Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑩ 「人生130年」の隣国  

 

デビュー小説「サイレント・ブレス」の著者・南杏子さん(24日、東京都渋谷区で)∥稲垣政則撮影

 日野原重明先生が亡くなった。先生にはあるパーティーでお目にかかり、親しくお話をさせていただく機会に恵まれた。今から23 年前の1994年10 月。聖路加看護大学学長だった先生が、30 歳を過ぎて医学部に入り直した晩生の医学生にあたたかい言葉をかけて下さったことが忘れられない。当時、先生はすでに83 歳だった。105 歳の大往生に、今さらながら感慨がよみがえる。

  さて、日野原先生より26歳年上という<史上最高齢>の女性が隣国にいる。その人の名は、阿麗米罕・色依提(アーリーミーハン・サーイーティー)さん。中国の北西部にある新疆ウイグル自治区に住むウイグル族の女性で、1886 (明治19 )年6月25日生まれの満131歳とされる。

    ただ彼女の存在は、中国の国外ではほとんど知られていない。それには理由がある。19世紀の中国の戸籍は、信頼性が極めて低い。特に、少数民族が数多く暮らす地域の戸籍には過去にもさまざまな疑問が指摘されてきた。  2013年6 月のことだ。中国南部にある広西チワン族自治区で、ある女性が、<127歳と337 日の天寿を全うした>と伝えられた。その訃報の中で彼女は、「1946年に61歳で息子を出産した」とされている。これでは、戸籍そのものに疑問符がつくのは当然だ。

  とは言え<131歳>のサーイーティーさん本人は、「幸せ」を満喫している。「(中国共産党は)私と私の家族、孫やひ孫たちのために、素晴らしい誕生パーティーを開いてくれました。私は人生に満足しています。(共産党の)皆さんは、私に良くしてくれます。私のために家を建てて下さり、私はとても幸せです」。誕生日のたびに、サーイーティーさんのそんな談話が報じられる。長寿のお祝いの陰に、国家への「感謝」が強調されている印象だ。

  <史上最高齢女性>が住む新疆ウイグル自治区は、「シルクロードの十字路」という美しい別名とは裏腹に、イスラム教徒の少数民族ウイグル族と漢族などの民族対立が問題視されている。2009年には両者の衝突が「ウルムチ暴動」と呼ばれる武力衝突に発展し、中国当局の発表で197人が亡くなった。昨年、今年も住民同士の襲撃事件や爆破事件などが起きている。

  すべての民族が仲良く幸せに暮らし、世界一の長寿を祝う国――。暴力の応酬が続く中、サーイーティーさんの長寿を祝うことで「国威発揚」を図ろうとする中国当局のイメージ戦略が透けて見える。

  米カリフォルニア州に本拠のある国際的な研究者団体ジェロントロジー・リサーチ・グループは、現在の世界最高齢者をジャマイカに住む女性、バイオレット・ブラウンさん(117歳)と認定している。

  日本で100歳以上の「百寿者」は、この半世紀で300倍に激増し、5万人を突破した。私が勤める病院でも、100歳以上の患者さんは約20名にのぼる。「長寿社会」「長寿国家」「長寿世界」……。どのような表現をしたとしても、そこに生きる人それぞれが、日野原先生のように真の「幸せ」であってほしい。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。5月24日発売の日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」が収録されました。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22

2017年7月27日 | カテゴリー :

 Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑨ 二人の旅立ちに想う

 今年の梅雨は、雨の方が少し遅れてやってきた。

 そんな中で、涙を誘う二つの訃報が私たちの心をとらえて離さない。6月22日に乳癌で闘病中だった小林麻央さんが、さらに前週の13日には、肺腺癌を患っていた野際陽子さんが相次いで亡くなった。

 小林麻央さんは、癌と闘う日々をご自身のブログを通じて公開し、日本全国の癌患者やその家族を勇気づけてきた。23日に死去が報じられて以降は、お悔やみや感謝の思いを記した1万件以上のコメントの書き込みが集中し、翌日午前まで更新不能の状態が続いたとも伝えられた。

