・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑬清少納言・枕草紙の「良きもの」を想起させる一遍の詩

 イスラームの信仰に真摯に生きようとした14世紀の大詩人ハーフェズが、イスラームでは禁じられている酒(葡萄酒)を実際飲んでいたのか、あるいは詩的創造におけるシンボルとして用いるだけで現実には飲んでいなかったのか、その問題との関連で、500数編(ガザルという短形式)からなるハーフェズの詩集の中から一遍を全体として紹介する。

 因みに、ガザルという短形式の詩は、短文2つを単位とし(ベイト)、5~15個のベイトから構成される。以下のガザルの場合、ベイトは9つである。

 「恋 青春 ルビー色の葡萄酒 親しき友との交わり 気ごころの合う友との絶えまなき酒の宴 甘き唇の乙女 楽しい調べ 立派な同席の人たち 評判の従者たち 永遠の命を与えるという泉もうらやむほどの清き細身の乙女 満月も妬むほどの魅力的な美しさとやさしさ

 天国の宮殿にあるかのような楽しき宴 周りの庭はまるで平安の郷の庭園のよう 宴の同席の輩は皆心正しき人 従者は礼儀正しく 友は秘密を守り 人の成功を願う人たち 口にしみこむような しかもまろやかで美味しい花色の葡萄酒の杯

 美しい娘の赤い唇を肴に ダイヤのような葡萄酒を話のタネにして 美女の目配せは 剣が知性を裂くがごとく 美女の黒髪は心を奪うために網を広げているよう ユーモアで細やかに 美しき言葉を紡ぐひと

 ハーフェズのように 寛大な施しを与え 世界を明るくするひと ハージ ガワームのように こうした寄合を楽しく幸せと思わない人 こうした交わりを求めない人たちに 人生は禁じられたもの」

 これまで紹介してきたハーフェズの詩句の断片は、軒並み神への恋の道における苦悩・苦痛を歌い上げたものであったが、この詩のように恋と酒、良き友、人生を賛歌する詩も少なくない。青春の頃、神との幸せな出会いの時、また良き庇護者を得たときに読まれたと思われる。これを読めば、ハーフェズが現実に恋や酒に全く疎かったとは考えにくい。ハーフェズのこういった詩に接すれば、詩人が葡萄酒の味を全く知らなかったとは到底考えにくいが、いずれにしても今となっては永遠の謎である。

 ハーフェズの詩一遍全体を紹介したついでに、この詩に出てくる2人の個人名について述べておく。

 一人はハージ ガワームである。シラーズを中心とするファール地方の宮廷の有力な大臣で、王の信頼暑く財政をまかれていた。ハーフェズを庇護し、ハーフェズもこの大臣を讃嘆して歌った。ハーフェズが有力者を讃嘆して歌うのは他に例がないではないが、多くはない。ハーフェズにとって幸せな時期であり、それが詩歌に反映されている。しかし権力者がずっとその地位にとどまるわけではないから、庇護も永遠ではない。ハージ ガワーム、そのハーフェズへの庇護も例にもれなかった。

 もう一人は詩人自身である。ガザルという詩形式では、詩人が自らの名を挿入するのは珍しいことではなく、ハーフェズのガザルにはほぼすべてに詩人の名前が、大方最後かその前の行(ベイト)に言及される。

 最後に一言、この詩は、ハーフェズよりも二世紀半早く日本に生きた才女、清少納言の「枕草紙」の「良きもの」を想起させないであろうか。

(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)駒野欽一(元イラン大使)

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑫「美女と葡萄酒」は実体験か、神の愛を求める修行人生の象徴か 

 ペルシャの大詩人ハーフェズの詩に常に登場する美女と葡萄酒は、神の愛を求める修業人生の体験を象徴的・詩的に描写するめのシンボルに過ぎないのか、それとも実人生でもそのような恋愛を経験し、葡萄酒を嗜んでいたのだろうか。

 ハーフェズは妻や子をこよなく愛したと伝えられるが、妻以外の美女たちとも関わりがあったのかは、あまりよく分からない。何せ五百数編の詩しか残っていないのだから。ハーフェズの詩は、神への愛を美女との恋に託してその愉悦と苦痛とを描いているが、自由な恋愛が行われる時代でも社会でもないことを考えれば、現実の描写というより、詩的表現のための工夫と考えざるを得ない。

 それにしても、その描写は迫真に迫っている。その中でよく問題となるのは葡萄酒である。古来議論の分かれるところであるが、イランの革命後は、イスラームが禁じる酒はご法度である。したがって、イランの専門家に聞いても歯切れは悪い。ハーフェズは実際には酒は嗜まず、あくまで象徴的に葡萄酒のもたらす陶酔感を神との一体感にたとえたもの、という議論になる。

