◎教皇連続講話「主の祈り」⑧「み名が聖とされますように」に込められた願いは

(2019.2.27 バチカン放送)

 教皇フランシスコは27日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「主の祈り」の考察を続けられた。

 今回は「み名が聖とされますように」がテーマとなった。

  教皇はまず、「主の祈り」について、「み名が聖とされますように」「み国が来ますように」「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」という、「あなた=父である神」を中心に据えた、前半の3つの願いと、「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」「私たちの罪をお赦しください。私たちも人を赦します」「私たちを誘惑に陥らせず」「悪からお救いください」いう、「私たち」を中心に据えた、後半の4つの願いの7つの願いから構成されていることを説明された。

 そして、ここに「全てのキリスト教の祈りの特徴である、神の神秘、素晴らしさ、寛大さなど、神に対する『観想』の要素と、私たちが生きる上で必要なものを、率直に勇気をもって願う『嘆願』の要素の、二つがある、とされ、「キリスト教的祈りの最初の一歩は、私たち自身を神とそのみ摂理に託すこと」と強調。それは「主よ、あなたはすべてご存じです。私の苦しみを聞いていただくまでもなく、あなたがそばにいてくだされば十分です。あなたは私の希望です」と言うことと同じ、と指摘された。

 さらに教皇は、イエスが山上の説教で「主の祈り」の内容を伝授された直後に、色々なことで「思い煩うな」と諭されていることに注意を向け、「『私たちの日ごとの糧を今日もお与えください』と祈るようイエスが教えられた後で、『何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか、と言って、思い煩ってはならない』(マタイ福音書6章31節)と言われるのは、矛盾している」と思う人がいるかもしれないが、「矛盾はありません。キリスト者の祈りは、『父に対する信頼』の表明であり、私たちはまさにその信頼によって、不安や思い煩いなしに、必要なものを神に願うのです」と説かれた。

 また、「み名が聖とされますように!」という最初の願いには「御父の素晴らしさ、偉大さに対するイエスの賛美の全て」とともに、皆に「神の真の姿を知り、愛して欲しい」というイエスの望みが感じられる、と語られ、「ここには『神のみ名が私たち自身や、家庭、社会、世界の中で聖とされるように』との願いがこめられています… 私たちも聖化する神の愛によって変容し、世において神の聖性を証ししなければなりません」と強調された。

 最後に、「祈りはあらゆる怖れを追い払います。御父は私たちを慈しみ、御子は御腕を私たちに添えられ、聖霊は静かに世の贖いのために働かれます…私たちは不安の中でも、揺らぐことはありません」と訴えられた。

(編集「カトリック・あい」)

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2019年2月28日