☩「神と人への喜びあふれる奉仕で、人生の終わりにマリアと同じ栄誉を」聖母被昇天の祝日

(2018.8.15 VaticanNews Christopher Wells)

 15日の聖母被昇天の祝日に当たり、教皇フランシスコは恒例の一般謁見での説教で、神が、人のすべて-体と魂-を救うことをお望みなっている、という真理について話された。

 教皇はまず、聖母マリアが天に昇られた神秘を深く想うように「今日、教会は私たちを招いています」と語られた。これが、15日の水曜恒例の一般謁見での、教皇のメッセージだった。教皇は、この神秘が「神が人のすべて-体と魂-を救うことをお望みになっているのを、私たちに教えている」ことを強調され、聖母マリアは人生の終わりに「体と心」を天に挙げられた-その体は「墓の中で朽ちることを知りませんでした」とし、「これは、彼女の息子、イエスとの体と魂の比類のない一致ゆえに「神の母」に与えられた特別の栄誉だったのです」と説明された。

 そして、この栄誉は「私たちに、私たち自身の栄光に満ちた神の定めを確認させます」と述べ、過去において、哲学者たちは人の霊魂の価値を理解し、それは幸福に至ることが定められているということが分かっていたが、体が魂との一致においてキリストが示された八つの幸せの教えに向けられていることに思い至らなかった。これが、「体の復活」のキリスト教の教義であり、教皇は「キリストの啓示の固有の要素であり、私たちの信仰の核心的な要素」である、とされた。

 また、聖母の被昇天は、私たちに人の一致を想起させるとともに「私たちが、全身全霊をもって神に仕え、その栄光を称えるように招かれている」ことも思い起こさせることを強調され、「体だけで神に仕えるのは、奴隷の振る舞い」だが、「魂だけで使えるのも、私たち人間の自然な姿とは、著しく異なるでしょう」と注意された。

 教皇は説教の最後を、励ましの言葉で次のように締めくくられた-「私たちが、神への喜びにあふれた奉仕-それは、私たちの兄弟への惜しみない奉仕にも表されますが-の中で生きるなら、私たちの運命は、復活の日に、天の聖母と同じものとなるでしょう。聖パウロが強く勧めていることを全うすることで、それは私たちに与えられるでしょう-『自分の体で神の栄光を現しなさい!』(コリントの信徒への手紙1・6章20節)、そして私たちは天国で神の栄光を永遠にたたえるのです」

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2018年8月16日