 ハーフェズがこよなく愛した故郷シラーズは、ブドウの産地である。葡萄酒こそご法度であるが、イランでは今でも葡萄自体は普通に手に入る。シラーズの葡萄酒がおいしかったことは、シラーズ種の葡萄のワインが、今でも世界で嗜まれることで分かろう。

 ハーフェズの時代に葡萄酒が嗜まれていたことは、すでに紹介した下記の詩句からも明らかである。

 「美しき娘よ 公正の酒壺から葡萄酒を小さな杯に分けてくれ 乞食(紳士に道に励む者)が 世界をひっくり返さないように」

 当時、「公正の壺」と言われた葡萄酒壺があり、支配者が商人に対して税を胡麻化すことがないよう、この壺を使って店にある葡萄酒の量を測り納税額の基準としていたことが知られる。

 また、「忘れはしない 我は裏庭に住し(真摯に道に励む)(神に)酔うていた(自己滅却)今我のいるモスクにないものが そこにはあった」(カッコ内は訳者注)。本来、神を求めて自己滅却を目指す導師や修行者が、神への恋の道(徳)を説く傍ら、自己の欲望にふけるさまを嘆き糾弾するものであるが、ここでのハーフェズは、葡萄酒に酔っていたわけではない。あくまで、真摯な修行を通じて神との融合に愉悦・陶酔していたのである。むしろ、導師や同僚の修行者が、人目を盗んで葡萄酒を飲んでいたのであろう。

 それならば、ハーフェズは葡萄酒を飲んでいなかった、と言い切れるであろうか。実はそうとも言えないような気がする。

 「葡萄酒のもたらす至福を想えば 本源(万物の主、神)の巧みさが知れる バラの花びらの内で密かに バラ水が育まれるように」

 ここでいうバラ水とは、アルコールを含まないバラのエキスで、今でもイラン(カーシャンという町はバラ水で有名)で作られている。バラのエキスは、バラの花びらがつぼみから開花していく過程で、人からは見えはしないが徐々に育まれていく。自然の妙であり神の力のなす業、それは葡萄酒についても同じである。

 葡萄酒(味のみならず、香り色すべてを含めて)を本源(創造主)の巧みな力を示すものととらえているが、その味わいを自ら経験することなくそうまで言えるのであろうか。

 これまでは、ハーフェズの得意とした「ガザル」という短編の詩形式の一部の詩句を引用して紹介してきたが、次回にはガザル一遍全体を紹介する。ハーフェズが、実際に葡萄酒を飲んだのか飲んでいなかったのか、参考になろう。

(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)

(駒野欽一=元イラン大使)

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑪「美女」と「葡萄酒」の続き

 ペルシャの大詩人ハーフェズの詩に繰り返し登場する「美女」と「葡萄酒」についての続きである。

 ハーフェズは、神への愛の道の実践を自らの人生とし、美女と葡萄酒に仮託してその生きざまを詩的に表現した。神への愛の道は、至福よりもむしろ苦難や苦痛に満ちていた。しかしそれが自分の人生である以上進むほかに道はない。

 「すき間がある限り すべてを埋め尽くせ」である。

 愛は報われずとも、進むほかにない。「汝のもとに赴けば何をも耐えるほかにない 何者をも成就できなければ最後は恥じるほかにない」

 従って、「汝(美女)が千里の道ほどに自分を裏切っても 自分は汝の心と身に危害が及ばないよう願う」覚悟である。これが神の愛への道を求めるハーフェズの人生への心構えであるが、それは、「痛みの激しさはいかなる説明も描写もかなわない」。

 そうした中での慰み、あるいは救いは、「嗚呼、汝(美女)がおでこに皺を寄せれば(それだけで)自分は力が抜けてしまう しかし それはまた、汝の身と心からのメッセージを示唆するもの」。

 美女がおでこに皺をよせ不快を示すだけで、自分の心は引き裂かれてしまうが、しかし、美女の振る舞い、美女が反応を示すこと自体、同時に何か自分へのメッセージを示すものと受け止めることである。

 もとより、そう受け取る背景には、「人生における良きことも悪しきことも 喜び悲しむ必要があるのか この世界の出来事はすべて跡形もなくなる」、また、「天国の宮殿は この世の行為の褒美として与えられるもの 我は無頼漢にして乞食 道の長老がいれば十分 流れのほとりに座して時の流れを見よ それだけで移ろう世界は自分にとって十分」との見えざる世界への深い信念がある。

 ここでいう無頼漢、あるいは乞食とは、実際のそれではなく、富や権力など移ろう世界に惑わされず、唯一絶対と信じる神のみを求める生き方、すなわち神以外のすべてを捨て去って世の柵から自由に生きる人生、ハーフェズ自身のことである。

