・Sr 阿部のバンコク通信㉒タイ在住の末期がんの老婦人が詩画集に笑顔!

  バンコクの 女子パウロ会はドンムアン空港の東、サパンマイ地区、大通りにはBigC 百貨店、大きな市場、商店街が並ぶ便利な生活圏にあります。交通網はバスですが、数年前からスカイトレイン(“空中”を走る電車)の延長工事で渋滞改修の為の酷い渋滞…もう暫くの辛抱。

   私達の使命はメディアを通して人々に福音をもたらす事。タイ語の出版は、書籍45点、視聴覚CD、 DVD、 VCDが合わせて25点程になり、人々の心に福音を届けながら着実に歩み続けています。教会外の人々を含めた対象を常に考慮し、タイの人々の好みに合った、ピリッと効いた甘みのある味付けで出版しています。

   セントルイス カトリックの総合病院内にパウロ書院があり、小さな宣教の拠点になっています。タイ語、英語、信心用具、聖像など、タイ社会の要望に叶う奉仕に努め、日本語の書籍コーナーも設けています。

   在タイの日本企業は多く、在留登録している日本人だけでも4万人近いと思います。これはと思う書籍を選び、機会あるごとに紹介し、役立てています。一冊の本との出会いがもたらす恵みを考え、祈り込めて待機しています。

   先日も、大学の日本語科教授のお母さん(85歳で末期がんの痛みに耐えておられる)に「何か良い本がないか」と教授の親友が書院へ。日本語が解らないので、家で編集の仕事をしていた私に連絡があり、LINE-Videoで本の紹介、星野さんの詩画集と晴作久神父の説教集を選び贈物。後日、娘教授のメンセージを添えた感謝と喜びの知らせがありました。子供のような喜びの笑顔で、本を抱いて読んでいるお母さんの写真も添えてありました。癒しと喜びをもたらした書物、暫くして更に3冊、その後日本に帰ってホスピスに入る事に決めたので、最後のプレゼントにと来院。

    魂に届く福音の良薬は、苦味なく喜びと癒しをもたらす。バンコクの片隅で、今日も人々と福音との喜びの出会を祈りつつ励んでいます。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年7月3日 | カテゴリー :

・Sr.岡のマリアの風 ㉚神学校の授業が終わり…ローマ、ポーランドへ

 今年度、神学校の授業が終わり、毎年のように、感謝・反省・祈り…という気持ちです。

 わたしなりに全力を傾けるので、ホッとして、感謝。同時に、自分の(いろいろな意味での)足りなさが見えて来るので、反省。さらに、短い間とはいえ、関わってきた神学生たち(すでに司祭になっている方々も含め)のために、祈る。

 何を祈るかというと…主よ、あなたの望みが行われますように!… そして、すべての司祭を、主の母マリアの、母のご保護に委ねて…

 7月4日から18日までの2週間、ローマ出張と、ポーランドの共同体訪問です。ローマでは、アジアとオセアニアのマリアン・アカデミー(MAAO)の責任者、デニス神父との話し合い。教皇庁立国際マリアン・アカデミー(PAMI)長官、神学院での先輩、ステファノ神父に相談ごと。そして、わたしの博士論文担当教授だったサルバトーレ・ペレッラ神父を母校に訪問…。

 ポーランドの、わたしたちの修道会の共同体(ストラホチナという小さな村にある)のシスターたちは、今、黙想会や巡礼に訪れる人々への奉仕で忙しい時期とか。でも、どんなに疲れていても、シスターたちは、マリア論の話を聞きたがる。わたしの方も、まさに「イエス・キリスト中心」を、日々の生活の中で生きている-祈り・奉仕…-シスターたちに、学ぶことが多くあります。

 どのような「旅」になるのか…

 祈りは、いつも同じです

 …主よ、あなたの望みが行われますように!… …聖母よ、わたしの中で「みことば」が実現するよう、助け、守ってください!…

*海外出張前・・定期健診

 健康診断で、骨が弱いと言われた。「あなたの年齢に対して、骨は、20歳くらい年を取っていますよ(!)。転んだら骨を折るかもしれないから気を付けてください。今から、薬を定期的に飲むことをお勧めします」…。

ということで、生まれて初めて「定期通院」を始めた。約一か月に一回、薬をもらうために、お医者さんのところに行く。優しいH先生は、「一か月、どうでしたか?何かあったら、何でも言ってくださいね」と言ってくださる。