 <同じ癌になった者にとって励ましでした>。そうしたコメントであふれたブログは、日本人の2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で亡くなる時代の状況を表しているとも言える。だからこそ、麻央さんの闘いぶりは多くの人にとって、希望の灯だった。

 麻央さんについては、私自身も想うところもある。

 公私ともに非常に忙しいスケジュールを送る中で麻央さんは、親しい方が入院された病院へ笑顔でお見舞いに訪れていた……。そんなエピソードを医療現場の知己から聞いたことがある。麻央さん自身が癌であることを公表する前の時期。だが、すでに主治医から癌の告知を受け、治療を始めていたのではないかと思われるタイミングでの出来事だ。

 周囲にいる者を救ってくれるような人――小林麻央さんという人は、そんな存在だったのではないだろうか。

 野際陽子さんは、最後まで現役だった。そしてご自身の病気については、寡黙だった。

 倉本聡さんが脚本を手がけ、テレビ朝日系で4月3日に放送がスタートした連続ドラマ『やすらぎの郷』の収録には、入院前日の5月7日まで参加したという。

番組収録の合間には、鼻にチューブをつけながらも毅然として演じきったと報じられている。亡くなった後に主要キャストを務めたテレビ番組が放送され、出演した映画『いつまた、君と』(6月24日公開)が封切られる。これはまた、多くのファンを魅了するプロの俳優として素晴らしい最晩年を飾ったと言える。

 小林麻央さんは享年34歳、野際陽子さんは同81歳。その年齢はもとより、癌という病との闘い方、家族や仕事、生涯はそれぞれに異なる。ただ、お二人とも、私たちに生と死の意味について考えさせてくれた忘れえぬ人であることは間違いない。

 お二人の人生には、奇妙な偶然もある。

 石川県出身で、立教大学からNHKにアナウンサーとして入局された野際陽子さん。かたや、新潟県出身で、上智大学を卒業後、日本テレビでキャスターとして活躍した小林麻央さん。ともに、日本海の香り豊かな地で生まれ、キリスト教の精神を伝える東京都心のキャンパスをさわやかに駆け抜け、放送局のスタジオで大きな花を咲かせたのだ。同じ6月に旅立たれ、まるで今年の梅雨空のように、悲しみの雨を後から連れてきたことを含めて、お二人の軌跡は私たちの心に重なり、これからも鮮やかな記憶として残るだろう。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。5月24日発売の日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」が収録されました。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22

2017年6月26日 | カテゴリー :

 Dr.南杏子の「サイレント・ブレス」日記⑧「ひばり、圭子、プレスリー」 

 静けさに満ちた中で、人生の最期をおだやかに過ごす――。終末期医療の現場を預かる医師の日常は、そうした患者や家族の願いに寄り添うことが第一に優先される。

 しかし、病床に身を横たえながらも、自らを待つ「ステージ」に立ち続けることを希望する人たちが少なからずいる。

 今年が生誕80年の節目の年でもある大歌手・美空ひばりは、1987年に慢性肝炎、大腿骨骨頭壊死、脾臓肥大などで福岡県の病院に緊急入院した。再びステージに立つことは絶望視されたが、翌年には東京ドームを舞台にしたワンマンショーで復活を果たし、89年6月に亡くなるまでコンサートに命を燃やし続けた。

 復活後のステージの陰には、目に見えない医師たちのサポートがあった。

 死去する4か月前の89年2月、福岡からスタートした全国公演でのことだ。容体は極めて深刻で、医師たちは公演のキャンセルを進言されたものの、本人は「どうしても、やる」と聞かない。静脈瘤破裂などに備えて緊急入院の準備を整え、楽屋にまで医師と看護師が付き添った。ひばりは極端に痩せ、声も低い。公演の休憩中には、楽屋のベッドに横になって点滴を受けた。