 このハーフェズの詩句は、ほぼ同時代の日本の知識人の生き方を思い起こさせる。もとより、唯一絶対神という考え方は異なるものの、鴨長明が小さな庵に座して、変転極まりない世のありさまを「方丈記」で、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」と、ハーフェズと似たような人生観を吐露したのは13世紀の初めであり、ハーフェズのほぼ一世紀半前のことである。そのことはあとでまた触れる。

 ハーフェズが描き上げた美女は、イランの伝統芸術である細密画(ミニアチュール)の格好の題材となっている。イラン美女の典型であるが、そこでは顔、唇、目・瞳、まつ毛、黒髪、うなじ、えくぼが微細に描かれている。

 次回は同じくハーフェズの詩で多用される葡萄酒についてである。

(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑩神への愛、シンボルとしての悩ましいほどの美女

 14世紀のペルシャの大詩人ハーフェズは、神への愛を歌い上げるのに、女性や葡萄酒をシンボルとして使う。美しく気ままな女性を神の属性である威厳(力)と美の体現者として、また捉え難き神の象徴として描き、さらに葡萄酒の陶酔を神の与える至福の象徴として扱う。象徴としての両者が組み合わさって、葡萄酒を客人にふるまう美女(ペルシャ語で「サーギィ」)の誕生となる。

 ハーフェズは美女(サーギィ)に迫り、彼女のしぐさに至福の瞬間(時)を覚えたかと思うと、突然落胆と失望に押しやられる。その振る舞いに一喜一憂する様子が繰り返し歌われる。美女の振る舞いは怪しく魅力的であり、また冷淡かつ頑なである。美女との振る舞いの描写は、人の恋愛と見間違えるばかりである。女性の美は、顔、唇、目・瞳、睫毛、黒髪・うなじ、えくぼに象徴される。

 「月のごとく太陽のごとき汝の顔 汝の黒髪に隠れて それは陽の光を遮る雲のよう」と苦難を予感しつつ、「ハーフェズよ 汝のさまよえる心はどこにあるのか しなやかに結ばれた (美女の)黒髪の束の中にある」というわけで、美女を切り離してはあり得ない人生である。

 まずはあやしくも悩ましいほどの美女の魅力である。「汝の甘い唇のごとく 心地よい生命の泉のほとり 汝の注ぐ甘き飲み物を前にしては 砂糖の甘みも敵わない絶対に-(永遠の)生命の泉の水は甘美な味、美女がその水を飲ませてくれるならばこれ以上の飲み物(至上の幸福)はない、ということになる。

 ハーフェズの詩の魅力とむつかしさの一旦は意味の多重性にあるが、これも一例である。この詩句は別の意味にも解釈されるが、それを理解するためにはペルシャ・アラブ文学の常識が必要になる。外国人にはむつかしいわけである。むつかしいことを承知の上で、一例として紹介すれば、上記詩句は次のような意味にもなる。

 ネザーミというペルシャの大詩人の作に「ホスローとシーリン」という悲恋物語があるが、もともとはアラブ世界の説話である。ホスローというペルシャの王子が、シーリンというキリスト教徒の娘に恋をする。それはシーリンが湖のほとりで入浴している姿を偶然目撃してからである。その美しさに一目惚れ、二人は愛し合うが結ばれず悲恋となる。シェークスピアの「ロメオとジュリエット」に比肩されるが、ハーフェズの上記の詩句は、この物語を踏まえたものである。

 「汝の甘い唇のごとく 心地よい生命の泉のほとり 汝の注ぐ甘き飲み物を前にしては 砂糖の甘みも敵わない絶対に」

 「汝」とは美女シーリンであり、シーリンは一般名詞として「甘い」という意味である。シーリンが入浴していた泉は生命の泉を呼ばれ、その水を飲めば永遠の生命が与えられる、と言われる。「砂糖」は、シーリンとの恋に絶望したホスローが一時心を寄せた女性の名前でもある。(「砂糖」はアラビア語でシュカル、英語のsugarの語源でもある。)上記の詩句は、恋人シーリンの甘美さ・魅力には、ホスローが一時心を寄せた女性「シュカル(砂糖)」など全く及ばない、ということになる。

 誰もが知る説話を交えることで、読者の理解は増し、詩人の思いはいっそう強調される。しかしながら、求める美女は甚だ厄介な存在であり、思うようには捉えられない。さればこそ、人生の苦闘とその詩的表現への昇華となる。

 「汝が漆黒の睫毛は 何千回も我が信仰を試すもの 怪しげに移ろう汝の目、汝の苦難はすべて我が代わりに受けよう」と覚悟する。

 黒い睫毛も移ろう目つきも、いずれも美女の特性、その魅力の表象であり、神への愛に生きるためには、美女が試みるあらゆる苦難に耐える意気込みを披歴するハーフェズである。