 「あの~、骨とは全く関係ないのですが…」「いいですよ、何でも言ってください」…そこで、わたしは、H先生に、お腹をこわしたとか、風邪を引いたとか、海外出張の後、時差ボケで眠れないとか、ほんとうに骨とは全く関係ないことを「報告」する。H先生は「薬を出しましょうか?市販の薬よりも安いですよ」、と丁寧に処方してくださる。

 ということで、わたしは今、一か月に一回、健康チェックをしていただいている。自分ではよく見えないことも、お医者さんのH先生には見えるみたいだ。何度も行くうちに、わたしの体の傾向、癖(?)なども分かるのだろう。

 この前、風邪を引いたときは(そのくらいでは普通、病院には行かないが)、たまたま「定期通院」の時だったので、それを言ったら、「どんな症状ですか?咳が出ますか?のどが痛いですか?…」と、わたしの状態に合った薬を処方してくださった(それも、毎食後、四錠!あまり薬を飲まないわたしにとっては、何だか病人になった気分)。さすがに、病院の薬(?)。効き目は早かった。

***
月一回の、体のチェックが、こんなに大切だとは思わなかった。もっと目に見えない「心」のチェックは、もっと大切だな、と思った。放っておけば、どんどん流される。奉献生活者といえども、ぼ~っとしていたら、この世のロジックに簡単に振り回される。

 だから、祈り、なんだ。だから、奉献生活者は、日に数回、特に、朝、昼、晩、聖堂に、イエスの前に集まって、共同で、祈る。

 「共同の祈り」が始まる、少なくとも五分前には聖堂に行って、心を整えなさい、と言われる。バタバタと聖堂に入って、すぐ、共同の祈り、ではなく、仕事を後ろに残して、聖堂に行って、自分の席に座り、十字架の印をゆっくりとする。「主よ、あなたはわたしに、今、何をお望みですか?」「聖母マリア、わたしが、どんな逆境にあっても、あなたのように、ひたすら主の望みだけを求めていけるよう、助けてください」と、ゆっくりと祈る。

 朝、昼、晩、心の「チェック」をする。一日の終わりに、心のチェックをする。毎月一回、心のチェックをする。…

 教皇フランシスコは、「識別」について話すとき、先ず、主の前で、主のみことばに照らして、自分自身の心を見つめたら、今度は、周りにいる「知恵ある人」と対話、相談しなさい、と言う。知恵ある人とは、聖霊に導かれて、霊の識別をする賜物をいただいている人のことで、若くても、そのような人はいる、とパパは言う。体のチェックを、お医者さんにしてもらうように、心のチェックを、先ず、主の前で、そして、知恵ある人にしてもらう。

 その時、大切なのは、(体のばあいも、心のばあいも)嘘をつかない、率直であることだろう。良く見せようとしたり、言い訳を先に並べたりすると、だんだん、嘘になってくる。言葉で表現するのが恥ずかしいことであればあるほど、聖霊に祈りながら、率直に、そして安心して、心を開く。

 「知恵ある人」といっても(魔法使いではないので)、わたしが心を開かなければ、何がそこにあるのかは見えないだろう。わたしも、わたしを助けてくれる人も、みな、主の霊の協力者だ-と、わたしはイメージする。

 「すべてのものを一つに集める」キリストの霊。キリストの「集める」は、無理やりに、ではなく、自らをすべて差し出し、降り尽くした方の「集める」だ。
わたしの、月一回の、心の「チェック」は、そのキリストの心との「ぶれ」を認めることから始まるのだろう。だから、謙虚、柔和、忍耐、率直…

***
結局、海外出張前になっても、咳が止まらなかったので、またH先生のところに行った。「(出張が2週間なので)、念のため、2週間分、お薬出しておきましょうね。あとは、何かありますか?」と、いつものように優しい。「出張すると、時々、お腹をこわす…ことがある…」と言ったら、「分かりました、お腹の薬も2週間、処方しましょうね」。