 果たして、美空ひばりはステージをまっとうできるのだろうか? 周囲の者は、大きな不安を胸にしたまま歌姫を送り出す。以下は、楽屋で診療に当たった梶原医師が目撃したコンサートの様子だ。

 <ところが、ひばりは何の異常も表に現わさない。医者の眼で、しかも凝らして見ていてもなおかつまったく分からない。おそらく必死に苦しさに耐えて唄っているのだろうに、と思うと、梶原は「素晴らしい!」と、感服してしまう気持ちを抑えられなかった>(鳥巣清典『美空ひばり最期の795日』より)

 「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で知られる藤圭子にも、医師による支えがあった。連日連夜の仕事に追い回され、スケジュールがパンク寸前だったころだ。

 <そんなときの藤圭子は、青ざめた顔をして、まったく声が出ない。だからといって、公演を中止にすることなどできない。地方公演には、主治医の村上一正先生に同行してもらい、必ず注射を打ってもらってステージにあがった>(大下英治『悲しき歌姫』より)

 エルビス・プレスリーやマイケル・ジャクソン、また菅原謙次や三遊亭金馬、加瀬邦彦らにも、公演や楽屋で医師らのサポートを受けたという同様のエピソードが語り継がれている。

 自らの病を押してなおステージを目指す人々と、それを支える医師の姿を小説にしてみたい――。そんな思いで書いた作品「赤黒あげて、白とらない」を5月22日発売の「小説現代6月号」(講談社)に発表した。誰にも晴れの舞台がある。人生にとって大切なステージがある。美空ひばり、藤圭子、エルビス・プレスリーら大スターの物語には及ばなくとも、生と死の舞台で輝く小さな人間模様を、シリーズの形で書きつづっていきたいと考えている。

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2017年5月25日 | カテゴリー :

 Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑦学びの季節、学びの年

 春は、新たな学びの季節だ。真新しい制服に身を包んで街中を歩く中高生や、電車の座席で分厚いシラバスに目を落とす大学生た

ちを見かけると、心からエールを送りたくなる。

 人は、学びを通じて可能性を育てる。学びはまた、人生を変える。

 今から20年以上前の昔話である。夫の英国留学に同行した私は、英中部の地方都市で自治体が運営していた市民カレッジの門を叩いた。医師になる前、主婦として幼子の育児に明け暮れていたころの経験だ。

 英国では、「Further Education」(継続教育)の名の下、安価な授業料でさまざまな講座を自由に受講できる成人向けの公立学校やカレッジが各地にある。日本の専門学校とカルチャーセンターの性格を兼ね備えたイメージだ。

 そのカレッジで私は、当時の日本ではまだあまり知られていなかった「アロマセラピー」を学んだ。ハーブなどの植物から抽出したエッセンシャルオイル(精油)の香りに魅力を感じ、子育ての息抜きと趣味の時間を兼ねた楽しい教室通いだった。

 英国人の学生たちにまじり、慣れない英語で挑戦した新しい学びの世界は、驚くほど新鮮で、知的な刺激にあふれていた。ただ、そこで私の心を強く捉えたのは、香りの力や精油の効能ではなく、アロマセラピーの前提をなす基礎学問として教授されたヒトの生理学や組織学だった。

 「もっと学びたい――」。古びたレンガ造りの校舎の片隅で抱いた思いが、どんどんふくらんだ。

 日本への帰国後、私は大学の医学部に学士入学し、医師になる道を選んだ。会社員の夫と2歳の娘を抱え、30歳を過ぎての転身だった。異国の教場で経験した学びが、思いも寄らぬ新しい世界に自分自身を導いてくれたのだ。

 そのとき、私の背中を押してくれた懐かしい英語表現がある。それは、「Mature Student」。年齢を経てから大学・大学院や夜間クラスで勉強を積む学生を指す英語で、日本語では「成人学生」という訳があてはまるのだろう。

