☩「イエスは”流れ”に逆らい、手を差し伸べてくださる」

(2018.11.18 VaticanNews  Sr Bernadette Mary Reis, fsp)

 「世界貧しい人のための日」に当たり、教皇フランシスコは18日の聖ペトロ大聖堂での6000人のローマの貧しい人々を前にしたミサの説教を、「これがイエスが私たちに歩むように言われている道」「私たちが山上で神と祈りの時を過ごした後、兄弟姉妹と会うために下山する道です」と始められた。

*イエスは”流れ”に逆らわれる

 そして、このミサが聖ペトロ大聖堂奉献を記念する荘厳ミサであることから、福音書のペトロが嵐が吹きすさぶ湖の水の上を歩く箇所、その前の箇所-イエスは「成功の絶頂」の時に、祈りをささげるためにお1人で山に登られ、それから嵐の最中にある湖岸に下って行かれた(マタイ福音書14章22⁻33節参照)を引用され、これらの一連の振る舞いは、”流れ”に逆らう行為だ、と指摘。 「イエスは成功を、そして平穏も、後に残して行かれたのです。イエスに従う人々も、イエスが選ぶように言われる道-神に向けて登り、兄弟姉妹のところに下る道ーをたどるよう求められています」と語られた。

*イエスは確信を持たせる

 成功と平穏を後にして、イエスは嵐の海のただ中にいる弟子たちのところに向かい、彼らに確信を持たせようとした。”海”はイエスが打ち砕く悪を象徴しており、「イエスが、そしてイエスだけが、私たちの最大の敵-悪魔、罪、死、そして恐怖-を打ち砕く、という確信の啓示です」と教皇は説明された。 そして、私たちが体験する嵐の中で問題とされているのは「嵐」そのものではなく、「私たちがどのように人生(という舟を)操っていくか」であり、「うまく操る秘訣は、イエスを舟にお乗せする」こと。「そうすれば、嵐は静まり、難破しなくて済むのです」と強調された。

 *イエスはペトロの叫びをお聞きになる

 そして、教皇はこの福音書の箇所を「世界貧しい人の日」に関連付け、助けを求めるペトロの叫びは、貧しい人、生まれていない人、飢えている人、のけ者にされたお年寄り、友もなく、「人生の嵐に直面」する人、「不確かな未来に向けて…故郷を離れることを余儀なく」される人、「生活の基盤を奪われた」人に共鳴するもの、と指摘された。

*イエスは手を差し伸べられる

 イエスはペトロを助けるために、手を差し伸べられた。この振る舞いは、「私たちが助けを求めている人とつながる中で信仰を生きることが、なぜ、私たち全員にとって重要なのか」を教えている、と語られた教皇は、無関心や不満で手を伸ばさないのは、キリスト教徒にとって、悪に対して容認できない対応、とし、「そうであってはならない。神を信じるものとして、私たちは、イエスが私たちになさっているように、手を差し伸べねばなりません。神は貧しい人の叫びをお聞きになりますが、私たちは聞くでしょうか」と問いかけられた。

*イエスは無償で与えられる

 イエスはご自身がなさったように、私たちに「惜しみなく、義務感なしで」与えるように求められる、と教皇は締めくくられた。私たちに払い戻しができない人々に与えるように求められている、と強調され、次のように祈られた。 「私たちに手を差し伸べてください、主よ、そして私たちをしっかりとつかんでください。あなたが愛されるように私たちが愛するように助けてください。過ぎ去るすべてのものを後に残して行くこと、私たちの周りの人々が(注:救いの)確信を得る源となること、助けを必要としているすべての人に惜しみなく与えることを悟らせてください。アーメン」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2018年11月19日