♰「自分だけで生きられるとうぬぼれるところに、”命”はない」-日曜正午の祈りで

St Peter's Square during AngelusSt Peter’s Square during Angelus  (AFP or licensors)

(2019.11.10 Vatican News)

 教皇フランシスコは10日日曜日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで朗読されたルカ福音書の箇所(20章27-38節)を取り上げ、(注:復活があることを否定する)サドカイ派の人々の質問を受けて、死からの蘇りについての素晴らしい答えをなさったことに注意を向けられた。.

  教皇は、サドカイ派の人々がイエスを問答で打ち負かそうとして、「7人の兄弟が次々と死に、そのたびに彼らの1人と再婚した女は、誰の妻になるのでしょうか」と尋ねたが、彼はその”わな”にかからなかった、とされ、イエスが「次の世に入って、死者の中から復活するのにふさわしい、とされた人々は、めとることも、嫁ぐこともない。天使に等しい者であり、復活の子として、神の子だらである」と答えたことを指摘された。

 そして「イエスは、このように答えることで、(注:意地悪い質問でわなにかけようとした)相手、そして私たちを、『今生きているこの世だけでなく、死にかけられることのない次の世があり、そこでは、私たちが神の子であることが完全に明らかにされるのだ』と考えるように、招いておられます」と説かれた。

 さらに「死の次にある命についての、イエスの単純明快な言葉に耳を傾けることによる、大きな慰めと希望をお与えになります… 宇宙についての知識は豊富だが、永遠の命についての知恵は貧弱な現在にあって、私たちは、特にその言葉を必要としているのです」と説かれた。

 また教皇は、復活に関するイエスのはっきりとした確信は「命の神である主への完全な忠誠に基づいています」とされ、「イエスは『命は神に属し、その神は私たちを、み名と結びつけるほど愛し、とても気遣ってくださるのだ』とサドカイ派の人々の問いに答え、また、『主を、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』とされました」と述べた。

 そして「(注:イエスが言われたように)神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのです… 自分だけで、島のように孤立して生きられるとうぬぼれるところに、命はありません。そのような態度には死があるだけです」と戒められ、「復活は、死から蘇るというだけではなく、私たちが今すでに経験している新しい命です。永遠の命は私たちの定め、私たちの歴史が決定的に満たされる地平線。そして、福音を選ぶことを通して準備するように私たちが呼ばれているのは、この人生においてなのです」と強調された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2019年11月11日