◎講話「洗礼の秘跡」④水そのものに罪を赦す効果はない、聖霊による

教皇フランシスコ、5月2日、バチカンでの一般謁見 – AP

(2018.5.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコは2日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、謁見中のカテケーシスで、 洗礼の秘跡をめぐる考察として、洗礼式の中心である洗礼盤の前で行われる儀式を解説された。

 まず、洗礼式の重要なシンボル「水」に注目され、「水は、命と健康の源であり、水の欠如はあらゆる豊饒性を干からびさせ、砂漠のようにしてしまいます。その一方で、波や大量の水に沈むことで死の原因ともなる。また、水は洗い、清める力も持ちます」と話されたうえで、聖書に、神の働きかけや約束が水のしるしを介して行なわれる様子が描かれていることを指摘。

 だが、罪を赦す力は水そのものにはない。「すべての水が癒すのではなく、キリストの恵みを持つ水が癒す。行為は水によりますが、その効果は聖霊によるのです」と説く聖アンブロジオの言葉を引用され、それゆえ教会は、洗礼を受ける人々が「キリストと共に死に沈められ、キリストと共に死ぬことのない命に復活する」ことを願い、「水の上に聖霊の働きを祈るのです」と説明された。

 また、洗礼の水を祝福する祈りの中では、「洗礼のしるしとなるように」と、神が水を用意されたことを示し、天地の創造にあたって「神の霊が水の面を動いていた」(創世記1章1‐2節)ことから、洪水(同7章6-8節,22節)、葦の海の奇跡(出エジプト記14章15-31節)、イエスのヨルダン川での洗礼(マタイ福音書3章13-17節)、イエスのわき腹から流れ出た血と水(ヨハネ福音書19章1-37節)、すべての民に父と子と聖霊の名によって洗礼を授けるようにとの復活したイエスによる弟子たちの派遣(マタイ福音書28章19節)に至るまで、「聖書における水と洗礼を象徴する箇所が、思い起こされる」ことを紹介された。

 洗礼の水が聖別された後には、洗礼に臨む人の心を準備する必要がある。教皇は、そのために「悪霊の拒否」と「信仰宣言」が洗礼志願者によって行なわれることを説明。「この二つは緊密に結びつき、どちらが欠けてもならないのです」と強調された。

 問答形式で行なわれる「悪霊の拒否」では、「悪」、「罪の業」「神に反するすべてのもの」を退けるかと聞かれ、洗礼志願者は「退けます」と答える。洗礼志願者は「信仰宣言」を通して、教会の信仰を「信じます」と宣言する。教皇は「この信仰宣言は責任ある選択、神への信頼を具体的に表す行為です」とし、「信仰宣言をすることは、同時に、信者であることの義務を引き受けることでもありますが、その洗礼自体がどのような困難の時も信仰を保てるよう助けてくれるのです」と話された。

 最後に教皇は「私たちが聖水に手を浸し、十字架のしるしをする時、自分が受けた洗礼を喜びと感謝を持って思い出し、至聖なる三位一体の愛に浸されて生きるために、私たちの『アーメン』を新たにしましょう」と呼びかけられた。

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