♰「天は開かれています、もはや心配の必要はない」-聖母の被昇天の祝日に

(2019.8.15 Vatican News)

 聖母被昇天の祝日の15日正午のお告げの祈りに先立つ説教で、サンピエトロ広場を埋めた会衆に、「天を仰ぎ見なさい」と促され。聖母マリアが天に昇られたおかげで、天は開かれています、もはや心配の必要はありません」と語られた。

 ルカ福音書の「マリアの賛歌」(1章 46-47節)で、聖母マリアはこのように祈るー「私の魂は主を崇め 私の霊は救い主である神を喜びたたます」。教皇はこの祈りの二つの動詞―「崇める」「喜ぶ」に注目された。

 「とても素晴らしいことが起きた時、私たちは『喜び」ますが、心の中だけで喜ぶのは十分ではなく、全身で幸福感を表現したくなります」とされた教皇は、「マリアは神…だから喜びます。彼女は私たちに、神において喜ぶように教えてくれます。それは神が偉大なことをなさるからです」と説かれた。

 続いて、「『崇める』は、現実の存在をその偉大さゆえに、素晴らしさゆえに賛美することを意味します」とされ、「マリアは主の偉大さを明らかにします… 人生で幸せになりたいなら、神を最優先にせねばならない、と教えてくれます。神のみが偉大な方だからです」と強調された。そして、「人生で些細なことで迷ったり、重要性の乏しいものー偏見、恨み、対抗心、妬み、余計な物ーを追い求めたりしないように… マリアは、彼女において主が成し遂げられた『偉大なこと』を仰ぎ見るように、私たちにすすめます」と語られた。

 さらに「マリア-人間であり、私たちのうちの1人-は肉体と魂をもって永遠の命に至ります… そのことが、私たちが彼女を『天国の門』と呼ぶ理由なのです」「彼女はそこで、私たちを待っていてくれます。母親が自分の子供が家に帰ってくるのを待つように、です」と説かれた教皇は、私たちは天国への道を帰る巡礼者に例えられる、とされた。

「天国で、キリスト、新たなアダムとともに、彼女、マリア、新たなイブ、を目の当たりにすることは、そこに至る巡礼で安らぎと希望を私たちに与えてくれるのです」とも話された。

 疑いや悲しみに打ちひしがれ、下を向いている人にとって、聖母被昇天の祝いは「見上げなさい、そして天が開いているのを見なさい」という呼びかけだ、と強調された。もはやそれが遠くにあるものでなく、心配する必要もない。「なぜなら、天国の入り口で、母マリアが私たちを持っていてくれるからです」。

 マリアはいつも、私たちが神の目の中で大事な存在であり、天国の大きな喜びのために造られたのだ、ということを思い起こさせてくれる。「ロザリオを手に彼女に祈る時、私たちは人生の素晴らしい目的地に向けて一歩前に進むのです」と教皇は説かれた。

 そして、教皇は最後に、「真の美しさに引き付けられましょう。人生の些細なことに引き込まれることなく、天国の偉大さを選びましょう」と会衆に呼びかけられ、聖母マリアー天国の門に「私たちの眼差しが日々、確信と喜びをもって、真の我が家の場所に、私たちの眼差しを注ぐことができますように」と祈られた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2019年8月15日