♰「イエスの言葉は、私たち1人ひとりへの”ラブレター”」-御言葉の主日のミサで

(2020.1.26 VaticanNews Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは26日、初の「神の御言葉の主日」を迎えて、ミサを捧げ、説教の中で、「私たちが日常生活にあふれる何千もの言葉の中で、物事ではなく人生について語る言葉を聴くために、神の言葉が必要」と強調された。神の御言葉の主日は教皇が昨年9月に自発教令で定められたもので、暦年の第三主日に祝われる。

*イエスの宣教は「悔い改めよ、天の国は近づいた」で始まった

 教皇は説教を、イエスの宣教の初めについて述べたマタイの福音書の箇所、「述べ伝え始められた」(4章17節)の考察から始められ、「神の御言葉である方が、私たちと話すために来られました。御自身の言葉で、ご自身の生きざまによって」とされたうえで、「イエスの説かれる言葉の根本へ、命の言葉の根源に行きましょう。それは、イエスがどのようにして、どこで、誰に、説かれ始めたかを、私たちが知る助けになります」と語られた。

  そして、イエスの宣教が極めて簡単な言葉-「悔い改めよ、天の国は近づいた」(マタイ福音書4章17節)-で始まったとし、「この言葉こそ、イエスのなさった全ての説教の柱となるメッセージ… 神が近くにおられること、地上に降り、人となられたことを私たちに告げられ、私たちとの間の壁を取り払い、距離を縮められました」「これは喜びに満ちたメッセージです。神は人となることで、私たちのところに直接、おいでになりました。義務ではなく、愛ゆえに、そうなさったのです」と強調。

*ご自分が私たちの側におられることが分かるように語られた

 さらに、「神は人となられました。それは、神が私たちを愛され、私たちが自分一人では、助けなしでは、手にすることを望めない救いを私たちに与えたいと、強く望まれたからです。神は、私たちと共にいて、人生の美しさを、心の安らぎを、赦され、愛されていると感じる喜びを、私たちにお与えになりたいのです」と語られた。

 そして、このことは、イエスが私たちに求めておられることー「悔い改めなさい」、言い換えれば「あなたの生き方を変えなさい」-を理解する助けになる、それは新たな生き方への招きであり、神と共に、神のために、「他の人のために、愛をもって、愛のために」生きる時を告げている、とされた。

 また、イエスは私たちに語りかけ、私たちが自分の人生にご自分を受け入れるように願われておられる、イエスの言葉を「ご自分が私たちの側におられることが分かるように、私たち1人ひとりにお書きになった”ラブレター”」に例えられ、「彼の言葉は、私たちを慰め、励まします。意欲をかきたて、自己中心の束縛から解放し、回心へ招きます。私たちの人生を変え、暗闇から光へと導く力を持っているからです」と説かれた。

*「暗闇」に暮らす漁師たちに最初に呼びかけられたのは

 教皇はさらに、イエスが、当時のガリラヤのように「暗闇の中」にあると考えられていた場所で宣教を始められたことを取り上げ、「ここに私たちへのメッセージがあります。救いの言葉は、手つかずの清潔で安全な場所ではなく、私たちが生活している辺鄙で、込み入った場所を求めます… 神は、絶対においでになるまい、と私たちが思う場所を訪れることを望まれます。でも、私たちはどれほど頻繁に扉を閉ざし、困惑と暗闇、偽りの中に隠れていることを選んでいるでしょうか」と問いかけられた。

 そして、「私たちはしばしば、真実が自分の心を揺さぶらないように用心しながら、紋切り型の祈りで主に向かいますが、思い起こしてください。イエスは、天の国の福音を宣べ伝え、病いと打ちひしがれた心を癒すために、ガリラヤ中を回られたのです…」

 最後に、教皇は、イエスが純朴な人々と話すのを選ばれたことを取り上げ、「(イエスから)最初に呼びかけを受けたのは漁師ー才能がある人や、神殿で祈りを捧げるような信心深い人ではなく、普通の労働者ーでした」とされ、「イエスは、彼らが理解する言葉を使い、彼らの人生は、すぐさま変わりました… イエスは、ご自分の使命を彼らと共にするために、彼らのいる場所で、そのままの彼らに呼びかけられ、彼らはイエスに従いました。命令を受けたからではなく、愛に惹かれたからです」と説かれた。

*呼びかけに、日々、耳を傾け、聖書を読もう

 そして、「イエスに従うために、ただ良い行いをするだけでは十分ではありません… 私たちは彼の呼びかけに、毎日、耳を傾けねばなりません。だからこそ、私たちには、御言葉が必要なのです… 呼びかけに耳を傾けることで、私たちは、何千もの言葉があふれる日常生活の中で、物事ではなく人生について語る言葉を聴くことができるのです」と念を押され、すべての信徒に対して、神の言葉のために自分たちの暮らしに席を作るよう促され、つぎのように説教を締めくくられた。

 「毎日、聖書の1つか2つの箇所を読みましょう。福音で始めましょう… 私たちの机に開いたまま置いておき、ポケットに入れ、携帯電話で読み、毎日、ひらめきを受けるようにしましょう。そうすることで、神が私たちの近くにおられ、私たちの闇を払いのけ、大いなる愛をもって、私たちの生活を深く、導いてくださるのを知ることになるでしょう」。

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2020年1月27日