☩「ソファに座っていては御言葉を聞けない。歩きながら、神を見出せ」-シチリアの若者に

(2018.9.15 バチカン放送)

 福者ピノ・プリージ神父の殉教25年を機にイタリア・シチリア島を訪問した教皇フランシスコは15日午後、パレルモ市内のカテドラルで、司祭・修道者・神学生らとの出会いを持った。

 カテドラルに入られた教皇は、聖堂内にあるプリージ神父の墓前で祈りを捧げられた後、シチリアの教会関係者らに「典礼を生きること」「人々に寄り添うこと」「福音を証しすること」の3つを課題として示され、「皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される私のからだである」というミサ中の言葉を「そのまま祭壇上に留まらせてはならない。日常生活に深く降ろしていくように」と司祭たちを促された。

 また、「面倒なことを避けたい、人々の問題で手を汚したくない」とするメンタリティーを捨て、福者プリージ神父のように「人々を愛し、彼らに寄り添わなくてはなりません」と諭され、シチリアの素晴らしい遺産である宗教的な祭りや信心業を取り挙げて、「これらの行事が、マフィアの存在の顕示に利用されることが決してないように」と希望された。

 カテドラルでの集いを終えた教皇は、訪問の最後に、パレルモ中心部のポリテアーマ劇場前広場でシチリア全土から集まった若者たちとお会いになり、信仰生活や未来への不安への助言の求めや、移民受け入れなど社会問題をキリスト者としてどう捉えるべきかという質問などを受けられた。

 教皇は彼らに「神の御言葉は、ダイナミックなものです」、そして「ソファに座っていては御言葉を聞くことができません。歩きながら、神を見出していかねばなりません」と説かれ、「神は、求める人に話しかけられます。『常に求め続ける』というのは『健全な状態にある』ということです。すでに求めるべきものに到達したかのように感じていることは、特に若い皆さんにとって、は悲劇です」と指摘された。

 そして、「自分自身にとらわれず、他人のために何かをすること」を若者たちに求め、「すべてを『自分』の名のもとに『自分』のためにする人、『自分』のためだけに生きている人は、最後には行き詰ってしまいます」と注意を促された。

 また移民問題にも触れられ、「あなたがたシチリアの人々は『出会いの文化』に召された人々です」とし、「紛争や対立が絶えない今日の世界の中で、(それに屈することなく)文化や人との出会いを推進するように」「真の人間として、悪や搾取を糾弾する勇気を持つように」と希望された。

 最後に、教皇は「皆さんは希望の夜明け」と述べ、「悲観主義に陥らず、『希望を生み、育てる可能性は自分の手の中にある』ことを確信し、その希望の光を、シチリアや、イタリア、教会に昇らせてください」と激励された。

(「カトリック・あい」が編集)

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2018年9月17日