☩「癒されるために、イエスと個人的関係を築く必要」

(2018.4.23 バチカン放送)教皇フランシスコは22日、日曜正午の祈りの集いで説教され、「良い牧者の主日」といわれ「世界召命祈願日」を記念する復活節第4主日の聖書朗読箇所を取り上げながら、「復活の主の弟子たち」としてのキリスト者のアイデンティティーを考察された。

 使徒言行録(4章8-12節)でペトロは足の不自由な人に癒しを行ない、その人が癒されたのはイエス・キリストの名によるものであり、「私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」と宣言するが、教皇は「癒されたこの人は、私たち一人ひとりの中に、また私たちの共同体の中にいます」と述べ、「復活された主の手に信頼をもって自分を委ねるならば、誰もが、野心・怠惰・高慢などの、様々な形の霊的な弱さから癒されることができるのです」と語られた。

 その癒してくださるキリストとは誰なのか。教皇はその答えを「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ福音書10章11節)というイエスの言葉の中に示され、イエスは羊のために命を捨てる羊飼いであり、「あなたの命は私にとってこれほどにも大切であるために、あなたを救うために私のすべてを与えよう」と私たち一人ひとりに語りかけ、ご自分の命を与えてくださる方だ、と説かれた。

 次に、キリストに癒されるための条件とは何なのか。これについて「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである」(ヨハネ同10章14-15節)というイエスの言葉を引用され、「御父とイエスとの親密な愛に満ちた絆を反映する、イエスと私たちとの個人的な生きた関係を築く必要があります」と指摘された。

 そして、「私たちは、イエスに自分の心を深く知ってもらうと同時に、自分たちもイエスと出会い、イエスを知るように招かれています」と話され、「その出会いによって私たちは自分のことだけしか考えない態度を捨て、キリストに従い、広い世界に開いた新しい道を歩むようになるのです」と強調された。

 「世界召命祈願日」を記念したこの日、教皇は午前中バチカンで司祭の叙階式を行われた。この正午の祈りの集いで、教皇は叙階された新司祭の代表4人と共に、バチカン宮殿の窓から、信者らに祝福をおくられた。

 

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2018年4月24日