♰「”勝利至上主義”-精神的な世俗化は、教会を脅かす最も狡猾な誘惑」-受難の主日に

Palm Sunday and the Passion of the Lord – 34th World Youth Day

Saint Peter’s Square at 10 PAPAL MASS Commemoration of the Lord’s entrance into Jersualem and Holy Mass   34th World Youth Day

(2019.4.14 VaticanNews Lydia O’Kane)

 教皇フランシスコは14日、「受難の主日(枝に主日)」のミサを司式され、カトリック教会の典礼暦は、復活祭直前の一週間で、キリストの受難を記念する「聖週間」に入った。ミサ中の説教で教皇は、「“十字架”をうまく切り抜けることはあり得ません。十字架を受け入れるか、拒むか、のいずれかです。ご自分を卑下されることで、イエスは、私たちに信仰の道を開き、先頭に立たれるのです」と語られた。

 「受難の主日」はカトリック教会の「世界青年の日」(教区レベル)でもあり、バチカンの広場で行われたミサには、ローマ教区はじめ、世界各国からの若い信者たちの姿が多く見られた。ミサに先立ち、教皇は、聖ペトロ広場のオベリスク前で、参加者が持つ枝々を聖水をもって祝別された後、枢機卿、司教、司祭、修道者、信者たちとともに、枝を掲げ、行列を作り、大聖堂前に設けられた祭壇に進まれた。ミサ中、ルカ福音書のイエスの受難(22,章14節-23章56節)-イエスの最後の晩餐、オリーブ山での祈り、逮捕、死刑判決、十字架上での死、埋葬に至るまで-が朗読された。

 教皇は説教で、聖週間の始まりに当たって、「イエスは私たちに、心に平和を保つことで、どのようにして困難な時と最も狡猾な誘惑に立ち向かうか、を教えておられます。それは、超然としていることでも、超人的な平静さでもありません。命と慈しみをお与えになる御父とその救いの決意に信頼して、自らを放棄すること」とされ、「イエスは私たちに、このような形での自己放棄を教えられます-地上での福音宣教のどの時点においても、父に完全に従おうとせず自分のやり方を通そうとする誘惑を払いのけることによって」と説かれた。

 また、「エルサレム入城によって、イエスは私たちにその方法を示されています。この出来事において、邪悪なる者、この世の王は奥の手を持っていましたー勝利至上主義のカードです。しかし主は、ご自分のやり方を固く持つことで、応じられました-ご自分を蔑むことです」と述べられたうえで、「勝利至上主義は、手っ取り早いやり方と間違った妥協によって目的地にたどり着こうとします… 十字架の試練で鍛えられない仕草と言葉に頼って、です。これに対し、イエスはご受難によって、勝利至上主義を打ち壊されたのです」と指摘。さらに高名な神学者だったアンリ・ドゥ・リュバック枢機卿(1896-1991)の言葉を引用する形で「勝利至上主義の巧妙な形は『精神的な世俗化』-最も大きな危険、教会を脅かす最も狡猾な誘惑をもたらすものです」と警告された。

 教皇はまた、イエスは「真の勝利は神に道を空けること、それは己を裸にし、空しくすることによってのみ達成されることを知っておられます」「“十字架”をうまく切り抜けることはあり得ません。十字架を受け入れるか、拒むか、のいずれかです。ご自分を卑下されることで、イエスは、私たちに信仰の道を開き、先頭に立たれるのです」と強調された。

 さらに、教皇は、教区の世界青年の日にちなんで、ミサに参加した若い人たちに向けて、イエスへの熱情を示すことを恥ずかしがらないように、イエスが生きておられ、自分たちの生活の中におられることを大声で叫びなさい、と呼び掛けられた。

 また、ご受難を通してのイエスの「深い感銘を与える」沈黙を心にとめ、「イエスは(注:ご自身を裏切り、非難する人々に)言葉を返そうとする誘惑、”スーパースター”のように振舞おうとする誘惑に打ち勝たれます」「暗黒と激しい苦痛の時に、私たちは沈黙を守り、話さない勇気を奮い起こす必要があります-じっと我慢し、怒りで一杯にならないように」と促され、「神が戦われる時、私たちは神が勝利されるようにせねばなりません。私たちの安全な場所は神の聖母マリアのマントの下にあるのです」と強調して、説教を締めくくられた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2019年4月15日