♰「”物”は生きるのに必要だが、私たちが存在する目的ではない、誠実に生きるための手段」

 

(2019.8.4 VaticanNews)honest

   教皇フランシスコは4日日曜の正午の祈りの中の説教で、この日のミサで読まれたルカ福音書12章13節から21節を取り上げ、サンピエトロ広場に集まった会衆にこの素晴らしい箇所を読むように勧められた。

 この箇所の冒頭で、群衆の1人が立ってイエスに、「先生、私に遺産を分けてくれるように、兄弟に行ってください」と頼みごとをする。

 教皇は「イエスは、この願いを採り上げません。そして私たちに、物に対する貪欲を退けるように、と強く勧められるのです」と説かれた。

*イエスと金持ち

 続いて16節で、イエスは「愚かな金持ち」のたとえ話をされる。豊作に恵まれたこの男は、倉を建て直し、収穫した穀物や蓄えを全部しまい込めば、自分は幸せだ、と思い込んだ。

 教皇は、「この話は、金持ちが自分のために計画したことと、神が約束されることの違いが明らかになる時、生きた言葉になります」とされ、「金持ちのこれからの自分の人生について三つのことを思いめぐらします-沢山のものを蓄えた、この先何年も安心して暮らせる、落ち着いて贅沢三昧が楽しめる、と。しかし、神はそのような彼の計画を打ち消します。神は、『この先何年も』の代わりに『今夜すぐに』、『人生を楽しむ』代わりに、当然の報いとして『魂が取り上げられる』と彼に言われます」と語られた。

 さらに続けて、「神はこの男を愚か者-この場合、それは正当なことです-として対応されました。なぜなら、この男は実際に、神を否定し、神と和解しなかったからです」と説明され、このたとえ話は「私たちが目を向けるべき地平線を示し、物質的なものは生きるために必要だが、私たちが存在する目的であってはならない、誠実に生き、困っている人々に分け与えるための手段にせねばならない」と私たちに警鐘を鳴らしている、と強調された。

*富は心を束縛する

 また教皇は、「イエスは今日、私たちに『(注:地上の)富は、心を束縛し、天にある真の宝から気をそらそうとしかねない』ということをよく頭に入れておう促しておられます」とされる一方、「しかし、このことは現実から逃避することを意味しません。正義、連帯、受容、友愛、平和…など真の価値あるものを追求することを意味するのです」「物に貪欲になること、物を所有するのに懸命になることは、心を満たさず、一層、飢えさせるのです」と念を押された。

 そして最後に、このように説教を締めくくられた。「世俗的でなく、福音的に人生を歩もうとすること、私たちの全存在をもって神を愛し、イエスが父を愛されたように隣人を愛すること、奉仕とイエスご自身の賜物をもってすることが、私たちの課題なのです」。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2019年8月5日