♰「イエス、マリア、ヨセフにならい、家族が互いに支え合うように」-”ケータイ家族”に警告

Pope Francis during the Sunday Angelus Pope Francis during the Sunday Angelus   (ANSA)

 

(2019.12.29 VaticanNews Francesca Merlo)

 教皇フランシスコは聖家族の祝日の29日正午の祈りの中の説教で、家族の一人一人が、なぜ互いに支え合うのかについて考察された。

 その中でまず、聖家族は「神の賜物」によるとともに、「神の計画を、自由に、責任をもって守っていく」ことによって聖とされ、「神のみ胸に心を開いていた」と指摘された。

*マリア

 聖家族の中でマリアについて、聖霊の働きに対する「従順さ」を取り上げ、「人は、どうすれば聖霊の働きに大きな驚きを持ち続けないでいられるのでしょうか?」と会衆に問いかけられた。

 マリアは、多くの若い女性と同じように「配偶者との深い交わりを通して彼女の人生の計画を固めようとしていた」。しかし、「神が自分に求めておられる使命を知った時、自分自身を『召使い』と宣言することをためらいませんでした」と語られた。

*ヨセフ

 ヨセフについては、「福音書は彼について一言も述べていない」とされたうえで、ヨセフは「言葉で語ることはしませんが、振る舞いを通して、(注:聖霊の業に)従った」とし、その例として、マリアが妊娠したことから、密かに離縁しようとした「慎重を要する時」を挙げられた。そして「彼のそうした選択は、神の計画の障害にならないように、マリアが神のみ旨をしっかりと守るために自由であるように、との配慮からされたのです」と説かれた。

*イエス

 聖家族の第三のメンバーはイエスだ。教皇はイエスを「神の御心」であり、聖パウロは「イエスには『はい』と『いいえ』の選択肢はなく、『はい』しかなかったと述べている、とされ、「それは、イエスの人生の初期に何度も表明されています」と指摘。具体的に、次の聖書の三か所を挙げられた。

ルカ福音書2章49節の神殿でのエピソードー心配して行方を探していた両親に対する「私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」という問いかけ。ヨハネ福音書4章34節のイエスが弟子たちに語られた「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」という言葉。そして、マタイ福音書26章42節のゲッセマネでの「父よ、私が飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのでしたら、御心が行われますように」という祈り。

 全ての出来事は、「このようなキリストの言葉と同じ言葉ーいけにえも供え物もあなたは望まず… その時、私は言いました。『ご覧ください。私は来ました。…神よ、御心を行うために』(へプライ人への手紙10章5-7節、詩編40章7-9節参照)ーが完全に実現されたのです」と説かれた。

*家族

 最後に教皇は、「ナザレの聖家族は、祈り、働き、対話していました」とし、「今日の家族たちは、互いに対話をしていますか、それとも同じテーブルに就きながら、一人ひとりが携帯電話を見ていますか」と会衆に問いかけられた。そして、「両親、子どもたち、祖父母、兄弟間の対話を取り戻さなくてはなりません」と強調。それを聖家族の祝日の課題として掲げられた。

 聖家族は「天の父の御心に対して『声を合わせて応える』家族の模範…  家族を構成する人々が神の計画を見出し、それを成し遂げるために、互いを際限なく助け合ったのです」とされ、聖家族を模範とし、「家庭の聖性の基礎」である福音をしっかりと守るために、世界の親たち、子供たちが互いに支え合うことができるように、と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2019年12月30日