◎連続講話「十戒」③「自分から出発する人は、自分自身にしかたどり着けない」

教皇フランシスコ、6月27日、バチカンでの一般謁見

(2018.6.27 バチカン放送)

 教皇フランシスコは27日の水曜恒例の一般謁見で、前週に続いて「十戒」をテーマにしたカテケーシス(教会の教えの解説)をなさった。

 この中でまず、十戒冒頭の「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(出エジプト記20章2節)を取り上げ、神がまずご自身について宣言し、その救いの業を明らかにしてから、「十戒」の具体的な内容を示していることに注目され、「これは、神が最初に救いの業を行うことで、民の信頼を求められるため。『十戒』は神がその寛大さを示すことから始まります」と説明された。

 そして「私は主、あなたの神」という宣言について、「神はよそよそしい他人のような存在ではなく、まさに『あなたの神』であり、その愛は『十戒』全体を照らすもの」と語られ、イエスの「父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛してきた」(ヨハネ福音書15章9節)という言葉にあるように、「キリストは御父から愛され、その同じ愛をもって、私たちを愛される。キリストはご自分からではなく、御父から出発されているのです」と述べられた。

 また「私たちの行いがしばしば失敗するのは、その行いが自分自身から出て、感謝から出ていないから」と指摘され、「自分から出発する人は、自分自身にしかたどり着けません」と話された。

 さらに、キリスト教的生活は、何よりも、「寛大な御父に対する感謝の答えであり、『あれをしなくては』『これをしなくては』と、義務だけにとらわれているキリスト者は、その義務の基礎にある『神なる御父の愛の体験』が欠けていることを表しています」と注意された。

 「関係の始めから、ただ掟だけを押し付けることは、信仰の歩みの助けにはならない。救いではなく、義務や課題から出発するならば、どうして若い人はキリスト教徒になることを望むでしょう」と問われ、「キリスト者として成長するには、意志の力だけでは足りない。救いを受け入れ、神に愛される体験が必要」と強調された。

 さらに、「神に従うには、神が私たちのためにしてくださったことを思い出すことが大切」とし、「自分に対する神の素晴らしい業と救いについて、各自が思いを巡らせるように」と勧められた。

 また、「義務感だけに縛られ、神の解放の真の体験を知らない人々」に対し、「イスラエルの人々のうめきと叫びを聞いた神が、人々を顧み、御心に留められた(出エジプト記2章23-25節参照)ように、「自分から、』神に救いを求める叫びを上げるように」と説かれ、「神は私たちの鎖を断ち切るために、助けを求める叫びを待っておられます。神は、私たちが虐げられることなく、自由と感謝のうちに生きるようにと、私たちを召されたのです」と、神がわたしたちに与える限りない恵みを示された。

 

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2018年6月28日 | カテゴリー :