 (ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑨ハーフェズ-生き方・想いが限られた詩の中に凝縮 

 筆者の外交官生活で3度目の勤務であり、最後の任地ともなるイランで、ペルシャの詩にとうとう出会うことになり、それ以降、特に退職後の生き方に大きな影響を受けることになる顛末は記した。ペルシャの大詩人の一人、ハーフェズの詩句のいくつかをこれまで、その生きた背景や生き様とともに紹介してきた。

 ハーフェズは、神への愛の道を求める中での至福と苦痛、社会の欺瞞と不正への怒りを原動力として詩的創造活動を続けた。モンゴル侵入後の不安定な社会、権力者の庇護を得られたり、得られなかったり、安定しない自らの生活の中で、詩的創造は、自己主張のよりどころであり、また慰みでもあったであろう。

 今回はその点を見てみる。
「短くはできない ハーフェズの話は長いから」と自ら歌っているのは、その作品がガザルという短形式の詩500編前後に集約されていることから見れば奇異にも思えるが、同時にその生き方・想いが、限られた詩の中に凝縮されているとみることができよう。

 具体的には、「(汝を求めて苦しむ)我 その目は充血し涙でいっぱい それを通して 我は 想いの世界に(汝を)描く(詩)」(カッコ内は訳者註)、
神の愛を成就しようとする修行の人生は茨の道、得られぬ苦しみは充血した目からあふれる真っ赤な涙となって流れる。真っ赤な涙のあふれる目を通して、ハーフェズはその体験を同じく色鮮やかな筆致で詩の世界に展開する。詩人の基本的姿勢である。

 また、「朝のそよ風は すべてのばらの花弁を 優しく水(露)で洗う書物にかじりついていれば 心が曲がっていると言われてもしょうがない 我にとり(修業の苦しみで流す)涙こそ ダイヤでありサファイヤであり宝物 天空の太陽に 幸運をすがるなど しはしない」

 詩人の自然を見る目は鋭い。シラーズは今でもバラで有名であり、神を求めて寝られず朝までバラ園で過ごした詩人が、露に濡れた花弁を朝の風がさっと洗い流す光景にふと安らぎを覚える。それは神が描き出した自然の光景と思えたのであろう。書物にかじりついて神学に思惟をめぐらすなど、まったく野暮でしかない。

 しかし、それは確かに一瞬の安らぎではあるが、修行の苦しみははるかに大きく、血の涙こそが詩人にとっての宝もの(ダイヤもサファイヤも血の涙と同じ真っ赤な色)。自分は天空に願を懸け、運に頼ってこの世の栄達を願うなどしない、と歌うのは負け惜しみともとれるが、それはまた、詩人の自負・誇りでもあった。

 「葡萄酒のおかげで育まれる想いは 自然が自分らしく巧みに飾るようバラの花のうちに バラ水がひそかに育まれるように 葡萄酒は、神との融合により得られる陶酔感を表象するもの、自然の巧みさも神の賜りもの、それらは今日もイラン人が愛好するバラ水が、バラの花びらに密かに育まれるがごとくと歌うのは、まさに神の道を求め、神の被造物たる自然の巧みさに心奪われる詩人の自負であり誇りである(バラ水はバラの花弁から絞り出すバラのエキス)。

 (ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)

(駒野欽一(国際大学特任教授、元イラン大使)

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑧詩的創作で生み出した「美しい娘」「葡萄酒」とは

ハーフェズの詩的創造力の源泉として、神の愛を求める修業と並んで、ハーフェズの世の欺瞞と不正に対する怒りを指摘したが、その関連で、前回のコラムでは、次の詩句を紹介した。

 「美しき娘よ 公正の酒壺から葡萄酒を小さな杯に分けてくれ乞食(真摯に道に励む者、正直者)が 世界をひっくり返さないように」を少し説明しておこう。

 ハーフェズが、その詩的創作で生み出した工夫が「美しい娘」と「葡萄酒」である。いずれも神への愛の魅力と成就の困難さ(美女との恋愛)、および神への愛の陶酔(葡萄酒)の象徴として登場する。ここでいう公正の壺とは、時の権力者が、徴税逃れのごまかしを抑えるために、規定量の葡萄酒が入る壺を作り、その量に応じて課税するために用いたものである。

 引用の詩句では、不正や欺瞞が取り締まられ、正義が実現されるよう訴えるとともに、同時に自らの神への愛の成就とその愉悦を、美女からの葡萄酒に仮託して懇願している。正義が実現されなければ社会は混乱を増さざるを得ず、また葡萄酒(神への愛の成就から得られる愉悦)が得られなければ、道の修行者(ハーフェズ)は苦しみ、のたうち回ることになる、と述べている。