 実際、英国の大学や市民カレッジでは、非常に多くのMature Studentが学んでいた。それ以上に印象的だったのは、家庭や仕事などを持ちながら学ぶ彼らが、「成人学生」という無機質な響きを超えて、「mature」すなわち「成熟・円熟した」「分別のある」学生として扱われていた事実だ。はやりの言い回しで表現すれば、彼らは色々な意味で「リスペクトされる存在」だった。

 米国の自動車王として知られるヘンリー・フォードが残した名言がよみがえる。「20歳であろうが80歳であろうが、学ぶことを止めてしまった人は年老いる。学び続ける人はいつまでも若い。人生で最も素晴らしいことは、心をいつまでも若く保つことだ」(Anyone who stops learning is old, whether at twenty or eighty. Anyone who keeps learning stays young. The greatest thing in life is to keep your mind young)。

 学びとは、自分の可能性を育てる経験だ。自分自身を変える経験だ。新しいスタートを切る時期は、春とは限らない。ましてや年齢は関係ない。今でも私は、そう確信している。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。日本推理作家協会編『推理小説年鑑ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=にも、短編「ロングターム・サバイバー」が収録予定。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22

2017年4月25日 | カテゴリー :

 Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑥ マニラの月曜日

 マニラは、曜日に彩られた町だ。

 日本を含むアジア太平洋地域の保健衛生を所管する世界保健機関(WHO)西太平洋事務局の訪問や、現地で寄生虫被害の調査研究を行っている専門家らと懇談する目的で、フィリピンの首都マニラを訪れた。

 東南アジア諸国はこれまでにも、タイやマレーシア、シンガポール、ベトナムを訪れる機会に恵まれた。ただ、フィリピンの印象はそれらの国とは大きく異なるものだった。

 首都圏の大動脈であるエドサ通りの渋滞はつとに有名だが、混雑は金曜日の夜にピークに達するという。マニラのオフィス街では週休2日が普通で、金曜日の夜は翌日の通勤を気にせずに過ごせるため、多くの若者たちが深夜2時過ぎまで連れ立って遊ぶ姿が見られると聞いた。

 続く土曜日は、家族の時間としてとらえられている。1週間分の買い出しに出る家族が多く、やはり市街地や郊外のショッピングセンターを中心に大勢の人たちであふれている。休日出勤をするフィリピン人も少なくないといい、幹線道路の混雑も続く。

 それが一転、日曜日のマニラは驚くほどの静けさに包まれる。

 ご案内の通り、フィリピンは東南アジア諸国連合(ASEAN)唯一のキリスト教国で、国民の83%がカトリックだ。日曜日の午前中は教会の礼拝に参加するのが当たり前であり、夕方まで多くの人々が集う。フィリピンで最も重要な教会とされ、アジア最大級のパイプオルガンがあるマニラ大聖堂も、世界遺産に登録されたフィリピン最古の石造教会であるサン・オウガスチン教会も、午後は荘厳な雰囲気の中で結婚式が執り行われていた。

 そしてまた月曜日からは、渋滞と人いきれの1週間が始まる。あまたのマイカー、ジープを乗合バスに改造したジプニー、高架鉄道(RTL)、オートバイにサイドカー付いたトライシクル。早朝から勤務先へ急ぐ人たちで、町は再び熱気に包まれる。

 ところが、だ。雑踏の中に取り残された人々がいる。

 曜日の変化に取り残されてしまったように、道ばたにたたずむ家族の姿……。とりわけ小さな子どもたちの多くは靴も履かず、汚れた衣服を身につけたまま、力なくその場に身を置いている。まだスクール・ホリデーの開始には間があり、沿道は制服に身を包んで通学する生徒や学生が行き交う。同級生たちと学校への道を急ぐ彼らのかたわらで、月曜の朝になっても動かない道ばたの子どもたち――。日本はもとより、他のASEAN諸国でもほとんど眼にしなくなった光景だ。

