♰「社会的不正義に苦しむ人々への感受性を私たちは失っている」-世界難民・移民の日のミサで

(2019.9.29 VaticanNews )

  教皇フランシスコは「世界難民・移民の日」となった29日のミサ中の説教で、この日の答唱詩編(146章6項c以降参照*)の中心にある「弱さ」に着目され、詩編作者が「忘れられ、抑圧の対象となっている」人々にはっきりと言及している、と指摘。「主は、外国人たち、未亡人たち、そして身寄りのない子供たちに、特別に心をお配りになります… それは、彼らに権利がなく、社会から排除され、取り残された存在だからです」と述べられた。

*神はとこしえに誠を示し、貧しい人のために裁きを行い、飢えかわく人にかてをめぐみ、捕らわれびとを解放される。神は見えない人の目を開き、従う人を愛される。身寄りのない子どもとやもめを支え、逆らう者の企てを砕かれる。

 さらに旧約聖書の出エジプト記(22章23節参照)と申命記(24章17節, 27章19節参照)-いずれも未亡人たち、身寄りのない子供たち、よそ者たちに対する虐待を警告する内容を含んでいるが-を取り上げ、神の「恵まれない人々に対する愛のこもったいたわり」であり、それが「イスラエルの神の際立った特質」「神に属する全ての人々の道徳的な義務として求められているもの」と強調された。

 そして、今回で105回目となる「世界難民・移民の日」のテーマは「移住者だけのことではありません」とされているが、それは、「移民、難民と同じように、社会の片隅に追いやられ、”使い捨ての社会”の犠牲となっている人々すべてを念頭に置いており、「主は、私たち自身と同じように彼らの人間性を取り戻すように、誰一人置いてきぼりにしないように、私たちに呼びかけておられます」と教皇は説かれた。

 また、教皇は「主は、排除をもたらすような社会的不正義について考えるように、私たちに求められておられます… その不正義には、自分たちの地位を確保するために多くの人々に損害を与えるような、少数の人々の特権、も含みます」とされたうえで、具体的な例として、「開発途上の国々が、少数の人々が特権をもつ市場の利益のために、資源を枯渇させている」、あるいは「紛争が世界のいつくかの地域に影響を与える一方で、そこで使われる兵器は、それ以外の地域で生産、売却されたものであり、しかも、そうした地域は、紛争が引き起こした難民たちを受け入れようとしていない」という現実を挙げられた。

 「神を愛し、私たちの隣人を愛する神の掟」について教皇は、「分けられることはできません」としたうえで、「私たちの隣人を愛することは、もっと正義が行われる世界を作ることへの固い約束を意味します。それは、誰もがこの地球の産物を手に入れることができ、全ての人が個人としても、家族としても成長でき、全ての人に基本的人権と尊厳が保証される世界です」「私たちの隣人を愛することは、私たちの兄弟姉妹の苦しみに共感し、彼らのそばに寄ることを意味します… 虐待され、世界の街中に打ち捨てられた全ての人の隣人となること、彼らの傷を癒し、彼らに必要に合うような一番近い避難所に連れていくことを意味します」と説かれた。

 最後に教皇は、マリア-道なる聖母-の母なる愛に「すべての移民、難民の人たち、世界の片隅で生きている人たち、そして彼らと歩みを共にする道を選んだ人たち」をゆだねられた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2019年9月29日