☩「イエスは愛を伝えに来られた」-ローマの刑務所での主の晩餐のミサ・洗足式で

聖木曜日、ローマのレジナ・チェリ刑務所で洗足式を行う教皇フランシスコ – AP

(2018.3.29  バチカン放送)

 教皇フランシスコは聖木曜日・29日の「主の晩餐の夕べのミサ」を、ローマ市内のレジナ・チェリ刑務所で、受刑者たちと捧げられた。

 「主の晩餐」のミサは、キリストが受難と死を前に最後の晩餐で、聖体とミサ聖祭、司祭職を制定したことを記念するもの。ミサ中に、イエスがこの最後の晩餐の前に「弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき」互いに奉仕し合うように自ら模範を示されたこと(ヨハネ福音書13章4-17節)を思い起こすものとして「洗足式」が行なわれ、教皇は国籍や宗教の異なる12人の受刑者の足を洗われた。

 洗足式に先立つ説教で、教皇は、イエスの「私があなたがたにしたとおり、あなたがたもするように、と模範を示したのである」(ヨハネ福音書13章15節)との言葉を引用しつつ、「当時は奴隷が行っていた足を洗う仕事を、イエスは弟子たちにご自分でなさり、それによって互いに仕え合うことを教えたのです」と話された。

 また、「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうでない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(マルコ福音書10章42-43節)というイエスの言葉を引用し、「歴史上の権力者たちが、冷酷さや命令、暴力の代わりに、イエスの言葉を理解したなら、多くの戦争は起こらずに済んだことでしょう」と話された。

 そして「傲慢な人々は『奉仕』を理解しません。それでも私たちは、よりいっそう、奉仕するように求められています」とし、「イエスは私たちのもとに奉仕に来られます。今日、この刑務所で行なわれる洗足式は、そのイエスの奉仕のしるしです」と洗足式の意味を説明。

 「イエスは、社会から疎外された人々のもとを訪れ、彼らに『あなたは自分にとって大切な人なのですよ』と伝えました」「私は皆さんと同じ罪びとですが、今、イエスの大使として、ここにいます。私が皆さんの前で身をかがめる時、皆さんは『イエスは、罪びとである私のために命を捧げ、『愛している』と伝えに、私のところに来てくださったのだ』と思ってください」と受刑者たちに語られ、足を洗われた。

(バチカン放送日本語版をもとに「カトリック・あい」が編集しました)

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2018年3月30日