 「昨年の経済成長は6・4%で、『ASEANの病人』と呼ばれた時代は完全に終わった」「大学や専門学校などの高等教育機関は1600校以上で、日本よりも多い」「世界経済フォーラムが発表する男女平等ランキングでは世界の上位、アジアでは首位を占める」

 好調な経済発展が喧伝されるフィリピンだが、変わらないのは、「富裕層の上位20%が全所得に占める割合は50%を超え、貧富の差が極めて大きい」という厳しい現実だ。海洋の安全と安定を目指した安全保障上の提携ももちろん重要だが、日本にはもっとできることが多いのではないだろうか。

 あす火曜日もあさって水曜日も、おそらくは変わらない生活を送るだろう裸足の子どもたち。彼らを前にして、そんなことを考えた。

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*「サイレント・ブレス」とは、静けさに満ちた日常の中で、おだやかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。医師として多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。このコラムでは、終末期医療の現場で考えたこと、感じたことを読者の皆さんにお伝えします*

2017年3月25日 | カテゴリー :

Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑤ 「終活の第一歩」

  「終活」が一大ブームになっている。「人生の最期に向けて準備を進める」ことを意味するこの言葉は、2010年ごろに登場し、東日本大震災が起きた2011年から広く使われるようになった。

   ブームを支えているのは、「終活セミナー」「終活イベント」などと名づけられた各種の催しだ。葬儀関係会社や旅行会社などが主催するそうしたイベントをのぞいてみると、活況ぶりに驚かされる。

    約250社・団体が参加した関係企業の大型展示会では、さまざまな純金仏具の展示コーナーをはじめ、スライドショー付きの遺影撮影サービスを紹介したブース、海洋散骨や気球葬、宇宙葬などという新しい葬儀スタイルを紹介した展示が人気を集めていた。会場には「これが骨壺?」と思わせるようなデザインの棺桶や骨壺や墓石がズラリ。別のイベントでは、棺桶の「寝心地」を味わえる入棺体験コーナーや遺影の撮影体験コーナーに、来場者の長い列ができていた。

    終活イベントの会場を歩いてみて、「葬儀のスタイル」や「埋葬のされ方」などについては、実にさまざまな提案がなされていることを実感した。ただ、どうしても気になる点が残る。それは、死に至る「最期の医療」をめぐる情報の提供や議論の場が非常に少ない――という点だ。

    こうした思いは、さまざまな形で普及している終活のための冊子「エンディング・ノート」を手にした際にも抱いてしまう。

    エンディング・ノートで多くのページが割かれているのは、友人や親族へのメッセージや人生の思い出などを記入する欄だ。葬儀や墓に関するリクエスト、供養の希望を書き込むページも豊富に用意されている。しかし、医療に直接関係する項目は、シンプルなものが多い。「延命治療はしてほしいですか?」の問いについて、「はい」と「いいえ」の二者択一でマルをつける項目が設けられているほかは、「そのほか医療に関するご要望はありますか?」などと、ごく簡単な記述を求めるタイプが幅をきかせている。重要な議論に手をつけぬまま、周辺を一生懸命に飾っている印象だ。

    胃瘻をするのか、点滴をするのか、人工呼吸は行うのか……。ひとくちに延命治療と言っても、最期の医療をめぐる議論は、さまざまなケースを具体的に想定しながら進めなければならない。そもそも、どこからが延命治療なのか。高齢になっても外科手術を受けるのか、抗がん剤治療をするのか? 医療現場でも意見は大きく異なる。

    読売新聞の2013年世論調査で、終末期医療について「家族と話をしたことがある」と答えた人は31%に過ぎない。70歳以上の回答者でも38%だった。患者本人の意思が明確に示されていないと、終末期医療の現場では混乱が生じかねない。遠い親戚が突然病床に顔を見せ、治療方針に異を唱えるケースも目立っている

