで開催中の教皇庁社会科学アカデミーの「国民、国家、国民国家」をテーマにした会合で講演され、世界で共通善を無視するナショナリズムの風潮が強まり、外国人とくに移民に対する攻撃的な感情が再び高まっていることに強い懸念を表明。そのような傾向が、国際協力、相互尊重、そして国連の持続可能な開発の目標を損なう、と警告された。さらに、最近まで進んでいた核廃棄に関連する動きを反故にし、戦争の危険を倍増させるような「核兵器による対決」の脅威が増していることに強い不安を示された。

*移住は多様性を持つ人類の歴史の不変の側面

  講演で教皇はまず、カトリック教会が、世界の教会以外の人々の多様な文化、習慣、慣行に敬意を払いつつ、信徒たちと国を愛するように強く促してきたことを指摘。それと同時に、そうした(注:自分たちの集団や国への)愛が、壁を作り、「人種差別、反ユダヤ主義を引き起こす”攻撃的な民族主義”」になる時、他者を排除し、嫌悪を生じさせるような逸脱を起こすことに警鐘を鳴らしてきた、とも述べた。

     また、国家は極めて頻繁に、支配的な集団の利益に従うことが多く、そのほとんどは経済的な利益であり、結果として、人種、言語、あるいは宗教における少数者を抑圧することにつながる、とし、それとは反対に、「国民が移民者を歓迎することは、人間の尊厳についての国民のビジョン、人間との関係をしめしています」と指摘。故郷を無理に離れさせられた人や家族を、心から受け入れるように、強く求めた。そして、教皇がいつも言われている、移民を受け入れる際に求められる四つの動詞-welcoming, protecting, promoting and integrating(歓迎し、保護し、促進し、一体化する)-を繰り返された。

 移民は、受け入れ国にとって、文化的、慣習的、価値観的な脅威ではないが、彼らには、受け入れ先の国民に溶け込み、自分たちのアイデンティティーを維持しつつ、受け入れ先の国民を豊かにするように協調していく義務がある、とされ、移住することは人類の歴史の変わることのない側面であり、世界の全ての国民たちは、移住者の継続的な流入の結果として存在し、共通善、文化的資源、そして健全な慣習によって結びつけられた人類の多様性を体現している、と強調された。

 「他の国民や集団に対して自国の人々に民族主義的な感情を引き起させるような国は、国としての使命を果たすのに失敗するでしょう」、そして、そうした逸脱がどこで起きるかは、歴史が証明している、と付け加えられた。

 

*”イデオロギー的植民地化”を回避し、多国間主義の推進を

 国民国家について、教皇は、それを絶対的なもの、周囲と自国の関係で”(注:孤立した)ひとつの島”、と考えることはできず、国民に共通善を提供できず、気候変動、新たな奴隷制度、そして平和の実現という現代の世界的問題に対応できない、とし、各国民の間に協力のビジョンを打ち立てるには、新民族主義の鼓舞と覇権主義的政策に反対する「多国間主義」を促進する必要がある、と指摘された。

 「人類はそのようにして、超大国が引き起こす経済的な危機とイデオロギー的な植民地化を回避し、強者が弱者を圧倒するのを防ぎ、地方、国、地域の次元での視野を失うことなく、地球的な次元に注意を払うのと同じように、対立が国民国家の間に生じた時、武力紛争に発展する危険を回避するのです」と語られた。

 そして、違いを無くし、現地化を抑えつけ、ナショナリズムと覇権的な帝国主義を煽り立てるような”グローバリゼーション”の対極にあるものとして、教皇は、それぞれの人々、国、そしてグローバリゼーションそのものの個別のアイデンティティーへの相互認識を基礎に置いた”多面的なグローバリゼーション”を、平和と調和につながる姿として提唱された。多面的な形体は、「復讐、支配、抑圧、紛争」の論理を「対話、沈思、和解、調和」の論理に差し替えることができる、という希望、そして(注:地球という)共通の家に住む同じ人間だという認識の中に作られる、とも述べられた。

 一方で、自己の野望を満たそうとする増大する権力と利益集団による覇権は、新しい形の”イデオロギー的植民地化”と同様、しばしば人々のアイデンティティー、習慣、習性、尊厳、感受性を度外視する。そうした傾向の台頭は、多角的なシステムを弱め、国際政治における信頼性の欠如と国々の家族の最も傷つきやすい成員を社会の片隅に追いやる結果を招く、と指摘された。

 

*「核廃棄」の季節が去り、「核紛争」の季節が幕を開けつつある

 また教皇は、現在、かつてみられた核廃棄に努める季節が過ぎ去り、核保有国の政治的な良心がもはや鼓舞されなくなっていることを嘆かれ、「それに代わって、核紛争が懸念される季節が幕を開けつつあるように見えます。最近まで進んでいた前向きな取り組みが破棄され、戦争の危険が増大しています」とし、さらに、攻撃目的、防御目的の核兵器が地球上と宇宙に配備されようになれば、いわゆる「新たな技術的フロンティア」は、“核のホロコースト(大量虐殺)”の危険を高めこそすれ、低めることはなくなる、と強く警告した。

 そうして、教皇は社会科学アカデミーの会員たちに対し、人間に対する尊厳、共通善、地球と平和の至上の善なるものへの敬意をもって、刷新された国際連帯への自覚を広げる自身の努力を助けるように、強く要請して、講演をしめくった。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2019年5月3日