☩「イエスのように、いつも人々とともにいて」-聖木曜日・聖香油のミサで、司祭たちに

聖木曜日、バチカンで教皇フランシスコとローマ教区の司祭たちによる「聖香油のミサ」 – REUTERS

(2018.3.29 バチカン放送)

 教皇フランシスコは29日「聖木曜日」の午前、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、ローマ教区の司祭たちとともに「聖香油のミサ」を捧げられた。

 「聖木曜日」午前中の「聖香油のミサ」は各教区の司教座聖堂で、司教と司祭の共同司式で捧げられることとされており、「司祭叙階時の約束の更新」と「聖油の祝別」が行なわれ、聖油の祝別」では、教区の各教会のために洗礼志願者用、病者用、堅信等用の三種の聖油が司教によって祝別される。

 ミサの説教で、「ナザレの会堂で預言者イザヤの巻物を開き朗読する権威あるイエスの姿(ルカ福音書4章16-21節)を観想された教皇は、「律法学者のように振舞うこともできたはずのイエスが、巷の人々と近く交わりながら、良き知らせを告げ、教えることを選ばれた」ことに注目。「ご自分の民に近く寄り添う」という、神の偉大な選択を強調された。

 そして、「『人々の近くにいる』ということは特別な愛徳であるだけでなく、一つの態度、自分自身を保つと同時に、『他の人々に関心を持つ』という人間関係の築き方でもあります」と指摘されたうえで、司祭が人々に寄り添うために努力すべきこととして、『常にいること』と『誰とでも話すこと』の二つを強調された。

 さらに、求められる司祭像として「人々といつも共にいて、誰に対しても話す言葉を持っている司祭」を示され、そのように「近くにいる」という態度が、いつくしみの鍵となり、人々を名前で呼ばれたイエスのように「人々を概念で捉えず、実際に知る」という意味で、真理と誠実の鍵ともなる、とし、「司祭が人々に寄り添う機会として、特に「霊的対話」「告解」「説教」の3つの場を挙げたうえで、「『自分が神から離れている』と感じる時は、人々に近づくことで、自分の信仰を冷ましていた概念から解放されるように。『自分が人々から離れている』と感じる時は、主とその御言葉に近づくことで、『イエスが人々をいつくしまれ、そのために十字架上で血を流されたこと』を思い起こすように求められた。

(バチカン放送日本語版をもとに「カトリック・あい」が編集しました)

 

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2018年3月30日