☩「待降節を、自分の生き方を見直し、キリストとの出会いに備える機会に」

(2018.12.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコは2日正午のアンジェラスの祈りに際して、この日から始まる待降節の過ごし方について次のように話された。

「神の子キリストのこの地上での誕生を準備する待降節の間、利己主義的な生き方や、ただクリスマス・プレゼントに気を配るだけの世間的なお祭り騒ぎに陥ることを避けましょう。また、戦争の混乱の中で苦しむシリアの人々のことも忘れないようにいたしましょう。

 待降節は、キリストの降誕を記念し、神の子を心から受け入れる準備の時期だけではなく、世の終わりに栄光の中に再臨されるキリストの到来に、心を向ける時でもあります。待降節にあたって、1人ひとりが自分の生き方を見直し、真のキリスト者らしく、勇気をもって、誠実にキリストとの出会いを準備するよう勧めます。

 この待降節の4週間、私たちはただ、だらだらと、いい加減に生きるのではなく、しっかりと目覚めて、未来の新しい世界への夢と希望を大きく育てながら、前進するよう招かれているのです。今日、待降節第一の主日のミサの福音もこのことを強調しています」。

(2018.12.1 バチカン放送)

 キリストの降誕祭を準備する待降節が2日の待降節第一主日で始まる。教皇フランシスコは1日、待降節の意味について「人類と出会うために、自ら地上に降りて来られる神の子を、迎える準備」のための貴重な時、「私たちの兄弟たちの中に現存するキリストの存在を認め、愛し、学ぶ」ための時、であることを強調された。

 神の子、キリストは、クリスマスの祝日に私たちのもとに来られる。貧しさの中に、謙虚な条件の中に誕生された神の子の歴史上の到来を記念するたびに、心から迎えようとする人々の中に神の子は再び来られる。そして世の終わりに、生者と死者を裁くために再び来られます。私たちはいつも希望を持って主の来臨に備えていなければならない。

 教皇は2016年11月27日の日曜正午のアンジェラスの祈りの際に、キリストの三様の来臨について話されている。第一の来臨は「受肉の神秘を通して、すなわち、ベトレヘムの馬小屋での誕生」。第二の来臨は現に毎日絶え間なく実現していることで「いつも私たちの傍らに現存し、愛と慰めを持って、ともに歩み続けてくださっている」こと。そして第三、最後の来臨は「世の終わりに際しての最後の審判の際での出会い」だ。

 教皇はマタイの福音書第25章、「私が飢えていたとき食べさせてくれた、私が渇いていたとき飲ませてくれた、私が旅人だっとき宿らせてくれた、私が裸だったとき着せてくれた、私が病気だったとき、牢獄に入れられていたとき見舞ってくれた。まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟たちであるこれらのもっとも小さな人々の一人にしてくれたことは、つまり、私にしてくれたことであると」を引用しながら、「私たちは皆、最後には、兄弟をどのように愛したか、によって裁かれるでしょう」とされ、待降節の間、「自分のキリストとの出会いが、どのようなものであるかを深く省みるように」と促している。

(編集「カトリック・あい」)

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2018年12月2日