***
こんなことで、よかったのだろうか、主よ、わたしはあなたの望みだけを求めているでしょうか、と祈っていたら、誰かから、ポン、と、言葉が来る。メールが来る。わたしの祈りについては、知らないはずなのに、あたかも、その答えのように。

***
神は、時に、ピリ辛で、時に優しさで、足りないばかりのわたしを、忍耐深く、あたたかく、導いてくださる。日々の何気ない出来事の中に、祈り求めていることの答えを見つける。
ご自分の民と、共に歩いてくださる神。本当に、十字架の傷をもって、傍らにいてくださる主キリスト。見えなくなったときに、いつでも、そっと、キリストに導いてくださる、聖母マリア。神との対話の中で、わたしを支えてくださる、たくさんの聖人、兄弟姉妹たち。

***
海外出張前と言っても、考えてみれば、わたしたち奉献生活者は、文字通り「着の身着のまま」で出かけられるはず。マリアの、エリザベト訪問のように。軽やかに、率直に、喜んで…。いつのまにか、あれも、これも…と、「旅慣れ」してしまったな~、と反省。

 大切なものが見えなくならないように、単純に、素朴に生きたい。「あなたのことばが、わたしのことばとなるように!」アーメン。

 

*二週間の出張の前に…今朝の独り言…

 いつくしみ深い父である神は…ご自分の「幸い」を共有するために…被造界を造り、人間を造った… 父である神は、ご自分が造ったものが、一つでも滅びることは、「幸い」に入らないことは、望まない…

 「分からんちゃん」の人間(わたしたち)は、父である神の心はいざ知らず…「滅び」に向かう道にばかり行きたがる… でも、父である神は、ほんとうに、真に、「すべての人の救い」を望んでいる… その、父の「思い」「心」を、ほんとうに、真に実現したのが、「子」である神、イエス・キリスト…「時が満ちた」ときに… 父が「子」に託した「思い」は、さらに、「悪い奴を滅ぼす」ことではなく、「悪い奴のためにも、すべてを、いのちまでも差し出す」ということだった…

 受肉から始まる、「神の降下-ケノーシス-」…どんなに、何度も考えても、思いめぐらしても、想像しても、祈っても…やっぱり「すごい」… 「神の降下」は、受肉で終わらない。それは、「過越-受難・死・復活-」にまで行く。

 そう、「復活」でさえも、「降下」だ。東方教会の「復活イコン」は、「陰府降り」と呼ばれる。まさに、闇の中で救い主・メシアを待っていた、アダムとエバから始まるすべ
ての人たちのところにまで降っていく、メシア・キリストの姿だ。

 キリストが「王」であるという真理は、十字架の「苦しむしもべ」の中に輝き出る。神の「力」「権力」は、滅ぼす力ではなく、救う力、まさに、「愛の力」だ。しかも、わけ隔てのない、「出来の悪い子らこそいつくしむ」父の愛の力だ。だから、「すべての人の」救い。

 その、父である神の心、子である神の心は、十字架上のメシアの最後のいのちの息吹-聖霊-を渡された「教会」に受け継がれていく。
十字架のもとで、「すべての人」の母となる使命を受けた、「生まれつつある教会」の「原型」、イエスの母マリアを通して、キリストの「思い」は、単なる概念でも、象徴で
もなく、具体的に、リアルに、受け継がれていく。

 「すべての人」の母となるよう呼ばれた、旧約の神の民、イスラエルの民。そのイスラエルの娘、マリア。キリストによって、実際に、ほんとうに、あがなわれた「すべての人」の母となるよう呼ばれた、キリストの民、教会。その「原型」、「初穂」であるマリア。マリアを通して、天地創造の「原型のペア-アダムとエバ-」から始まる、壮大な「契約」のプロジェクトが、引き継がれていく。最終目的、「天のエルサレム」、「完成、成就のペア-キリストと教会(神の民)-」に至るまで。

 ***
何を朝っぱらから、大きなことを考えているのか、と言われそうだけれど…。でも、これこそ、わたしたちが「共同体」で、今、わたしがいる、「この」共同体で、丸ごと、誰も欠けることなく、天の国に行くこと-神の永遠のいのちを共有すること-を、「真剣に」「本当に」心から望まなければならない理由だと、思う。

 「わたしは天国に入りたい」「わたしは救われたい」「あの人も、救われて欲しい」「でも、あの人は、知らない」「あの人と一緒に、天国に行きたくはない」… そんなこと、口に出してはいなくても、時に、そう思っているかのように行動しているわたしたち。

 「あんなことをする人は、神の救いに入らなくていい」「あんな恩知らず、滅んで自業自得だ」と、一瞬でも神が思ったなら、わたしたち誰一人として、神の国に入れなかった
だろう。悪魔の誘惑に負けて、ぼろぼろになったわたしたちを見捨てたなら、「神の降下」は、なかっただろう。神は、「降下」する必要など、なかっただろう。

 「共同体」は、わたしの共同体は、みんなが聖人みたいだから救われるのではない。「わたし」も含めて、みんな、「欠けている」。その欠けているわたしたちが丸ごと、天の国に、神のいのちに、入る。わたしは、それを、本当に望んでいるだろうか?