    葬儀やお墓、遺影のことを決める前に、「どんな治療を・どの程度・いつまで受けたいか?」という点もしっかり考える。少なくとも家族とで話をしておく。はやりの終活をスタートする際に、避けては通れない問題だ。

*「サイレント・ブレス」とは、静けさに満ちた日常の中で、おだやかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。医師として多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。このコラムでは、終末期医療の現場で考えたこと、感じたことを読者の皆さんにお伝えします*

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2017年2月25日 | カテゴリー :

Dr.南杏子のサイレント・ブレス日記 ④「老い」の世界と芥川賞

稲垣政則撮影

 高齢者専門病院では、ご家族にお目にかかる面談の場が、患者さんの治療とケアに必要な情報を共有し合う貴重な機会である。

 ただ時に、はたと立ち尽くす瞬間がある。患者さんの「老い」は、ご家族に正しく理解されているだろうか? そんな疑念にとらわれる経験も多いからだ。

 胃ろうの造設や人工呼吸の開始といった終末期医療の方針をめぐる「究極の選択」に至る、はるか以前のケースでもだ。

 「先生、リハビリは徹底的にお願いします」「家では肉はもう嫌だと言うんですが、何とか食べさせてやってください」……。

 筋力が弱まった高齢者は、「トイレに立つ」「イスに座る」といった当たり前の動きでも体への負担が大きい。健康な人にとっては、「全速で走る」「重い荷物を持つ」などの負荷に相当する。食欲や食べ物の好みも、年齢とともに異なってくる。

 どんな表現で、どのように「老い」の現実を伝ええれば良いのか。こうした言葉の選び方も医療者を悩ませる事柄の一つだ。「家族に言葉で理解してもらうのは難しい」と諦念を口にする医療者もいる。

 1月19日夜、第156回芥川賞(2016年下半期)の選考結果が発表された。注目の受賞作は、富良野塾で演劇を学びながら共同生活を送る青年たちの日々を描いた山下澄人さんの「しんせかい」に決まった。

 しかし私は、古川真人さんの候補作「縫わんばならん」(新潮2016年11月号)に密かなエールを送る。長崎の離島にルーツがある一族四代の日常を描いた中編だ。今も島に一人で住む敬子の視点で始まる物語は、「老い」の世界を次のように記す。

 <彼女は全身を覆う倦怠や膝の痛みといった老いの特徴に気を配り、しだいに不便なものとなっていく身体に、どうにか馴染もうと努めていた。それはちょうど、馴れた服を捨てて、代わりに自分にはまるで合わない丈と幅の服へと着替えるようなものだった>

 <もう八十四にもなるというのに、敬子は自らの身体の衰えに対して、日々おなじ程度の、決して軽減されることのない不具合と違和を感じていた>

 <考えていたことはすでに遠く流れ去ってしまっていた。ただときおり、過去の時間は夢の中に記憶をひきつれて、新鮮な感覚のまま彼女のもとに訪れる>

 ――描かれているのは、高齢者の心と体だ。祖母をモデルに、28歳の新人作家が感じた「老い」と「死」の重さが作品にあふれている。残念ながら受賞には至らなかったものの、若い才能による芥川賞候補作は、病棟で患者さんやご家族とも共有できる言葉の可能性を信じさせてくれた。

 

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2017年1月25日 | カテゴリー :

 Dr.南杏子の「サイレント・ブレス」日記 ③ 「香山リカさんと語る」

 先日、精神科医の香山リカさんと出版社の企画で対談する機会を得た。

 新聞・テレビなどさまざまなメディアを通じて活躍の場を広げている香山さんは、先年、お父様を自宅で看取られた経験の持ち主でもある。<私の父の場合は、命を終えるぎりぎりのタイミングで病院から連れ帰り、最後の半日あまりを自宅で過ごしただけなので、「在宅で看取りました」と胸を張って言えるようなものではありませんが、私も母もそうしてよかったと、心から思っています>(東洋経済オンライン:香山リカ・南杏子対談より)

