☩「イエスが示された八つの幸せの道を日々歩もう、聖人たちの待つところへ」-諸聖人の祝日に

(2018.11.1 「カトリック・あい」)

 教皇フランシスコは諸聖人の大祝日の1日、バチカンの聖ペトロ広場での正午の祈りに当たって次のような説話をなさった。バチカン発表の説話全文の英語訳を基にした内容は以下の通り。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、お早うございます!

 今日のミサの第一朗読、ヨハネの黙示録は、天について語り、私たちを「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民」の中から集まった、数えきれないほどの「大群衆」の前に置きます(7章9節)。彼らは聖人です。彼らは「天国」で何をしているのでしょうか?ともに歌い、喜びで神をたたえています。彼らの歌声を聞くのは素晴らしいことでしょう…。私たちはそれを思い浮かべることができます-それがいつか知っていますか?

 ミサの間、「聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主…」と唱える時です。それは聖なる歌-聖書にはこうあります-天から来る、天で歌われる(イザヤ書6章3節、ヨハネの黙示録4章8節参照)、賛美の聖歌です。そして、「聖なるもの」を唱える時、私たちは聖人たちを思い浮かべるだけでなく、彼らが何をしたか、を考えます。その時、ミサの中で、私たちはこれまで以上に、彼らと一体になります。

 そして、私たちは、すべての聖人と一体になります。年間のカレンダーに名前が載っている著名な聖人だけでなく、「お隣り」の聖人、今は「大群衆」の一員になっている私たちの家族や知人たちとも一体になるのです。それで、今日は「ファミリー・パーティー」なのです。聖人たちは私たちに身近な存在、まさに私たちの本当の兄弟姉妹です。彼らは、私たちを理解し、愛し、私たちの本当に良いものを知っていて、私たちを助け、私たちを待っていてくれます。彼らは幸せであり、天国で私たちも一緒に幸せになるように、望んでいるのです。

 こうして、彼らは、私たちを幸せの道に招いています。今日の福音がとても素晴らしくイエスの言葉(注:山上で示された8つの幸せ)を伝えています-「霊において貧しい人は幸いである[…]柔和な人は幸いである(…)心の清い人は幸いである[…」(マタイ福音書5章3‐8節参照)。

 どうして、でしょうか?福音書は貧しい人を讃え、この世は富んでいる人を讃えます。福音書は柔和な人を讃え、この世は傲慢な人を讃えます。福音書は言います-心の清い人は幸いであると。この世は賢く、喜びにあふれた幸いだ、と言います。(注:イエスが聖書で語られている)無上の幸せ、聖性の道は、敗北に導くもののように見えます。

 そうではありません。今日のミサの第一朗読を、もう一度思い起こしましょう-聖人たちは「手になつめやしの枝」(ヨハネの黙示録7章9節)-勝利のシンボル-を持っているのです。彼らは勝利を手にしました。それはこの世での勝利ではありません。そして、彼らは、聖である神のものである自分たちの道を選ぶように、私たちに強く勧めるのです。

 私たちはどちらにいるのか、自問しましょう:天国か、それともこの地上か。主のために生きるのか、自分自身のためか。永遠の幸せのためか、今、いくらかの夢を実現するためか。自問しましょう:私たちは本当に聖性を望んでいるのか?それとも、非難もされず、誉められもせず、神を信じ、他人を尊敬するが、大人しくしているような、キリスト教徒でいることに甘んじているのか?

 主は「私たちのすべてを求められますが、その見返りに、真のいのち、私たちが創られた目的である幸せを、私たちにくださいます」(使徒的勧告「GAUDETE ET EXSULTATE(喜びなさい、大いに喜びなさい)-現代世界における聖性への呼びかけ」第1項)。要するに、聖性か、無か、なのです!自分自身を聖人たちに触発されるようにするのは良いことです。聖人たちは地上でも、あちらからでも、私たちのために”励ましの声”を中途半端に送ることはしていません。なぜなら、私たちが神を、謙遜を、柔和さを、思いやりを、心の清さを選んだから、地上よりも天国に情熱を燃やしているから、です。

 (注:聖なる人々である)兄弟姉妹は今日、私たちに、素晴らしい福音をもう一度聴くようにではなく、それを実行するように、イエスが山上の説教で示された八つの幸せの道を歩むように、求めています。それは、何か特別なことではなく、私たちを天国に、家族のところに、家に連れていく道を、日々歩むことです。

 今日、私たちは、自分の将来を垣間見、自分が生まれてきた目的を祝いました:私たちは決して死ぬために生まれてきたのではなく、神の幸せを寿ぐために生まれてきたのです!主は、私たちを、八つの幸せの道を歩む人すべてを、こう言って励まされます-「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」(マタイ福音書5章12節)と。神の聖母、聖人たちの女王、聖性の道をしっかりと歩むように私たちを助けてください、あなたは、天国の門、私たちが愛した亡くなった人々を天国の家族に紹介してください。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2018年11月2日