 ***
先日、共同の祈りの先唱者(当番)が、祈りを間違えた(というより、その日にするはずではなかった祈りを始めた)。みんな、ちょっと、「あれっ?」と思った。新しく就任
した院長シスターは、助けを求めるように、きょろきょろ。オルガン当番だったわたしと、目が合う。

 暗黙のうちに、「でも…いいよね。せっかく、祈りを始めたんだし、姉妹たちも、最初はちょっと心もとなげに、でも、だんだん声を大きくして祈り出したし…」。 …というわけで、結構長い祈りだったが、姉妹一同、最後まで「祈り上げた」。

 祈りが全部終わった後で、先唱当番のシスターにちょっと教えてあげる。彼女も、祈り始めたものの、みなが小さい声だったので、「なんで~、もっと大きな声出してよ」と思
ってた、「えっ?わたしが間違えたのか」と。そして、二人で大笑い。共同体って、そういうものではないか、と思った。

 間違いを指摘することも出来るけど、まあ、みんな、「欠けた者同士」だし、祈ってわるいってことではないし、一緒に付き合って、祈りましょう…そして、声を合わせて祈っ
ているうちに、間違えたなどということは忘れて、一緒に主に心を向けている…という感じ。

 主は、そんな「欠けた者同士」で受け入れ合っている共同体の祈りを、ほほえんで受け入れてくれたのではないか…(実際、それは、「イエスのみ心の連祷」だったし…)

 ***
明日の朝から、二週間の海外出張。

 この地上の「信仰の旅」を共に歩んでいる、「共同体」の存在がなつかしくなるだろう(いつも、そうだから)。でも今回、半分は、ポーランドの自分たちの共同体だから、二
週間ずっと、何か少し「緊張」している必要はない。感謝。

 「遺言」ではないけれど、長期出張の前は、やはり、ちょっと立ち止まって、共同体の姉妹たちに「ありがとう」と言いたい。二週間後に帰ってきたら、「また、よろしくお願
いします」、と…「欠けた者」同士、それでも、いっしょに天の国に向かって、また歩いて生きましょう!…主よ、あなたの望みが、行われますように!母マリアよ、わたしたちの、よろよろの信仰の歩みを支えてください。教会が、キリストが集めるすべての人々の救いの「場」となりますように!
アーメン

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2018年7月1日 | カテゴリー :

・Sr 阿部のバンコク通信㉑ドリアン…天国の味!

   亜熱帯地方の果物、見たことのない珍しい色、形、味。タイに来て以来、創造主の傑作を味わい感嘆しています。

   人生初めて出会い味わった果物、例を挙げると、ドラゴンフルーツ、マンゴスチン、ジャックフルーツ、ドリアン、ローズアップル、グワバ、グゥアヤバノ、ランプターン、チコ、ノイナー、カスタードアップル、サントール、アボカド、パッションフルーツ、スターフルーツ、ライチ、パパイヤ、タマリンド、ロンコン…

  女王はドリアンです。「匂いは地獄で。味は天国」と言われ、乗物他持ち込み禁止区域が多い。棘で覆われずっしりと重く、落たてきたら頭蓋骨を破壊しかねない。

  タイに来て間もない頃、広報担当の故ピンピサン司教様の教区に招かれ、東北タイのウドンタニに姉妹たちと初の列車旅行。ベトナム戦争時に発展し、米軍が戦闘地域の至近距離に待機していた基地のあった街。今は基地は撤去され、健康で平和な街並です。

 司教館での会食の折、ドリアンが出され、早速、味わいました。「え?天国の味?」。独特の匂いと食感、食べてムカーッと熱くなり、吐き出しそうになりました。

 「神さま、この何処が天国の味ですか?私は今からここで生活し、働くのです」。再度食べてみたものの、やはり分かりません。「このどこが美味しい天国の味か、教えて下さい」と内心祈りながら、3度目の挑戦…「美味しい!」。感動しました。

