♰教皇、新型ウイルス感染者のために”動画配信ミサ”-全ての人に祈りを求める

 これは前日の8日にバチカンのプレス・オフィスが発表していた。午前7時からのミサの冒頭で、教皇は「これから日々、私は新型コロナウイルスに感染された方々、医師、看護師、ボランティアの方々、家族、老人ホームのお年寄りたち、刑務所にいる人たちのためにミサを捧げます」と約束された。

 そして、世界の全ての人に今週、次の交唱で祈るよう求められた。「 Redeem me, O Lord, and have mercy on me. My foot stands on level ground; I will bless the Lord in the assembly(仮訳:(私をお救いください、主よ、私に慈しみを。私は堅い意志をもって、主の恵みを皆で祈ります)」。

 教皇はまず、この日-四旬節の第二月曜日-の第一朗読、ダニエル書の9章4-10節を取り上げ、「罪の告白」と特徴づけられた。

 人々は自分たちが罪を犯したことを認めてこう言いました。「私たちは罪を犯し、過ちを犯し、悪を行い、逆らって、あなたの戒めと法から離れ去りました。あなたの僕である用言者があなたの名によって私たちの王、高官、先祖たち、そして国の民すべてに語ったにもかかわらず、私たちは聞き従いませんでした」(5-6節)。これは罪の告白であり、自分たちが罪を犯したのを認めたのです。

*赦しの秘跡の準備

 続けて教皇は、「赦しの秘跡を受ける準備をする時、私たちは『良心の究明』をせねばなりません」とされたうえで、「知的レベルでなされた罪のリストの作成」と「罪を心から認めること」を区別された。

 そして、「頭の中で罪のリストを作りを羅列すること、『私は罪を犯しました』と言うこと、そして、司祭に告白し、赦しを受けること…は正しくない。”やることリスト”-、自分が手にする必要があること、あるいは過ちを犯したこと、のリストを作成するようなもの。それは頭の中にとどまりますが、真の罪の告白は、心の中にとどまらねばなりません」と説かれた。

 

*「頭」から「心」に

 さらに教皇は「私たちの惨めさを心から告白」するために一歩前に出るよう私たちを促され、「預言者のダニエルは告白しています。『主よ、正義はあなたにあります。私たちは心から恥じ入ります』と」とされた。

 そして、「自分が罪を犯し、よく祈っていないことに気づき、心からそのことを感じ、自分を恥じる気持ちになる時… 願う必要のある恵みとして、自分の犯した罪を恥じること。恥の感覚を失っている人は、道徳的判断の感覚を失い、他者に対する尊敬を失っています。神についても同じこと…。『主よ、私たちは、自分の王たち、王子たち、父親たちと同じように、あなたに対して罪を犯したことに、恥じ入っています。しかし、主よ、私たちの神、あなたは初めに正義を言われ、今は”思いやり”を言われます』」と語られた。

 

*神の心に触れる

 恥の感覚が、私たちは罪を犯したのだという記憶に加えられる時、「神の心の琴線に触れます」と言われた教皇は、恥の感覚は、私たちに神の慈悲を経験させ、私たちの告白は「罪のリストを読みあげること」ではなく、「善そのもので、思いやり深い、公正な神に私たちがしたことを、はっきりと理解すること」にある、と重ねて説かれた。

 最後に教皇は、次の言葉で説教を締めくくられた。「自分の罪を恥じ、恥ずかしいと感じる恵みを願いましょう。主が、私たちすべてに、この恵みをくださいますように」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2020年3月9日