 ただ香山さんは、<その選択に悔いはないのですが>と言葉を継いだうえで、すべての人に在宅看取りを勧める考えにはなれない――と語っていた。その主たる理由として香山さんは、介護する側の家族が強いられる負担の大きさを指摘する。<誰もがそれを実行できるわけではないと思うからなんです>と。

 私も同意見である。私自身の大学時代のことだ。脳梗塞で寝たきりだった祖父を祖母と二人で介護する日々を送った。正直、苦しい毎日だった。疲弊している祖母を見捨てて家を出たいとまで思った。自分はなんて悪い孫だろうと、自分を責めもした。誰にも弱音を吐けず、助けを求めることもできず……。これは自分の家だけの問題だと信じきっていた。

 香山さんも著書『「看取り」の作法』(祥伝社新書)で、自身が診療した女性患者を例に、<「介護がしんどい」と思うことにさえ、罪悪感を憶えている人も少なくない>と書いている。

 祖父の死の知らせを受けた時、「ああ、終わった……」という感覚を抱いたのを忘れることはできない。大学3年のときだった。

 精神科医として数多くの患者の心を直視している香山さんと、高齢者専門病院で終末期医療に携わる日々を過ごしている私。医療者であっても、ひとたび家族や患者の立場に立たされれば、生と死をめぐる迷いから自由になることはない。

 口から食べられなくなったら胃瘻をするのか? 点滴はどうする? 延命治療をするのか? そもそも、どこからが「延命」なのか。そして、最期を迎える場は自宅がよいのか、施設や病院を選ぶべきなのか……。

 すべての人に当てはまる共通の正解は、見つけられない。

 さまざまなことがあった2016年もフィナーレの幕を静かに下ろす。同い年の女性医師2人で語り合った結論の一つは、<どんなライフスタイルを選択しても、その人にとって「よき死」が迎えられる社会であってほしい>(香山さん)という思いだった。

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2016年12月26日 | カテゴリー :

 Dr.南杏子の「サイレント・ブレス」日記② 「新年の前に」  

デビュー小説「サイレント・ブレス」の著者・南杏子さん(24日、東京都渋谷区で)∥稲垣政則撮影

デビュー小説「サイレント・ブレス」の著者・南杏子さん(24日、東京都渋谷区で)∥稲垣政則撮影

 12月の初旬にかけて、予期せぬ通知が自宅に届く。モノトーンの色調と幽かな書体が差出人の悲しみを表す年末の便り――「喪中はがき」である。

  本文に記された故人の続柄は、「父」や「母」が多い。だが、そこに「夫」や「妻」、あるいは愛児の名を見いだした時、受け取る側の悲嘆は一段と大きさを増す。

  都内の終末期医療専門病院で内科医として働き、今年も多くの死を見届けてきた。この季節には医局でも、近況をつづったご遺族のお便りをいただくことがある。やわらかな文字で、「寂しい毎日ではありますが、心おだやかに過ごしています」とあれば、患者の最期を看取った医療者としても救われた気持ちになる。

  ただ、喪中はがきは年末年始の欠礼を詫びる通知状だ。そして、はがきをもらった相手には年賀状を出さないことが常識だとされている。相互の欠礼と不干渉を確認することが、家族を亡くした人に対する「日本的な心配り」という訳だろう。

  一方、欧米ではこのような欠礼の習慣はないと聞く。英国とスイスに暮らした経験があるが、彼の地では家族を亡くした人ともクリスマスカードを交わし合っていた。むしろカードの中に特別な励ましの言葉を書き入れることで、あいさつの交換が死別の悲しみを癒やす機会として活用されているように感じたものだ。