 私の感覚に無かった美味の世界でした。クリーミーな味わい、地獄の匂いどころか魅力的な香り。ドリアンが嫌いでずっと避けていた在タイ30余年の人に、そんな体験を話したら、「シスター、良かったですね。美味しさがすぐ分かって…。避けていた長い過去を、私は悔いています、残念!」という応え。

 知らないものを「嫌い」という感覚で受け止めてはならない-自分の視野の外にある世界を意識すること-肝に銘じる体験でした。主の創造された大自然の中で自分を解放し、これからも「人生の大損失」を免れて生きて行きたいと思います。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年5月31日 | カテゴリー :

・Sr 阿部のバンコク通信 ⑳新札が流通開始―表は新国王だが、裏は故プーミポン前国王

  先日銀行で両替、受け取ったお札は新国王ワチラロンコーン(ラマ10世)陛下の新札でした。慣れ親しんだお顔が入れ替わり、遂にお札も、と思いました。

 タイの紙幣バーツには、20、50、100、500、1000、とあり、コインは25、50サタン(100サタン=1バーツ)1、2、5、10バーツ。1円が0.29バーツです。 コインはまだ見かけないですが、新札は、20バーツから500バーツまではそれぞれ表は新国王、裏は歴代ラマ国王陛下が1世から8世まで2人づつ印刷されています。

 最高額の1000バーツ札ではどうかと、表は当然、新国王。裏を返すと…プーミポン国王(ラマ9世)陛下の肖像! 国民の気持ちを大事にした名案、これには感嘆してしまいました。パウロ書院で、早速新札でお釣りを。皆が「あっ」と反応、裏を見てほっとした、という感じでした。

   国民に敬愛されたプーミポン国王を見送って後、街中は正装した新国王のお写真に取り替えられています。静かに音も立てずに、徐々に、惜しまれながら…。人々は黙々と、事態を受け止めて平常心で生活しているようです。国民が国王を見守り、タイ国を安泰に収める責務を果たせるよう、無言の示唆を与え続けることでしょう。 

 時に、怒涛のように流転する人の営みに揉まれながら、天地の創造主を仰ぎ、『Laudato sì 』と賛美しながら今日の営みを捧げています。 (阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年4月27日 | カテゴリー :

・Sr 阿部のバンコク通信 ⑲タイ北部山岳民の村で「命をいただく」を実感

 今年も大阪教区、赤波江神父様の企画で、青年達一行を同伴し、タイ北部山岳民の村で10日ほど過ごしました。人間に本来秘められている感性、躍動する命が参加した皆の中に息づいているのを見て、心底嬉しく思いました。大自然の中、素朴で純な村の人々に抱かれ、心身ともに全開して生き生きです。
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(カレンの山でカレー作ってみんなにご馳走しました。)

   1人ずつ夫々の家族に迎えられ、寝食を共にし、農作業、家畜の世話を手伝い、子供達と思いっきり遊び、山や川で無邪気に楽しみました。皆んなの目が輝き、ほっぺが嬉しくて綻びっぱなし。毎日与る感謝の祭儀ミサは圧巻。日本、カレン、タイ語のチャンポン、響き渡る祈りと聖歌は腸にしみる味わい。

   国境も言葉の壁も超えて、同じ信仰で結ばれる体験は村人にも、日本の参加者にも、まさにカトリックを実感する機会、凄いことだと思いました。  家畜、果物、農作物、生花などで生計を立て、至極健康的な栽培をしています。日本の胡瓜や南瓜も見事に育っていて、思わず胡瓜をなま齧り。

   この村は、週一豚を買い、自分達で締めて捌き、皆で分担するとの事。ある日、300kg の巨体豚を絞める、というので皆で手伝いました。 見事な捌き。何も無駄にせず手際のよい作業には固唾を飲みました。捌きたてに醤油を付けて炙るステーキの美味しさ、「命をいただく」を名実共に体験。私は終始、巨大豚の頭の近くに立ち、嬉しそうに瞑っている目に見入り、感慨無量。

   聖木、金曜日の典礼に与り、イエスが聖体と十字架で人類への愛を告白、命を差し出す、感無量です。主の命の秘儀に、私をも与らせて下さい、アーメン。読者の皆さん、ご復活おめでとうございます。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年4月16日 | カテゴリー :

・Sr 阿部のバンコク通信 ⑱各国大使館と赤十字共催のバザーに女子パウロ会も参加!

