♰「戦争の悲惨を改めて思い起こそう」-9月1日、第二次世界大戦勃発80周年の日に

(2019.8.28 VaticanNews  Devin Watkins)

 1939年9月1日のドイツによるポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まって、1日で80周年を迎え、ポーランドでは首都ワルシャワをはじめ各地で式典が行われる。この機会に教皇フランシスコは28日の一般謁見に参加したポーランドからの巡礼団に向けてメッセージを出され、その悲惨な日を思い起こされ、改めて世界の平和を願われた。

 教皇は「平和を皆で祈りましょう。(第二次世界大戦が全世界にもたらした)憎しみの悲劇的な結末-破壊と苦しみと死しかもたらさないもの-が二度と繰り返されないように」と呼びかけられ、「平和が、全ての人の心に、家族と社会に、そして人々の間に行き渡る」ように、神に祈るよう促された。

 1日のワルシャワで行われる記念式典には、欧州連合と北大西洋条約機構の加盟国を含む国々の首長が出席する。また、ナチスドイツの最初の攻撃目標となったヴィエルニ市で行われる式典には、ドイツ、ポーランド両国の大統領が出席する。また1日は、ワルシャワでは式典の後、首長たちが市中心部にある、ポーランド共和国建国の父、初代国家元首のユゼフ・ピウスツキ元帥の名前からとられたピウスツキ広場の無名戦士の墓に向かうことになっている。

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 なお、ヨゼフ・ピウスツキとその兄ピヨトルはともに、日本と極めて関係が深い。ヨゼフは、18世紀末にロシア、プロイセンなどによって分割されたポーランドの独立運動の先頭に立つ一方、同じくロシアに立ち向かう日本に対する関心も高く、日露戦争勃発とともに日本を訪れ、日本軍のためのポーランド人軍隊を召募することを提案。これに感銘を受けた日本側は武器・弾薬の購入資金を提供、引き換えにロシア軍の動向や社会情勢についての情報を定期的に提供を受けた、という。

 また、ヨゼフの兄の ピヨトル・ピウスツキはロシア・サンクトペテルブルク大学に留学中にロシア皇帝暗殺計画に連座して、樺太に流刑となり、刑期満了後、再び樺太にわたってアイヌとウィルタ(オロッコ)の調査に専心。現地で村長の姪と結婚し、一男一女をもうけた。本人はその後、欧州に戻り、パリで自ら命を絶ったと伝えられるが、子どもたちは第二次世界大戦後、日本領からソ連領となった樺太から北海道に移住、彼らの子孫は日本人として、日本で生活している。ピヨトルについては、ポーランド政府がアイヌ文化調査の功績を讃え、2013年に北海道・白老町のアイヌ民族博物館に、彼の胸像を贈っている。

(「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2019年8月31日