◎講話「洗礼の秘跡」③我々の全人生が闘い-洗礼は悪と闘う力を与えてくれる

 ◎講話「洗礼の秘跡」③我々の全人生が闘い-洗礼は悪と闘う力を与えてくれる

教皇フランシスコ、4月25日、バチカンでの一般謁見 – AP

(2018.4.25 バチカン放送)

 教皇フランシスコは25日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「洗礼の秘跡」について考察された。

 洗礼志願者らを照らし、信仰に近づけるのは「福音」。「洗礼は、信仰に入る秘跡的な入口であるために、まさに特別な意味で『信仰の秘跡』といえます」(「カトリック教会のカテキズム」1236項参照)と話され、洗礼志願者たちは、イエスを「永遠の命に至る水」(ヨハネ福音書4章14節)、「世の光」(同9章5節)、「復活であり、命」(同11章25節)と認めるこの信仰によって、主に自らを委ねるのです」と語られた。

 イエスの言葉と、その教えと業に育まれ、洗礼志願者は生きた水に渇くサマリアの女や、光に目を開いた生まれつき目の見えない人、墓から出てきたラザロを、自ら体験することになるが、「福音は信仰を受け入れる人を変容し、その人を悪の支配から引き離し、喜びと新たな生き方をもって主に仕えることを教えます」と述べられた。

 そして、「洗礼志願者は一人ではなく、諸聖人の連祷が思い出させるように、全教会の祈りに伴われながら洗礼盤へと向かいます」と指摘され、「教会の祈りは志願者たちの悪との闘いを支え、善の道の歩みを見守り、神の恵みの王国へと移るために、罪の力からの解放を助けるのです」と説かれた。

 また、罪と悪からの解放のために、成人の洗礼志願者には、いくつかの「解放を求める祈り」が唱えられ(「カトリック教会のカテキズム」1237項参照)、幼児洗礼の場合にも「原罪からの解放を神に願い、聖霊の住まいとして奉献して祈る」ことを紹介し、洗礼は「聖霊の賜物によって悪霊と闘う力を、受洗者に与えるもの」と話された。

 新受洗者に聖油を塗布することについて、「古代の闘技者は筋肉を強壮にし、敵の攻撃から逃れやすいように油を塗っていました。初代キリスト教教会も、救い主キリストの力が洗礼志願者を強め、悪と闘うことがで きるように、司教によって聖別された油を志願者に塗布するようになったのです」と説明された。そして、「悪と闘い、その欺瞞から逃れることは容易ではありませんが、キリスト者の全人生が『一つの闘い』であることを忘れてはなりません」とし、「私たちは一人ぼっちではありません。母なる教会は、子供たちが洗礼を通して再び生まれ、復活のキリストの力をもって、悪の罠に打ち勝つことを祈っています」と強調された。

(バチカン放送日本語版をもとに「カトリック・あい」が編集しました)

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