 ハーフェズの詩的生き様の背景にあるその宗教観・人生観を今一度見ていこう。ハーフェズが実践したイスラーム神秘主義の世界では、神の唯一性の帰結として、神以外のすべての存在はうつろう現象である。神との一体を求める修業、すなわち神を愛しぬくことは自己を滅却することであり、その神を捉える主体は心である。

 2回目のコラムで取り上げた、「長い間こころは 世界を見透かす杯を 我々に求めた自ら持てるものを よそ者に求めたもの皆が生み出される根源の宝を 海(道)にさまよった者に求めた」を思い出してほしい。

 改めてこの詩句を解釈すれば、次のようになる。

 「こころ」は、ここでは自分と解すればよい。「我々」は自分の頭(知識)と考えればわかりやすい。「世界を見透かす杯」とは、すなわち神であり、「杯を得る」とは神への愛を成就することである。神のために自己のすべてを葬り去ることである(自己滅却)。それによりすべてを見通せるようになる。「自ら持てる者」とは、神を捉えることのできる主体すなわち自分の心であり、「よそ者」とは、自分の頭(知識)である。「もの皆が生み出される根源の宝」とは、万物の創造主である神のこと、それを求めるのに、「道にさまよった者」、すなわち、自身の頭や知識に頼った。

 そんなことで、神への愛が成就されることはない。「よそ者」あるいは「さまよった者」とは、知識であり教科書である。また物知り顔の導師もいる。「心」に捉えられるべき神は、知識によっては得られないことを、ハーフェズは繰り返し歌っている。教科書を読んで実現できることではない。教科書的な知識はかえって邪魔になる。自ら実践し体得しなければならないからである。それは有害ですらある。「心よ 知識の害毒によって一生が失われた100ある素地も生かされなかった」のである。

 「我が知識の書すべてを 葡萄酒で洗い流そう 宇宙は我が知ったかぶりに 復讐するものだ」。ここで葡萄酒というのは 神の愛に酔うこと、一心不乱に神への愛に邁進することであるが、葡萄酒ついては、別に改めて述べる。

 (ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」(7)ハーフェズの宗教観と人生観は 

 ペルシャ詩の世界に輝く2大巨星、その一人ハーフェズが生きた時代と社会、それを背景としたハーフェズの生きざまを概観したあとは、その宗教観および人生観である。

 ハーフェズは、イスラームの聖典(神の言葉といわれる)コーランをすべて暗唱していた。また当時の教養をすべからく身に付けた一級の知識人であったが、イスラーム神秘主義の道を人に説き導くというよりも、自ら実践し、その苦悩と喜びさらには怒りを詩的に表現し、そのことで社会に大きな影響を与えた。

 ハーフェズの宗教思想は、当時の社会の主流であったマラーマティエ派と言われる、自虐的な修行で知られる宗派の考え方であり、イスラーム神秘主義の実践・修行を通じて、神への愛(完全な人生)を成就しようとする。しかし、現実には自己滅却を図り神を愛しぬくことは容易ではなく、神は捉えたかと思えば、また逃げられることの繰り返しである。

 自己滅却し神と融合することは持続できず、むしろ苦しみ(苦痛)の連続であるが、それが生きることである以上やめるわけにはいかない。

 哲学、なかんずくイスラーム哲学の大家、故井筒先生の著作からの受け売りであるが、イスラーム神秘主義においては、イスラームにおける基本的信条、すなわち神の唯一性を実現するためには、神の被造物である人間は自己を捨て神と一体にならなければならず、自己滅却して神との融合(愛)を果たしたうえで、再び現世に帰還し、生を営むことになる。人間が自己を主張する限り、すなわち自我を捨てない限り、神と人間が併存することになり、神の唯一性に反する。神との融合を果たした人間は、引き続き現世での生活を続けるが、それはもはや従前とは異なり完全な人生の営みとなる。

 ただし、神への恋の実践は命がけである。

 「(神の)愛を手に入れるために自由にふるまうことは 最初は簡単に見えた最後は自分の魂は燃え尽きた この徳を手にする道において」

 「痛み この苦痛はいかなる説明も描写もできない」

 ここで、「自由にふるまう」と訳したのは、Rendという単語である。昔も今も、ペルシャ語で悪漢という意味である。ハーフェズは詩人として、この言葉に特別の意味を付与している。すなわち、神の愛の実現という目的(道)のためには、人目や世間体を気にせずに、何ものにもとらわれず自由・傍若無人にふるまう、という良い意味で使っている。先にも後にも、ハーフェズのみの用語である。

