☩「人生の終わり-神のみ前に立つこと-について考えるのは賢明」

(2018.11.27 バチカン放送)

 教皇フランシスコは27日、バチカンのサンタ・マルタ館の礼拝堂でのミサの説教で、この日の第一朗読「ヨハネの黙示録」(14章14-19節)を取り上げ、「自分のこの世での人生の終わりと神のみ前に出る日を考えることは、賢明であり、神との出会いまでの道のりを助けてくれるもの」と話された。

 教皇は、ヨハネがこの朗読箇所で「世の終わり」を、「キリストと鋭い鎌を手にした天使による『刈り入れ』の様子として描いている」とされたうえで、「『刈り入れ』は、私たち一人ひとりが主と出会う場所であり、その時、私たちは「これが私の人生です。これが私の麦です。これが私の人生の質です」と主に言わねばなりません」と説かれた。

 そして、「もし、今日、主から呼ばれるならば、自分は何を言うだろうか、どんな麦を見せるだろうか」と終わりについて考えることは有意義なこと、と強調し、「そう考えることは、私たちを立ち止まらせず、むしろ前進させ、愛徳や希望を育むことになるでしょう」と話された。

 さらに、「人生には終わりがありますが、そこには一つの出会い、主との出会いがあるのです。それは、いつくしみと、喜び、幸福、との出会いです」と語られ、「自分の人生の終わりを考える賢明さを聖霊に祈り求める」ように促された。

(編集「カトリック・あい」)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018年11月28日