♰「神の憐みが無限でも、回心の時は無限ではない。急を要する」

(2019.3.24 バチカン放送)

 教皇フランシスコは24日、四旬節第3主日の正午の祈りで、この日のミサで朗読されたルカ福音書13章1‐19節を解説しながら「神の憐れみを無駄にしないように… 回心の必要性は差し迫っている」と次のように話された。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日のミサでは、ルカの福音書の中から、実をつけないイチジクの木についてのたとえ話が朗読されました。

 役に立たないイチジクを切り倒そうとする主人に対して、農夫は懸命に命乞いをします。神の憐れみは無限です。しかしそれをよいことに、霊的な怠惰によって、神の愛や憐れみを濫用し無駄にしてはなりません。私たちは一人ひとり、神からの回心への呼びかけに、心から誠実に答えるよう招かれているのです。

  このたとえ話に登場する主人は『天の御父』で、必死にイチジクの命乞いをする農夫は『イエス』です。そして実らないイチジクは『無関心で不熱心な人類』を表しています。

 主人が切り倒そうとするイチジクは『他人の必要に目もくれず、自分自身の利益しか求めない、自己満足の中に、怠惰な日々を送る人々』です。彼らは他人の苦しみ、貧しさに目を向けません。このような生き方はまさしく、忍耐強くイチジクのためにとりなしをする福音の中の農夫のあり方とは、正反対な生き方です。

 農夫のとりなしにより主人は、忍耐強くイチジクの実りに期待をかけます。神はこの主人のように私たち一人ひとりが、実を結ぶのを-つまり、心を入れ替えて生き方を変える回心を-忍耐強く待ち続けられます。しかし、神の憐れみが無限でも、回心の時は無限ではありません、急を要します。このことを、特にこの四旬節中、常に心にとどめ、考察するよう努めましょう」。

(編集「カトリック・あい」)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2019年3月25日