 本コラムでこれまでも紹介してきたハーフェズのいくつかの詩句は、実は、神への愛を実現することのむつかしさ、厳しさをうたったものである。

 「突然 虚無の大岩が すべての夢を木っ端みじんにした」とは、神と合一できたと思っていたら(愛の成就)、あにはからんや、次の瞬間には、奈落の底に突き落とされるように夢も希望も粉々に。この詩句は、ハーフェズが愛した息子を突然失った時のものである。神と合一できた時は至福の瞬間、しかしそれは続かず、一瞬にして破局が訪れる。したがって、神の道には終わりはないことになる。

 「道は恋の道 終わりはない 命をささげるほかに 途はない」

 神への恋の道に真剣に苦闘する中で、同じ道に修行するものの多くが、陰で自分の欲得にふける姿には何とも我慢がならず、さりとて深く社会に根差した偽善や欺瞞、不正は正しようがない。

 「ハーフェズよ 偽善を解決する望みはない なぜなら運命がそうであり いかんともしがたい」

 「忘れはしない 自分は裏庭に住み(真摯に道に励む) (神に)酔うていた(自己滅却) 今自分のいるモスクにないものが そこにはあった」

 後者はいささか説明が必要であろう。昔はよかった風の回顧主義とも見えなくないが、モスク、すなわちイスラームの学舎にはびこる悪徳、偽善を強く感じての感慨を読んだものである。本来、神を求めて、自己滅却を目指す導師や修行者が、徳を説き修行に励む傍ら、自己の欲望にふけるさまを糾弾するとともに、嘆いたものである。

 ハーフェズにとり欺瞞・不正は運命としても、それにたいする不満や怒りは詩的な表現をとって噴出する。

 「美しき娘よ 公正の酒壺から葡萄酒を小さな杯に分けてくれ 乞食(真摯に道に励む者)が 世界をひっくり返さないように」

 この詩句の解説は次回に譲る。

(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」(6)ハーフェズの偉業

 私の退職後の人生の楽しみともなり、指針ともなったペルシャの詩歌を、ハーフェズとモウラナーという2大巨星の詩句を中心に、いよいよ具体的に紹介する段になった。

 最初はハーフェズである。

 背景説明として、まず彼の生きた時代を概観し、次にその宗教観と人生観、すなわち生き様を具体的な詩句を挙げながらお話ししたい。

 ハーフェズが詩人として活躍したのは、14世紀の後半である。13世紀のモンゴルの西征により、世界を席巻したイスラーム帝国も終わりをつげ、東方のイスラーム圏は徹底的に破壊されその支配に服する。バグダードを首都とするアッバース朝カリフの崩壊(サラセン帝国)、すなわちイスラーム世界のシンボルの消滅も13世紀の半ばである。

 チンギス汗の後裔フラーグはサラセン帝国を滅ぼすとともに、イランを中心としてイルカン国を設立する。この政権はのちイスラームを受け入れ土着化していくが、その衰退後も、東方イスラーム世界では、今度はモンゴル帝国の復活を目指して中央アジアにチムールが出現、ハーフェズが生きたシラーズもその支配下に置かれた。

 ハーフェズはモンゴルによる世界の大変動の余波冷めやぬ戦乱の時代に生きた。ハーフェズは故郷シラーズをこよなく愛し、終始シラーズにとどまり近辺の大きな町ヤズドやケルマンのほかには旅していない。

 「なんと気持ち良い、シラーズは比類なきところ 神よ シラーズがいつまでもこのままでありまよう」(以下いずれもハーフェズの詩)

 シラーズの人のみならずイラン人なら誰でも承知の一句である。外務省入省後、ペルシャ語専門家の第一歩として、私は邦人のほぼいないシラーズでペルシャの言葉と文学の研修に励むことになる。

 ハーフェズから600年後のシラーズは、現在の大都会化したシラーズから見ればはるかにハーフェズの時代に近かったであろう。当時未だ20代前半の異邦人にとって、シラーズはこの上なく退屈な社会であった。

 ハーフェズは、一度インドに招かれて、ペルシャ湾岸の港まで行ったものの大嵐に遭遇し、引き揚げてきている。彼の名声が生存中すでに、ペルシャ文化世界に広く知れ渡っていたことが知られる。第一回目に紹介した、「(世界を見透かす杯を)海(道)にさまよった者に求めた」との比喩も、港で大嵐に遭遇した経験に基づこう。

 不安定な時代を背景に、詩人としてのハーフェズも、詩人の常として宮廷の庇護を得ようと願うが、権力の抗争は、詩人の身分の安定を許さない。うまく取り入ることができる時もあれば、そうはいかない時も多い。ハーフェズも王や宮廷の有力者を讃嘆する詩歌を読みはしたが、数も限られれば自らをまげて卑しく媚びることはない。