 在タイ各国大使館(大使夫人)と赤十字共催の、51 回目のチャリティバザーが、バンコク都心のサヤムパラゴン百貨店で開催されました。2月24-25日、5階の催物会場の全域を使い、54ヵ国が国旗を掲げ自国特産品を陳列して盛大に行われました。入口にはお買い物貸し出しバックが、本当に多勢の人々で賑わい世界村を感じさせる出来事でした。

  聖座の秘書官神父様に招かれ、女子パウロ会も一般市民に向けて展示、宣教の好機を得ました。前日ヴァティカンの車に付いて搬入、ヴァティカンは6ブース(内4はカトリック関係の施設等の出展)、初出場の女子パウロ会は教皇庁の出展する聖品の隣、同じブースの一部に、バチカンの旗を掲げ等身大のスイス衛兵をバックに並びました。隣のブースはブルーノ神父様(ミラノ宣教会)が山岳民の村人と栽培するブルーノ珈琲、美味しい珈琲の香り漂わせて、観想会シスター作のクッキーと並べて販売。

  24日8時半、開催に先立ちシリントン姫様ご臨席の開幕式。各国代表は会場口に整列して挨拶に立ち、私たちは展示場で待機。暫くすると多勢の従者に従われシリントン姫様が、丁寧に各国の展示場を廻リ始められました。私は2冊の本を選び胸に抱いて待機。女子パウロ会の前に差し掛かるお妃様に、説明しながら差し出しました。

  選んだ2冊は『この子を残して』と『風の交響曲』のタイ語出版。本がお好きな方で、ご自身でもお書きになる方、直々に受け取って頂いただけでも幸せ、読んで下さったらと願っています。タイに来てからずっと願っていた恵みのひとつが叶いました。Deo Gratias!

 

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年2月28日 | カテゴリー :

・Sr 阿部のバンコク通信 ⑰乾季のバンコク・人々の生き生きした姿に改めて感動 

 バンコクは12月から1月にかけてが、亜熱帯地方で一番涼しく凌ぎやすい時期。これから4月に向けて気温上昇、4月13~15日には暑い熱いタイ正月を迎えます。

 私のタイでの生活も延長戦入り、苦手な暑い季候に体も馴染み、汗を流して新陳代謝も活発なおかげで元気に励んでおります。慌て急ぐ以前の自分の姿が、いつのまにか姿をかすめ、少しはゆったりした私に変わり感謝しています。

 朝の涼しい渋滞のない内に、都心の生活が始まります。書院勤務の日は4時過ぎに起床、支度して半過ぎには修道院を出ます。バス停にはもう人々、道路沿いでは出店の用意をする女性たち、氷袋を満載した車から重い氷袋を担いだ配達の若者。道路掃除婦が大きな長い高箒でせっせと働き、清掃車が止まると手際よく働く男たちの姿。

  暑い日中には気づかない、活発な人々の姿や、5時半を過ぎると、托鉢の僧侶が跪座する人々の奉納を受け取りながら祈る姿に接します。何とも美しい神々しい、人々の生き生きした姿、命いっぱいの社会が感じられます。

 それぞれの地に、人々の平素の忠実な営みがあり社会を支えている。暑い季候に人生半ばで仲間入りして、今日も生かされている不思議を感じながら、朝6時の聖ルイス教会の感謝のミサに与ります、万感の思いを込めて。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年1月31日 | カテゴリー :

 Sr 阿部のバンコク通信 ⑯タイから新年のご挨拶「待つことの意味は」

 新年おめでとうございます。真っ新な人生の頁、今年はどんな歩みが刻まれるのでしょう。

 子供の頃は待ちに待つ、歳と共にあっという間に来る正月。『待つ』、タイ国に来て23年、自分の考え、処し方が変ったなと思います。人は環境に順応すると言いますが、取巻く状況に、私の姿勢も順じて来た事に気付くこの頃です。

 距離バスは別として、市内バスや電車等の交通機関には時刻表無し、来る時に来る。延々と文句言わずに待つ人々の姿には、タイに来た当初から感嘆させられました。渋滞や事故、何が起こるか分からない人間味ありの対処です。

