☩聖家族の祝日に-「マリアとヨゼフの『驚き』と『心配』の意味は」

(2018.12.30 Vatican News  Christopher Wells)

 教皇フランシスコは「聖家族の祝日」の30日、正午の祈りの中の講話で、主の降誕からの8日の間にあるこの主日は聖家族の祝祭であることを、まず思い起こされた。

 この日の福音書の箇所では、神殿でイエスの発見について語られている。聖家族は過越祭を祝うためにエルサレムに行ったが、祭りが終わり、帰路の途中で、マリアとヨゼフは、まだ12歳のイエスが道連れの人々の中にいないことに気が付いた。三日間捜して、ようやく、イエスが神殿の境内で律法学者たちの真ん中に座っていつのを見つけた。福音書によると、両親はイエスを見て「驚き」、マリアはイエスに言った-「お父さんも私も、とても心配してさがしていたのですよ」と。

 教皇は、ここで、両親の「驚き」と「心配」の気持ちを取り上げ、「聖家族の驚きは、決して失態ではありません。驚きを感じるのは、どんなことも当たり前と思うのと正反対です。他の人々に心を開くことを意味します」とされ、さらに「このような態度は、傷ついた関係を癒し、家族の間にできた傷口を治すために、重要」と指摘された。

 またマリアとヨゼフが感じた「心配」は、「聖家族で、イエスが中心に置かれていることを示します」と語られ、イエスが三日の間、見つからなかった時の、2人の心配は、「私たちがイエスから遠く離れた時、イエスを忘れ、祈らず、何日間も福音書を読まない時に、心配になるのと同じでしょう」とされた。

 そして、マリアとヨゼフは3日間捜して、神殿でイエスを見つけたが、私たちも彼らのように、神の家におられるイエスを探し求める必要がある。そして特に、イエスについて生きた体験をするミサ-主の言葉の典礼と感謝の典礼-にあずかることで「日々の困難に立ち向かう力をいただくのです」と強調された。

 最後に教皇は、一人ひとりに対して、「世界のすべての家族、とくに、様々な理由で平和と調和を与えられていない家族のために、ナザレの聖家族が守ってくださるように」と、祈ることを願った。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018年12月30日