「ハーフェズよ 王に伺候の機会を得ようというのか 何もしないで なんの望みがあるというのか」

 世情は落ちつかず、有力者の庇護もままならない中で、ハーフェズは敬虔なムスリムとして、神への愛の道を真摯に生きようとする。ハーフェズの生きた社会は、神の命ずるがまま(聖典「コーラン」)を信じ実践する、とのイスラームの宗派が優勢、ハーフェズも、それを神への絶対的な愛(自己滅却)という形で実践しようとする。ハーフェズという名前自体が「コーランを暗唱するもの」という意味である。

 神の道は、手に入れたと思えばすぐに逃げてしまう茨の道、その愉悦と苦痛を詩的に昇華することがハーフェズにとって生きることであった。

 「汝とともにある瞬間は 1年が一日 汝のいない瞬間は 一瞬が一年」

 1年が一日にも思える程さっと過ぎてしまう至福の時、時間が全く進まない苦痛の時、だれにも経験があろう。

 また、社会には神への道の修行を説きながら、自らは自己の欲望に汲々としている同道の輩が少なくない。ハーフェズの信条からすれば、何とも我慢がならない欺瞞である。そうした不義・不誠実への怒り・批判を、ハーフェズは詩的に表現することで自らの人生を生きた。

 「ハーフェズの語るべきことは長い 短くはできない」

 もっとも、ハーフェズの人となりや人生はあまりよく知られていない。何しろ、主としてガザルという詩形式の作品が、500編あまり残っているだけだからである。これも、彼の死後友人のガランディルがまとめたものなどが原典である。ハーフェズ自身がまとめて発表したわけではない。詩作に大変な自負を持ちながら、それを自ら積極的に広めたわけではない。何しろ、詩は支配者から不満・抗議と受け取られれば、そのために殺されかねない時代である。作品は人づてに伝え回わされたものである。

 それにしても、伝えられる500編余の詩句で、世界を魅了できるとはとてつもない偉業である。

(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)

(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)

 駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」(5)モハッゲク、井筒両先生の詩を通した交流

 イラン大使在任中、ペルシャの詩を2人のイラン人の先生について学んだことは述べた。加えてもう一人、イラン人の先生に言及しておく必要がある。メフディ モハッゲク博士である。

 大使在任中、頭を離れない疑問があった。日本の代表的な哲学者にして、イスラーム学者、それに語学の大天才であった故・井筒俊彦先生が、なぜイスラームに、またイランにあれ程までに惹かれたか、である。

 井筒先生は、慶応大学で教えられた後、カナダのマックギル大学で研究と教育に携わる。そこで知り合ったのが、イランのモハッゲク先生である。井筒先生はイランの哲学者の著作を学びながら、両者は協力して研究に励む。モハッゲク博士のイラン帰国後は井筒先生もイランに移動し、60年代の後半から70年代末のイラン革命直前までイランで過ごされる。私がペルシャ語の専門家の卵としてイランに赴任し、研修の終了後、大使館で勤務、革命直前に離任するまでの間、井筒先生はイランに居られたことになる。

 おうわさは聞いていたが、先生が日本人会の社交の席に姿を現すことはついぞなかった。幻の有名人であった。後で知ったことだが、先生はそのような社交には興味なく、そもそも夜中を研究の時間に当て、我々とはまったく別の生活のサイクルであった。

 その井筒先生が、なぜイスラームとイランに魅せられたのか。「モハッゲク先生に聞いたらいい」と教えられ、お邪魔した。当時モハッゲク先生は、内外のイラン研究者を顕彰する会を主宰され、1994年に亡くなられた井筒先生に関しても追悼の冊子を出され、そのコピーを私に贈ってくれた。専門外の私にはむつかしいことも多く、冊子に書かれたモハッゲク先生の追悼文を材料に何度かお邪魔してお話を伺った。

 井筒先生は、イラン革命の直前、最後の最後までテヘランに残り、最後はアパートの水も電気も中断し、着の身着のままでモハッゲク邸に避難し、帰国便が再開するのを待って日本に戻られた。その間の事情を、モハッゲク夫人がくだんの追悼冊子に寄せた一文で紹介している。日頃気難しい先生が、初めて打ち解けた風で、モハッゲク家の子供たちに中国の占いを教えたという。

 モハッゲク先生は、その追悼文で、日本帰国を前に井筒先生が、下記のアラビア語の詩を引用して別離の念と感謝の気持ちを表したという。
「友よ 汝と別れなければならない 眼には涙があふれ心は血でたぎる 誓う 汝が家の門口に 身を寄せ心を託したことを」(アラブの詩人アホウスの詩を、モハッゲク先生がペルシャ語に翻訳)