 その後に敷設された電車と地下鉄も時刻表無しですが、所要時間は読めます。 電車の切符自販機はコインのみ、無ければコイン両替機➡︎チケット販売機➡︎改札口と夫々に並びますが、時に長蛇の列、人々は腹も立てずに並び待ちます。渋滞や不都合に腹を立てるのは人間未熟というタイの常識、対人関係も同様です。

 日本なら早速に改善する所、そうは早まらないのがタイの人々、都心を悠々と流れるチャオプラヤ川の様に、人の自然の営みの速度が保たれている様に思います。

 私の腑も胡座をかける程になり、外出時は必ず本持参。ゆっくり考えたり、あたりを観察し空を眺めたり、目を閉じて気持ちを休める機会。人との関わりも、刻々と変わる周りの事態を見つめ、受容して生きる姿勢を身に付けたいです。いつか、人々がほっとする雰囲気を醸し出す人になることを願いながら新年に臨みます。

 「カトリックあい」の愛読者の皆様が、信じて生きる喜びに満ちた年でありますよう祈ります。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2017年12月31日 | カテゴリー :

 Sr 阿部のバンコク通信 ⑮故プーミポン国王を振り返って

   プ ーミポン国王様の喪に服して1年、国を挙げて準備した葬儀の会場は、実に真心のこもった、タイの芸術と技術を駆使した式場でした。葬儀が滞りなく行われた後、会場の説明、作業工程の詳しい説明を加えて市民に展示公開されたので、私もバンコク教区の希望者に加わって訪問しました。

 ご遺体を安置した木彫の柩の見事な彫刻をを見て固唾を飲んでしまいました。

 迎賓の参列した館には、国王様の88年の歩み業績が展示されていました。国民を愛し労わり尽くしたご生涯、これ程までに丁重で、心のこもった埋葬の儀の理由が物語られ、国民の慕情、尽きない感謝の念が溢れた会場でした。

 王宮広場の会場は年内公開されるとの事、日々訪れる人々の行列が絶えません。人々の心と歴史に刻まれた慈父プーミポン国王の思いは、後の世まで語り継がれることでしょう。愛と慈しみの思いと行動こそ平和と一致をもたらすことを心に明記した訪問でした。

 国民は喪服から普段の服装に戻り、新国王の即位戴冠式に備えています。誕生色は同じく黄色で街は明るい雰囲気です。

 昨年は自粛した静かなクリスマスでしたが、今年はまた、素敵な華やかな飾り付けで賑わうことでしょう。仏教の常夏のタイで、汗を流しながらで救い主のご降誕を祝う味わいも格別です。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2017年11月29日 | カテゴリー :

 Sr 阿部のバンコク通信 ⑭見えない主への信望愛を胸に、タイ国王の葬儀に参列

 「臨終洗礼を授けてあげたいのですが、方法を忘れてしまいました、教えて下さい」

 急に様態が悪化し、緊急入院したご主人に付き添う友人からの電話。長年献身した夫への、心からの見送りをしたいとの友人の言葉に、ご主人への熱い思いが伝わって来て、幸せな方だな―と思いました。洗礼を授けた翌日召され、安らかな神々しいご主人の最期、安堵した友人の気持ちがメールに綴られていました。

 タイの人々は一般に信心の業を大切にしています。事あるごとにお寺にお参りして線香を炊き献花し、仏像に金箔を貼って祈り、跪座し合掌して僧侶に散水して祈ってもらう。お布施と善行に励む姿、心から美しいと思います。

 カトリック信徒も同様、「見えない恵の見えるしるし」である秘跡(ミサ、聖体、ゆるしの秘跡、洗礼他)、聖水を使い十字を切る、ご像に触れて祈る、ロザリオ、十字架の道行、他の信心の業に惜しみなく励む敬虔な姿、敏感な感性に生かされた信仰に、少なからず感化されています。

 新鮮な花が毎週美しく祭壇に飾られ、人々の賛美と感謝の思いが生き生きしているのです。
見えない有難い存在への畏敬の念、聖霊と悪霊の働きへの敏感な感性は、物質文明が急速に発展する社会の救いであり、決して魂抜きの社会にはさせまい、そう思います。

 見えない主への信望愛の念を胸に、感謝と賛美を感性で生き生きと現したい、プーミポン国王陛下と友の葬儀に参列して心底思いました。(写真は、私の修道院前の聖ミカエル教会で、早朝からマリア様に祈りを捧げる若い人たち)

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2017年10月29日 | カテゴリー :