☩「世界のすべての人に平和の実が結ばれますように」主のご復活で、教皇がメッセージ


(2018.4.1 バチカン広報)

 教皇フランシスコは1日朝、「復活の主日」のミサを聖ペトロ広場で捧げられた後、正午に聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから「ウルビ・エト・オルビ(ローマと世界に向けた教皇の祝福とメッセージ)」を送られた。(▷を押すと、録画中継がご覧になれます)

 その全文は以下の通り。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ご復活おめでとうございます!

 イエスは死から蘇られました!

 メッセージは世界中の教会に、アレルヤの歌声とともに、こだまします-イエスは主、父が彼をよみがえらせ、彼は私たちの中に永遠に生きる。

 イエスはご自分の死と復活を、一粒の麦の譬えを使って予告しておられました。「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ福音書12章24節)と。そして、その通りのことが起きました-イエス、畑の畝に神が撒かれた一粒の麦は、亡くなられました、この世の罪によって殺されました。墓の中に二日間おられましたが、その死は神の愛を包み込み、解放され、三日目に復活されました。その日を今日、私たちは祝います。主なるキリストの復活の祝いです。

 私たちキリスト教徒は、キリストの復活が世界のまことの希望、失望させることのない希望であることを信じ、そして知っています。復活は一粒の麦の力、自らをさげすみ、最後の最後まで捧げ尽くす愛の力、その力がこの世を真に新たにするのです。私たちの不正と暴力に満ちた歴史の畝の中で、この力は今日、実を結ぶために働き続けます。はく奪と排除、飢えと失業のある所に、現代の浪費文化によってしばしば受け入れを拒絶される移民と難民、麻薬取引、人身売買、現代の奴隷制度の犠牲者たちがおられる所に、希望と尊厳の実を結びます。

 今日、私たちは、この世界全体に平和の実が結ばれるように懇願します。まず、長きにわたって苦しめられている、愛するシリア、そこでは終わりのない内戦によって人々がつぶされています。この復活の祝いにあたって、蘇られたキリストの光がすべての政治、軍事指導者たちの良心を照らし出し、殺戮を速やかに終わらせ、人道法に敬意が払われ、私たちの兄弟姉妹が切望する援助が彼らに届くような措置がとられますように。故郷を追われた人たちが家に戻れる条件が整えられますように。

 私たちは、聖地ために、和解が実るように、イエメンと中東地域全体のために、打ち続く紛争で傷つく人々が無防備のまま放っておかれることのないように、対話と互いの尊重が対立と暴力を覆いつくすように、嘆願します。キリストにおいて、不正と迫害にたびたび苦しめられている私たちの兄弟姉妹が、蘇られた主と悪に対する全の勝利の輝ける証人となりますように。

 私たちはこの日、尊厳ある人生を渇望する人々、中でも、飢えと地域紛争、テロに深く傷ついているアフリカ大陸の人々のために、希望の実りがもたらされることを切願します。蘇られた主の平和が、南スーダンの人々の傷を癒し、対話と相互理解に心を開くように。紛争の犠牲者、特に子供たちを忘れないようにしましょう!故郷を捨てるように強制され、生きていくための必需品を欠く人々との連帯を失うことのないように。

 私たちは、朝鮮半島のために、対話が実ることを願います。進行中の協議がこの地域の調和と平和を前進させるように。直接の責任を持つ人々が、知恵と識別の力をもって、朝鮮半島の人々の善を推し進め、国際社会の中で信頼関係を構築しますように。

 私たちはまた、ウクライナのために、平和の実りがもたらされるのを切望します。調和を重んじる歩みがしっかりしたものとなり、人々が必要としている人道的な力によって促進されますように。ベネズエラの人々のために、慰めの実りがもたらされるように願います。この国の司教たちが書かれているように、人々は自分自身の国の中の"よその土地"のようなところで生活しています。この国民が主イエスの復活の力によって、政治的、人道的な危機を速やかに乗り越えるための、公正で、平和な、人道的な道を見出すことができますように。彼らの息子たち、娘たちが故郷を捨てることを強制されることのないように助けを得られますように。

 蘇られたキリストが、戦争と飢餓によって希望のないまま育ち、教育と保健サービスを満足に受けることのない子供たちに、"生産的でない人々"を追放する利己的な文化によって打ち捨てられたお年寄りの方々に、新たな命の実りをもたらしてくださいますように。

 私たちはまた、私たちの世界の政治に責任を持つ人々のために、知恵の実りがもたらされることを懇願します。彼らが常に人間の尊厳を大切にし、共通善の追求に積極的に献身し、自分たちの国民の発展と安全を確かなものとしますように。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん。

 イエスの墓で、女性たちが聞いた言葉は、私たちに対するものでもあります。「なせ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ」(ルカ福音書24章5‐6節)。死、孤独、恐怖は最後の言葉ではありません。これらを超越する言葉があります。それは、神だけが話すことのできる言葉-復活の言葉です(参照:ヨハネパウロ二世のConclusion of the Way of the Cross, 18 April 2003)。

 神の愛の力によって、「邪悪は追い払われ、過ちは洗い流され、堕落した者に潔白が取り戻され、嘆き悲しむ人々に喜びが、嫌悪は拭い去られ、和合は育てられ、力をふるう者は倒される」(Easter Proclamation)。

 主のご復活、おめでとうございます!

(バチカンの英語の公式発表文より「カトリック・あい」南條俊二が翻訳)

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2018年4月1日