  親を亡くしたスウェーデンの子どもたちの手記集『パパ、ママどうして死んでしまったの』(スサン・シュークヴィスト編、論創社)に、次のような一節がある。16歳の時に白血病で父を失った20歳の女性の回想だ。

  <だれかが電話をかけてくれて、「どう?」と聞いてほしかった、そしてわたしを引っ張り出してくれたらと願った。とはいっても出て行きたくないことが多かったけれど。電話をしてくれる人はあきらめてしまわないことが大切だった。というのもこちらから電話はかけないのだから。人に迷惑はかけたくなかったけれど、まったくの孤独でないことを感じたかった>

  愛する人の死にひとり向き合い、深い悲嘆に沈んでいる人たちがいる。年末は彼らの存在を改めて知る時期である。クリスマスカードを送ってもいい。電話をかけてもいい。「年始状」でも「寒中見舞い」でもいいだろう。

  <どうしていますか?>。私たちからの問いかけを待っている人が身近にいる。そのことを忘れずに、短い冬の日を送りたいと願っている。

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2016年11月26日 | カテゴリー :

Dr.南杏子の「サイレント・ブレス」日記①「8年前のあの日」

デビュー小説「サイレント・ブレス」の著者・南杏子さん(24日、東京都渋谷区で)∥稲垣政則撮影

人の命を支えるものとは何だろうか――? 首都・東京の一隅にある終末期専門病院。医師として数多くの患者の生と死に向き合う日々を過ごしながら、確かにそんなことを考えた「あの日」が、再びめぐってくる。

 8年前のことだ。窓辺に春の日差しが降りそそぐ病室で、銀髪の女性患者が私に向かってつぶやいた。仮にその女性の名を、澄江さんとしよう。70歳台後半。癌の末期で余命は3か月と診断されていた。

 「先生わたしね、夫や子どもや、家族のことだけ考えて生きてきたの」。おだかやかな口調で、これまでの人生を語る患者は多い。私は診察の手を進めながら、彼ら・彼女たちの言葉に耳を傾けるのを楽しみにしている。

 だが、澄江さんの次の言葉は実に意外なものだった。

 「でも、今度のアメリカ大統領選挙、とっても関心があるの」。私は、彼女の目を覗き込んでしまっていたかも知れない。「先生、オバマとヒラリー、どっちが大統領になると思う?」。思いがけない話題に、私が返答できないでいると、澄江さんはきっぱりとした口調で続けたのだった。「わたし、選挙の結果を見届けるまで死ねないわ」。

 秋までは難しい――そう見られていた澄江さん。彼女は、2008年6月に終了したアメリカ民主党の予備選挙でバラク・オバマ上院議員がヒラリー・クリントン上院議員に勝利するニュースを目にした上、11月の本選挙の結果までも見届け、翌年の1月、オバマ氏が黒人として初めて大統領就任式に臨む直前、静かに息を引き取った。

 短編の名手、オー・ヘンリーには、窓から見える蔦の葉が落ちたら命が尽きると信じ込んだ女性患者の一言から物語が動き出す名作「最後の一葉」がある。

 自ら死を選んだ太宰治は、最初の小説集『晩年』に収めた「葉」の中で、次のように記している。「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った」。

 遠い国の選挙、一枚の葉、夏の着物……。人の死以上に、人の生は不思議なものである。

 そしてまた11月8日、太平洋を越えた彼の国で大統領選挙の投票日がめぐりくる。今回もヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏は、人々の生に希望を与えてくれただろうか? それが「まだ」だとしたら、私たちはもう少し辛抱強くなれるかも知れない。

*「サイレント・ブレス」とは、静けさに満ちた日常の中で、おだやかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。医師として多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。このコラムでは、終末期医療の現場で考えたこと、感じたことを読者の皆さんにお伝えしたいと考えています*

(みなみきょうこ・医師、作家) 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』幻冬舎。全国の書店で発売中。アマゾンへのリンク先 https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22 )

2016年11月1日 | カテゴリー :