♰「必要なのは『自分教』を排し、自分の内面の貧しさを自覚すること」-アマゾン地域シノドス閉幕ミサで

「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」閉会ミサ 2019年10月27日 バチカン・聖ペトロ大聖堂「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」閉幕ミサ(27日・バチカン・聖ペトロ大聖堂で) 

 (2019.10.27 バチカン放送)

 バチカンで3週間にわたって開かれていた「アマゾン周辺地域のための特別シノドス(代表司教会議)」が27日、聖ペトロ大聖堂でのミサをもって閉幕した。

 教皇フランシスコと184人のシノドス司教たちの共同司式で捧げられたこのミサには、専門家や原住民の人々の代表たちも参列。入祭では、アマゾンの植物の苗を手にした先住民族の女性を先頭に、3週間にわたる会議を共にしたシノドス関係者たちの長い行列が続いた。

 ミサの説教で教皇は、この日の福音朗読、「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ話(ルカ福音書18章9-14節)を取り上げ、「『私(自分)の宗教』ではなく、『神の宗教』を実践するために、自分の内面の貧しさを自覚することが必要」と話された。

 イエスが語ったこのたとえ話には、祈るために神殿に上ったファリサイ派の人と徴税人が登場する。ファリサイ派の人は立って心の中で祈り、「神様、感謝します」と言うが、感謝の理由は、自分が他の人たちとは違い、奪ったり、不正をしたり、姦通を犯さない者であり、「この徴税人のような者でもないこと」だ。

 教皇は「この人の悲劇は、愛が無いこと」であり、愛が無いため、彼は「自分自身を賛美し、神の神殿で別の宗教、すなわち『自分教』を信じているのです」と語られた。そして、「このファリサイ派の人は、神だけでなく、隣人も忘れ、徴税人を価値のない者と見なし、軽蔑しています」とされ、「歴史や生活で、目の前にいる人に対して距離を置き、壁を作り、排除する態度が、どれほど繰り返され、今日も、どれほどの思い上がりが人々を圧迫し、搾取しているのでしょうか?」と問いかけられた。

 そして、「『自分教』は、独りよがりの儀式と祈りをもって偽善を続け、隣人愛を通して表される『神への真の信仰』を忘れる」が、徴税人の祈りは「神が何を喜ばれるのかを、私たちに教えてくれます… 彼の祈りは、自分の手柄を誇らず、自分が怠けたこと、貧しいことを自覚し、神に憐みを乞うもの。徴税人が感じている貧しさは、経済的貧しさではなく、精神的貧しさ、『同胞たちから取り立てたお金で自分は豊かになっている』という罪の意識です」と説明。

 教皇はまた「徴税人の祈る態度」にも注目され、天の偉大さと自分の小ささの自覚ゆえに、「天に上げようともしない、その眼差し」「遠くに立って、心臓のある場所、すなわち自分の胸を打ちながら、心からあふれ出す、祈りの偽りの無さ」を見つめるように促された。

 さらに、「今日、この徴税人を見つめながら、私たちはどこから再出発すべきかを、改めて知ることができます。それは、『自分こそは、救いを必要とする者だ』と自覚することからの再出発です」と説かれ、「あらゆる霊的な過ちは、自分を『正しい者だ』と思い込むことから起こり、そうすることで、唯一正しい方である神を外に追い出してしまうのです」と注意された。

 最後に教皇は、今回のアマゾン地域シノドスについて、「貧しい人たちの声に耳を傾け、搾取的な発展モデルによって苦しむその生活の困難を考察する一方で、被造物を搾取の対象としてではなく、守るべき家として受け入れ、神への信頼のもとに生きる人々の証しを見る機会となりました」と振り返られ、「貧しい人たちの叫びは、教会の希望の叫び… これらの人々の叫びを自分たちの叫びとすることで、私たちの祈りも、雲を通り抜けることができでしょう」と、貧しい人々と歩むアマゾン地域と全世界の教会への期待を表明された。

(編集「カトリック・あい」)

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2019年10月29日