 私も日本に戻り、ちょうど井筒先生の全集が再刊されたのを機会に、目を通してみた。井筒先生が、得意の語学を駆使されて、イスラーム諸語(アラビア語、ペルシャ語、トルコ語)やヘブライ語、さらにはサンスクリットや中国・チベットの原典を直接研究され、自らの禅体験を踏まえて、西洋思想に比肩する幅広い東洋の共通的思惟ともいえる壮大な「東洋思想」の構築に挑まれていたことを知った。同時に先生が、日本の詩歌、特に新古今和歌集に大変な興味を持っていることも知った。

 「世の中は 夢か現か うつつともゆめとも知らず あるもなくして」(古今和歌集、読み人知らず)を評して、深い哲学的思惟が読み込まれていると指摘されている。

 井筒先生が、詩歌を深く愛されていたことは分かったが、イスラームとイランになぜ惹かれたのかはよくわからなかった。しかし、追悼の冊子に先生のイランにおける弟子のひとりプールジャバーディ博士が一文を寄せている。それによれば、80年代の半ばロンドンでお会いした際、井筒先生に雑誌に掲載する予定でインタビューを行い、その中でなぜイスラームやイランに引き込まれたのか尋ねている。井筒先生の答えは、自分でもわからず論理的に説明できないが、イスラームに引きずり込まれたとしか言いようがないと答えている。

 「魔法」を意味する語根から発するアラビア語であるMahsur(魅せられる,憑りつかれる)という言葉を用いている。なるほど、イランについても同様であろう。自分(筆者)もとうとう、ペルシャの詩歌にMahsurされてしまった。
次回からは、ペルシャの2大詩人のうち、まずはハーフェズから感銘を受けた詩句を紹介する。(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)

(駒野欽一=こまの・きんいち=国際大学特任教授、元イラン大使)

 駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」④神へ至る道は実践で体得せねばならぬ

 私の詩の恩師、ハッダード アーデル先生は、文学・哲学を専門とする学者であり政治家であるが、文字通り書物のひとである。
鉄筋造りの自宅には、自分専用に図書館が作られている。自ら何冊もの本を出している。テヘラン在勤中には、御自分でペルシャ語に翻訳した「コーラン」をいただいたし、ペルシャの2大詩人のひとりモウラナーの代表作(マスナビ)を90年前に初めて全部英語訳したニコルソンの復刻版もいただいた。

 私が日本に戻り外務省を退職してからも、人づてに2冊の近刊の自著をいただいた。そのうちの一つは、折々に記したもう一人のペルシャの大詩人ハーフェズに関する論考を本にまとめたものである。

 その中の一編に、ハーフェズの詩の特徴を分析したものがあるが、その中で「実践的知恵」の表題の下、ハーフェズの詩の中から、人生訓・処世訓となるような詩句をたくさん例示している。

 例えば、「無智なるものよ 知恵あるものとなるよう努めよ 歩き始めなければ いつ道を進む者になれるのか」(ハーフェズの詩)
さらには、「裏庭に住するもの(真摯に道を励む修行者)に (偽善の導師よ)かっこよく徳を語ることなかれ いかなる話にも(ふさわしい)時があり いかなる論にも(なすべき)場所がある」(同)
など、30編近くの詩句が引用されている。うれしいことに、上記2編を含めて5つは、私がいつも暗唱している詩句と同じであった。

 ハッダード アーデル先生からは直接ハーフェズを教わったわけではないが(同先生から学んだのはモウラナーの詩)、人生訓・処世訓に関しては、自分も先生の理解に少しは近づいたものと思う。

 上記2つの詩句はいずれも修道の心得を述べたものであるが、人生万般に通じる教訓であろう。前者について一言触れておくと、当時のイスラーム世界の知識・科学の水準は世界最先端であったが、ここでいう知恵とは、神に至る道は神の知恵に頼る以外ないこと、知識や理解ではだめで実践して体得しなければならないことを述べている。ハーフェズ・モウラナーともに時代の一級の知識人であって、その科学理解の一旦は詩句からも感じられるが、それはまたの機会に譲る。

 ハッダード アーデル先生であるが、その娘さんの一人は、日本の金沢で留学生として学び、のち米国でナノテクノロジーの博士号を取得、そのまた娘さん(先生の孫娘)は、日本で小学校に通ったことで、日本語が大変流暢であった。先生も娘の家族に会うため何度か日本を訪れていて、大変な日本びいきとお見受けした。先生のもう一人の娘さんは、ハーメネイ最高指導者の息子に嫁いでいる。先生は、したがって最高指導者と親戚関係である。

 次回は、イスラーム哲学の最高峰の学者であられた故井筒俊彦先生についてお話ししよう。
(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)